ヒーローから姉を守るのは私だ!
『お姉ちゃん、今助けるから!』
『ローリー、どうしてここに!?』
『あの男、よくもお姉ちゃんを監禁だなんて……!』
『……誰かは知らないけど、オーロラは連れて行かせないよ。死んで』
『……きゃあっ、うっ、おねえ……ちゃ……』
『ローリー?! ルシアン、やめて! その子は妹なのよ!!』
『え、妹? ど、どうしよう! ごめんね? でも、君が悪いんだよ。僕のオーロラを連れて行こうとするから……』
そんな感じの会話だった気がする。詳しく覚えていないけど。
ある日、仕事終わりの帰り道に本屋で目について買った恋愛小説のうちの1冊。正直、恋愛小説と呼んでいいものかすら不明な代物だった。
ヒロインの性格はまだしも、ヒーロー役の青年が公爵という身分だけはいいものの、根暗で陰気で匂いフェチの変態に近い言動を行い、ひたすらヒロインに執着していく物語だった。
作者の好みと勢いだけで出来上がったような作品。
正直に言って私には、ヒーローの考え方も、それに同情して寄り添うヒロインのことも、理解不能だった。
とりあえず読み切ったのは、お金を払ったからにはという意地、ただその1点に過ぎない。
なぜこんなことを説明しているかと言うと、私がその妹になっていたから。
もう一度言う。
小説の最後の方、檻に監禁された姉を助けに行ってヒーローに刺殺されるという妹・ローリーに私が生まれ変わっていたからだ。
*****
「ごめんね、お姉ちゃん。せっかくのお茶会が」
「いいのよ、ローリー。あなたに何もなくて良かったわ」
うっ。心が痛い。
午後に行くお茶会の名前を聞いた途端、前世とこの小説の世界の事を思い出し、飲んでいたジュースを噴き出したせいで用意してもらっていた一張羅を台無しにしてしまった。
おまけに、プチパニックになったせいで前世だの何だのと口走ってしまい医者を呼ばれてしまった。
本当は病気なわけでも何でもない。
ただ、これは好都合だった。
絶対に、このお茶会に行かせるわけにはいかない。
なぜなら、このお茶会で小説のヒーロー・ルシアンはオーロラに惚れて執着するようになるから。
子どもと言うのは残酷で、集まった子たちは冴えない容姿に猫背で鬱々と下をむいてばかりの彼の事を散々からかい、馬鹿にする。それを唯一庇ったのが私の姉であり、この小説のヒロイン・オーロラだった。
そうだ。忘れないうちに私たちのことも説明しよう。
私たちは両親を去年に亡くした14歳と9歳の仲良し姉妹で、領地を持たない名ばかりの弱小貴族だ。
父と母が相当な信託財産を残してくれたおかげで、2人で住むには十分すぎるほどの小邸宅と、親の代から仕えてくれている3人の使用人と、それらの必要経費を払い続けても贅沢さえしなければ一生働かずに暮らせるほどのお金はあった。
「お姉ちゃん、私、お姉ちゃんが大好きよ?」
「私もローリーが大好きよ」
「2人でずっと暮らしたいな。このまま。もちろん、お姉ちゃんが結婚したいっていうなら話は別だけど」
「まぁ、ローリーったら。心配しなくても、そんな相手はいないわ。ふふっ、2人でのんびり暮らしましょう」
……本当にそうだろうか。
オーロラはヒーローに同情して、彼から言い寄られても無碍にはできなかったけれど、それだけなのだろうか。
心のどこかでこの静かな生活を嫌だなんて思ったりしていなかったのかな。
お金が欲しい。贅沢したい。って思わなかったのかな。
私の事を考えて、お姉ちゃんは節約してる。
そこまでする必要はないのだけれど、自分のものは極力買わず、その分私を着飾らせている。
「もう私たちの家族はお互いだけだもの」
お姉ちゃんに抱きしめてもらいながら考える。
2人でもいいって、もし、もし本当にそう思ってくれるのなら、安心して、お姉ちゃん。
私が、絶対にルシアンからあなたを守ってみせるから!
