106 THE LAST BATTLE
背後には、俺がお世話になった家と風呂の建物、それにドリュウさんが「フルンティング」を打つのに使っていた小屋。目の前には遥か先まで草原が広がり、遠く左右には山が聳えている。そして、俺とヤミちゃんの二十メートルくらい先に、うつ伏せになったアドラメレクの姿があった。
「ハァ、ハァ……貴様、一体何をしたっ!?」
アドラメレクは性別転換魔法の激痛から立ち直っていた。体が作り替えられるそばから再生を行ったのだろう。つくづく化け物じみた奴だ……いや、本物の化け物か。因みに女性になったような感じはない。
「痛かったか? 人に操られる痛みってものが、少しは分かっただろ?」
「この、虫けらがぁぁああ!!」
ドォン、という地面を蹴る音がして、アドラメレクが瞬きの間に俺達との距離を詰めた。その勢いのまま俺の顔面に向けて拳を振るう。体を屈めてそれを躱し、お返しに腹に拳を叩き込むと、奴はその場に両膝を突いた。アドラメレクは怒りの余り、直接俺を殴りたかったようだ。
膝を突いた事で少し冷静になったのか、その場から転移して少し離れた空中に現れた。
「もういい! ヤミと共に塵になれ!」
右手を頭上に掲げると、掌の上に巨大な黒い球が現れた。まるで光を吸い込むような漆黒の球体。アドラメレクの体より遥かに大きい。そして掲げた右手を振り下ろそうとして――。
――ズゴォォオオーーーン!!
奴の左側から土の壁が出現し、そのまま遥か遠くの山までその壁に押されてふっ飛んで行った。土の壁がアドラメレクを押したまま山に突き刺さる。
「ドリュウさん!」
小屋の陰からドリュウさんがトコトコと歩いて来た。
「妹と弟を苛める奴は、この姉が許さない」
……姉設定、続いてたんですね。
――ドゴォォオオン!
轟音と共に土壁がめり込んだ山肌が吹き飛んだ。悪鬼のように(悪魔だけど)顔を歪めたアドラメレクが転移して眼前に現れ、鋭い剣に変化した右腕を振りかぶった。それごと奴の体をぶった切るつもりでフルンティングを逆袈裟に振り上げる。
――スカッ
って、あれ!? アドラメレクが消えた……。転移で回り込まれたか!?
と思ったら、百メートルくらい離れた草原の上空が青く光った。あれは……カリュウさんの龍炎魔法か? 縁が白くなった青い炎が何か黒い物を包み込んでいる。
よく見るとカリュウさんと、その近くにフウリュウさんが浮いていた。俺に襲い掛かってきたアドラメレクは、フウリュウさんの龍風魔法で空間ごとあそこに引き寄せられたんだろう。奴は炎から逃れる為に転移している筈だが、フウリュウさんが空間を固定しているようだ。更に空気を大量に供給する事で、カリュウさんが生み出す炎が超高温になっている。離れた俺達の所までかなりの熱が伝わって来る。
「…………暑い」
ドリュウさんが土の壁を出して熱を遮った。
「アロ、暑いから氷出して」
「あ、はい」
「私が出しましょう」
「スイリュウさん!」
いつの間にか傍にスイリュウさんも居た。足元に霜が降りて気温が下がる。
「このくらいで良いでしょう。アロさん、お久しぶりですね」
「お久しぶりです、スイリュウさん!」
「ヤミも元気そうで良かったです」
「スイリュウちゃんも元気でよかったのです!」
見た目幼女のヤミちゃんだがスイリュウさんを「ちゃん付け」で呼ぶんだな。いや、そんな事今はどうでもいいか。
「アロさん、そろそろ片をつけましょうか。これ以上やると弱い者虐めみたいですから」
そうなのだ。スイリュウさんと同じ事を俺も薄々感じていた。この「幽界」にアドラメレクを転移させて、眷属龍の力を借りて一気に倒す。万が一の時はクトゥルス様も力を貸してくれる。前のように誰かを盾にされなければそれで問題ない、というのがクトゥルス様から授けられた「策」だった。
蓋を開けてみれば、眷属龍の皆さんは力が十分の一に抑制された人の姿でアドラメレクを圧倒している。彼等の力が想像以上なのか、それとも地上で嵌めた罠(性別転換魔法)が思いの他効いたのか……いずれにせよ、長引かせると本当に弱い者虐めになってしまいそうだ。
「私が奴を思い切り冷やします。後はアロさんとヤミにお任せしますね」
「「はい!」なのです!」
スイリュウさんが言い終わったタイミングで、真っ黒に焼け焦げたアドラメレクがすぐ近くの空中に現れた。フウリュウさんがここの空間と入れ替えたようだ。
「『氷獄』」
アドラメレクを中心に一辺が三十メートルほどある氷の直方体が出現する。閉じ込められた奴は微動だにしない……動こうにも動けないのだろうか。これでもまだ生きているとしたら驚きなのだが。
「……寒い。アロ、火出して」
「あ、はい」
剥き出しの二の腕を擦るドリュウさんに火をリクエストされた。この人は一貫して戦いの緊張感がないよね。そこが彼女の良さだと思うけど。
