108 女の子
レインとアビーさんが旅立って、屋敷が妙に広く感じるようになってしまった。
ずっと一緒だったから寂しい気持ちは勿論ある。でもそれ以上に、二人には二人の人生を歩んで欲しいと思っている。それはレインとアビーさんに限った話ではない。
「グノエラ、ディーネ、シル。ちょっと話をしようか」
「何なのだわ?」
「主さま、どうしたの?」
「どうしたの?」
精霊は元々存在自体が自由なものだ。シルはちょっと別だが、グノエラとディーネは俺が精霊召喚をした事で、俺に縛られていると言える。俺の都合で召喚し、受肉し、疑問を持つことなく俺と共に居る。これまでは目的があったが、それが果たされた今、精霊達を留めているのが凄く良くない事に思えてきたのだ。
「えっとね、精霊召喚を解除しようと思うん――」
「嫌なのだわ」
「「嫌なの!」」
「え?」
食い気味で拒否られた。
「千五百年も待たせておいて、いらなくなったらポイ、はヒドいのだわっ!?」
「「ヒドいの!!」
「あー、そりゃ本当に酷いわ。ごめんなさい、俺が悪かった」
「分かればいいのだわ!」
「「許すの!」」
速攻で許された。あれ? これでいいんだっけ?
「三人とも、自由に過ごして良いんだよ? 俺の傍に居る必要はないし、行きたい所に行って良いし」
「私はここが良いのだわ!」
「あ、そうですか」
グノエラは即答だったが、ディーネとシルは何やら小声で話し合っている。
「ねぇ主さま」
「なんだい?」
「主さまに呼ばれる前に居た世界に行って来てもいいの?」
「もちろ……ん? 世界?」
少し詳しく話を聞いてみると、ディーネとシルは俺が呼び出す前は「ニホン」という世界で、二人の少女と凄く仲良くなったらしい。こっちの用事が終わったらまた遊びに行くと約束したそうだ。
「ほぉー、異世界か」
「『依り代』を置いて行くから、すぐにこっちに帰って来れるの」
聞けば、ディーネとシルは千五百年の間に色んな世界を渡り歩き……渡り歩き過ぎて迷子になっていた。何やってんの? だが、その「依り代」とやらがある場所には直ぐに戻って来れるそうだ。迷子になった時はどこに依り代を置いたか分からなくなっちゃったんだって。精霊っぽい迂闊さだね!
「うん、好きな場所に遊びに行っていいよ。ただ、あんまり人に迷惑かけないように。あと迷子にならないようにね?」
「「はいなの!」」
精霊達は縛られているのではなく、好きでここに居るようで良かった。まぁペリリオーレが憑依しているパルも居るからね。精霊女王の傍に居たい気持ちも強いだろう。兎に角精霊達の気持ちが分かって何よりである。
「アロ君、話があるのじゃ」
「サリウス。どうしたの?」
ディーネとシルが異世界に旅立った翌日、サリウスから声を掛けられた。
「妾もそろそろ魔族領に戻ろうと思うのじゃ……断腸の思いじゃ」
そこまで? そこまで帰りたくないの? あー、料理食べながら泣いてたもんね……魔族領はメシマズの疑い濃厚だもんな。
「魔王城も安全になってるだろうしね。サリウスは魔王なんだから、ずっと空けてる訳にはいかないよね」
「そんなあっさり!?」
「いや、好きな時にいつでも帰って来れるじゃん。紙の転移陣持ってるでしょ?」
「こ、これはアロ君から貰った大切な物じゃ! そんな簡単にポンポン使えんのじゃ!」
俺は机の上に紙の転移陣をドサッと置いた。屋敷に帰って来た時、その都度新しいのを持たせれば良いんだけど、これまでも誰一人使っていない。勿体なくて使えないみたいだから、予め沢山持たせる事にした。勿論レインとアビーさんにも十枚ずつ持たせている。
「ほら、好きなだけ持ってていいよ」
「……そ、それは本当に、ここに帰って来ても良いという事かえ?」
「そう言ってるじゃん。ていうか当たり前でしょ、家族なんだから」
「かかかか家族っ!?」
いや動揺し過ぎじゃない?
「じゃ、じゃあ一緒に風呂に――」
「入らねーよっ!」
いつもなら残念そうな顔をするのに、今日はニコニコしている。何だよ気持ち悪い。
「このくだりも慣れたのじゃ」
「あーそーですか!」
こんな風に遠慮ない言葉を使えるのも、サリウスが「姉」だからだ。血の繋がりは、本人が本当に望まない限り断ち切られる事が無い。少々乱暴な言葉を使っても、それで疎遠になったりしない。
「……魔族領まで送ってくよ」
「ああ、そうさせてもらうのじゃ」
そして次の日、龍神の神殿までサリウスを転移で連れて行った。遠慮せずにいつでも屋敷に帰って来るように念を押した。
レイン、アビーさん、ディーネとシル、サリウスが居なくなってから、コリンの様子がおかしい。
「ねぇミエラ、最近コリンおかしくない?」
「うーん……確かにちょっと元気ないかもね」
「ここに居辛くなったのかな」
「仲間が皆一緒に住んでるって事でここに住み始めたから……何人か出て行って、自分が住んでても良いのかとか考えてそう」
「確かに」
もしコリンが実家に帰るとしても、歩いて十分の所に家があるからそれほど寂しいという事は無い。それよりも、ヤミちゃんから教えて貰った例の魔法……アレについてコリンに教えないといけないんだけど、何と言うか、俺から話しても良いのだろうか……。
「ミエラ、コリンとその、えーと……男の子のままがいいのか、女の子になりたいのか、話した事なんてない……よね?」
「え? あるよ?」
あるんかーーーい!! どういう流れでそんな話になったのか興味は尽きないが、今はどうでもいいか。
「そうなんだ。それで、コリンはどうしたいのかな?」
「……私から言っちゃってもいいのかなぁ」
「あー、だよねぇ……」
非常に個人的な話だからなぁ……。軽々しく言えないよねぇ。
「ヤミが話を聞くのが良いと思うのですよ」
「おおっ!? ヤミちゃん居たんだ」
「ヤミは神出鬼没なのです!」
ヤミちゃんは隠蔽魔法が得意だからね。本気のヤミちゃんは誰にも気付かれずにどこにでも侵入出来るのだ!