*****
お茶会に行けない代わりに、午後はちょっとした贅沢をしようということになった。
今流行のカフェにお姉ちゃんが連れて行ってくれると言った。
多分、急に塞いでしまった私を元気づけようとしてくれたんだと思う。
気にしなくていいのに。
私は奴への対策を頭の中で練っていただけなのだから。
ふと窓の外に目をやって、私は気づいた。
慌てて御者側の小窓をたたく。
「どうしてこっちの道を行くの?」
「大通りが渋滞しているので、こちらの方が良いかと……」
こっちの通りを行くと、お茶会が開かれている庭園のわきを通っていくことになる。この時間はまだ開催しているはずだ。
万が一にも、ルシアンに見つかったらどうなることか分からない。
「元の道に戻って! 早く!」
「いや、しかし……」
言い合っているうちにもう園の入り口まで来てしまった。奥で行われているティーパーティーの会場が視界に入る。
「いいから、曲がって!! いいから!!」
私の必死の形相に御者が慌てて手綱をふるう。
一気に会場が遠ざかっていく。
柵の向こうにヒーローの様な人影が見え、すぐに視界から消えていった。
「よかった……なんとか接触は避けられた……わ……」
葉の影で、はっきりとは見えなかった。人目を忍ぶようにしていたから。
ただ、気のせいと片付けるには一瞬の印象が強すぎて。
その少年は――泣いていた。
「どうしたの、ローリー? 残すだなんてあなたらしくもない。やっぱり、どこか体調が?」
「ううん。平気……」
さっきから一向にフォークを進めない私をお姉ちゃんが心配してくる。
ルシアン、泣いてた。
そうだよね、虐められたんだもん。周りの大人たちからも陰でこそこそ笑われて。
私、お姉ちゃんを助けることで頭がいっぱいで彼のことまで考えてなかった。
お姉ちゃんがいなかったら、彼の味方はいない。
監禁するような男、多少ひどい目に遭うくらいでちょうどいいのよって思う半面、子どもに罪はないってもう一人の私が囁く。
「まだ何もしてないよ、彼」って。
「お姉ちゃん、ちょっとここで待ってて! 絶対に動かないで。すぐに帰ってくるから、絶対に待ってて! じゃないと泣いちゃうから!!」
お姉ちゃんは私の涙に弱い。
強く言い残し、念のために顔を隠そうとお姉ちゃんの帽子を借りてお店を後にする。
適当に馬車を捕まえて私は飛び乗る。
「お嬢ちゃん、どちらへ?」
「ホワイト庭園へ!!」
今、お茶会が行われている場所。
やっぱり気のせいじゃなかった。
会場から離れた場所、庭の片隅の木の陰で、少年は泣いていた。
「あ、あの……」
私の声に彼が顔を上げる。
うっ。そりゃ、次期公爵とはいえ容姿の事で何か言いたくなるのも分からなくはない。
元々重めの瞼は今や涙で真っ赤に腫れあがり、女の子のように長い髪はあちこちにむかって跳ねている。
服だけは一応上等だけれど、お下がりなのか型が古すぎて彼には合っていない。野暮ったい。
同年代の子よりかなり身長が高く、それでいて華奢な彼だ。
特注しないと合わないのだろう。
もともと優れているわけでもないのに、彼はオーロラに会うまで見た目に頓着しなかった。
確か、お祖父さんに育てられていた設定だからそういうことも関係しているのかもしれない。
せめてもうちょっと周りが何とかしようとは思わなかったのだろうか。
いいや、ここで怯んでいるわけにはいかない。
「そこの人!」
もう一度呼びかける。
まだ会ったことがないはずなのだから、名前で呼ぶわけにもいかない。
「これ、あげる。元気出して」
さっきお小遣いで買ったミントチョコを握らせる。
彼の好物だ。
「だ、だれ……?」
「いいから! あなたは悪くない。ただ、もう少し身だしなみは他の人に相談した方がいい、かも」
それだけ言って、公園を後にする。
一目散に馬車まで走って、お姉ちゃんのところに戻った。
一応9歳児としてやれるだけのことはやった。あとは忘れよう。
*****
恐れていた事態と言うのは、得てして予想より早くやってくるものだ。
でも大丈夫。
私だっていつまでも避けていられるだなんて思ってない。
「オーロラは良いにおいがするね」
「ありがとう。ローリーが花を髪に挿してくれたから、きっとその香りね」
背が高いせいで覆いかぶさるようにして、ルシアンが近づいて鼻をひくつかせる。
近いわよ、変態。
ハァハァと激しく興奮し息がかかるほどの距離にお姉ちゃんがさすがにひいている。
とあるお茶会での出会い。
ルシアンは私を見ても何も言わなかった。
帽子のおかげで顔が見えなかったのか、もう覚えていないのか。
どちらにしても私には好都合だ。
お茶の時間もルシアンはじっとお姉ちゃんだけを見ていた。周囲が明らかに異様だとわかる程にガン見していた。
フルーツを食べたり、クリームが口元に付いたりして、お姉ちゃんが膝のナプキンで拭う。
それを彼はじーっと眺めている。
彼の考えていることが手に取るようにわかる。
小説ではヒーローには屈折した収集癖があった。
――持って帰って家で味わう気だわ。
薔薇園を案内してもらおうとみんなが席を立った時、すすっと足音も立てず気配を消して、ルシアンがお姉ちゃんの席に寄る。手を伸ばす。
その手を、つかんだ。
させぬ。
「あ、あのっ……て、手が痛……」
さすがに変態行為を咎められて彼も気が動転しているようだ。目を白黒させている。
かと言って、私が彼の変態性に気が付いていると悟られ今後の妨害行為に影響が出ると困るので、無垢な少女のフリをする。
「えへっ、ローリーと遊んでくれる?」
「あの、て、手を……」
なら、ナプキンを離さんかい。と力を込める。
先に諦めない限り、絶対私は解放しないわよ。
さぁ、人が戻ってくるまでこの問答を続けるつもり?