魔法袋から取り出した、冒険者なら誰でも持っているロープを焚き木代わりにして火を着けた。ちょっとした焚き火である。ドリュウさんが火に両手を翳して「ほぉー」と嬉しそうな声を出した。
――ビキッ
氷の直方体から嫌な音がした。別に無視していた訳じゃないが、振り返って見ると氷に皹が入っている。
大きな氷塊が次々と崩れ落ち、白い湯気を纏ったアドラメレクがこちらを睨んでいた。黒い眼球の中で赤い目が光を放っている。
「森羅万象の理から生まれる火、水、風、土よ、白光と成りて敵を穿て。『皆滅万雷』!」
アドラメレクの口が大きく開かれ、そこに紫色の光が集まり出した。渦を巻きながら紫の球体が大きくなり、まさに放たれようとしたその時、極太の光の柱が奴に直撃した。本来は広範囲攻撃である「皆滅万雷」を、直径五メートル程に集束させたのだ。
「ウガガガガガガァァアアアーーー!!」
獣のような咆哮が響く。光の奔流が収まると、アドラメレクは腰の辺りまで地面に埋まり、炭化したオブジェと化していた。
直ぐ傍まで近寄ると、殆ど原型を失った神鎧から無数の黒い棘が飛び出す。半ば千切れたグレイプニルを拳に巻き付け、棘を片っ端から叩き折った。
「ニ、ニンゲンフゼイガ……」
囁くような嗄れ声で奴が言葉を発した。
「止めを刺すのは俺じゃない」
俺の背後から、フルンティングを両手で握ったヤミちゃんが飛び出し、アドラメレクの胸の真ん中にそれを突き刺した。
ここまで苛烈な攻撃を加えたのはこの一撃の為だった。神鎧の装甲を削り、その内側にある「疑似神核」を破壊するのが目的だったのだ。そして今、ヤミちゃんの一撃が「疑似神核」を突き壊した。
「ナンダ……?」
神鎧を装着出来るのは文字通り「神」だけ。そうでない者が神鎧を身に着ければ、装着者は鎧に喰い殺される。
――ぱきゅっ
一瞬のうちに神鎧は手の平より小さい正六角形のメダルに変わった。アドラメレクの肉体と魂は完全に消失した。
ハトホル神様を邪神に堕としてまで欲した最強の鎧がアドラメレクを滅ぼしたのだ。因果応報とはまさにこの事を言うのだろう。
「ヤミちゃん、お疲れ様」
ヤミちゃんの手は、フルンティングの柄を関節が白くなるほど握り締めていた。手を添えて優しく解く。途中で俺に気付いたのか、ヤミちゃんの手から力が抜けた。
アドラメレクに引導を渡すのは、ヤミちゃんでなければならなかった。彼女はアドラメレクに操られ、クトゥルス様や他の眷属龍に対する「盾」にされた事をずっと悔いていた。誰よりもアドラメレクを憎み、その憎しみが余りに大きくなり過ぎた事から、クトゥルス様から龍の姿に戻る事を封印されたのだった。
「アロ……ヤミは、ちゃんとやれたのですか?」
「勿論だよ。ヤミちゃんがアドラメレクをやっつけたんだ」
黒い前髪に隠れた瞳から大粒の涙が零れ落ちた。地面に膝を突いて目の高さを合わせる。ヤミちゃんは俺の首に手を回して抱き着き、大声を上げて泣いた。俺には想像もつかないくらい長い間、ヤミちゃんは苦しんだのだろう。彼女の背中をぽんぽんと優しく叩き続けた。
俺にとっても真の仇敵だったアドラメレクは消えた。完全に消滅したのだ。千五百年の時を跨いで転生した目的は果たされた。
「おーい、アロ!」
「アロく~ん!」
カリュウさんとフウリュウさんの声で我に返る。
「アロ、また料理作ってくれよ!」
カリュウさんの暢気な言葉が、何故かとても優しく聞こえた。勿論料理くらいいくらでも――。
「ハッ!? ちょっと待っててもらっていいですか? 地上の仲間達が!」
「アロ、行って来るのです!」
「ヤミちゃん、待っててくれる?」
「はいなのです!」
俺は急いでギデウスの西側に転移した。
そこは同じ場所とは思えないほど様変わりしていた。巨大なクレーターがいくつも出来て、底が見えないくらい深く抉れた場所も結構ある。かと思えば妙な形に隆起した場所もあり、西にかなり離れていた筈の森は殆どなくなり、全く理由は分からないがちょっとした湖が出来ていた。
「アローーー!!」
ミエラの声がした方に目を凝らすと、仲間全員の姿があった。
ミエラ。アビーさん。レイン。コリン。サリウス。グノエラ。ディーネ。シル。そしてアナスタシア。
埃塗れで、少し血の跡がある者も居るが、全員自分の足で立っているし、俺の方に笑顔で手を振ってくれている。良かった。全員無事だ。
「アロ、お前の最初の魔法でかなり数が減ったから、楽なもんだったぜ」
「……その割には随分地形が変わってない?」
「き、気のせいでござるよ。最初からこんな感じだったでござる」
アビーさんが俺から目を逸らしながらとんでもない事を言った。
「でもほら、王都は無傷よ?」
ミエラも俺から目を逸らした。別に責めてないのに。
「よし、バレる前に全員撤収!」