98:晴れやかな妹の姿
一月掛けてようやく皇都へ到着致しました。
以前『浄化石』設置のためにベリーたちと皇都へ旅しましたが、改めてあのときの旅がどれほど快適だったのかを痛感しました。
獣調教のセザール大神官がお育てになられた馬もすごかったですし、各地域に神殿があるので泊まるところを探す苦労がありませんでした。
そして大神殿の印がついた馬車を襲うような不信心者は非常に少ない上に多くの神殿騎士に守られていたので、山道や死角の多い道でも通ることが出来ましたから。近道が選べたのです。
ハクスリー公爵家の馬車は逆に狙われやすいので、遠回りでも人通りの多い街道を選ばなければなりません。
神殿騎士としてレオが馬で付いてきてくださいましたが、アーヴィンお兄様が連れてきた護衛の数は機動力を重視するために最小限の人数で、盗賊との戦闘にならないように多くの近道を回避しました。
その日泊まる宿も、先行する護衛たちに探してもらわなければならないので時間がかかります。
領主館や地主の家に泊まらせていただくこともありましたが、その度に社交をしなければならないので、休んだ気持ちになれませんでした。
本当に、快適で楽しかった大神殿の旅が懐かしいです。けれどあれはベリーの権力におんぶにだっこで実現した快適さだったので、慣れてしまってはいけないのですが。
だって慣れてしまったら、ベリー無しで旅に出るのが嫌になってしまいますもの。
皇都に着いたわたくしたちは、どこに寄るでもなくまっすぐにハクスリー公爵家へと向かいます。
貴族街一等地に建つ公爵家の屋敷は、三年前に訪れたときと特に変わった様子はありません。
ですが、迎えてくれる使用人たちの表情が少し陰っているように見えました。
「おかえりなさいませ、ペトラお嬢様。お元気そうでなによりですっ」
「無事なご様子で嬉しいですよ、お嬢様。少数しか護衛をつけられんなかったんで、精鋭を選んだ甲斐がありました」
律儀にも、リコリスとハンスが出迎えに混じっていました。
すでにベテランメイドの域にいるリコリスには、落ち着いた風格が漂っています。
護衛のハンスも年齢の分、目尻のシワが深くなっていましたが、その鍛え抜かれた分厚い筋肉からはまだまだ現役の護衛であることを周囲に知らしめていました。
「リコリス、ハンス、お久し振りですわ。護衛の皆さんには大変良くしていただきましたから、よく労ってあげてくださいませ。
あと、わたくしの騎士としてレオが同伴しておりますよ」
「まぁ、レオも本当に偉くなりましたねぇ」
「分かりました。時間があるときにでも酒で潰してやりますよ」
わたくし達が軽い挨拶を終えるのを待っていたアーヴィンお兄様が「ペトラ」とわたくしを呼びました。
「……シャルロッテのもとへ案内しよう。ハンス、護衛団のことは君に任せる。リコリスはペトラの滞在の準備を頼むよ」
「「はい、アーヴィン様」」
二人がお辞儀をし、それぞれの仕事へ立ち去っていきます。
わたくしはレオを伴い、アーヴィンお兄様の案内で屋敷の中へと入りました。
シャルロッテは居間におりました。
わたくし達の到着について先触れが出ていたので、父と義母もソファーに腰掛けてわたくし達を待っていました。
三人は今まで無言で待機していたのでしょう。部屋の空気は緊張感に溢れていて、壁際に立っている使用人たちも固い表情をしていました。
「ただいま戻りました、公爵閣下。ペトラを無事、大神殿より連れてまいりました」
「お久しぶりです、お父様」
アーヴィンお兄様と並んで父に挨拶をすれば、「うむ」と父が頷きます。
以前会った時よりも父の額が広くなった気がします。目の回りが落ち窪んだのは確実でした。
このままでは皇室との縁談が無くなってしまうことが、余程父を蝕んでいるようです。
「ペトラ、アーヴィンから話は聞いたと思う。シャルロッテに治癒を掛けてくれ。この子の目や耳がこのままでは、皇太子妃になることが出来ないのだ」