私の笑顔に彼はじりじりと後ずさり、そっとナプキンを手放した。よし。
「えっと、じ、じゃあ、遊ぼうか……あ、蟻でも数える?」
なぜ、蟻なのか。
彼は私に掴まれた手頸をさすりながら、周囲をきょろきょろと見回す。
「いた。ほら、こっち」
本当に数える気らしい。
彼を見張っていないといけないので仕方なく隣に腰を下ろし、一緒に眺めていると、彼がクンクンと鼻を近づけてきた。
ぎょっとしている私に向かって、にへらと笑い、
「オーロラのにおいがするね」
お姉ちゃんの残り香をかぐんじゃない。
思わずため息が零れた。
私が大男なら今すぐ胸倉掴んで床にたたきつけてやるのに。
*****
さて、実はこの世界、魔法が存在する。
難解な理論やその本質を理解さえすれば、誰でも使える。
私も小説を読んだとき、何の前フリもなく当たり前に話が進んだのでびっくりした。世界観や設定は前もって告知しておいていただきたいものだ。
ただ存在はするのだが、許可制である。
その昔、魔法使いが総立って反乱を起こしたとかなんとかで、街の中では安易に使えないように防御結界が張られているらしい。
そのため、一家につき一人だけ、試験をパスすれば免許が下りる。
そうすればシールドの干渉を受けずに魔法を発動させることができるのだ。
この免許は国家資格の一つでもあるため、国難の際には強制召集される代わりに持っていると税金が減免されるとかいくつかの特典を受けることができる。お姉ちゃんはこの試験を17歳で受け、合格した。
ちなみに最年少合格者は6歳のルシアンだ。
ただ、この試験、大変難しいこともあって年々合格者が減っており、持っている人もだんだん少なくなってきている。
まぁ、そうだろう。
そもそも魔法を使う機会が一切ないし、有事でもない限りうっかり街中で発動させた途端、被害の有無にかかわらず逮捕案件となるのだから。
だが、この魔法パスが今後のストーリーを左右する重要なポイントとなる。
事件が起こるのは、ある大公夫人が主催するチャリティーでのことだ。大人たちと離れた場所に設置された子ども用の会場で、火災が起こるのだ。
火は一気に燃え広がり、数人の子どもが取り残される。その中にお姉ちゃんとルシアンも含まれていた。
そして、2人だけが魔法を使えたのだ。
実はルシアンは試験自体はパスしたものの、生来のうじうじとした気質が災いしてその時まで魔法をうまく操れたためしがなかった。
それをお姉ちゃんが優しく励まし、2人で力を合わせて、火を魔法で消し去る。
ルシアンがお姉ちゃんに完落ちした瞬間だった。
大公閣下のご夫人主催ともなれば、拒否するわけにもいかない。
私が直前でお腹が痛いと訴えれば、お姉ちゃんは欠席してくれるだろうけれど、お姉ちゃんの立場がますます悪いものになってしまう。
ただでさえ、下級貴族で親なし子なのだ。
これ以上お姉ちゃんに負担はかけたくない。
だとするなら、答えは一つだ。
「私が、お姉ちゃんより先に試験をパスするしかないわ!!」
17歳でお姉ちゃんは合格し、その年の秋に事件は起こる。
タイムリミットは3年。それまでに決着を付けなくては。
前世を思い出してから私は死に物狂いで勉強した。
お小遣いで教本を買い、お小遣いで試験料も払った。
最初の年は当然落ちた。
大丈夫、想定内だ。動揺はない。
「ええと、魔力とは自己反応性の動体であり……乙が事故・天災において甲の指示を……」
必死に試験に出ていた問題を思い出しながら、私はお姉ちゃんに悟られないようにこそこそととにかく机に向かった。
蝋燭の減りが早いと心配してきたメイドには、お姉ちゃんには黙っててと全力の愛嬌でお願いし倒した。
そうして、その努力が今、報われた。
2年目の末に、手の甲に合格の証が浮き上がる。
「す、すごいわ……!!」
お姉ちゃんが涙ぐんでる。
「私のお世話をしたり、家政を取り仕切ったりしながら、一生懸命勉強してたのは知ってるの。それを無駄にさせちゃって、ごめんね。でも、私もお姉ちゃんのお役に立ちたかったの! これがあれば、少しはお姉ちゃんもゆっくりできるかな?」
「まぁ、なんていい子なの! こんなこと言われたら、お姉ちゃんは何にも言えないわ!」
「ふ、ふふふふふ」
お姉ちゃんに抱きしめられながら私はひっそりとほくそ笑む。
やったわ! お姉ちゃんを差し置いて申し訳ないけれど、私が正当な魔法使いとして認定された!!
