85:マルブランの冬(ベリスフォード視点)
西の領地マルブランに、朝夕となく雪が降り続く。
時には綿のように柔らかな雪がふわふわと天から降り、時には大粒の雪が強風とともに叩きつけるように降ってくる。
人々は一日中雪かきをして、建物が雪で潰れないように守っている。家の中では暖炉に火をつけ、その側に集まって内職をし、保存食を食べながら生活するらしい。だからこの地には独特の刺繍文化や編み物が有名なのだとか。ペトラへのお土産にしようと思っている。
とにかく、南のラズーとはまるで違う冬の生活だ。
晴れている日は少ないし、いつも空は暗くて、地面は雪で圧迫されている。
なんというか、閉塞感がものすごい。
「私、この地では暮らせそうにない……」
神殿の窓から雪に覆われた街を見下ろし、ポツリと呟く。
すると、暖炉の前で報告書を読んでいたセザールが笑った。
セザールは今まで私に報告書の書き方を教えてくれていて、試しに私が書いた報告書の添削をしていた。
「ベリーはマルブランの神殿にはやらないから、安心していいよ」
「じゃあどうして、神殿や領主からいろんな男の人を紹介されてるんだろう? この地に永住してほしいみたいに」
マルブランでの『豊穣石』設置後から、なぜか若い男性ばかり紹介されている。
十代後半から二十代、時には三十代の、家柄が良かったり、良い仕事に就いていたり、見目麗しい男を私の前に連れてきては、
『どうです、彼ならベリー見習い聖女様のお眼鏡にかないますでしょうか?』
と尋ねられる。
これはたぶんきっと、お見合いというやつだ。
「放っておいても平気だから。彼らももしかしてと思って会いに来るだけで、本当に君と結婚できるなんて思っていないだろう。ただ遠くから来た美しく才能溢れる若い女性を一目見たいという、ささやかな下心だよ。冬のマルブランでは娯楽が限られているからね」
「娯楽扱いされても困る」
本当はペトラにも一緒に来てほしい気持ちがあったけれど、そういう意味では連れてこなくて良かったと思った。
私は男の人と結婚することは出来ないけれど、ペトラは違うから。
……いつかペトラも誰かと結婚するのかな。
昔、2世が言ってたっけ。結婚とは一緒に生活を共にして、なんでも喋って良くて、喧嘩別れしなくても良くて、お互いに何かあったら一番に関わっても良い、みたいな感じのことを。どこまでも近付いて良いって、すごいことだと思う。
時々ペトラから離れたいと思っていた私だけれど、こうして実際にマルブランとラズーという距離を置くととても現金なもので、ペトラに会いたくてたまらなくなる。
今頃ペトラは何をしているのだろう。治癒棟の患者が減っているから、アンジーたちとのんびりお茶でもしているのかもしれない。レオの休憩に合わせてお喋りを楽しんでいるのかもしれない。
レオはいいなぁ。大好きなペトラと一緒に居られて。
もしかしたらペトラは、誰かと結婚したい時が来たら、レオを選ぶかもしれない。だってレオはペトラの身近にいる格好良い男の人の一人だ。
……羨ましい。自分でも驚くほど、レオに対する羨望の気持ちが込み上げてくる。
レオはペトラに男の人だと認識されていて、当然のようにペトラをエスコート出来て、格好良くて、ペトラが結婚相手を探したいときにその土俵に上がれるんだ。選択肢になれるのだ。
女の子として生活している私とは違って。
「……ベリー、急に黙りこんで何を考えているんだい? お茶が飲みたいならマシュリナに頼んできておいで。ついでに僕の分もお願い」
「違うよ、セザール。ペトラのことを考えていたんだよ」
「ああ、ハクスリーさんのことか」
私が言えば、セザールは眼鏡のつるを弄りながら顔を上げる。暖炉の炎が眼鏡のレンズに映っていて、その奥の黄緑色の瞳が私を観察するように見つめていた。
「彼女のどんなことを考えていたんだい?」
「……ペトラと結婚できる男の人が羨ましいなぁって」
「……なるほど。僕も歳を取ったものだね」
「どういう意味?」
「ベリーはもう、ただの年頃の青年になりつつあるということだよ。ああ、だから男性を紹介されるのが嫌だと言っていたんだね」
「私が?」
セザールに『青年』と言われて驚いた。
こんなふうに女の子の服を着せられ、女の子として生きるようにと言い含められて育った私が、そう呼ばれてもいいのだろうか。
だけどセザールは静かに笑う。
「君の心はもうすでに、自分の性別を選んでしまっている。……アスラー大神の愛し子の選択を、我々ただの凡人が押し止めることは決して出来ないよ」
セザールにそう言われて、私はようやく腑に落ちた。私のこれまでの心の動きを。
ああ、なんだ。私はすでに女の子としては生きられない状態だったのか。
私はペトラに会いたくてだんだん人間の領域で過ごす時間の方が多くなり、ペトラのお陰で人として生き直し、そしてペトラによっていつの間にか自らの性別を選択してしまっていた。
私はベリスフォードという名前の、ただの男になったのだ。




