19 ワンダル砦(北側)③
「『短距離転移』!」
咄嗟に外壁の上、ミエラとグノエラが居る場所の胸壁に転移した。そこは丁度飛び上がったペオリオス・コングが右腕2本を叩きつけようとしている所だった。
「『岩壁』!」
後ろからグノエラが岩の障壁を生み出す声が聞こえる。ミエラとグノエラを守るように壁が立ち上がった。
えーっと、グノエラさん? 俺の前に出してくれても良かったんだよ?
仕方ないので、ペオリオス・コングの一撃は剣で受け止めてみよう。
「『身体強化・マックス』!」
最大とは言っても、常に身に着けている「減衰」と「増強」の腕輪で魔力は5分の1に抑えられている。その状態での最大出力だ。
次の瞬間、剣を掲げた腕に衝撃が走り、俺の両足が胸壁を砕いて壁にめり込んだ。
もちろん俺のせいではない。不可抗力である。
外壁の一部が壊れたものの、ペオリオス・コングの一撃を喰らってこの程度で済んだのだから許して欲しい。
「『風刃』! 『炎弾』!」
二つの魔法を巨大猿に連続して叩きつける。「風刃」で外壁に掴まった左手を斬り裂き、「炎弾」で壁から吹っ飛ばす。奴は痛みに咆哮を上げ、顔から煙を上げながら後退った。
「アロ! 大丈夫!?」
岩壁の向こうからミエラの声がくぐもって聞こえる。
「ああ、大丈夫だ!」
「問題ないのだわ。アロ様があんなサルに負ける訳ないのだわ」
俺の両足は壁に埋まったままだ。君が俺の前に岩壁を作ってくれていたら楽できたんだけどね。
ペオリオス・コングが怒りの形相で俺を睨んでいる。犬歯が俺の身長くらいあるな。
――ウゴォオオオオオオオ!
4本の腕で自分の胸を叩き、咆哮を上げて俺に突っ込んで来た。
マズい。まだ足が抜けないんだけど。あの勢いで来られたら外壁が崩れるかも知れない。
(『原初の炎』撃つか?)
目立ちたくないけど、どうしよう? 一瞬の逡巡の後、ペオリオス・コングの後ろからその頭上に躍り出た人影があった。
「アビーさん!!」
「待たせたでござる!」
アビーさんが空中で体を捻り、槍が横に一閃された。穂先が白く光っていた気がする。
――ズバン!
ペオリオス・コングの太い首に一筋の光が走り、直後に頭部が切り離される。頭はそのまま落下し、体は突進の勢いを失って前のめりに倒れた。
――ズゥン
アビーさんは「シュタッ!」と地面に着地している。やだカッコイイ。俺は苦労しながらようやく埋まった壁から抜け出した。
丁度その頃に外壁の門が開き、騎士や兵士が殲滅戦を開始した。
ペオリオス・コングの脅威から解放された魔獣達は、散り散りに逃げ出している。生き残った魔族も殆どが既に逃走したようだ。
しかし、戦場の真ん中に一人だけポツンと立つ魔族の男が居る。
よく見ると、そいつは両手で赤く光る魔晶石を持ち、何やら唱えていた。
「全員退避! 壁の内側に下がってください!」
嫌な予感がして、俺は無意識のうちに叫んでいた。
「アロ、どうしたの?」
「アロ様、お風呂に入りたいのだわ」
岩壁はいつの間にか消えており、ミエラとグノエラが話し掛けてくる。グノエラ、風呂はもうしばらく我慢しような。
「アロ殿、大事ないでござるか?」
外壁の上まで飛び上がって来たアビーさんが心配してくれる。
「アビーさんのおかげで助かりました。でもあれを見て」
少し目を離した隙に、魔族が持つ魔晶石は輝きを増していた。
「死霊魔法? いや、違うでござるな……」
突然、地面に直径200メートル以上ある黒い魔法陣が現れた。
「不味い、悪魔召喚だ! ミエラ、外で戦ってる人達を壁の内側に入れるよう、誰かに伝えて」
俺は壁の上から地面に飛び降りた。アビーさんがすぐ後に続く。召喚を阻止する為に魔族に吶喊しようとしたが遅かった。
出現した魔法陣の範囲にある死骸が全て塵になって陣に吸い込まれる。魔法陣は直径10メートルくらいに収束し、中心にいた魔族の体から何本もの腕が飛び出した。
「ウガァアアアアアッ!」
魔族は絶叫し、生きながら体をバラバラに引き裂かれた。