これでルシアンがますますヒロインに執着していくイベントはおじゃんよ。
努力した甲斐があった。
血のにじむような勉強の日々がやっと形になった。
ざまぁあそばせ、ルシアン! お姉ちゃんは絶対に渡さないんだから!!
*****
あれからさらに1年がたち、いよいよ事件の年がやってきた。
その間、私はひたすら奴と戦った。
ジャムがついたお姉ちゃんの指を奴が咥える前に私がきれいに拭い、お姉ちゃんが湖に落としたハンカチを奴が拾う前に私が飛び込んで回収した。
小説では大きなイベントの描写しかなかったけれど、現実はそうはいかない。
奴の先手をとれるよう常日頃から体力をつけ、日々こまごまと気を配り、ルシアンがお姉ちゃんの傍にいるときは必ず私が張り付いた。
そのおかげか、まだ彼はお姉ちゃんに心惹かれているものの、「大好き!!」と周りが見えなくなるまではいかないようで、彼からお姉ちゃんへの距離が一方的に縮まるはずの小説にあった恋愛シーンはほぼ起こっていない。または起こりかけても私がさりげなく阻止した。
このままだと、火災の事件も起こらないかもしれない。
今日ばかりはお姉ちゃんに張り付かず、会場を見回ってそもそも火事が起こらないように見張るつもりだった。
それなのに――。
子どもたちの叫び声が聞こえる。煙が視界を覆う。熱が肌を焼く。
うそでしょう? どうして起こるの?
見回っていたのに、火の手のないはずのところから何故か火が巻き上がったのだ――あとから聞いたところによると、子どもが虫眼鏡で悪戯をしたのが原因だったらしいが、流石にそこまでは私も気が回らなかった。
ルシアンを近づかせないように邪魔してきたのに、最大のイベントが起こるなんて!
大体、起きたところでどうするのよ、お姉ちゃんは魔法が使えな――私か! 私が行くしかないのか! そ、そうよね、使える人、私しかいないのだから。
「お姉ちゃんはここで待ってて」
「ローリー? どこへ行くの?!」
戻ってきて、と悲鳴のような声を振り切って私は走る。
お姉ちゃんじゃないのにどうして起こったのかは分からない。
でも、今この問題を解決できるのは私だけだ。
きっと、私が先手を打ったから物語が歪んでしまったんだ。
だったら、少なくともこの責任は私が取らないと!
「ルシアン!」
水を頭からかぶって、火の中に飛び込む。
小説の描写の通り、炎に囲まれた中でルシアンと数人の少年少女がうずくまっている。
「ローリー、どうして……?」
顔を上げた彼は涙と鼻水でべたべただった。
嘘でしょう、挿絵では綺麗なイラストだったじゃない……。
仮にも恋愛小説のヒーローが見せていい顔ではない。
彼の膝の間に背を預けるようにして座り込む。
「ローリー?」
「ルシアン、片付けるわよ。これを消し去るの」
「む、無理だよ!」
情けない悲鳴を上げる。
「いいえ、やるのよ。私は魔法使いの資格をもってるの、手助けするわ」
「オーロラじゃなくて、君が力を……?」
「そうよ。だから、やるのよ」
私一人の力では無理だ。
彼の手を掴む。
汗と緊張だろう。手はぐしょぐしょだった。
「無理だよ、できない」
「やるのよ!」
私の一喝に怯んだものの、またすぐにめそめそと言い訳を始める。
「私が手伝うんだから、できる!」
「無理だよ、僕だよ? できるわけがない」
「あなただからできるのよ!!」
あなたはちゃんとイベントを乗り越える。
私は知ってる。
「あなたならできる! 時間がない、構えて!!」
