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74:皇后陛下の庭(シャルロッテ視点)



 大振りの白百合が咲き乱れる皇后陛下の庭に、初夏の陽射しが眩しく差し込む。

 気温が高くなったせいで、土や植物の匂いがむわりと立ち上っていた。

 気が狂いそうになるほどの百合の香りに、鼻や口にハンカチを当ててしまいたい。いけないことだと分かっているから、実際にはしないけれど。


「今日の后教育の出来も素晴らしかったですよ、シャルロッテちゃん」


 グレイソン様と同じ新雪のような白銀の髪に、ピンクダイヤモンドのように煌めく桃色の瞳。なんとなく冬の白兎を連想させるセシリア皇后陛下が、おっとりとした優しげな微笑みを浮かべて、そうおっしゃった。

 私のお母様とそんなに歳は違わないはずなのに、年齢不詳の若々しさを保つ御方だ。


 セシリア皇后陛下には週の半分ほど、后教育を教わっている。今日の授業が無事に終了し、セシリア皇后陛下が講評してくださるお茶の時間に移っていた。

 場所は代々皇后陛下に与えられる専用の庭で、今は白百合が満開だった。


 この時間は、とても酸素が薄い。

 苦痛で、苦痛で、胃がキリキリしてしまう。

 出された紅茶を無理矢理飲み込むと、胃が染みるように痛んだ。


「とんでもないことでございます。これもすべて皇后陛下のお陰です」


 教わった通りに答えれば、セシリア皇后陛下が「ふふふ」と笑みを深める。


「シャルロッテちゃんは本当に優秀だわ。素直で勤勉、わたくしの助言をきちんと聞いて次に生かすことが出来る。そしてわたくしのグレイソンを立てて、しっかりと支えてくれている。こんなに理想の義娘はそうそう居ないわ」

「もったいないお言葉です」

「これでシャルロッテちゃんの血が穢れていなければ、本当に完璧でしたのにねぇ」


 優しい顔、優しい言葉、そしてトドメのように無邪気なナイフが振り下ろされる。

 セシリア皇后陛下はニコニコと言葉を続けた。


「生まれというものは、神様から与えられた宝物ですよ、シャルロッテちゃん。

 どんなに素晴らしい生き方をしようと、奴隷の子供は死ぬまで偏見の目がつきまとう。その者の人格などお構い無しにね。けれど、清く正しい血筋に生まれて、素晴らしい生き方をすれば、誰もが平伏(ひれふ)すのですよ」


 セシリア皇后陛下が美しい眉を八の字に下げて、心底同情する目で、私を見た。


「お可哀想なシャルロッテちゃん。こんなに素晴らしい子なのに、死ぬまで妾の娘と呼ばれて蔑まれなくてはいけないなんて。わたくしなら耐えられないわ。自死を選んでしまいそう。

 わたくしはずーっと、シャルロッテちゃんの味方よ? その身に流れる血が汚泥のように濁っていても正しい生き方をしようと足掻くあなたの姿を、ずっとずっと応援して差し上げますからね。どうか強い心でいてね。その身に流れる穢れた血に屈しては駄目ですよ」


