103 ホッジス王国へ
咢の森深層で地竜相手に訓練を行った翌日。明日、ホッジス王国に行くつもりである。皆に今日は体を休めるよう伝え、俺はヤミちゃんととある準備を行っていた。その様子をミエラとパルが少し離れた俺のベッドの上から見ている。
「アロ、本当にこんなものが役に立つのです?」
「正直言って分からない。一応の備えだよ」
「そんなものなのですか」
「そんなものなのです」
ヤミちゃんの口調を真似したら、ぷくっと頬を膨らませて睨まれたが、直ぐに笑顔になってくれた。
「大きな魔法陣ね……何か凄い魔法なの?」
「あー、凄いのは凄いけど、攻撃魔法じゃないよ」
ベッドの半分近い大きさがある丈夫な羊皮紙に魔法陣を描いている。魔法陣というのは、魔法が複雑になればなる程大きくなる。だが、今描いているのは本来これほど大きくする必要はない。
魔法陣に触れさせるのが一番だが、多少離れていても効果を発揮するよう、その術式部分のせいで大きくなっているのだ。
何の魔法か言わない俺の思惑を察してくれたのか、ミエラはそれ以上聞かない。その気遣いが嬉しい。だって、何でこんな魔法を知ってるのか聞かれたら色々と都合が悪い気がするんだよね……。
「完成なのです!」
「うん、出来たね。ヤミちゃん、手伝ってくれてありがとう」
「これくらい全然構わないのですよ」
緊急避難用の紙の転移陣は全員に持たせたし……武器にセットするディスクの予備も持たせた……メアリさんからホッジス王国の地図も入手して、王都の地理も不安はない……。オーグ魔法具店に頼んで、状態異常耐性を付与した装身具も全員に配った。勿論アドラメレクの「精神操作」対策だ。うん、大丈夫そうだな。
「マスター・アロ、お話があります」
「う“っ!? ……何かな、アナシタシア?」
扉の向こうからアナスタシアが呼び掛けてきた。
分かってる……分かってるんだ。昨日、咢の森に連れて行かなかった事、怒ってるんでしょ!? わざとじゃないんだ、忘れてたんだよ……。
部屋に入って来たアナスタシアが、キリッとした顔で俺に詰め寄って来た。
「マスター・アロにとって、私は力不足だと言わざるを得ません」
「いえ、そんな事は――」
「いいのです、自分で分かっていますので。ですが、決して足手纏いになるつもりはありません。いざと言う時には、この身を盾にしてマスターをお守りします」
「いや、そんな事――」
「それが、マスターにお造りいただいた私の使命なのです!」
近い、顔が近いよ……。そういう事を言い出すから連れて行くのが嫌なんだよね……。
アナスタシアは、千五百年以上の間宮殿を守ってくれた。それが「使命」であり、その使命はもう果たされたのだ。これから先はアナスタシアの望むように生きて欲しいし、幸せになって欲しい。ホムンクルスは奴隷じゃない。人間と同じように、ちゃんと意志を持った命ある生き物なのだから。
勿論、アナスタシアには何度も言い聞かせた。だが、彼女にとっての「幸せ」は、どうやら俺に尽くす事なのだ、困った事に……。
「分かったよ、アナスタシア。君も連れて行く」
「良い判断です」
何で上からなんだよ。
「アナスタシア、新たな使命を与える。俺より先に死なない事」
「なっ!?」
「なっ、じゃないよ。君だって大事な仲間なんだから。傷付いたり死んだりしたら俺は自分を許せなくなるよ……」
「…………新たな使命を受諾しました」
よしよし。これでアナスタシアも無茶はしない筈だ。……しないよね? アナスタシアも紙の転移陣を持ってるから本当に危ない時は転移で逃げて貰おう。
これで準備は整った。……いや、大切な事を忘れていた。
「パル成分の補給だーーー!!」
「きゃあー! なにそれー!?」
「ミエラ成分も補給するーー!!」
「いやー! 何なのよー!?」
ベッドにダイブして二人を撫でくり回した。
母様と義父様、そしてじいちゃんとは、その日の晩にゆっくり話をした。母様がハトホル神様の生まれ変わりである事は勿論伏せた。
ホッジス王国に居るアドラという魔法使いがアドラメレクである確証はない。だが、間違いないと俺の勘が告げている。出会い頭に戦闘に突入する可能性が非常に高かった。だからここに残していく三人にはちゃんと事情を説明したかったのだ。
母様と義父様、それにパルとピルルの事をくれぐれも頼む、とじいちゃんに伝えた。明日はメアリさんが屋敷に来て、万一に備えて一緒にいてくれるそうだ。
「こっちは任せておけ。アロ……ちゃんと帰って来るのじゃぞ?」
「分かってるよ、じいちゃん」
「アロ、待ってるからね」
「はい、母様」
義父様は何も言わず俺の肩をギュッと握ってくれた。
翌朝。
