76:ハクスリー公爵VSアンジー
皇都での滞在先は、貴族街にあるトルヴェヌ神殿です。
ここはラズー大神殿の敷地面積の半分もない支部ですが、皇都の中にある神殿のなかでは一番大きく、紅色花崗岩を使って作られたために薄桃色のメルヘンチックな神殿です。場所柄、皇族や貴族がもっとも多く参拝し、式典や公務にも使用されています。
わたくしも皇都に暮らしていた頃、洗礼を受けたのはこのトルヴェヌ神殿でしたし、母の葬儀が行われたのもこの場所でした。
トルヴェヌ神殿にわたくし達が到着したのは、お昼過ぎ。神殿の方々にあたたかく迎えられ、それぞれ滞在する部屋へと案内されました。
ベリーとセザール大神官は特別室へ、アンジー様は聖女用の客室へ。
わたくしが案内されたのは見習い用の小さな客室でしたが、磨き抜かれた床や家具が艶々と輝き、ハーデンベルギアを活けた可愛らしい花瓶が出迎えてくれました。パッチワークのベッドカバーなども温かみがあって嬉しいです。
その日はそのままトルヴェヌ神殿で旅の疲れを癒しました。
▽
翌日、さっそく貧民街へ『浄化石』の設置に……! と行きたいところなのですが、まずは神殿騎士団による現地調査です。
レオから聞き出した情報も有用ですが、やはり実際に確認をして万全の用意をしなければ、ベリーやセザール大神官を連れて行くことが出来ません。
というわけで、レオ達が頑張っているあいだ暇なわたくしとベリー、アンジー様は、ハクスリー公爵家に顔を出すことにしました(ちなみにマシュリナさんはベリーが過ごしやすく滞在できるように神殿の特別室を整え中で、セザール大神官はご自分の馬たちの世話をするそうです)。
ハクスリー公爵家は貴族街の一等地にあり、トルヴェヌ神殿からもほど近い場所にあります。ラズーのお土産を馬車に詰め込んで公爵家に向かえば、三十分もしないうちに到着しました。
「うわぁぁ~……、ペトラちゃんのご実家ヤバい。なにこのお屋敷、美術館!? 歌劇場!? ペトラちゃんは本当にお姫様だった……」
「ここでペトラは生まれ育ったんだね」
アンジー様が馬車の窓にへばりつき、本日はヴェール着用のベリーが公爵家の建物を見上げながら言います。
「お二人ともようこそ我がハクスリー公爵家へ、……と言いたいところですけれど。もう六年も暮らしていないと、自分の家というより親戚の家みたいな気持ちになりますわねぇ」
わたくしの部屋はまだ残っているはずなのですが、とても遠い場所に感じます。
見習い聖女から聖女へ位が上がるときに貴族籍から抜けるので、そのときは実家にあるわたくしの私物はすべて処分しなければならないだろうな、とぼんやり思いました。そのときが来たら、ハクスリー家に対する帰属意識すらなくなって、ただ昔住んでいた場所という懐かしさだけが残るのでしょうか。
神殿の馬車が、玄関前のロータリーで止まりました。
御者が開けてくださった扉から降りると、贅を凝らしたハクスリー公爵家の大きな屋敷が目に飛び込んできます。
玄関前には、わたくしの帰宅の連絡を受け取った執事や使用人達がずらりと並んでいました。
その中にはメイドのリコリスや護衛のハンスも居て真面目な表情を作っていましたが、彼らの瞳には『おかえりなさい』の優しさが滲んでいました。
そして一番目立つところに、シャルロッテとアーヴィンお兄様、お義母様の三人がいらっしゃいます。
「おかえりなさいませ、ペトラお姉様!!」
「おかえり、ペトラ。そして大神殿の方々、ようこそハクスリー公爵家にいらっしゃいました。僕はペトラの義兄のアーヴィンです。皆様を心より歓迎致します」
シャルロッテがキラキラした笑顔を浮かべてわたくしのもとまでやって来て、アーヴィンお兄様はそんな義妹に苦笑を浮かべながら、客人にフォローを入れました。
シャルロッテは〝やってしまった〟という顔になり、慌ててベリーとアンジー様に「いらっしゃいませ、お客様」と挨拶をしました。
お義母様も「ようこそハクスリー家へ」と穏やかな微笑みを浮かべて礼をします。
「お初にお目にかかります、ハクスリー公爵家の皆様。私、大神殿所属の聖女アンジーです。ペトラさんの上司です」
「同じく大神殿所属の見習い聖女、ベリーです。ペトラさんには大変お世話になっています」
アンジー様とベリーがまるでごく普通の社会人みたいな挨拶をするのを、わたくしは内心ものすごい衝撃を受けながら見守りました。
ラズー領主様(皇族)相手でも、必要とあらば戦うあのアンジー様が……。
上層部にも敬語を使わないベリーが……。
TPOを守っているだなんて……!