 ……胃が痛い。胸も痛い。

 セシリア皇后陛下のお言葉がグサグサと私の内側に刺さって、抜けない。


 セシリア皇后陛下は、本気で優しさのつもりで私に言っている。

 自分に流れる汚い血に負けて、汚い生き方をしてはいけないよ、と。

 この応援が私の為になるのだと本気で信じて言っている。


 だから、余計に打ちのめされてしまう。


 セシリア皇后陛下が本当は私のことが気に入らなくて、悪口のつもりで言っているなら、私はまだ耐えられた。見返してやろうと頑張れたのに。

 ……この御方の言葉にゴッソリと自分の内側が削り取られていくような気持ちになる。生きたまま空っぽにされる拷問みたいだ。


「お返事は? シャルロッテちゃん」

「はい、セシリア皇后陛下。陛下のおっしゃるとおりです」

「わたくしの心配を理解してくれたのならばいいわ」


 セシリア皇后陛下はピンク色の瞳に慈愛の色を浮かべ、優しく微笑んだ。


 それからお茶菓子や紅茶のお代わりを勧められ、私は教わった通りの作法でそれらを口に運んだ。味なんてもう分からない。胃から込み上げる血の味がしているような気がする。


 そうして時間が過ぎるのを待っていると、グレイソン様が現れた。


「今日も美しいね、シャルロッテ。まるでラベンダー畑に棲む妖精のように可憐だよ」


 忙しい皇太子教育の合間を縫って、私に会いに来てくれたのだろう。よほど急いで来てくださったみたいで、額に汗が滲んでいた。

 私は取り出したハンカチでグレイソン様の額を拭う。


 グレイソン様はその端正なお顔に、うっとりとするような微笑みを浮かべた。


「きみに早く会いたくて、人目が少ないところでは早足で移動してきたんだ」

「……グレイソン様、私は逃げたりしませんから、次からはゆっくりいらしてくださいね」

「一分一秒でも待てない僕の愛を笑ってくれ、シャルロッテ」


 そう言って彼の汗を拭う私の手をハンカチごと両手で包み、グレイソン様は私の手の甲へ口付けを落とした。チゥッと音が鳴って、皮膚に吸い付かれる感触がする。


「あらあら、グレイソンったら、情熱的ねぇ」


 向かいの席で私たちを見守っていたセシリア皇后陛下が、ころころと楽しそうに笑う。そして皇城のメイドに命じてグレイソン様のお茶を用意させた。

 グレイソン様は私の手を握ったまま椅子に腰を下ろし、空いている方の手で紅茶を飲む。


「グレイソン、マナーが悪いですよ」

「人目のないところではお許しください、母上。母上だって父上とご夫婦の時間を取る時はべったりではないですか」

「まぁ、わたくしに似たと言いたいのですね?」

「母上にそっくりだとよく言われます」

「仕方のない子」


 そう言葉にしながらも、セシリア皇后陛下はとても楽しそうだった。

 セシリア皇后陛下はグレイソン様にお茶菓子を勧めながら、


「でも、安心したわ」


 と穏やかに言う。


「シャルロッテちゃんは生まれが悪いから、どれほど后としての素質があっても、差別や偏見からは逃れられないでしょう。

 だからグレイソン、あなたの愛がなくては、シャルロッテちゃんはきっと重責に潰れてしまうわ。シャルロッテちゃんは血筋以外は本当に良い子だから、あなたが守ってあげるのですよ」

「もちろんです、母上」


 セシリア皇后陛下の言葉に、グレイソン様は真剣な表情で頷いた。そして私に視線を移す。


「シャルロッテ。きみにどれほど賎しい血が流れていても、僕の愛は永遠に変わらない。

 僕たちの子に、孫に、その穢れた血は混じるだろう。だがこれから何代もかけて正しい血統の娘を子孫の后に選び続ければ、きっときみが子孫に残す穢れた血も薄まっていくはずだ。だから何も心配せず、僕のもとに嫁いでおいで」


 ……口が、動いてくれない。

 言葉が出てこない。


 視界がじわりと滲んで、自分が涙目になっていることがわかる。

 だから無理矢理笑顔を浮かべて、『グレイソン様の言葉に感激している』振りをした。

 そんな私を見て、グレイソン様もセシリア皇后陛下も満足そうなご様子だった。


 ……私、本当に生まれてきてはいけない子だったんだなぁ。


 こんな私を愛してくれるグレイソン様や、一生懸命教育してくださるセシリア皇后陛下に本当に申し訳ないことだけれど……。

 ーーーこのまま泡のように消えてしまえたらどれだけいいかと、いつも考えてしまうの。





「おかえり、シャルロッテ」


 ハクスリー公爵家に帰るとホッとした。皇城での極度の緊張感から解放されて背筋が緩む。

 帰宅の挨拶をするために居間に入れば、ちょうどアーヴィンお兄様が新聞を読んでいらっしゃった。

 居間に入ってくる私を見て、その優しそうなお顔に笑みを浮かべる。


「ただいま帰りました、アーヴィンお兄様」

「……なんだか疲れた顔をしているね。今日の后教育はどうだったんだい?」

「お勉強は確かに大変ですけれど……」


 言葉が詰まる。

 私はアーヴィンお兄様が座る三人掛けの大きなソファーに、真ん中一人分開けて腰を下ろした。


「……グレイソン様もセシリア皇后陛下もお優しいですから、なんとか頑張れています」


 私がズルい生まれだからいけないの。

 お二人はそんな私を愛し、慈しみ、守ってくれているの。

 だからお二人のお言葉に私なんかが勝手に傷付くなんて、許されることじゃない。


 そう思うと、どっと疲れが押し寄せてくる。手足が重く、だらりと垂れ下がってしまう。


「疲れているシャルロッテに良いものを渡そう」


 アーヴィンお兄様はジャケットのポケットから、一通の封筒を取り出した。


「ペトラからの手紙だよ」

「! ペトラお姉様からのお手紙!!」


 その一言に一気に元気が出て、私はアーヴィンお兄様から手紙を受け取った。

 ペトラお姉様の手紙はいつもラズーらしい南国の色使いが鮮やかな便箋と、ココナッツのような甘い香りがする。皇都にはない陽気な雰囲気が滲み出していて、手に取るだけで気持ちがあたたかくなる。


「今度ペトラが出張で皇都に来るらしい。公爵家にも顔を出すと手紙に書かれていたよ」

「ペトラお姉様に会えるのですね!? うれしいですっ!」

「シャルロッテの婚約のときに、大神殿で会ったきりだから……、三年ぶりになるね」

「ペトラお姉様、お変わりないかしら?」

「きっと背が高くなっているんじゃないかな」

「早くお会いしたいっ、とても楽しみですっ」


 私が手紙を読み始めると、アーヴィンお兄様が隣でそっと呟いた。


「……良かったよ」

「え?」

「シャルロッテの楽しそうな表情を久しぶりに見た」


 アーヴィンお兄様の方へ顔を向ければ、そこには私を心配する儚げな笑みがあった。

 アーヴィンお兄様は手を伸ばし、私の眉間に人差し指を当てる。そして優しくトントンと眉間を叩いた。


「眉間にシワが寄っていることが多くなったから。……シャルロッテはもっと息抜きを覚えなくちゃいけないね。自分自身を大切にするために必要なことだから」

「……アーヴィンお兄様」

「ペトラが帰ってくる日には后教育を休みにして貰えるよう、公爵閣下から皇城に頼んでもらおう」

「ありがとうございます、アーヴィンお兄様」


 アーヴィンお兄様の優しさに、体の内側の痛みが少し和らぐ気持ちになる。

 大好きなグレイソン様の傍よりもホッとするのは、この人が兄として私を守ってくださるという安心感からだろうか。


 ……皇城へなど行かずに、ずっと公爵家のなかで引きこもっていられたらいいのになぁ。

 そしてそのままペトラお姉様が帰ってくる日を待っていられたら、すごくいいだろうなぁ。


 無理だと分かっているのに、私はそんなことをチラリと考えてしまった。


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