78:母の墓参り
ハクスリー公爵家を辞したあと、わたくしはベリーと共に、母の墓参りに行くことにしました。
アンジー様も墓参りに付いてきてくださる予定だったのですが、セザール大神官から連絡用クリスタルで呼び出され、「貧民街で何か想定外のことが起こったみたい。ちょっと確認に行ってくるねー」と、トルヴェヌ神殿へ戻られました。
貧民街でいったいなにが起きたのでしょう?
レオたち神殿騎士の皆さんがついているから、危険なことはないと思うのですが……。
というわけで、わたくしとベリーの二人で馬車に乗って、貴族街の墓地へと向かいます。もちろん騎士の方々も一緒なので安心です。
途中で花屋に寄って花束を購入し、墓地へ進みました。
墓地は貴族街の中でも特に木々の多い場所にあり、墓守りがきちんと管理してくださっているせいか、森林公園と見間違えるほど綺麗な場所です。
馬車から降りたとたん、頭上を覆う広葉樹の枝から鳥達の囀りが聞こえてきました。
「ベリー、足元に砂利が多いので気を付けてくださいね」
「うん。ありがとう」
ベリーはいつの間にか、被ってきたヴェールを外していました。素顔を確かめるように頬や額を撫で、「はー、邪魔だった」と肩の力を抜きます。
「でしたら公爵家でも、ヴェールを脱げばよろしかったのに」
わたくしは首を傾げましたが、ベリーは曖昧に笑うだけで答えませんでした。
母のお墓に向かう前に、墓地の入り口に掘られた井戸から水を汲み上げます。護衛騎士の方々が『神託の見習い聖女様と公爵令嬢にそんな重労働をさせるわけには』という様子で水汲みを代わろうとしてくださいましたが、ベリーが断りました。
わたくしよりもずっと力のあるベリーがポイっとバケツを井戸に落とし、するするとロープを引いて水を汲んでくださいます。墓守りからお借りした別の小さなバケツに移し、それもベリーが運んでくださることになりました。
「ありがとうございます、ベリー。重くなったらすぐに交代しますから、言ってくださいね」
「私はペトラよりずっと力持ちだから大丈夫だよ。もしかしたらペトラのことだって、持ち上げられるかもしれない」
「それはすごいですわね」
誰得なのでしょう、それ。
むしろ、ベリーをお姫様だっこで運びたい殿方が掃いて棄てるほどいそうですけど。
大神殿内にベリーのかなり熱烈なファンが多数居ることを把握しているわたくしです。
ベリーが水を持ち、わたくしが花束を両手で抱えて、墓地の小道を進みました。
砂利の多い小道は少々歩きづらいですが、それ以外は森林公園のように整備されていて綺麗な場所です。サルスベリが小道の両脇にずらりと並んで花を咲かせ、その向こうには芝生で出来た広場のような空間が続いています。ここが墓地でなかったらピクニックでもしたいくらい気持ちの良い場所です。
時おりハーデンベルギアが並んで植えられていたり、花壇があったり、他家のお墓が現れたりします。
貴族のお墓はその一族の力を表すかのように大きく精巧で、こういうアート作品をわざわざ見に来た気分になりました。
「こちらの小道の先が、母のお墓です」
正確に言うと、ハクスリー公爵家本家のお墓です。
石造りのお墓は平屋のように大きく、中にある石室のどこかに、一族の棺桶と一緒に母の棺桶が納められています。アスラダ皇国風の古墳ですわね。
墓守りが常に手入れしてくださるお陰で、周囲にはゴミも雑草もありませんでした。
わたくしはお墓に造り付けられた花立てに花束を活け、ベリーに運んでいただいた水を注ぎました。置かれたままの杯にも水を注いで並べます。
「(お久しぶりです、お母様)」
お墓の前に立ち、祈りの形に両手を組み、母に挨拶します。
最後にここへ来たのはわたくしがラズーに旅立つ前だったので、実に六年ぶりです。
