77:悪役令嬢の居ない公爵家
中庭にある硝子張りの温室では、シャルロッテがちょうどお花に水をやっているところでした。
「皆様、お茶の準備が出来ていますよっ」
ブリキ製の如雨露を片付けたシャルロッテが、温室の中心に用意されたテーブルへとわたくし達を案内してくださいます。
わたくしとベリー、アンジー様、向かい側にシャルロッテとアーヴィンお兄様という配置で椅子に座れば、シャルロッテ付きのメイドが紅茶を運んできました。
「最近皇都では、紅茶にフレーバーシロップを入れるのが流行りなんですよ。いろんなシロップを取り揃えてみたので、お好みの物を選んでみてください」
シャルロッテが用意してくださったフレーバーシロップは、薔薇やすみれやラベンダーといった花のシロップや、バニラや苺などの王道のシロップなど様々でした。瓶に詰められたシロップは色も赤やピンクや紫と目に鮮やかで、ちょっと香水を選んでいるような気分になります。
わたくしが選んだのはラベンダーで、一口飲むと鼻から花の香りがふわりと抜けて、とても優雅な味わいでした。
「わぁ~、バニラシロップも美味しいですね。公爵閣下と戦ってた時も紅茶を頂いたけれど全然味わえなかったので、余計に美味しいです」
「お茶菓子も美味しいですね。これ、以前ペトラさんが『マカロン』と言うのだと教えてくれました」
アンジー様(よそ行きバージョン)が感想を言い、ベリー(〃)も相槌を打ちます。
正直、どなたですか!? ってツッコミたいくらいのキャラ変です。
「ペトラお姉様の上司様と同僚様にお会いできて嬉しいですっ。ぜひ大神殿でのペトラお姉様のお話を聞かせてください!」
「うん、僕もぜひ聞きたいですね」
シャルロッテとアーヴィンお兄様がそう言うと、先程父に対して怒っていたアンジー様が、その鬱憤を晴らすように喋り出しました。
聞いているわたくしの方が恥ずかしいほどの賛辞の連発です。
「あ、あのっ、アンジー様、わたくしの話はそれくらいで……」
「なにを仰るんですか、ペトラさん。まだ序の口ですのよ、おほほほほ。どうです、ベリーさんも?」
副音声がすごすぎるアンジー様の言葉に促され、ベリーも参戦しました。
「ペトラさんには小さい頃からお世話になっています。ペトラさんはいつも優しくて、真面目で、私ににこにこ笑いかけてくれて、好きです。一生、大好きです」
ベリー、それはただの告白ですわよ?
敬語を使っていても、話す内容はいつものベリーですわね……。
ベリーの言葉を聞いたシャルロッテとアーヴィンお兄様は、和んだように微笑みました。
「わかります、ベリー様。私もペトラお姉様が大好きですっ」
「ペトラのことをこんなに慕っていただけて、兄として嬉しい限りです」
お茶会改めわたくしの褒め殺し会は長々と続き、気が付けば昼食まで五人でいただきました。
忙しいアーヴィンお兄様がいよいよ執務に戻らなくてはならない時間になって、ようやくお開きになります。
「ああ、そうだ、ペトラ」
アーヴィンお兄様が温室から出る前に、声をかけてきました。
「どうか致しましたか、アーヴィンお兄様?」
「シャルロッテに治癒を掛けてやってくれないか? 最近疲れているみたいでね」
「まぁ、それは大変ですわ」
アーヴィンお兄様の言葉に、シャルロッテが銀色の瞳をまるくします。
「アーヴィンお兄様!? 急になにをおっしゃるんですか!?」
「だけど事実だろう。皇城にあがる度、疲れきった顔をして帰ってくるじゃないか」
「それは……っ、后教育が難しくて……っ。……私が至らないだけなのです。ペトラお姉様にご迷惑をかけるわけにはいきません」
「妹に治癒を掛けることを迷惑だと思うような子ではないよ、ペトラは。そうだろう、ペトラ?」
「はい、アーヴィンお兄様。シャルロッテ、すぐに済むから気にしなくていいのですよ?」
年齢とともに、治癒能力もうんと向上しています。シャルロッテの疲労回復くらい、なんでもありません。
もちろん今まで蓄積されていた疲労が取れるだけなので、一時的な効果しかありませんが。
「こちらにいらっしゃい、シャルロッテ」
「……はい、ペトラお姉様」
わたくしの前にやって来たシャルロッテの顔を見れば、少し肌が荒れているかな? 程度にしか見えませんけれど。
ずっと一緒に暮らしているアーヴィンお兄様だからこそ分かる変化があるのかもしれません。