彼の手を掴んで操り人形みたいに掲げる。
もう片方の彼の手が私の体を抱きしめる。
まるで恋人つなぎのように指を絡めてくるのにぞっとしたけれど、顔を見れば、こわばったままそれでも前をちゃんと見据えていた。
下心ではなく、恐怖からおもわず縋っただけなのだ。これは許そう。
「私が力の流れを調整するから、あなたは手の先に集中して。いいわね! ――……放って!!」
*****
事件も落ち着いたある日、ルシアンがやってきた。
この事件で表彰され、周囲の目が少し変わったからだろう。普段着ではなく、ちゃんとした格好をしている。
多少は自信が付いたのか責任感がそうさせるのかは分からないが、芋虫のようだった姿勢も心なしかマシになってる気がする。
和やかに話しているところ申し訳ないけれど、お姉ちゃんの将来のために邪魔しに行こうとすると、2人の会話が聞こえてきた。
「そうでしょう、ローリーはすごいのよ!」
「うん、本当だね。かっこよかったよ」
私の事を話しているらしい。
もう、お姉ちゃんたら相変わらず私ラブなんだから。
それにしてもルシアンも少し落ち着いた気がする。
小説の中では自信のなさが故か、お姉ちゃんの全てを自分のものにしなければ安心できないと言っていた。
でも、今の彼は以前のようにお姉ちゃんの前で隙あらば匂いをかいだり、じりじりと壁際に追い詰めたりだとかそういう雰囲気はない。
「……まともになったのかな」
そうよね。
私が物語を変えちゃったんだもの。ルシアンだって変われるのかもしれない。
まだ気は抜けないけれど、もし、まっとうになったのなら、私はこれ以上邪魔をする必要はなくなる。
歪んではいるけれども根っからの悪人ではないし、何と言ってもお姉ちゃんの運命の人だ。
それに、お姉ちゃんが安全ルシアンを選ぶのなら、私は祝福しなくっちゃ。
「かと言って、安全かどうか確かめようが……」
お姉ちゃんを監禁したいって思う? なんて聞けるわけがない。
もしまだ思っていたら、それを見抜いた危険人物だと認定され何をされるか分からないし、もし聞いた瞬間「その手があったか」と納得されても困る。
茂みからどうしようと様子を伺っていると、彼と目が合ってしまった。
ぱああ、と満面の笑みで駆け付けてくる。
な、なに、何なの、その顔?!
「ローリー、会えてよかったよ! お菓子を持ってきたんだ。ローリーは甘いものが大好きだったよね? あとね、贈り物ももってきたよ。ローリーはドレスは好きかな? お花は? 宝石が付いたリボンもあるよ? どれが好みか分からなくて全部持ってきたんだ!」
「ど、どうも……」
「今日はね、僕、ローリーにお願いがあってきたんだ」
「何でしょうか」
姉とのお付き合いを認めてくださいなら、保留だからね。
「僕、ローリーと結婚したいな……」
頬を染め、初心な乙女のようにつぶやく。
「……はい? ル……ルシアン、わたし、まだ12歳なんだけど……」
「も、もちろん、ちゃんと結婚できる年齢まで待つよ!?」
いや、そうじゃない。
そうじゃないでしょう。
「僕、ローリーの事が好きなんだ」
言っちゃった、と花束で顔を隠し、ルシアンは勝手に照れている。
嘘、でしょう……。
――この人、監禁対象を私に変えてきたんですけど?!
魔法を使うの手伝ったの、そんなに嬉しかったの?!
しかも、5歳差と言えど、17歳が12歳に恋愛感情を抱くって、高校生が小学生に発情してるもんでしょ!?
