20 中級悪魔
「くぅっ!」
俺は身を捩って爪を避ける。だが避け切れなかったのか、背中を少し切られた。
背中が燃えるように熱い。蹲りそうになるが、爪の攻撃がそれを許してくれない。
さっきまで、戦いに関心がないように見えた中級悪魔だ。今は黄色い目を爛々と輝かせ、耳まで届く気持ち悪い笑みを浮かべて俺を殺そうとしている。
俺の「魔法障壁」を砕くなんて、本当に中級か?
「クハハッ! オ前! しゅたいん・あうぐすとすダナ?」
いえ、違います。
全力で否定したい。俺には悪魔の知り合いなんて居ない。だが、爪撃を聖短剣ソラスで受け流し、躱すのに精一杯で声を出す暇がない。
「ハハハッ! 弱クナッタナ? アノ時ノ恨ミ、晴ラサセテモラウ!」
あの時っていつだよ。前世で悪魔もたくさん倒したから分かんねーよ。
そうか、悪魔も精霊と同じ精神生命体だから、殺しても死ぬ訳じゃなく、本来存在する次元に還るだけなんだな。
そんな考察は後回しだ。最初に喰らった一撃が思ったより深いのか、血を流し過ぎたようだ。意識が朦朧としてきた。
このままじゃ不味い。「減衰の腕輪」を外すしかないか。しかし、中級悪魔の連撃は止まらない。腕輪を外す隙さえない。困った。デカい魔法を撃って距離を取るか?
――バシュッ!
その時、悪魔の体に何かが当たって弾かれた。地面に1本の矢が落ちている。
ナイス、ミエラ。悪魔の気が一瞬だけ逸れた。その隙を逃さず、左手首の腕輪を外してポケットに入れた。
自分では分からないが、髪が白くなっているだろう。バレる前にさっさと片付けよう。
「うぉおおおおお!」
「減衰の腕輪」を外して100%の力が解放される。これで魔法を使う必要もない。「治癒」で素早く背中の傷を治し、中級悪魔の爪を素手で振り払う。
「ナニ!? 急ニ強クナッタダト!?」
「悪いな。今まで力を抑えてたんだ」
ほんの少しだけ魔力をソラスに流すと、目も眩むような光が剣身から溢れる。
「クッ!?」
翼を出し、逃げようとする悪魔の足を掴み、地面に叩きつけた。地面がクレーターのように陥没する。それでもさすがは中級悪魔。伏せの姿勢から飛び立とうとしたので、その上に飛び上がって蹴り落とした。
「ゲフッ!」
苛めてるみたいで絵面が非常に良くない。このくらい痛めつければ十分だろう。
「次召喚されても、俺を殺そうなんて思うなよ?」
地面に半ばめり込んだ悪魔の背中にソラスを突き立てる。目・鼻・口から青白い炎が噴き出し、中級悪魔は体内から焼き尽くされて塵になった。
ポケットから取り出した腕輪を左手首に嵌める。
(ふぅ……ちょっと危なかったな。……アビーさんは?)
アビーさんは離れた場所で、最後の下級悪魔の胴体を両断している所だった。この人も大概だな。見た目は俺と変わらない背丈の華奢な少女なのに。前世の事は忘れたい。
「うおー! 悪魔を倒したぞー!」
「おい、あの冒険者は誰だ!?」
「俺達、勝ったのか?」
「生きてる……俺達生きてるぞ!」
「「「「「うおーーー!!」」」」」
砦の方から勝鬨が上がった。その時、外壁の門が開いて小柄な人影が躍り出る。ミエラがこっちに向かって走って来た。俺もミエラの方に向かう。
「アロ!」
ミエラが俺に飛びついた。「身体強化」を掛けて受け止める。
「もう、心配したんだから!」
「あはは。ミエラのおかげで助かったよ」
「ほんと?」
「ああ。あの矢の一撃がなければ危なかった」
「そう……良かったわ」
ミエラの目には涙が溜まっていた。零れる前にそっと指で拭うと、ミエラは恥ずかしそうに体を離した。
そこにアビーさんが合流し、グノエラも優雅な足取りで歩いて来た。
「アロ殿! 怪我は大丈夫でござるか?」
「ええ、ちょっと血を流し過ぎたけど、大丈夫です」
そう言うと、ミエラが俺の後ろに回って背中を確認する。
「うわっ! 血でぐっしょり」
傷はもうないが、シャツは大きく裂けて血を吸っていた。着替えたい。
「アロ様、悪魔はもう居ないのだわ?」
「ああ、もう居ないよ」
精霊にとって悪魔は天敵なのだ。近付くだけで体に力が入らなくなるし、何より見た目がアウトなんだそうだ。
「グノエラも、ミエラを守ってくれてありがとうね。トンネルもご苦労様」
