68 アロの行方
「『時間超遅延』!」
魔力がごっそり抜け、膝から崩れ落ちそうになる。時間の流れに干渉する魔法は、世界の理を捻じ曲げる。一撃で街を滅ぼす魔法すら数発撃てるだけの魔力量があるのに、枯渇寸前で気を失いそうだ。
だが動かなくてはならない。陛下の前で、極大炎魔法が炸裂しようとしている。このままでは、陛下だけでなくここに居る殆どの人が死ぬ。母様と義父様もだ。そんな事は断じて許さない。
「時間超遅延」は時を止めている訳ではない。だから今も炎が膨れ続けている。現実の時間では、一秒も経てば皆死んでしまう。全員を転移させる魔力は残っていない。
俺は偽の使者達の手から、爆発しかけている魔法具をもぎ取って「長距離転移」した。場所は例の「荒野」だ。
「シ、『魔法障壁』」
残り滓の魔力でなんとか「魔法障壁」を張り、魔法具を投げる。次の瞬間、三つの極大炎魔法が至近距離で炸裂した。
視界が朱色に染まり、膨大な熱と爆風が怒涛の勢いで押し寄せる。炎の直撃は回避出来たが、その場から大きく吹っ飛ばされた。
ああ……これは「豪火焔」か……これならサリウスの方が強いかもなぁ……あ、城に戻らないと、母様が心配する……体が動かない……ミエラにまた心配をかけてしまう……ミエラ、また泣いちゃうのかなぁ……泣かせたくないなぁ……。
意識が闇に沈む直前、俺の脳裏に浮かんだのは、花のような笑顔を浮かべるミエラの顔だった。
SIDE:謁見の間
三人の偽帝国使者が動きを見せた時、謁見の間で国王の側に控えていたルーナス・ハイアットは、彼らの手元で光る物体を見た。
咄嗟に国王を庇おうと前に出るが、光が一瞬強くなった後、目の前にアロ・グランウルフ・アルマーの姿が見えた気がした。その直後に光が消え、彼らの手元からその物体が消えていた。
「「「え?」」」
三人は呆気にとられたが、次の瞬間に何らかの液体を取り出して飲み込もうとした。
「そいつらを取り押さえろ! 毒も持ってる、自死させるなっ!」
国王と王妃を後ろに庇いながら、ルーナス副団長が近衛騎士達に指示を飛ばす。二人は間に合わず、毒を飲んで自殺したが、一人は生きたまま確保した。
「く、くそっ! 魔法具はどこに……間違いなく爆裂した筈なのに!」
床にうつ伏せに倒され、背中を騎士の膝に押さえつけられた男が、口から唾を飛ばしながら口走った。騎士が背中に回したそいつの左手首に腕輪があるのに気付く。既に死んでしまった二人も同じ物を着けている。
「魔法具に詳しい者を呼べ! それと、アロ殿! アロ殿はいないか!」
こんな時、真っ先に出てきそうなアロの姿が見えない。さっきのは気のせいではない。恐らく、破滅的な状況を彼が打破したのだ。
ルーナスは、国王を安全な場所へと護衛しながらアロの事を告げる。
「陛下、恐らくアロ殿の働きで危機を逃れたのだと存じます」
「なに、真か? それならアロを呼べ」
「それが……彼の姿が見えませんでした」
「……ではヴィンデルとシャルロットを」
ルーナスが部下の一人に目配せし、一人の騎士が隊列を離れる。まだ謁見の間に残っていると思われる、ヴィンデル・アルマーとシャルロットを呼びに行くのだった。
SIDE:ミエラ
アルマー子爵家で留守番をしていたミエラは、アロが居ないにも関わらず彼の部屋でパル、ピルルと過ごしていた。特に何をする訳でもないが、彼の部屋だと落ち着くのだ。多分、パルも同じなのだろう。
アロの部屋にある本棚には、パルに文字を覚えさせる為の絵本や児童書から、専門用語が頻出する魔法具に関する本まで、ジャンルを問わず多くの本が置かれている。その中に、婚約破棄された貴族令嬢の新たな恋物語や、パーティから追放された後に能力に目覚めて成り上がる冒険者の話などがあって、ミエラはそういう本を読むのが好きだった。
パルは最近文字を覚えて、児童書なら一人で読めるようになった。二人で床に座り、ベッドに背を預けて隣同士、それぞれ読みたい本を読んでいる。たまにパルが「ミエラ姉、これなんてよむの?」と聞いてきて、それを教えてあげている。
アロが居なくても、アロの部屋に居ると何となく彼を近くに感じる。ミエラは自分の部屋で過ごすより、アロの部屋で過ごす時間の方が圧倒的に長いのだが、これはアロには秘密にしている。
「ぴるるぅぅぅううー!」
その時、パルの肩の上で突然ピルルが鳴きだした。ピルルは屋敷の中では殆ど鳴かないので、ミエラとパルは驚いた。
「「どうしたの、ピルル!?」」
「ぴるっ! ぴぴるるぅ!」
「え……アロ兄ぃが!?」
ミエラにはピルルが何と言っているのかまるで分からないが、不思議な事にパルは分かるらしいのだ。
「ミエラ姉、アロ兄ぃが! アロ兄ぃがたいへんだって!」
「えっ!? 何があったの?」
今日はお城で叙勲式。勲章を授かるだけだから、危険なんてない筈だ。だって、お城はこの国で一番安全な場所なんだから。
「ぴるぅぅ! ぴるるぅう!!」
「……うそ」
「どうしたの、パル! ピルルは何て言ってるの!?」
「アロ兄ぃ、ケガしてたおれてて、うごいてないって……」
「っ!? 何で? お城にいるんじゃないの?」
「ぴるっぴるるっ」
「お城じゃない……えっと、岩がゴツゴツしたところ? ちかくに海があって、とおくに森があって……」
岩場でゴツゴツしていて、海と森に挟まれた場所……アロにこの前連れて行ってもらった「荒野」しか思い付かない。だけど、あの時はアロに転移で連れて行ってもらった。だから場所が分からない。
……ちょっと待って。アロは場所の説明をしてくれた。王国のずっと北、魔族領も超えて更に北って言ってた。
アロはそこに居る? 怪我をして動けないの……?