「《Heal》」
パッと小さく金色の光が手のひらから現れ、シャルロッテの体内に吸収されたところで、治癒完了です。
「……ね? すぐに済んだでしょう?」
「ありがとうございました、ペトラお姉様……。すごく元気になりました」
「シャルロッテ、自分の心と体を労る時間を出来るだけ作ってね。あまり溜め込んでは毒ですから」
「……はい」
離れたところで見ていたアーヴィンお兄様が「良かったね、シャルロッテ」と柔らかく微笑みました。
アーヴィンお兄様のその笑顔に、わたくしは既視感を感じました。
……ああ、そうです。乙女ゲーム『きみとハーデンベルギアの恋を』の中の、義兄アーヴィンルートで彼がヒロイン・シャルロッテに見せていたのと同じ微笑みです。
わたくしの中に衝撃が走りました。
そうか、そうだったのですか、お兄様……。
攻略対象者の一人である貴方が、シャルロッテに惹かれないはずがないですものね。
けれどシャルロッテはすでに、攻略対象者グレイソン皇太子殿下と婚約しています。もうどうしたって覆ることはないでしょう。
……わたくしが悪役令嬢としてシナリオ通りに動いていたら、アーヴィンお兄様の想いが報われるルートもあったのですが。
自分がシナリオから外れたことで起こる変化に、悪いものがあったことに初めて気付いてしまいました。
謝ってもどうしようもないことですし、誰かが悲しい思いをするからと言って悪役令嬢のシナリオを全うすることが出来たのかと問われれば、それは無理だったとしか答えられません。
わたくしはわたくしが可愛かったのです。公爵家に残って、心を磨り減らしたくなかったのです。
けれど自己中心的になりきれない心の部分が痛みました。
アーヴィンお兄様がシャルロッテを見つめる横顔から、わたくしはそっと目を逸らしました。
▽
ハクスリー公爵家から去る前に、わたくしの部屋を覗きました。
「へぇ~、ここがペトラちゃんのお部屋? ラベンダーとピンクと水色の三色で纏まっててかわいーいー! 小さなお姫様のお部屋って感じだね~」
「今のペトラの部屋とは全然趣味が違ったんだね」
人目がなくなった途端、いつもの口調に戻るアンジー様とベリーです。
二人もわたくしの後から部屋に入りました。
定期的に掃除と換気がされたわたくしの部屋は、八歳の頃のままでした。
子供用の天蓋付きベッドに、子供用のチェスト。椅子や化粧台も子供向けに小さいものです。ぬいぐるみや人形、絵本に童話、あの頃学んでいた子供向けの教科書。クローゼットの中に並んでいるドレスもどれも小さくて、もう着ることは出来ません。
いずれ貴族籍から抜けるときに処分しなければと思っていましたが、例え今すぐに全てを破棄したとしても、この胸は痛まないだろうなと、わたくしは思いました。
貴族令嬢の生活に本当に未練がないか、それが知りたくて部屋を覗いたのですけど。自分の部屋を見てもなにも思いません。
むしろ早く大神殿の自室に戻りたいなぁと思うくらいです。アーヴィンお兄様の件で、ますますここに居るのが苦しいです。
「あ、これって小さな頃のペトラの肖像画?」
「隣の女性はペトラちゃんのお母さんかな? 髪と瞳の色は違うけど、顔はかなりそっくりだねぇ。ペトラちゃんはお母さん似の美人さんだったんだね~」
二人が見ていたのは、わりと小さいサイズの肖像画です。
わたくしが五歳か六歳の頃に描かれたもので、母の最後の肖像画でもありました。
……これだけは、捨てないでおこうかしら。
前世の記憶がある身としては、どうせ形ある物なんてあの世には持っていけないという気持ちが大きいのですけれど。
その肖像画は、まだこれから先の人生(長いのか短いのかはわかりませんが)に持っていてもいいかな、という気持ちになりました。
「……これ、大神殿に持ち帰ろうと思いますわ」
「いいねいいね、ペトラちゃんのお母さんもきっと喜ぶよ~」
「小さなペトラが大神殿でも見られるのは、私も嬉しい」
最後にメイドのリコリスとハンスへ会いに行って、「レオが神殿騎士団に入団しましたよ」と伝えておきました。時間を見つけて会いに来るとレオが話していたので、そのことも。
リコリスとハンスだけではなく護衛団の方々や使用人達も大喜びしていたので、レオがずいぶんハクスリー公爵家に馴染んでいたことを理解しました。
愛されっ子ですね、レオ。




