105 罠
「引き千切れ、グレイプニル」
鎖の輪、一つ一つから刃が飛び出し、ギュンと回転しながら巻き付いたグレイプニルが引き絞られる。
「面白い手品だな」
すぐ後ろからその声が聞こえ、背筋が粟立つ。転移でその場から離脱すると、アビーさんとレインが左右からアドラメレクに刺突と斬撃を放った。奴はそれを両腕で受け止める。それを見て二人はすぐに後ろへ下がった。
グレイプニルは確かに奴を捉えたが、全身を千切られる直前に転移で逃れたようだ。最初にグレイプニルを受け止めた右手だけは千切れたようで、ローブの右袖が破れている。だが腕は既に再生していた。
「奴は障壁を常時展開して転移も使う。通常攻撃じゃ駄目だ」
俺は仲間達全員を一度転移させた。距離を取るとあの黒い球体が襲って来る。だがあの攻撃はコリンの「神の盾」で防げる筈だ。
そう思っていたが、アドラメレクは僅かの隙に大量の悪魔を召喚していた。俺達が「強化魔人」と呼んでいた真っ黒な奴等だ。
自分が手を出すまでもないと思ったのか。だが、この現場はギデウスの物見台からもしっかり見られている。それなのに自分の正体を明かすと言う事は……。
「もうこの国は飽きた。全て終わりにしてやろう」
リューエル王国王城爆破未遂もホッジス王国内乱(未遂)も、アドラメレクにとっては単なる「遊び」なのだろう。
「皆、悪魔の方を頼む! 龍炎魔法『白炎舞』」
仲間達に近い所に居る悪魔を蒼い炎で薙ぎ払う。「白炎舞」は通常の炎よりも遥かに高温で、尚且つ大質量を伴った広範囲攻撃だ。これで召喚された悪魔の前衛は少なくとも足止め出来た。
悪魔の軍勢に向かって、仲間達が攻撃を放ち始める。……うーん、ここら辺は穴凹だらけの荒れ地になってしまいそう。後でグノエラと俺の龍土魔法で出来るだけ元に戻そう。
俺は服の袖にグレイプニルを仕込みつつ、ドリュウさんが打ってくれた「フルンティング」を構える。すぐ傍にヤミちゃんも控えている。
今一番困るのは、アドラメレクが長距離転移して行方をくらませる事だ。だが奴の頭の中には、たかが人間から逃げるなんて考えはない筈だ。
「取り敢えずヤミだけは貰っていくか。また操って遊んでやろう」
うん、やっぱり逃げるつもりはないみたい。非常に好都合だ。それにしても……ヤミちゃんの事をオモチャ扱いか。沸騰しそうになる頭を無理矢理冷やす。俺よりもヤミちゃんの方がずっと怒っている筈だ。
「ヤミちゃん、もう少し我慢してね」
「大丈夫なのです!」
次の瞬間、アドラメレクが真っ黒な細身の剣を持って眼前に現れた。その剣で俺の左肩から袈裟懸けに斬り付けてくる。
「ん?」
奴が斬ったのは龍水魔法で作り出した俺の分身体だ。因みに隣のヤミちゃんも分身体である。龍水魔法の幻惑とヤミちゃんの隠蔽魔法を併用し、俺達はアドラメレクの背後に回っていた。
「小賢しい!」
奴は広範囲に黒い球体を撃ち出した。
「龍風魔法『空転』」
黒い球体の周囲の空間ごと、西の森上空と入れ替える。球体の射程は三百メートル程で、その後は消失する。それ以上離れた空間と入れ替えれば問題ない。
自分の攻撃を消された直後、またしても奴は至近距離に転移してそのまま俺に向かって黒い剣を突き出してくる。左腕に「神聖盾」を張り付けて剣を往なし、一回転した勢いでフルンティングを横に薙いだ。
「くっ」
両断にまで至らなかったが、腹をざっくり斬り裂いた。
「えーと何だっけ、『人間風情』だったか? 人間風情に斬られた感想はどうだ?」
「舐めるなよ、人間がぁぁあああ! 『神鎧武装』!」
眩い光がアドラメレクを包む。しかし、用意が整うのを待つほど俺達はお人好しじゃない。左からアビーさんが雷の塊を穂先に纏ったグングニルを突き刺し、右からはレインがレーヴァテインの衝撃波を至近距離で解放した。自分達の攻撃の余波に巻き込まれないよう、二人とヤミちゃんを連れて転移で離れる。
「ぐぅ……」
「二人とも、遠距離でぶちかませ!」
「「応!」」