旅では同行者の意外な一面が見えてきたりするものですが、今一番びっくりしています、わたくし。
わたくしの驚きが伝わったのでしょう。ベリーとアンジー様がこちらを見て、『これくらい出来るよ☆』と言うように二人同時にニンマリと笑いました。
ベリーはヴェールを被っていますが、口許だけは見えているので唇が美しい弧を描いています。
「公爵閣下が中でお待ちです。僕が案内しましょう」
アーヴィンお兄様にそう促されて、わたくしたちは屋敷内へと入りました。
父は執務室で書類仕事の真っ最中でした。
執務室に入ったのはアーヴィンお兄様とわたくし、ベリーとアンジー様の四人で、シャルロッテとお義母様は入室されませんでした。
アーヴィンお兄様が執務室にある応接セットへ、わたくし達を座るように促し、紅茶を準備するようメイドに申し付けます。そこでようやく父が書類を置いて立ち上がり、ソファーの方へとやって来て腰を下ろしました。
「ただいま戻りました、お父様」
わたくしが一応帰宅の挨拶をすれば、父は無感情な銀色の瞳で「そうか」と答えます。
これが六年ぶりに会う実の親子の会話なのですから、お互い相当冷めきっておりますね。父などもうどうでもいいですけど。
父はアンジー様とベリーを見比べ、アンジー様に視線を向けました。
おおかた、少女のベリーと会話をしても時間の無駄だと判断したのでしょう。ヴェールで表情が読めないことも理由かもしれません。
「遠い所からようこそ、大神殿の方々。あなたのお名前を伺っても?」
「初めまして、ハクスリー公爵閣下。私はアンジー聖女です。ペトラさんの上司をしております」
「ご出身は貴族でしょうか、平民でしょうか? 聖女としての功績もお聞かせ願いたい」
父はアンジー様が使えるツテかどうかを、根掘り葉掘り調べる気のようです。
アンジー様に対してあまりに失礼な態度ですし、他人を自己中心的に推し量る父が恥ずかしくてたまりません。
アーヴィンお兄様も同じ気持ちだったのでしょう。わたくしが「お父様!」と声をあげるのと同時に、アーヴィンお兄様も「閣下!」と声をあげました。
「お前たちは黙っていなさい」
父が冷たい銀の瞳で一喝します。
「本来ならばお前は、皇族や高位貴族の方々と縁を繋ぐために生まれ、育て上げられるはずだったのだ。それを大神殿は、その権力を翳してお前を取り上げた。このままでは我がハクスリー公爵家の損失だ」
「シャルロッテがグレイソン皇太子殿下と婚約いたしました。それだけで我が家にとっては充分ではありませんか、お父様!」
「充分なものか」
父は吐き捨てるように言いました。
「シャルロッテがグレイソン皇太子に嫁いだのなら、お前は別の高位貴族に嫁ぐことが出来たのだぞ。それこそ皇族のパーシバル2世様でも、3世様でも。ドゥラノワ辺境伯爵家の未婚のご子息に嫁がせても良かったのだ」
2世様と3世様とはこのまま友達付き合いがいいですし、ドゥラノワ家なんてモニカ様のお家じゃないですか。
モニカ様と姉妹になるのはちょっと……アレと言いますか……。
「我が家の手駒を取り上げられたのだ。大神殿側からの見返りを望んで何が悪い?