「ピルル! 私を乗せて飛んでくれる?」
「ぴるぅ!」
ミエラはアロの部屋を飛び出そうとするが、ピルルが服の袖を銜えて引き留めた。
「ハッ! そう言えば……」
アロが言っていた事を思い出した。
『ミエラ、ピルルに乗る時は、必ずこの魔法具を使うんだよ。じゃないと寒くて死んじゃいそうになるからね』
その時のアロの顔を思い出す……ちょっと苦笑いして、はにかんだような笑顔。その顔と優しい声が浮かんで、ミエラの目に涙が溢れそうになる。だが、ミエラはそれをグイッと服の袖で拭った。
アロを助けないと!
「ピルルありがと!」
本棚の向かいにある、様々な魔法具を置いてある棚から、アロが言っていた魔法具を引っ掴む。
「ピルル、行こう!」
今度こそ部屋から飛び出すと、目の前に立っていたコリンとぶつかりそうになった。
「コリン!?」
「ごめん、ミエラちゃん。話を聞いちゃった。ボクも連れて行って!」
「でも……」
「アロ君、怪我してるかも知れないんでしょ? ボクは治癒が使えるから!」
「分かった、一緒に行こう」
一階に下りて、リビングに居たハンザに簡単に事情を伝えた。他の皆と、城からアロの両親が帰って来た時に、アロが居ると思われる場所を伝えてもらう為だ。
「ミエラ、陽が落ちる前には一度帰って来るんじゃぞ!」
「分かった!」
ミエラとコリンは玄関から飛び出して裏庭に回る。ピルルの姿を他の人に見られてしまうが、今は気にしていられない。
「ピルル、お願い!」
「ぴるぅ!」
ピルルの体が淡いピンクの光に包まれ、瞬きの間に巨大化する。首に魔法具を巻き付け、二人がその背に乗るとピルルは力強く飛び立った。
「ミ、ミエラちゃん!? 何でボクが後ろなの?」
「場所知らないでしょ!」
上空まで来ると、コリンは女の子にしがみついている状態を疑問に思った。自分は一応男だから、こういう時は男が前なのではないか。だが、ミエラに一蹴された。
ピルルはぐんぐん速度を上げる。王都を抜け、グローマルの街を飛び越え、ワンダル砦を後ろに置き去りにする。高い空から下を見ると、地上の景色は流れる帯のようだ。アロが言っていた通り、ピルルの速さは尋常ではなかった。しかし、魔法具のおかげで風や寒さは問題なく、今はこの速さがとても心強い。
やがて広大な森に差し掛かった。
「ここが魔族領……」
ミエラの呟きは風を切る音で掻き消される。少し距離がある所には飛行型の魔獣も飛んでいるが、ピルルの速度には全く追いつけない。森から何か飛んできた気もするが、そうだとしてもピルルに当たるとは思えなかった。
「ミエラちゃん、海!」
コリンに耳元で叫ばれ、遥か遠くにキラキラと光る景色を確認する。それはどんどん近付き、海である事が分かった。すぐに森が途切れ、地上は岩だらけの場所に変わる。
「ピルル、ゆっくり飛んでくれる!?」
「ビルッ!」
ピルルの声が野太くなっているが、驚いている暇はなかった。ミエラは目を皿のようにして、見覚えのある景色を探す。しかし、起伏に富んだ岩場はどこも似たような感じで違いが分からない。
……そうだ! 海の小島だ!
ミストルテインの試射を行った時、海に向かって属性付与の矢を放った。あの時、小島がいくつか並んでいて――。
「あそこだ!」
見覚えのある島の並びを見付け、ピルルにもっと東に向かって、更に高度を下げるようにお願いした。
ミエラと、勿論後ろに居るコリンも、地上を必死に探す。岩しかないんだから、人が倒れていたらすぐに分かる筈、それなのに、何で見付からないの!? お願いアロ、どこに居るか教えて……。
その時、黒く焦げたクレーターが目に入った。まるでついさっき、何かが爆発したような――。
「いた!!」
クレーターの中心から、森の方に100メートル程離れた場所。そこに、倒れている人間を見付けた。
「アロ!!」
ピルルが地上に降りるのを待てず、ミエラはその背中から飛び降りて走った。
「アロ!!!」
黒く煤け、身動ぎもしないその人物に向かって、ミエラは泣きながら駆け寄った。
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