という事でヤミちゃんがコリンの部屋へ行った。それほど間を置かず、コリンが俺の部屋にやって来た。
「アロ君。あの……もしかしたらおばあ様から聞いてるかも知れないんだけど」
「うん。言い難かったら言わなくてもいいんだよ?」
「いや……ちゃんと言うべきだと思う。アロ君を騙してるみたいで嫌だから。ボクは……ボクの体は男の子だけど、心は女の子なんだ」
コリンが泣き笑いのような顔ではっきりと告げた。告げる事で、今までの関係が壊れるかもと悩んで苦しかった事だろう。
「男でも女でもコリンはコリンだよ。俺はコリンという『人間』が好きだ……仲間として、家族としてね」
「あ、あれ? おかしいな、悲しくなんかないのに」
コリンは涙を流していた。それはきっと、言えずにいた苦しみから解放された安堵、そして受け入れられた安心感から零れた涙だろう。
「俺がこんな事を聞くのはおかしいかも知れないけど、コリンは女の子になれるとしたらなりたい?」
「え……どういう意味?」
「そのままの意味だよ。ヤミちゃんの魔法にそういう魔法があるんだ」
「女の子になれるってこと? 本物の女の子に?」
「うん。ただ、体にかなり負担がかかるんだ。痛みも相当なものだよ」
あのアドラメレクでさえ悶絶してたからね。
「命の危険はないと思うけど、絶対安全とは言い切れない。それに、今決めなくてもいい」
「……やる!」
「はやっ!?」
と言う事で、ヤミちゃんと一緒に準備した。ミエラは俺達を手伝ってくれる事になった。
場所をコリンの部屋に移し、ベッドの端にヤミちゃんが作ってくれた魔法陣を置く。「性別転換魔法」は丸一日くらい掛けなければならない。具体的に言うと、二十四時間一定の魔力を魔法陣に注ぐ必要がある。その間眠る事は出来ないし、ちゃんとした食事も摂れない。万全を期す為に、俺が魔力を流し、ヤミちゃんがそれを一定に保つ補助をしてくれる。ミエラがコリンも含めた俺達の水分補給や軽食を食べさせてくれる予定だ。
コリンがベッドに横になり、魔法陣の片端に手を乗せる。俺とヤミちゃんはベッドの近くに椅子を持って来て、楽な姿勢でもう片端に手を置いた。
「じゃあコリン、始めるよ?」
「うん、お願い」
俺達の戦いが始まった。俺も二十四時間魔法陣に魔力を込め続けた経験なんてない。魔法陣のおかげで強い魔力は不要だ。ただ出来るだけ一定の量を流す事に集中する。
コリンは時折呻き声をあげるが、泣き叫ぶような事はなかった。目に見えて体が変わっていく訳ではないが、体の内側や骨格が作り替えられる、湿ったようなくぐもった音が聞こえた。コリンが痛みのせいで流す脂汗をミエラが濡らしたタオルで拭う。
俺もじんわりと汗をかく。ミエラがストローを俺の口に咥えさせ、水を飲ませてくれる。コリンやヤミちゃんにも同じようにしてくれた。
十二時間経過した辺りで集中力が低下してくる。甘めのクッキーをミエラが食べさせてくれて、ヤミちゃんも俺の乱れた魔力を補正してくれる。コリンは痛みのせいで眠る事も出来ず、ただただ耐えていた。
そして翌日の昼頃。開始してから二十四時間が経過し、性別転換魔法は成功した。俺達の疲労はピークに達し、部屋に戻る力もなくそのまま床で気絶するように眠った。
「アロ兄ぃ、大丈夫?」
窓から差し込む光がオレンジ掛かっている。床で寝ていたせいで体が痛い。俺の顔を心配そうに覗き込むパルの声で目が覚めた。ぐぅ、と腹の虫が鳴く。
「大丈夫だよ。あー、腹減った」
まだ残っていたクッキーをつまんでいると、ヤミちゃん、ミエラ、コリンの順で目覚めた。ミエラとコリンが何やらコソコソと小声で話し、俺は部屋から追い出されたので風呂に入りに行く。
夕食までまだしばらく時間があったので、クッキーや果物を食べつつ自分の部屋でゴロゴロしていた。パルとピルルも一緒にゴロゴロしている。侍女のマリーさんがもうすぐ夕食ですと声を掛けてくれた。そこへミエラとコリンがやって来る。二人とも少し顔が上気しているので風呂上りだろう。
「アロ君、ありがとう。ボク、女の子になったよ!」
ミエラに目で問うとこくこくと頷きが返ってくる。見た目は全然変わっていないし、服装も変わっていないから本当に成功したのか疑問だが、きっとミエラが確かめたんだろう……風呂で。そう思って改めてコリンを見ると、若干お胸の辺りが膨らんでいる気がしないでもない……。
「アロ、女の子の胸をジロジロ見たらダメ!」
ミエラに怒られた。コリンはもじもじしている。パルは「なに? なに?」と言いながら俺達を交互に見ていた。
頭を掻きながら、夕食を食べる為に一階へ向かった。
明日で完結です。