72 敵に回してはいけない
「こんな場所で剣を振り回したら危ないですよ?」
「ああ!? このスリの仲間か!」
ちげーよ。
「私はアロと申します」
「名前なんか聞いてねぇ! 邪魔するならお前も斬るだけ……くそっ、手を離せ!」
手首を握った手に力を込める。
「あいててててっ!?」
「ここには幼い子も居るんですよ? その目の前で子供の腕を斬り落とすなんて正気ですか?」
「手を離しやが……痛い痛い痛い! 離してくれ……ください!」
男はとっくに剣を取り落としている。もう少し力を入れれば手首の骨は粉々に砕けるだろう。男の子を拘束しているもう一人の男は、助けに入るべきかどうか迷っている。
「おいお前。その辺にしておけ」
貴族の少年が偉そうに命令してきた。イラッとして反射的に殴りそうになったが寸前で思い止まる。俺と少年の間にコリンが割って入ったからだ。
「コ、コリン・マクファレン!?」
「やあこんにちは、ドーラン君」
「コリン、知り合い?」
「うん、王立学院の同級生だよ」
へぇ、そうなんだ。と思っていたら、手首を握っていた男がその場に倒れて静かになった。どうやら痛みで気絶したらしい。あ、さっきイラッとして一瞬力が入り、手首の骨を粉砕してしまったようだ。こっそり「治癒」を掛けて治しておく。
「アロ君、こちらドーラン・ダリアート君。国王陛下の縁戚で、ダリアート侯爵家の三男。ドーラン君、こちらアロ・グランウルフ・アルマー君。つい最近『プロスタシア勲章』を受勲した功績者だよ」
「なに!?」
おおぅ……プロスタシア勲章ってそんなに有名なの? ドーラン君の顔が青褪めてるんだけど。
「しかし、こいつ……アルマー殿は、スリを庇ったのだぞ!?」
「庇ったんじゃなくて、行き過ぎた制裁を止めただけでしょ?」
俺はコリンの言葉にうんうんと頷いた。余計な事は言わず、全部コリンに任せよう。
「いくら侯爵家の子息だからって、公衆の面前で子供の腕を斬り落とそうとするなんて……国王様が聞いたら何て言うだろうね?」
うんうん。おじい様は公正な人だ。スリは立派な犯罪だが、腕を斬り落とすのが適正な罰だとは思えない。しかも相手は子供である。貴族だからと言って平民を勝手に裁く権利なんてないのだ。いくら縁戚の子息でも相応の罰が与えられるだろう。
「そ、それは護衛が勝手に」
「ドーラン君は護衛の勝手を許してるの?」
コリン……こいつは敵に回してはいけないヤツだ。正論でドーラン君を追い詰めている。
「まぁほら。ここは正当に、スリ未遂を働いた子を……って、あれ?」
スリの男の子は、いつの間にか拘束をすり抜けて居なくなっていた。周りを見回すと、仲間の二人も消えている。ドーラン君の護衛が余程間抜けなのか、彼らが強かなのか。
「貴様っ! スリを逃がすとは何事か!」
ドーラン君の怒りは護衛に向けられた。そもそも護衛なら、スリに隙を見せてはいけないのだ。スラれそうになる時点で護衛失格である。
「ドーラン君……言いたい事はたくさんあるけど、この国でアロ君だけは敵に回しちゃいけないよ? それだけは覚えてて。さあアロ君、もう行こ?」
「ああ、うん」
他の皆が待っている所に戻る途中で、コリンに礼を言った。
「コリン、ありがとう」
「いいって。むしろドーラン君の方が助かったんじゃないかな?」
コリンは「フフフ!」と鈴が転がるような声で笑った。後ろを振り返ると、護衛を怒鳴り付けていたドーラン君が俺を睨んでいたが、目が合うとすぅっと目を逸らした。
元の場所に戻ると、皆は二本目のテンペスト・ポテトを食べていた。……いつの間に。
屋敷で夕食を済ませた後、私室でミエラとコリンに話を聞いてもらう事にした。先に昼間の件で気になっていた事をコリンに尋ねる。
「ああいう子達ってたくさん居るのかな?」
「スリの子? うーん、どうだろう。王都にもスラム街はあるし、孤児もいるしね」
「そうだよなぁ」
「助けたいの?」
「それが自分でも分からないんだよね……色んな事情があるだろうし、自分の力ではどうしようもない事だってあると思う。ただ、中には努力をしないで流されるまま悪事に手を染める人もいると思うんだ。そういう人にまで手を差し伸べる気はない」
これじゃ、そうじゃない人なら手を差し伸べると言っているみたいだな。
「困ってる人全員を助けるなんて出来ないよ。それは国がする事で、アロ君がする事じゃない」
「私もそう思う。ただ、もし助けを求められたら、出来る範囲で力を貸すのは良いかなって思う」
「それだ!」