「ルシアン!!」
聞きつけてお姉ちゃんが走ってくる。
私を彼から引き離し、
「ローリーはまだ12歳なのよ! 何を言っているの!」
「だ、だから待つって言ったよ。今すぐじゃない。ただ、お願いしてみただけだよ」
「そういう問題じゃないの! ローリー、先に部屋に戻ってなさい」
「は、はい……」
このまま戻るとお姉ちゃんがルシアンと2人きりになってしまう、などという考えはもう浮かんでこなかった。
「12歳が好きなんじゃない。ローリーが好きなだけだよ。たとえお婆ちゃんだったとしても、ローリーなら好きになったよ。お婆ちゃんはよくて、子どもはだめなの?」
「だめに決まってるでしょう!!」
とてつもなく恐ろしい会話をしている。
まぁ、確かに本の中ではルシアンは私に見向きもしなかったのだから、真性のロリコンではないのだろう。
だからと言って、童女を好きになるのにためらいなど一切ないナチュラルさが問題ない訳がない。私で新しい性癖を開拓しないでほしい。
ちらっとお姉ちゃんのスカートの後ろから覗くと、ルシアンはお姉ちゃんと会話しながら相変わらず柳のような姿勢で頬を染めつつ、しだれた髪の間から目だけはずっとこちらを凝視していた。
ひぃぃっ。怖っ。
*****
門を出て行く生徒が、ちらりと一瞬だけ振り返って次々に学校を後にする。
くすくすと何かを囁きあいながら去る生徒もいる。
「……ルシアン、何度も言ったけれど、門の前で待ち伏せしないで」
私の言葉に門柱と一緒に映る影がびくりと震え、本体が顔を出す。
「ご、ごめんね。でも、お屋敷に行ったらまだって言われたから……」
屋敷でそのまま待っててくれればいいのに。
彼は律儀に学校の私有地を示す境界線のところでぴたりと止まって私を待つ。
「……また夜に仕事をしたのね!?」
白い顔色がさらに生気を失っている。お世辞にもいいとは言えない目つきの、その下のクマが酷い。
日中は私に時間を割いているのでどうも仕事は全て夜にこなしているらしいのだ。このままだとまた倒れてしまう。
「ちゃんと寝ないとだめって言ったじゃない!」
「ね、寝るよ! えっと、ローリーの膝の上で……」
「ダメ」
「一緒にソファ……」
「ダメ」
「せめてとなり……」
「ダメ」
「ローリーの部屋の前の廊下は? そこならいいでしょ!?」
逆切れ気味に言い返されるが、良いわけがない。
よその次期ご当主を、未来の公爵様をそんなところで寝かせられるはずがない。
「……部屋を用意させるから」
「ローリーは?」
「……部屋に一緒には居るわ。そうしないとあなた、この前みたいに起きてくるでしょ」
「一緒の部屋で寝る……」
「ええ、宿題もしなくてはいけないし、テー……鼻血拭いてくれる?」
今年、私は17歳になった。
その間、ルシアンはずっとこんな感じだった。
なんだか段々ほだされてきている気がする。なんというか、正直、「ちょっと可愛いな」って思う瞬間と、「絶対にない!!」となる瞬間が交互に来る。
不器用で斜め上の発想ばかりだけれど一生懸命だし、変態も一途が募りすぎての結果だと思えばまぁ目をつむれる部分もないこともない気がするような気がしないこともない。
お姉ちゃんもこんな気持ちだったのかしら……ハッ、いけない! 私はお姉ちゃんのようにはならないと決めているのに!
「ローリー、母が今度またうちに来てくださいって。いくらでも泊っていいって。一生いていいって!」
「…………」
きゃーと歓声をあげる彼を横目に私はため息をつく。
いやなのよ。
あなたのご実家に行くと、まるで荒廃して何もかもが失われてしまった世紀末の世界に現れたただひとりの救世主、みたいな、人類に託された最後の希望、みたいな扱いをされるから。
普通、下位貴族の娘が公爵家の長男と一緒に居たら、「身分違いも甚だしい」とか「玉の輿狙い」と思われて追い出されるものでしょう?
それなのに、抵抗し尽くして気力も体力もなくなった私をぬいぐるみのように抱える彼を見て、夫妻はすぐさま祝いの宴を開いた。
お2人は泣いて私の手を取り、公爵家の財産は好きにしていいと告げた。なんなら、一筆書いてくれた。
確かルシアンは物語の途中で天涯孤独になっていたはずだけれど、もうフラグがめちゃめちゃになってしまったのだろう。お2人は元気で、当分元気そうだ。
もはやルシアンがローリーに固執している時点でそんな違いなど些細な出来事に過ぎないのだ。
最初は私と彼を絶対に近づけさせなかったお姉ちゃんも、だんだんと彼の泣き顔や悲しそうな顔に心がぐらついて、最近は彼が来てもため息をつくだけで何も言わなくなった。
まぁ、小説でも彼に優しかったもの。お姉ちゃんは仕方ない。
それにお姉ちゃんにも実はいい人が現れたのを知っている。優しそうな、おっとりとしたお姉ちゃんとお似合いの伯爵様。
何度か一緒に食事もしたけれど、本当に爽やかでいい人だった。
なんというか、ルシアンと真反対の。
一番大事だからもう一度言うけれど、真反対の常識人。
お姉ちゃんにはぜひとも幸せになってもらいたい。
ええ、そうよ。お姉ちゃんの幸せがすべて。
私は一人でも平気!