「べ、別にそれくらい良いのだわっ!」
礼を言って頭を撫でると、グノエラはもじもじと体を捩って頬を染めた。
「さて、これで依頼達成でござるな!」
「そっか……これって依頼でしたね」
「出来れば国からの依頼は二度と受けたくないでござる」
「同感です」
他の冒険者はどうか知らないが、悪魔まで相手にして30万シュエルじゃ割に合わないなんてもんじゃない。しかもミエラと折半だから、実質15万シュエルだ。
「アビーさん、ゴールド・ランクの報酬はいくらなんです?」
「50万シュエルでござるよ」
ゴールドでも50万か……。アビーさんは一騎当千の働きだったから、国としては安い買い物が出来てホクホクだろう。使われるこちらとしてはたまったものじゃないが。
「これじゃ国の依頼なんて誰も受けなくなりますね」
「拙者も全く同感でござる」
「私ももう受けたくない」
「アロ様、お風呂に入りたいのだわ!」
それぞれ愚痴を言いながら砦に帰る。グノエラは風呂の事を忘れてなかったようだ。ああ、でも俺も風呂に入って着替えたい。
外壁の門を潜ると、騎士や兵士から称賛を浴びた。
「坊主、すごかったな!」
「ありがとな、坊主!」
「アロくん!」
名前を呼ばれたので声の方を探す。そこにはアクリエムの5人がボロボロになりながらもにこやかに立っていた。咢の森で初日に声を掛けてくれたシルバー・ランク冒険者パーティだ。
声を掛けてくれたのは、魔法使いの女性、ミッシェルさんだ。
「凄い活躍だったね!」
「いや、全部アビーさんのおかげですよ」
「謙遜するな! 確かにアビー氏は凄かったが、君の戦いぶりも際立っていたよ」
リーダーの男性、クリスさんが俺の肩を叩きながら褒めてくれた。アクリエムの人達は優しくて誠実なので冒険者ギルドでの評価が高い。ゴールド・ランクも間近だと言われている。みんな無事で良かった。
ミエラと二人で挨拶して離れると、今度はワーレン・クロイト副団長から声を掛けられた。
「アビー殿、アロ殿、それにミエラ殿! もちろんグノエラ様も。この度の勝利は貴殿らのおかげだ。深く感謝する」
「いえいえ、運が良かっただけです」
「そんな事はないだろう。ヴィンデル騎士団長が貴殿らを歓待したいと仰せだ。この後時間はあるだろう?」
いえ、家に帰って風呂に入りたいです。
「あの、出来れば血と汗を流したいのですが……」
「おお、これは失礼した。大した場所ではないが、上官が使う浴場がある。男女で分かれているから入ってくるといい。おい、君!」
風呂、あるんだ……。ワーデルさんは近くの兵士を呼び止め、誰かを呼びに行かせた。すると間もなく、銀髪を頭の上で纏めた文官らしき女性が来た。
「ベニー・マルダリンと申します。兵站管理部の者です。では浴場にご案内します」
制服をきちっと着こなし、見た目通り真面目な人のようだ。ベニーさんの後に続き、内壁も超えて砦内部に入って行く。3階まで上ってようやく目的地に着いた。
「そちらに休憩室がございますので、入浴後はそちらでお寛ぎください。こちらの準備が出来ましたらお迎えに参ります」
失礼します、と頭を下げてベニーさんはスタスタと歩いて行った。
それを見送って、俺は魔法袋からミエラの着替え一式が入った袋を取り出す。
「アビーさん、着替えはあります?」
「大丈夫でござる」
「グノエラは……要らないか」
精霊は魔法で服を作り出している。体の一部と言った方が良いかも知れない。
「今日は要らないのだわ。でも今度買って欲しいのだわ!」
「はいはい、今度ね。じゃあみんな、後でね」
そう言って「男性」と書いてある浴場に入る。すると、グノエラ、アビーさん、最後にミエラまで普通に付いて来た。
「いやいや、女性はそっちでしょ!?」
まぁ確かに、ミエラは今でもたまに一緒に入っているから分からないでもない。グノエラは精霊だから、百歩譲って理解は出来る。
でもアビーさん、あんたはダメだ。
誰かと入ると文句が出そうなので、3人を女性用の浴場に押し込んだ。ちょっと不満そうな顔だが、アビーさん、なぜあなたが一番不満そうなんだ?
「ふぅ……なんか疲れたな……」
体と髪を洗って浴槽に浸かると思わず声が漏れてしまった。