57 湖の怪物
「長距離転移」でやって来たのはビッテル湖の畔。村があるのとは反対側の北の森に近い所だ。
ファンザール帝国とゲインズブル神教国の国境近く、つい先日ピルルの背に乗せてもらって訪れた、宮殿が沈んでいる湖である。
「さて、ここが例の湖です」
「大きな湖だね!」
「こんなの初めて見た」
「おさかなー!」
仲間として初めて参加したコリンが素直な感想を、ミエラはビッテル湖の大きさに感銘を受けたような呟きを、パルは食欲に直結した叫びを漏らした。
そう言えば、パルと一緒に魚を食べてないな……。
「パルは魚が好きなの?」
「だいすき!」
やはり猫人族だからなのか? いや、単なる好みかも知れない。
リューエル王国は内陸の国なので海産物はあまり流通していない。川魚はそれが獲れる地域で消費され、やはりそれほど流通していない。これには獲れた魚を新鮮なまま運ぶ技術が確立されていないという事情もある。魔法袋はあるが、稀少で高価な魔法袋に海産物を入れるのはかなり躊躇われるのだ。
そのうちパルを海の近くに連れて行って、魚を好きなだけ食べさせてあげたい。
今日の目的は武器の回収だが、時間があれば釣りをするのも悪くないなぁ。
のほほんとそんな事を考えていると、俄かに湖面が波立った。そして大きな水柱と共に水中から現れたのは、漆黒の水竜――
「って言うより、ウナギだなこりゃぁ」
レインが呟いた通り、竜と言うには些か、いや大いに迫力に欠けた顔付きの、馬鹿デカいウナギだった。
流線型の尖った頭部の後ろにはヒレがあり、口には鋭利な牙が並んでいる。さらに前足を備え、その先には鋭い爪も生えていた。全体は見えないが、恐らく後ろ足も生えているのだろう。
宮殿に備えた魔素収集魔法具――通称「綿あめ」により、この湖には普通では考えられない量の魔素が集まっている。その為ウナギが魔獣化したのだろう。
手足がある事から、多少は陸上でも活動できると考えられる。魔獣となって狂暴化したウナギは、湖に近付いた人間を餌にしたのかも知れない。恐怖に駆られた人間が「水竜」と呼んで恐れる事も頷ける。
だが、いくら馬鹿デカく狂暴化していても、ウナギはウナギである。
「やっぱり蒲焼きかな?」
魔法袋からロングソードを取り出し、すらりと鞘から抜いてそう呟くのと同時に、ウナギが巨大な口を開いて俺に飛び掛かって来た。
――ズッパァァアン!
俺が迎え撃つ前にウナギの頭部が爆散する。肩越しに後ろを見ると、ミエラがミストルテインを構えていた。無属性の矢でウナギの頭部を撃ち抜いたのだ。
「ありがとう、ミエラ」
「ううん。倒して良かったかな?」
「うん、問題ないと思う」
「アロ!」
レインの焦った声に振り向く。
「ウナギが沈んじまう!」
頭部を失った巨大ウナギが、ズルズルと水中に沈もうとしていた。
「ディーネ! これ、食べられる?」
「うーんと……うん、美味しそうなの!」
「マジか」
それなら湖の底に沈める訳にはいかない。
「アビーさん!」
「承知!」
「レイン!」
「分かった!」
アビーさんが槍を、レインが大剣を突き刺し、なんとか巨大ウナギが沈むのと止めようとするが、3分の2近くが水中に沈んだウナギを二人では止める事が出来ない。
「『蔓縛』!」
森の精霊であるシルが木の蔓を使ってウナギの体を縛り、動きを止めた。
「シル、よくやった! ディーネ! 水を動かしてウナギを地上に上げてくれ!」
「分かったの! 『水流』!」
次の瞬間、湖面が大きく盛り上がり、巨大な水飛沫と共にウナギが宙を舞った。
「重力操作!」
巨大ウナギが地面に激突する前に、周辺の重力を操作してその体を優しく地面に横たえる。頭部を失っても尚、30メートルはあるウナギが無事水揚げされた。
「やった!」
「やったぜ!」
「やったでござる!」
「「やったの!」」
俺、アビーさん、レインがハイタッチして、次にディーネ、シルと小さくハイタッチした。俺達五人は一緒にやり遂げた達成感に包まれていた。
そんな俺達を、ミエラ、グノエラ、サリウスの三人はしょうもないモノを見る目で眺め、パルは「おっきいおさかな!」と興奮し、コリンはキラキラした目で見ていた。
うん。倒すより時間が何倍も掛かったが後悔はしていない。
しかし俺達だけで食べるには大き過ぎるよなぁ。余りは魔法袋に入れてても良いんだけど、何だか生臭くなりそうでちょっと嫌なんだよね……。
「せっかくだから村の人も呼ぼうかな?」