どす黒い血だまりから悪魔が姿を現す。
悪魔とは、精霊と同じような精神生命体だ。違うのは、現世で受肉して顕現するのに、精霊が召喚主の魔力を必要とするのに対し、悪魔は「贄」を必要とするところである。
悪魔には下級・中級・上級のランクがあり、どのランクの悪魔が召喚されるかは、贄の量と質による。
今回の贄は魔獣約700匹、魔族11人だ。ちなみに上級悪魔の力は大精霊に匹敵する。
「下級悪魔が4体と中級が1体か」
人型に、蟷螂のような頭部を持つ悪魔。同じく蟻、蜘蛛、蛾の頭部を持つ者。これら4体が下級悪魔だ。体表は甲虫のような質感で黒い。
一方で中級は完全に人型、高級に見える服まで来ている。肌は青白く、髪は漆黒。端正とさえ言える整った顔立ち。ただし、黒い眼球と黄色い瞳に目を瞑れば、だが。
「第四騎士団は全員下がれー!」
ようやく騎士や兵士達が退避を始めた。しかし既に犠牲になった仲間も多い。
「はるろぽべりまぼ」
「まぐでふぉてりおな」
下級悪魔が何らかの魔法を唱えた。直径30センチくらいの黒い球が、空中に100個程現れて逃げる兵士の背中を追う。黒球が当たると「ジュワッ」と音がして、鎧や剣といった装備がカランとその場に落ちる。その持ち主は黒い霧になって空に消えた。
「くそっ、相変わらず無茶苦茶だ」
俺は魔法袋から一振りの短剣を取り出した。邪魔なのでロングソードは魔法袋に収納する。
これは、じいちゃんが勇者を務めていた時使っていた「聖剣クラウ」を国に返還した際、下賜された「聖短剣ソラス」。クラウと対を成す短剣だ。「危ない時は使え」とじいちゃんが貸してくれた。
悪魔は下級と言えども魔族20~30人に相当する力を持っている。普通の魔法でも倒せない事はないが、神聖属性が特効なのだ。生憎と俺は神聖魔法が使えない。そこで、神聖属性が付与されたソラスの出番だ。
ただね……ソラスって剣身が20センチくらいしかないのよ。ロングソードの4分の1しかない。かなり近付かないと有効打にならないのだ。
「アビーさん、魔法と槍で牽制してください! 俺が止めを刺していきます!」
「承知したでござる!」
悪魔の魔法は魔法陣が出現しない為、見てから無効化する「抗魔法」が使えない。俺達は「魔法障壁」を念入りに張り直した。
中級悪魔はまだ動いていない。状況を把握しようとするかのようにゆったりと辺りを見回している。
「『爆炎』!」
4体の下級悪魔の足元から巨大な火柱が立ち上がる。アビーさん、これじゃ熱くて近付けないです。
「『氷結』!」
と思っていたらアビーさんは1体の悪魔に「氷結」の魔法を放った。炎と氷がぶつかり合い、猛烈な水蒸気が発生する。
俺はソラスに素早く魔力を流した。剣身が淡く青白い光を放つ。次の瞬間、水蒸気を割って黒球が俺に飛んで来たが、慌てる事無くソラスで断ち切る。黒球は綺麗に二つに分かれた後、空中で霧散した。
よし。ちゃんと機能しているみたいだ。国から下賜されたって聞いたから、レプリカじゃないかと疑ってたんだよね。
「身体強化」と「加速」を掛けて地を蹴り、水蒸気に飛び込んだ。飛んで来る黒球は避け、避けられないものは斬り払い、悪魔に肉薄する。ソラスを逆袈裟に振り上げると、熱したナイフでバターを切るような感触で、下級悪魔の右脇腹から左肩まで斬り裂いた。
「ふばるっ!?」
下級悪魔の言葉は分からないが、驚いているのは分かった。ソラスで斬り裂いた傷から青白い炎が噴き出し、直ぐに体全体が包まれる。炎が消えると、後には何も残らなかった。
ソラス、すげぇ。レプリカとか疑ってごめん。
チラッとアビーさんの方を見ると、1体の下級悪魔が首を刎ねられてるところだった。この人には神聖属性とか関係ないのだろうか。いや、特殊な槍なんだろう、たぶん。
残り2体の下級悪魔はまだアビーさんの「爆炎」に掴まっていた。俺もアビーさんに倣って氷系の魔法をぶつけよう。そう思った時――。
――パリィイーーーン!
ガラスが砕けるような音がして、大きな真っ黒い爪が俺の肩に振り下ろされた。