7:ガキ大将
わたくしの治癒活動は貧民街に浸透し、そのうち周辺の平民達も治癒を受けたいと足を運んできてくれるようになりました。
どこの家に寝たきりの病人がいる、あっちの建設現場で怪我人が出た、商家の娘さんの腕に古い火傷の痕があるせいでなかなか婚約が決まらなくて困っている、などなど。
いろんなお話をいただき、治癒に出向くこともありました。
貧民街の方からは一銭もお金は頂きませんでしたけれど、平民の方からはきちんとお金を受け取るようにしました。
そうしないと神殿で治癒能力者としてきちんと働いている神官や聖女が困るからです。
同じサービスを無料で受けられるなら、そちらに流れていってしまうのが人間ですからね。神官たちの仕事を奪わないためにも、きちんとお金を受け取りました。
『凄腕の治癒能力者がいる』
『どこかのご令嬢で、貧民街で治癒しているらしい』
『そのご令嬢はまだ幼いのに、難しい病気も古傷も治癒できるそうだ』
そんな噂が貧民街から平民街へ、そして貴族のあいだでも囁かれるようになりました。
この調子で神殿にわたくしの噂が届き、トントン拍子で引き抜きに来て下さらないかしら、と夢想する日々でした。
▽
その日はちょうど貧民街の、“広場”と呼ばれている何もない空き地にテントを張り、仮設の診療所を作って近隣からやって来る人々の治癒をしておりました。
リコリスが用意してくださった椅子に座り、目の前の患者一人一人に治癒能力をかけていきます。
最近では、軽い症状の方なら百人治癒してもまだまだ元気という感じでした。
次にやって来た患者はマリリンさんでした。
「こんにちは、マリリンさん、ケントくん、ナナリーちゃん。今日はどこの調子がお悪いのですか?」
「こんにちは、お嬢さん。今日は患者として来たんじゃないよ。あんたにお裾分けを持ってきたのさ。……ほら、お前たち」
マリリンさんの後ろから、お孫さんのケントくんとナナリーちゃんが小さな木箱を抱えて現れました。
「みてみて、おねえちゃん。りっぱでしょう」
「ぼくたち三人で作ったんだ。庭の畑で」
ケントくんとナナリーちゃんが見せてくれたのは、太く立派な二本のサツマイモでした。
土がついたままですが、紫色の皮がとても綺麗です。
庭の畑とは、あのドブ川の周辺かしら……という考えが一瞬わたくしの頭をよぎりましたが、すぐに首を横に振って抹消しました。
「お嬢さんから貰った苗でね、こんなに立派なもんが出来たから。この子達が『お裾分けしたい』って言って聞かなくてねぇ、参ったよ」
「え? でも、おばあちゃんが……」
「おばあちゃんが一番さいしょに『おじょーさんに、』……」
マリリンさんが皺だらけの両手で二人の口を押さえたので、その先の言葉は聞き取れませんでした。
平民の方から治癒費を頂くようになって、わたくしはその使い道に悩みました。だって公爵令嬢ですもの。お金には困っていないのです。
ただ貯めておいても良いのですけれど……。それならば貧民街の方々のために使いたいと考えました。
わたくしが稼いだお金をそのまま渡しても、貧民街の方々の根本的な貧困問題は解決しません。
老子曰く『授人以魚 不如授人以漁』です。
魚を与えれば一日で食べてしまうけれど、漁のやり方を教えれば一生食べていけるという考え方です。
一度試してみる価値はあるのでは? と、わたくしは思い、貧民街の方に野菜の苗や種を与え、畑の作り方を教えてくれる方に先生をお願いしたのです。
マリリンさんたちはその成果をわたくしにお裾分けに来てくださったというわけです。
なんて素晴らしいことでしょう。
他にもマリリンさんたちのように野菜の成果を見せてくださる方もいらっしゃいましたし、いつもわたくしの前に現れるガキ大将たちは、収穫できた野菜を平民街で売りに出しているようです。ぜひこのまま頑張ってほしいですわ。
……一部の方は、野菜の苗も貸し出した鍬も全部売り払ってしまいましたけれど。
怠惰な性質によっての貧困には、わたくしも流石に手の差し伸べようがありません。
「ありがとうございます、マリリンさん、ケントくん、ナナリーちゃん。美味しく食べさせていただきますわね」
「うん! たべてね!」
「つぎは大根が収穫できそうなんだ。そしたらまた持ってくるね」
「うふふ、楽しみにしていますわ」
「ふんっ。たくさん収穫出来たらの話だよ。あたしたちも食べていかなくちゃならないんでねぇ?」
「もちろんですわ、マリリンさん。ご自分たちを優先なさってくださいね」
そうやって和やかに話していると、通りの奥から大声が聞こえてきました。