「お父様。トルヴェヌ神殿の治癒能力者からお聞きになったと思いますが、心理的要因からくる病は治癒出来ませんわ。わたくしがシャルロッテに治癒を掛けたとて……」
「いいから!! お前はシャルロッテに治癒を掛けろ!! グダグダ言うな、出来損ないがッッ!!!」
わたくしの周囲で、ガタッと物音がします。
アーヴィンお兄様とシャルロッテ、そしてレオが父の物言いに反応してしまったみたいです。
わたくしは三人になにも言わなくていいと伝えるために、父へ冷たい声で返しました。
「それがご命令なのでしたら、承りました、お父様」
わたくしがシャルロッテの前にしゃがむと、彼女は申し訳なさそうに微笑みました。
「おかえりなさいませ、ペトラお姉様。私のためにわざわざラズーからお呼びしてしまって、本当にごめんなさい……」
「ただいま、シャルロッテ。謝らなくてもいいのですよ? 妹のためですもの」
この屋敷に来たばかりのシャルロッテに、わたくしは冷たく接しました。そしてそのことを後悔し、その分優しい姉になると決めたのです。これはわたくしの独りよがりな罪滅ぼしの機会でした。
三年ぶりに会うシャルロッテは、随分健康そうでした。肌も髪も艶々で、頬も血色が良いです。
正直、婚約破談が間近なご令嬢らしい悲惨さは、見た目からはまったく分かりませんでした。父の方が失恋したての女子みたいです。ヒステリックですし。
「期待はしないでね、シャルロッテ。治る可能性はかなり低いですから」
父に聞こえないように小声で囁けば、シャルロッテは穏やかに頷きました。
「トルヴェヌ神殿の神官様からも同じ説明を受けました。期待はしていません。私は大丈夫です、ペトラお姉様」
彼女の心理的原因の方を聞き出したいのですが、この場では無理でしょう。
聞いたところで答えてくれるかも分かりませんが。
ただ、憑き物が落ちたように晴れやかに微笑む彼女は、すでにグレイソン皇太子殿下との恋が終わってしまったような雰囲気がありました。
前世でも見ました。『喧嘩ばっかりの彼氏と別れたから、すっきりした! これからは遊びまくるぞ!』と居酒屋で宣言していた、大学生時代の友達の姿と重なるような晴れやかさです。
いったいどうしてヒロインの貴女がそんな心境になってしまったのだろう、と思いつつ、わたくしは両手を翳します。
「では、治癒を掛けますわ。《High heal》!!!」
広い居間を光で塗りつぶすみたいに、金色の光が放たれます。
その強大な光はシャルロッテの体の中に一瞬で吸い込まれました。
治癒の光はすべてシャルロッテの中に消えましたが、治癒を完了した、という感じがしません。
やはり原因が精神的なものでは、治癒出来ないようです。
わたくしが自分の両手に視線を落としていると、父がソファーから立ち上がりました。
「よくやった、ペトラよ! これほどの治癒なら、シャルロッテの目も耳も治っているだろう! 今からシャルロッテを連れて皇城へ行くぞ!! グレイソン皇太子殿下にお会いしていただかなくては!!」
「お父様、シャルロッテは……」
「急いで支度をしろ!! メイドよ、シャルロッテを着替えさせろ!! 私も準備をするぞ!」
治癒は成功しなかったと伝える暇もなく、父は大声で使用人に指示を出しながら廊下へと出ていってしまいました。
シャルロッテもソファーから立ち上がります。
支度のために部屋へ戻る途中で、わたくしにこっそり声をかけてきました。
「ペトラお姉様、治癒をかけてくださり、本当にありがとうございました。これでお父様も諦めがつくと思います」
「シャルロッテ……」
自分の目や耳が治っていないことを、シャルロッテも予感しているのでしょう。
彼女は吹っ切れた様子で居間から出ていきました。
夜遅くに、父とシャルロッテは皇城から戻ってきましたーーー婚約白紙という結果を携えて。