ミエラの言葉が物凄く腑に落ちた。昼間の件に介入する事を躊躇したのは、助けを求められていなかったからだ。あの時の俺は、パルに凄惨な現場を見せたくない一心で動いたに過ぎない。
「ミエラ、ありがとう。モヤモヤがすっきりした。コリンも、気持ちを整理するのに凄く助かったよ」
二人はにっこりと笑ってくれた。
「じゃあ本題を話す」
「今のが本題じゃないの!?」
「私もそう思ってた」
「ああ、ごめんごめん。神殿で、一瞬ぼーっとしてたと思うんだけど」
「「うん」」
「あの時、多分俺の意識だけ、真っ白な空間に閉じ込められたんだ。そこで龍神クトゥルス様に会った」
「え?」
「は?」
二人が一瞬呆けたような顔をした。分かるよ、その気持ち。俺だって他の人からこんな事言われたら、同じ反応すると思う。
「ただの幻覚にしてはおかしな点が多いから、ここは一旦現実だとして考える」
そうしないと話が進まないからね。
「それで……どんな事を話したの?」
「体感で二分くらいかな……前世でも話したかったけど出来なかったとか、神聖魔法の祈りはクトゥルス様に捧げろとか、そんな話」
俺の答えに、コリンは安堵したように見えた。
「それほど深刻な話じゃなくて良かった」
「コリン、アロみたいな事ってよくあるの?」
「うーん、アロ君にはもう言ったけど、声が聞こえる人は稀にいる。だけど実際に神と会ったって言うのは聞いたことないなぁ。おばあちゃんなら知ってるかも」
コリンの考えでは、神殿という多くの人の祈りが集まる所だから、神が干渉しやすいのかも、という事だった。それでも、干渉してきたのがハトホル神ではなく龍神である事については良く分からないらしい。
「それで、クトゥルス様を敬う気持ちが芽生えちゃったんだけど、これって大丈夫なのかな?」
「ボクはそのクトゥルス様というのは聞いたことがないんだ。善神なのか悪神なのか分からない。でも邪教の類でその名前は出て来ないから多分悪い神様じゃないと思う」
悪神なんて、邪神イゴールナクだけでお腹いっぱいです。
「わざわざアロに話し掛けてきたってことは、何か意味があるんだろうね」
「俺もそう思う。意味もなく姿を現すような事はないだろうしね」
「ボクも調べてみるけど、みんなに話した方がいいんじゃない?」
「……変な風に思われないかな?」
「「え、今更?」」
ミエラとコリンの声が綺麗にハモった。ちょっと待て。俺、皆からどんな風に思われてんの? そう思ったが、怖くて聞けなかった。
「じゃあ明日の朝にみんなに話そうかな」
「そうだね」
「そうね」
話を聞いてくれた礼を言うと、二人は部屋から出て行った……と思ったらミエラが戻ってきた。
「アロ」
「どうしたの?」
「……一緒に寝てもいい?」
「……い、いいよ」
あの、キスをした日から、どうにもミエラの事を意識してしまう。これまでも好きだったんだけど、それは多分、幼馴染とか家族の意識が強かったと思う。今は女の子として、しかも前より好きな気持ちが大きくなった。
……少し前までは、俺の事情に巻き込みたくない、危険な目に遭わせたくないと考えていたのに、今はずっと傍に居て欲しいと思っている。我ながら自分勝手だと思うけど、それが本心なのだから仕方ない。
つまり、自分の気持ちに素直になったってことだろうか。
「おやすみ、アロ」
「ミエラ、おやすみ」
隣に居るミエラの温もりにドキドキしながら、いつの間にか眠りに就いていた。
翌朝朝食を食べた後、皆リビングに集まってもらい、神殿で起きた事を話した。
「神様にまで気に掛けて頂けるなんて、さすが私の息子だわ!」
「うむ。私達の息子だから、神に愛されているのは当然だよね」
母様と義父様はどこまでもポジティブである。
「アロ殿らしいでござるな!」
「アロなら今更驚かねぇな」
アビーさんとレインは俺の事なんだと思ってるのかな?
「精霊だけじゃなくて神様にも好かれているのだわ!」
「さすが主さまなの!」
「なの!」
精霊達は多分よく分かってないと思う。
「神託や予言があった訳でもない……その龍神の目的はなんじゃろうな?」
じいちゃんは真面目に考えてくれた。そう、そういう話を聞きたかったんだよ。
「まさかアロ君が……いや、アロ君ならそうかもしれんのじゃ……」
サリウスは何やらブツブツと呟いている。
「あれ? そう言えば、サリウスは別の神様を信仰してるって言ってたよね。それって何て言う神様なのか聞いてもいい?」
ハトホル神の神殿に入れないって言ってたくらいだから、その神様への信仰心は強いんだろう。あんまりサリウスっぽくないけど。
「うむ、龍神クトゥルス様じゃ」