「助けて! 助けてくれ、オジョーサマ! お願いだよぉ!」
「兄貴がっ! 兄貴が大通りで馬車に轢かれちまった!!!! 血が大量に出ててっ、あしっ、足が……っ!!! 早く来てくれよ……!」
いつもガキ大将と一緒にいる取り巻きの二人が、泣きながらわたくしのところへ駆けてきます。
彼らが兄貴と呼んでいるのは、きっとあのガキ大将のことでしょう。
「場所はどこですか!?」
「こっから平民街に行く大通りの方だよ……! 俺たち、野菜を売りに行こうと思って……そしたら、横から急に馬車が……!!」
「お嬢さん! 大通りに行くんなら、そこの狭い路地が近道だよ! あんたの馬車で大通りに出るよりずっと早く辿り着くよ!」
マリリンさんの助言に、わたくしはすぐさまハンスに視線を向けました。
「ハンス! わたくしを抱えて事故現場まで走ってくださいませ! わたくしが走るよりずっと早いですからっ」
「了解ですよ、ペトラお嬢様! お任せください!」
ハンスはわたくしを抱えあげると、四十代近いとは思えぬ脚力で狭い路地を走り抜けました。
メイドのリコリスや、ガキ大将の取り巻きたちが後ろから追ってくるのが見えましたが、ぐんぐん彼らを引き離していきます。
マリリンさんの言う通り狭い路地を抜ければすぐに大通りが見えてきました。
そして横転した馬車と、たくさんの人だかりが見えてきます。
ハンスが叫びました。
「どいてくれ!! どいてくれっ!!! 治癒能力者を連れて来たんだ!! 怪我人のもとへ通らせてくれ!!!!」
怪我人を取り囲んでいた人々が、ハンスの言葉を聞いて次々に道を開けてくれます。
そしてその輪の中央に、血塗れで横たわるガキ大将の姿がありました。
彼の側には、取り巻きの一人が泣いて座り込んでいます。
「おっ、オジョーサマぁぁぁ、兄貴が……! 兄貴がぁぁぁ……!」
「ええ、もう大丈夫ですわ。わたくしが治療しますから……」
ガキ大将は……酷い状態でした。
えぐれた腹部から破裂した臓器が見え、足の一部が欠損していました。
おびただしい血の量から考えても、即死しなかったことが不思議なくらいです。
ガキ大将の顔は黄土色になり、微かに喉の奥からひゅぅひゅぅと呼吸する音が聞こえていました。
わたくしは頭が真っ白になっていました。
ここまで酷い怪我人を見たのは初めてだったのです。
なにも考えられず、体が震えます。
どうしてこの状態で自分の両腕がちゃんとガキ大将の上に翳されているのか分からなくなるくらい、思考と動作が噛み合いません。
目の前に迫った死が恐ろしくて、震えて、心臓がバクバク高鳴って、息苦しくて、わたくしはただ無我夢中で叫びました。
「《High heal》!!!!」
火事場の馬鹿力と言えば良いのでしょうか、リミッターが外れたような光が現れ、ガキ大将の体を包み込みます。
まばゆい光に包まれた彼の体は、治癒というよりもはや再生でした。
破裂した臓器も骨も筋肉も皮膚もみるみるうちに元に戻り、欠損した足すら新しく生え替わりました。輸血したわけでもないのにガキ大将の顔色が戻ってきたので、血液も生成されたのでしょう。
自分のしでかしたことの大きさに、わたくしは言葉も出ずにガキ大将を見下ろしました。
ガキ大将がゆっくりと目を開きます。
青みがかった黒い瞳が、呆然とわたくしを見上げました。
「……あんた、本当にすげーな……」
ぽろりとガキ大将の目から涙が零れました。
こうして近くで見ると、彼は結構な美少年だったのだなと、わたくしは至極どうでもいいことを思いました。
「俺を……生かしてくれて、ありがとう、オジョーサマ」
「……どういたしまして」
わたくしは呆然としたまま、動かない口でどうにか返事をします。
するとようやく彼が本当に助かったのだという実感が沸いてきて、わたくしの目からも涙が溢れました。
「なんでオジョーサマが、泣くんだよ……」
ガキ大将は苦笑するように言いました。
「あなたを……助けられて、嬉しいのです」
「ほんと、変なオジョーサマだなぁ」
追い付いた取り巻きたちも、ガキ大将に駆け寄ってわんわん泣いています。
リコリスとハンスが、座り込んだまま泣くわたくしの身を心配して、寄り添ってくれます。
観衆たちが「いやぁ、すごかった! 足まで生やしちまうとは、このお嬢さんは聖女様、いや大聖女様にもなれるのでは!?」「未来の聖女様、ばんざーい!」「ばんざーい!」と興奮に沸いています。
この日の出来事はたくさんの人々に目撃され、井戸端やお茶の間で話題にされました。
そして数週間後。
ついに、ハクスリー公爵家に神殿からの使者がやって来ることになったのです。