*****
「ルシアン、何をしているの?」
預けた私のバッグを物色しているところを見つかった彼は、油の切れたロボットみたいにぎこちなくふりむいた。
「ロ、ローリー……忘れ物を取りに戻ったはずじゃ……」
「忘れ物は気のせいだったみたいなの」
というのは嘘で、嫌な予感がしたため外出のふりをしただけ。最近、公爵邸から帰宅したら外套のボタンがよく1つ失くなっているとメイドがこぼしていた。
消えるのが宝石などの高価な品ではなくそういった類のものであったことから、推理なんてしなくても犯人など一人しかいなかった。
「ち、ちがうよ! あの、出張にローリーがついてきてくれないから、思い出を……」
そう、彼だ。
分かっていたけれど、情けない。
ため息をついて私が手を差し出すと、控えていた公爵邸のメイドがさっとその上にハンカチを置いた。
「これね、私が使ったハンケチーフ。何度か汗を拭いたの」
更に折った端を咥え、しっかりと跡を付ける。この為にさっき口紅を濃く塗り直したのだ。
ごくりと生唾を飲む音がし、飢えた旅人が食べ物を求めるように、よろよろとやってくる。
「ローリー、そ、それ……」
彼は床に座り込んでいるから、さすがに今は私の方が上だ。
私は握ったハンカチを彼の頭上高く掲げてから、
「ルシアン、勝手に物を持っていかないで。ここで私の物がなくなるとね、あなたのお屋敷の使用人の責任になっちゃうの。場合によっては、解雇しなくちゃいけなくなるの。わかる?」
首がものすごい勢いで何度も縦に振られる。
「言ってくれれば、ちゃんとあげる。だから、欲しくなったらまず私に言ってね。約束よ?」
うなずいたのを確認して、ハンカチを彼に渡す。
飛びついて、すぐに布越しに盛大に吸い込む音が聞こえてくる。それは部屋に帰ってからやってほしかったけれど、人前でそれ以上のことはしなかっただけ一応学習はしたらしい。
ルシアンは、能力を偏重して育てられてきたため、情緒面の欠如がひどい。
特に叱りつけると叱られたショックの方が先に来て内容のことを覚えていないので、お願いの形にしてできるだけ褒めたり、やってもらって嬉しかったことを伝えるようにしている。
これをプラスに考えるとするなら、未発達の情緒面ではまだ伸びしろがあるということだ。
そう。育てるのだ。
社会的影響力の高い人間が優れた人格を持つならば、この世界はさらにより良いものとなるだろう。
彼はとても賢く経営手腕も高い。実際、高い変態性に目をつむれば、とてつもない優良物件だ。
「そう、私は今、社会貢献をしているのよ」
これだけ彼に付き合っていると、その変態性においても、以前は可愛いと無理が3:7くらいの割合だったのに、今では逆転してしまい、大抵の事は流せるようになってしまった。
彼の行動が完全に読めるようになって、驚かなくなったのもある。
慣れって生物が厳しい現実を生き抜くために会得したすごい能力だと思う。
「あなたの選ぶものはいつもセンスがいいから、出張先のお土産が今からとっても楽しみだわ。みんなの分も忘れないでね」
「わかった! ローリーに合うものをたくさん選んでくるよ!」
幼い頃から本物に囲まれてきただけあって彼の審美眼は確かだった。ただ、それがルシアンの好みとは異なるというだけ。
逆に彼の趣味は分かりやすい。ずばり「ローリーらしいもの」だ。
私の髪の色、目の色、私のにおい、形、声、何かしらそれに近いもの、私を想起させるものを好む。
だから、お土産を頼む時は私に似たものはあなただけに持っていてほしいとお願いするのがベストだ。
「――奥さ……いえ、ローリー様、流石です!!」
彼が扉の向こうに消えたのを確認してから、やんややんやと公爵邸のメイドや執事たちから一斉に拍手が上がる。
嬉しくない。
彼らも、なぜ公爵が麦の質を確かめるための出張を渋っているので説得してほしいなどと私に泣き付いてくるのか。
「……いいえ。これは仕方のないことなのよ。だって、麦の流通が滞れば、人命にもかかわるのだもの」
私は自らに言い聞かせる。
そう。仕方がない。
でも、だんだんとこの外堀を埋められていっているような感覚は何なのだろう。
私はちゃんと最後まで彼に抵抗できるのだろうか。
*****
…………おかしい。
どうして私、ここにこんな格好でいるんだろう?