六年間にあったことを胸の内で報告していると、時間はあっという間に過ぎてしまいました。
ベリーを長く待たせてしまったことを思い出したわたくしは、慌てて彼女の方に振り向きました。きっと退屈させてしまったに違いありません。
ベリーはわたくしの半歩後ろで、目を瞑り、静かに祈っていました。
彼女の長く赤い睫毛が扇状に広がり、頬に影を落としています。墓地という静謐な場で祈りを捧げる彼女は、息を飲むほど美しく、声をかけるのを躊躇うほどでした。
なぜ彼女がハクスリー家の墓に手を合わせてくれるのかわかりませんが、邪魔はしたくないと思いました。
そうやってわたくしが息を殺していると、ベリーの瞳がパチリと開きます。青紫色の瞳が陽光に照らされてキラキラと輝きました。
「あれ、ペトラはもうお祈りはいいの?」
「え、……ええ。母への挨拶は済みましたわ」
「じゃあ、神殿に戻ろっか」
空のバケツを拾い上げるベリーに、わたくしはようやく聞きたかったことを尋ねます。
「ベリーは我が家の墓に手を合わせて、なにをお話ししていたのですか?」
「んー……」
ベリーはハクスリー家の墓を見上げ、「お礼」とぽつりと言いました。
「ペトラのお母さんに、ペトラを生んでくれてありがとうって伝えたんだ。ペトラを私の人生に与えてくれて、ありがとうって」
「ベリー……」
公爵家でアーヴィンお兄様の報われぬ恋を知ってしまったせいで落ち込んでいた気持ちが、ベリーの言葉で浮上します。
シナリオ通りに生きるのがこの乙女ゲームの世界での正しい道だとしても、平穏を求めて逃げた不正解の道でしか、わたくしはこの子に出会えませんでした。
悪役令嬢ペトラはエンディング後は治癒棟に幽閉されて、外に出られなかったのですから。ベリーには遭遇できないのです。
この不正解の道を選んだわたくしを、ベリーが肯定してくれている。
そう思うだけで胸がいっぱいになりました。
「……わたくしもいつかベリーのお母様にお伝えしたいですわ。ベリーを生んでくださり、ベリーと出会わせてくださった感謝の気持ちを」
嬉しい気持ちのまま口を開けば、わたくしは本当にうっかり、失言してしまいました。
ベリーの家族については上層部が長年秘匿していて、わたくしも未だに知りません。ベリー自身がご自分の家族についてどんな感情を持っているのかも分かりません。
そんなタブーに、わたくしはうっかり触れてしまいました。
思わず口を両手で覆い、「いえ、あの、」と呻くように呟いてしまいます。
ベリーはそんな挙動不審なわたくしを静かな瞳で見下ろしていました。
「私のお母さんに? お墓なら大神殿にあるよ。今度案内してあげるね」
ごくごく普通に、ベリーが言いました。
ベリーのお母さんがすでに亡くなっていることに反応すればいいのか、そもそも上層部に口止めされているであろう情報を喋ってしまう彼女の口を閉ざした方がいいのか、もう、わかりません。
冷や汗がダラダラと、額からこめかみへと流れるのを感じます。
「あ、でも、トルヴェヌ神殿に肖像画があるかもしれない。前の神託の聖女だったから」
「……ウェルザ大聖女様ですね……」
「あ、ペトラも知ってるんだ」
「……皇国中が知っておりますわ」
「ふぅーん」
彼女の口から出てきた大物の名前に、わたくしは頭を抱えました。
そして頭の片隅で、ベリーの家族について真しやかに流れていた噂のすべてが全部嘘だったことに戦慄しました。
確か、田舎にベリーの両親が住んでいるとか、家族とは死別していて大神殿が引き取ったとか、色々あった気がしますけど。そもそもウェルザ様は大神殿の人間じゃないですか。絶対に上層部の情報操作が入っています。
せめて今のこの会話が護衛の騎士に聞こえていませんようにと、わたくしは願いました。




