6:ヒロインへの拒絶
「ペトラお嬢様がハンスさんの目を治癒するところ、私も見たかったですぅぅぅぅ! まるで天使みたいだったって、使用人のあいだですっごく噂になってますよっ。ああん、なんで私、休みにしちゃったんだろう~」
「ペトラお嬢様の凄いところなんて、いつも見てるだろうが、リコリスちゃん。一回見逃したくらい気にするなって。今日もこれから見られるだろう?」
「私、もうすっかりペトラお嬢様のファンなんですっ! うちの家族も! だからちゃんと見て家族に話したかったんです~。あっ、ハンスさん、ペトラお嬢様に治癒して貰ったときの感想を教えてくださいよっ。家族に報告するんでっ」
「うーん、感想……。俺はそういうの、言葉にするのは苦手だからなぁ……」
「お願いですよ、ハンスさん。キュキュっと、ひねり出してください!」
貧民街へ行く支度をして、玄関に向かう途中のことです。
リコリスとハンスがわたくしのことを話題にするので気恥ずかしくてたまらず、わたくしはお口をチャック状態で歩いていました。
すると玄関ホールで、シャルロッテに声をかけられました。
「ぺぺペペ、ペトラお姉様……! あの、あの……っ!」
真っ赤な顔でもじもじと両手を組み合わせているシャルロッテは、まるで憧れの先輩に挨拶をする後輩のような初々しさに溢れています。……異母姉に対する反応としては、ちょっとおかしいですけど。
彼女からの純粋な好意は伝わってきました。
「どうしたのです、シャルロッテ?」
「ペトラお姉様が、ひ、貧民街の方々を治癒していると、メイドさん達から聞きました……! あ、あのっ、あのっ、もしよろしければ……私もいっしょに連れて行ってくれませんか……!?」
「え……」
「ペトラお姉様のお邪魔はしませんっ。私っ、おとなしく見ているだけですから……!」
シャルロッテがそう申し出る理由がまったくわかりません。
表情に出さないよう気を付けましたが、わたくしは困惑してしまいました。
そんなわたくしの気持ちが伝わったのでしょう。シャルロッテはますますもじもじと両手の指を組み直し、言いました。
「治癒能力を使うペトラお姉様がとても素敵だったと、みんなが言うので……私もぜひっ、ペトラお姉様の天使様みたいにきれいなところが見てみたいんです……っ!」
わりと七歳らしい理由でした。
シャルロッテはわたくしと同じラベンダー色の髪を揺らし、銀色の大きな瞳で見上げてきます。こちらの庇護欲を刺激する表情でした。
姉を慕う様子を見せられて、「うっ……」と揺れてしまう気持ちもあります。
お父様へのくすぶる気持ちを忘れて、シャルロッテと本当の姉妹のようになれたらいっそ楽なのかもしれません。
……そう思っているのに、シャルロッテからの気持ちを退けようとしてしまうわたくしは、本当に嫌な人間です。
自己嫌悪を感じるのならやめればいいのですが。
どうしても、家族ごっこの輪に入って、お父様を喜ばせたくないのです。
お父様も執事から、わたくしが治癒能力を使ってハンスの左目を治したことや、貧民街で治癒していることは聞いているでしょう。
けれどその事に対する呼び出しは一切なく、食事の席で一緒になっても話題にされることはありません。
きっと興味がないのでしょう。ーーーわたくしのことなんて。
わたくしは小さく息を吸い、気持ちを落ち着けてからシャルロッテに返事をしました。
出来るだけ冷静な異母姉に見えるように、言葉を操ります。
「ごめんなさいね、シャルロッテ。あなたを連れて行くことは出来ませんわ」
「あ……、え……」
「貧民街は危険がいっぱいですし、役にも立たず、自分の身も守れない幼いあなたは、どうしたって足手まといですの」
「…………」
「それにシャルロッテは平民から公爵令嬢になったばかりで、しなければいけないお勉強がたくさんありますでしょう? わたくしといっしょに貧民街へ出掛けることより、今はそちらの方を優先しなければいけないわ。わかりましたね?」
「…………はい、わかり、ました……」
目に見えてしゅんとなったシャルロッテは、最後は寂しそうに笑って、「いってらっしゃいませ、ペトラお姉様」と手を振ってくれました。
▽
「まぁ、仕方ありませんよね。お姉ちゃんに付いて回りたい年頃でしょうけど、早く貴族のルールを学ばないと、困るのはシャルロッテお嬢様ご本人ですもんね」
「……ええ、そうですわね」
いっしょに馬車に乗ったリコリスが先程の出来事をそう評しましたけれど、やはり罪悪感は消えません。
シャルロッテはわたくしがハクスリー公爵家を去ったあと、皇太子の婚約者にきっとなるでしょう。
つまり未来の皇后です。
貧民街の見学はシャルロッテの将来のために、良い経験になったかもしれません。
……貧民街で治癒能力の修行をしているわたしは、とてもエゴイストです。
本当に彼らのためを思うなら、一時的な治癒よりももっと根本的な貧困問題に目を向けるべきなのです。
お年寄りが老体に鞭打って働かずにすむように、年端もいかない子供達がゴミを漁って食べて体調を崩したり、犯罪の片棒を担ぐようなことをして怪我をせずにすむように、わたくしがしてあげられることが何かあるのかもしれません。
それなのにわたくしは、彼らを治癒の練習台にして、再び劣悪な環境に送り返しているだけなのです。
……せめて貧民街の方が、綺麗な水をもっと簡単に手に入れられるよう、環境整備が出来るといいのですけれど。
感染症の予防をしたくても、手洗いやうがいさえ難しいですし。
こんな酷いわたくしより、シャルロッテの方が皇后にふさわしいでしょう。
平民経験のある彼女なら尚更、国民のために公務に勤めてくれるはずです。
そんな他力本願なことを考えているうちに、馬車は貧民街へと辿り着きました。
今日も一日、頑張りましょう。