入浴した後、なぜか再び公爵家のメイドに夜着の代わりにウェディングドレスを着させられた。寝るだけなのに、ガーターもつけ、コルセットもつけている。
苦しい。頭のヴェールも邪魔だ。
顔だけは夜化粧でうっすらだからいいのだけれど。
「わぁ、よかった!」
扉から、ルシアンが入ってくる。
彼は普通のローブ姿だ。やっぱりおかしい。
「あの、ルシアン? 私、どうしてだかこんな格好を……」
私の混乱を彼は満面の笑みで迎え入れ、
「えへへっ、僕がお願いしたんだ。ローリーの花嫁姿が本当に綺麗だったから、いちばん最初はその姿で結ばれたいなって!」
――逃げよう。
やっぱりほだされたのが良くなかった。
変態は治らない。治療不可。
「どこ行くの、ローリー? 夜だよ?」
「旅よ、旅に出るのよ! 誰もいない場所に行くの!!」
「旅行に行きたいなら、何処でも連れてってあげるよ? ああ、でも、ローリーと2人っきりっていいねぇ」
後ろから抱きすくめられ、首筋を舐めまわされて足がなえる。
おまけにコルセットがつらくて、息が苦しい。後ろ締めすぎだと思う。
「お願い、私のコルセット早くはずして……」
途端に彼がほほを染めて言う。
「ローリーったら、大胆!」
「違う!!」
怒らせないでほしい。息切れするから。
彼をにらんで、ふと気が付いた。
「……あなた、この傷なんなの?」
目を凝らすと白い肌にミミズばれのような痕が至る所に走っている。
一目見ただけではわからないように、巧妙に。
「お祖父様がしたよ。勉強を覚えてないとぶたれて、覚えるまでぶたれた」
こともなげに言っているけれど、それって、虐待じゃないの。
先代夫妻がお祖父様から取り戻した時には手遅れだったと言った意味がやっとわかった。
確かにヒーローのつらい過去というのは読者に憐憫の情を呼び起こし、同情とヒロインへの共感と今までの行動の免罪符としての役割を果たすものだけれど、今ここで語る?
ローブも半分はだけて、いろいろとあれなものが「コンニチワ」しちゃってる、この状況で。
「そうだ! これを忘れてた!」
ベッドの横のナイトテーブルからルシアンが何かを取り出す。
ロープ? 手錠?
何の変態小道具が飛び出てくるのかとどきどきする。
赤い蝋燭って普通の蠟燭よりも熱くないってほんと……いやいや、どんなものが出てきても、どんな顔で懇願されても、断固拒否よ!
「ほら、これ! ローリーは覚えてるかな?」
彼の掌にのっている小さなそれは、小粒の紙包みだった。
パステルカラーの緑に包まれた、よく知ったお菓子の店名が茶色で印字されている。
「それって、もしかして、あの時の……?」
「ローリーと結ばれたら、食べようと思ってたんだ」
幼い時、私が公園の隅で泣いていた彼に渡したチョコレートだ。
「……あなた、あれが私だって知ってたの?」
「ううん、最初は分からなかった。泣いて目が腫れてたから良く見えなかったんだ。でもにおいを覚えてたから。オーロラに会ったとき、少し同じにおいがした。ローリーも同じにおいがしたけど、最初はオーロラのが移ったんだと思ってた。2人はいつも一緒にいるでしょ。でもずっと何かが違う気がしてて。ローリーが火の中で助けに来てくれた時に気付いた。逆だったんだ。この子だって。ローリーがちゃんと嗅がせてくれなかったから、気が付くのが遅くてごめんね?」
そういえば、最初に会った時、お姉ちゃんの帽子をかぶっていたのを思い出した。
じゃあ、あの時点ですでに、お姉ちゃんをルシアンから守り切れていたんだ。
ずっと私はお姉ちゃんが狙われてると思って無駄なことをしていたわけだ。
前世に目覚めたその日に、監禁の未来は消えていた……。
あれだけぐずぐずに泣いていたのににおいをかぎつけるその嗅覚も驚異だけれど、何よりも今は、あっけない結末に思わず力が抜けた。
私、めちゃくちゃ頑張ってたのに……!!
「さすがにそれは捨てて……」
この世界に賞味期限だとか消費期限は存在しないけれど、10年前だ。
油脂分が変質してて絶対お腹を壊す。ただでさえ細いのに、これ以上青白さが加速したら気が気じゃない。
抗議する彼をなだめ、
「今度買ってくるから」
「ローリーが食べさせてくれる?」
「…………ちょっ、わかった! 食べさせてあげるから!」
返事をしないでいると、10年物のチョコを口にしようとしたので、慌てて約束する。
途端にルシアンが子犬のようにとびついてきた。
なんのことはない。
物語のヒロインのように檻も手錠もなくても、結局のところ私も彼につかまってしまったのだ。
小説のお姉ちゃん、作者さん、上から目線であんなこと言って本当にごめんなさい。私も同類でした。
私の心中など知らない彼が目を細めて笑う。顔が近づいてくる。
「じゃあ、10年我慢したんだから、まずは君を食べさせてね。大好きだよ。ローリー」