「アロ、これ本気で食べる気?」
ミエラが嫌そうな声を出す。
「いや、見た目はアレだけど美味しい筈だよ? ディーネも美味しそうって言ってたし」
「ほんとかなぁ」
想像通りの味なら、きっとミエラも気に入る筈だ。ミエラのびっくりする顔が見たい。
「えーっと、じゃあチャチャッと宮殿に行って来ようかな」
「チャチャッとって……危なくないの?」
「もし危険があったらすぐ戻るから。ディーネ、手伝ってくれる?」
「いいの! でもシルも一緒に行くの!」
「行くの!」
ディーネとシルが「シュピッ!」と手を挙げる。
「うん、じゃあ二人で手伝いお願いね」
「「はいなの!」」
残ったメンバーにはここで待ってもらう。苦労して水揚げしたウナギを狙う奴が居ないとも限らないからな。
「よし、ディーネ。頼んだ」
「はいなの!」
ディーネが両手の掌を水に浸ける。湖面にさざ波が立ち、やがてそれが激しい白波と化す。湖が真ん中から割れ、水が左右に押し寄せられる。宮殿が全貌を現し、湖底まで完全に水がなくなった。その分、湖の左右は嵩を増したが、不思議と溢れる事がない。
「さすがディーネだ」
「えへへ」
褒められて照れるディーネとシルを左右の腕で抱きかかえ、「飛翔」の魔法でふわりと湖面に降り立った。
「ディーネはここで待ってるの」
「一緒に行かないの?」
「水が見えてる方がいいの」
「そうか、分かった。なるべく早く戻って来るよ」
手を振って見送ってくれるディーネに手を振り返し、シルと二人で宮殿に入った。ここも目的の物は地下にある。素早く地下へ続く階段を見付けて降りて行く。
「光を灯せ」
学院迷宮では使わなかった命令で地下に明かりを灯す。石造りの階段は濡れてはいるが水は溜まっていない。地下の水まで取り除いてくれるとは、さすが水の大精霊ウインディーネだ。
同行者がシルだけなので抱きかかえて走った。ここも学院迷宮と同じく壁や通路が動くが、記憶に従って正しい道を進む。20分程で目的の扉に辿り着き――
「『蔓壁』!」
踏み込んだ所で上から巨大な岩が落ちてきたが、シルが植物の蔓で作り出した壁がそれを防いでくれた。
「……助かったよ、シル。ありがとう」
「えへへ」
頭を撫でると照れ臭そうにはにかんだ。髪色以外瓜二つの二人だが、こういう表情もディーネとそっくりだ。
今落ちてきた岩は、この宮殿の一部らしい。永い間水に浸かっていたせいで脆くなっている部分があるのだろう。急いだ方が良さそうだ。
扉の前で命令を唱えて部屋に入り、机の下に刻んだ魔法陣を通って真の部屋に転移する。この部屋は水に浸かっていなかったようでどこも乾いている。
(そうか。転移でしか来れない密閉された部屋だもんな)
二つの台座に置かれた「レーヴァテイン」と「グレイプニル」、さらに「綿あめ」で作り出された三つの「ディスク」を回収して魔法袋に入れた。
「クァイソ・ディカッテラ・レジア」
こちら向きに斜めになった金属板の前で唱え、また手製の地図を重ねる。次の目的地に×印を付け、地図も魔法袋に収納する。
「よし、さっさと出よう!」
「はいなの!」
シルを抱えて元の部屋に転移し、そこから走り出す。あー、くそ! 転移阻害なんて組み込むんじゃなかったよ。
天井から小さな欠片が落ちてくる。走っているうちに、宮殿全体が震えるかのような振動を感じた。床や壁がひび割れ、天井から落ちる欠片が拳大になる。
これまで水があったから、脆くなった宮殿でも何とか原型を留めていたのだ。水がなくなり、重みに耐えられなくなった壁や柱が悲鳴を上げている。
まだここは地下三階だ。最悪建物が崩れても魔法障壁を張れば潰される事はないだろう。それから魔法を放って周囲の瓦礫を吹き飛ばせば転移も使える筈。
「主さま!」
「大丈夫、シルは守るから!」
「違うの! シルを降ろしてなの!」
そんな暇はない。少しでも先に進んで――。
「木や草にお願いすれば、ここは崩れないの!」
「え、マジで?」
「マジなの!」
多少先に進んでも崩れるなら、ここでシルの力を信じても良いか。そう考えた俺は足を止め、シルを降ろした。彼女は地面に掌をつけ、何やら呟いている。もう時間がなさそうだから障壁を張っておこう。
「『魔法障壁』!」
「『蔓の籠』!」
次の瞬間、真上にある天井が大きく崩れた。
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