ミエラ、アビーさん、レイン、コリン、サリウス、グノエラ、ディーネ、シル、ヤミちゃん、そしてアナスタシア。俺を含めて総勢十一人。まず、ホッジス王国王都ギデウスの南部の街、コリウスにある冒険者ギルド、メアリさんが使っていたギルドマスターの執務室に全員で転移した。
「うお!?」
……十一人で転移するには些か狭かった。家具を避けたらぎゅうぎゅうだったよ。
「よ、よし。今ギルドは閉鎖中で誰も居ないって話だから、ここを一時的な拠点にしよう」
俺とヤミちゃんの二人だけで、王都ギデウスに転移先を見付けに行く。ヤミちゃんは小っちゃいから抱えて飛ぶのもそれほど負担じゃないし、ヤミちゃんなら間違いなくアドラメレクを見分けられる。
コリウスからギデウスまでは、普通の馬車で四時間程の距離だ。「飛翔」で急げば二十~三十分で着く。帰りは転移するから問題ない。
「じゃあ行ってきます」
「アロ、気を付けてね」
「うん」
念の為、出入り口の内側に障壁の魔法具を設置してから出発する。
「ヤミちゃん、抱っこするけど我慢してね?」
「我慢じゃないのです、ご褒美なのです!」
何の? 良く分からないのでそのままヤミちゃんを抱っこすると、彼女は俺の首に腕を回してギュッと密着してきた。うん、しっかり掴まってないと危ないからね。「飛翔」で飛び上がり北に向かう。
「アロ、ヤミは隠蔽魔法を使うのです。そうすれば下から見えないのですよ」
「おお、助かる!」
龍風魔法を使えば数段早く移動出来るのだが、アドラメレクに気付かれる恐れがあるので自重した。
しばらく飛ぶと、高い防壁に囲まれた大きな街が見えてきた。中心には城も見える。王都ギデウスだ。上空まで行って旋回し、街の様子を探る。
まだ午前九時くらいだが、上から見た感じ、王都も閑散としている。だが、まだ内乱は起きていないようだ。ここに来るまでも地上の様子を見ていたが、軍が動いているような様子はなかった。
街の人達はどんな気持ちでいるんだろう。今にも内乱が起こりそうな事を知っているんだろうか。多分、知っているからこそ外を出歩かないんだろうな。人が少ないのは、転移で移動したい俺達にとっては好都合だけど。逆に、十一人でぞろぞろ移動するのは非常に目立つ。
「ヤミちゃん、ちょっと街に降りてみよう」
商店街っぽい場所の路地裏に降り立つと、ヤミちゃんが隠蔽魔法を解いた。そこから幼い妹を連れた兄のように手を繋ぎ、表通りを歩いてみる。
ここはギデウスの南側で、中心に向かって土地が少し高くなっているようだ。なだらかな坂が北に向かってずっと続いている。雰囲気から察するに、リューエルの都フロマンジュールと同じく中心に城があり、その周囲は貴族が住む区域だろう。
筆頭宮廷魔導士のアドラが居るのは、王城か王宮、またはその近くの施設に違いない。この辺だと王城まで結構距離があるなぁ。その姿を直接確認するのは不可能に近い。
どうにかしてアドラを外に引っ張り出せないだろうか……。
「ヤミちゃんの隠蔽魔法で、直接城に乗り込んじゃう?」
「それでも良いですが、戦闘になったら沢山の人を巻き込んじゃうのです」
「だよねぇ……」
「良い方法を思い付いたのです!」
ヤミちゃんがちょいちょいと繋いでいない左手を動かすので、屈んでヤミちゃんの口に耳を近付けた。
「こしょこしょこしょ……」
俺の耳を手の平で覆ってコソコソ話をする。耳がくすぐったいです……。
「なるほど! それはいいかも!」
「アドラという魔法使いがアドラメレクなら、力を誇示する為に絶対出て来るのですよ」
「おお! しかも一人で来る可能性が高いって訳か」
「そうなのです!」
さすがヤミちゃん。見た目七~八歳でも伊達に長く生きてない。本人(本龍?)には言わないけど。
「よし、早速ポイントを探しに行こう」
降り立った路地裏に戻り、隠蔽魔法を掛けてもらって再び飛び上がる。ギデウス周辺の様子を探る為にかなり高空まで上がった。
遠く西の方に森があり、更に西はちょっとした山脈になっている。逆に東は平原と所々林になっていて、遥か先には「死の大地」がある。
「西だな」
低空を飛んで、俺達が隠れられそうな場所を探す。どこで会敵するか、うまく誘導出来れば良いのだが。
「多分、防壁の上からギリギリ見える場所だと思うのです」
「そうか。力を誇示したいんだもんな」
木々が百本近く密集している、林とも言えない場所を見付けた。完全に隠れられる訳ではないが、少しの時間身を潜めるには十分だろう。
こちらに誘導する為には「餌」が必要か? それとも後ろから追い立てるか? 全部俺一人で決める必要はないな。場所と作戦を煮詰める為に、一度皆の所に戻ろう。
「ヤミちゃん、皆の所に一旦戻ろうか」
「はいなのです」
ヤミちゃんと一緒にコリウスのギルド内へ転移した。