さて、大神殿の聖女様、我が家がほしいのは人脈です。あなたがどれほどハクスリー公爵家へ利を示してくれるのか、お聞かせ願おう?」
酷薄に笑う父に、アンジー様が不敵に笑いました。
「受けて立ちましょう、ハクスリー公爵閣下!」
「……ほぉ。若さゆえの勇ましさですかな、聖女様。ご立派なものだ」
「元平民、現在大神殿所属の聖女アンジー、歳は今年で四十七歳、数々の修羅場を潜り抜けてきたこの私がお相手いたしましょう!」
アンジー様の年齢のところで、父が紅茶を吹き出しました。
ちなみにわたくしは父が二十歳の頃の子供なので、父は現在三十四歳。アンジー様よりも年下です。
父はなんとか動揺を抑え、アンジー様がどれほどの人脈をお持ちかを測るために数々の質問を投げ掛けていきました。
対するアンジー様、担当している患者の個人情報をどんどん暴露していきます。
アスラダ皇国に個人情報保護法なんてありませんけど、いいのでしょうか、そんな話をしても……。
え? あの薄毛に悩んでよく治癒棟にいらっしゃるあのおじいさまは、前々宰相様だったのですか?
何度も水虫を再発されるあの寡黙な殿方は、財務省の幹部……!?
うそっ、いつも手作りパウンドケーキを手土産に持ってきてくださる優しいご婦人(四十肩)は、大陸でも有数の武器商人の奥様でしたの……!?
……驚愕の情報ばかりでした。
「おおっと、公爵閣下、これ以上の手札はまだお見せ致しませんよ? 全ての札を盤上に広げるのはつまらないですからねぇ」
「くッ……! 分かりました。ここまででいいでしょう。アンジー聖女様、あなたが本当に素晴らしい御人であることは理解致しました。改めて、これからも我がハクスリー公爵家と懇意にしていただきたい」
「分かってくださればいいのですよ、分かってくださればねぇ……! ふはははは!」
ついにアンジー様は父に『使えるツテ』認定を受け、父からの握手を勝ち取りました。
その認定自体がすごく失礼なもので、本当に申し訳ありません……。
父が本当に恥ずかしい……。
「では、私の話はこれで一区切りということで。次は御息女ペトラさんの治癒棟でのご活躍について……」
「アンジー聖女様、すまないがそろそろ時間だ。私も忙しい身でね、ペトラのことはアーヴィンにでも伝えておいてくださればいい」
「いやいやいや、是非とも公爵閣下にも聞いていただきたいのですよ! ペトラさんのお父様でしょう、閣下は」
「貴族というものをお分かりになられていないようですな、アンジー聖女様。実だろうが義理だろうが、貴族の子供の価値はどれだけ家に貢献したかによるのですよ。大神殿に取られた時点で、ペトラの価値は暴落した。辛うじて残った価値は、ハクスリー家直系の血を引いていることくらいでしょうな。私が次にこの子の評価を上げる時は、ハクスリー公爵家のために大きな結果を出した時だけです。
さぁ、お出口はあちらですよ、アンジー聖女様」
そう言って父は仕事に戻り、執務室からわたくし達を追い出しました。
わたくしは父の数々の無礼をアンジー様にお詫びします。
「本当に、父が申し訳ありませんでした。あんなふうにアンジー様を測ろうなどと、自分勝手な態度で、身内として恥ずかしい限りです……」
「いや、そんなことよりも!! 自分の娘の活躍について聞こうとしない態度の方が問題だ!! 自分の娘の価値が暴落って、親が言うことか!? てめーの娘が久しぶりに実家に帰ってきたんだから、もっと、こうっ、抱き締めてほっぺにチューとかしろ!!!」
「わたくしのために怒ってくださるのはとても嬉しいですけれど、気持ち悪い想像はやめてください、アンジー様」
子供の頃ですら父に抱き締められた記憶がないのに、思春期のわたくしに今そんな出来事が起こったら、きっと鳥肌が立ってゾワゾワしますわ。
怒るアンジー様をなんとか宥めたあと、再びアーヴィンお兄様の案内で、シャルロッテが待つ温室へ移動することになりました。