「森羅万象の理から生まれる火よ、我に力を貸し万物を焼き尽くせ。森羅万象の理を堰き止める氷よ、我に力を貸し万物を凍てつかせよ。『極炎氷』!」
俺が龍魔法の詠唱をしている間に、グングニルから雷が、レーヴァテインから衝撃波が放たれ、アドラメレクに着弾した。俺の袖から伸びたグレイプニルが土の下を通り、奴の足元から伸びて脹脛まで絡みつく。
そして白い炎がアドラメレクを包み込んで渦を巻いた。中心付近は炎が青くなっている。普通なら骨すら残らず焼き尽くされるが、炎の中に黒い影が見える。転移で逃げられないようにグレイプニルが奴を捕えていた。
唐突に炎が消え、熱せられた周囲の空気が急激に冷え込む。アドラメレクを包む白い球体が出現し、奴を極低温に晒した。
神鎧は神が地上で戦う際に身に纏う鎧だ。あらゆる攻撃を受け付けない強度を誇るが、それでも「鎧」には違いない。神にしか生み出せない不思議物質で出来ていても、それは確かに触れる事が出来る「物質」である。
物質である以上、超高温に晒されれば膨張し、極低温に晒されれば収縮する。それをごく短時間で行えば?
その物質は脆くなる。
「『蔓縛』!」
そう。俺のグレイプニルも神鎧と共に脆くなってしまう。シルがすかさず地面から無数の蔓を生み出し、アドラメレクを拘束した。「身体強化」と「加速」を限界まで重ね掛けし、奴の頭上に転移してフルンティングを振り下ろす。
――ギィィイイーーーン!
中のアドラメレクごと縦に両断するつもりだったがそれは叶わなかった。神鎧は元がどんな色、形だったか分からないくらい黒く焦げ、歪んでいる。左腕のラウンドシールドと右手の黒い大剣を交差させ、俺の斬撃を受け止めたようだ。
ラウンドシールドは真っ二つになり、大剣も半ば折れている。黒焦げになったヘルムが割れて、焼けただれた顔が半分露わになっていた。そして鎧のあちこちに皹が入っている。
再度アドラメレクの頭上に転移して「空転」を発動。今度は奴を含めた空間と、罠を仕掛けた地上の空間を入れ替えた。
「ヤミちゃん!」
アドラメレクが罠に触れた瞬間、俺とヤミちゃんが罠に全力で魔力を流した。
「ウガァァアアアアア!?」
焦げて今にも割れてしまいそうな鎧を身に着けたまま、アドラメレクが地面をのたうち回る。
「効いたのですよ!」
「効いたね!」
ヤミちゃんと一緒に大きな羊皮紙に描いた魔法陣。それがこの罠だ。魔法陣の内容は、性別転換魔法。ヤミちゃんが俺にくれたアレを、千倍以上強力にしたやつだ。
本来、性別転換魔法は対象者の負担を出来るだけ減らす為、丸一日程度掛けて行使するらしい。それを僅か一分に短縮した。一分で肉体改変が行われる訳だ。
クトゥルス様が言っていたように、この魔法は下手すると死ぬ。それくらいの激痛に襲われるのだ。そして、魂が性別の変更を望んでいないと更に危険度が増す。
悪魔王のアドラメレクに魂があるのかって? そもそも人間のような肉体なのか?
そんなの分かる訳ない。ヤミちゃんもこの魔法陣を作っている時は役に立つのか懐疑的だった。俺だって疑問だったよ。
でも、激痛で転げまわっているアドラメレクを見れば、確かに効果があったようだ。もしかしたら、奴にとっては生まれて初めての「痛み」なのかも知れないね。
「ね、ねぇアロ君……あの魔法陣って一体……?」
「コ、コリン!? いや、あれは特殊な神聖魔法みたいな感じのヤツで」
コリンに知られたら不味い。アドラメレクのあんな姿を見たら、性別転換魔法に怖気づいてしまうじゃないか!
「くっ、ヤミちゃん、行こう!」
「はいなのです!」
ボロが出る前に、のたうち回っているアドラメレク、そしてヤミちゃんと共に「幽界」へ転移した。
評価、ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!!
あと4話で完結です。最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。