68:浄化石とクリスタルの卸し問屋
『浄化石』に守られたラズーの川に到着すると、レオの目が飛び出さんばかりに見開かれました。
「川っ!? これがマジで川なんスか!? めちゃくちゃキレーに澄んでる水がこんなにたくさんって。貧民街のドブ川はなんなんだよ、天国と地獄レベルで違ぇ……っ!!!」
呆然とするレオの気持ちがよく分かります。
わたくしは貴族街に住んでいましたが、そこにあった川も比較的マシだっただけで、特に綺麗だったわけではありません。ラズーの川が凄すぎるのですわ。
ベリーは川風に目を細め、「気持ちのいい場所だね」とのんびり言いました。
三人で船着き場へ移動し、船頭さんに頼んで中洲まで運んでもらいます。その間もレオは川底を覗き込んでは「魚が見えた!」と喜んでいますし、ベリーも景色を楽しんでいました。
中洲には相変わらず葦がたくさん生えていました。遊歩道代わりに続く木の板を歩けば、すぐに『浄化石』に辿り着きます。
高さ五十センチほどの長方形の石に、古い紋様がびっしりと彫り込まれ、一番上に虹色に輝くアスラー・クリスタルが埋め込まれています。
初めて見たのは今からもう五年前になりますが、『浄化石』はちっとも変わらない様子でそこにありました。
「この『浄化石』が、ラズーの地すべての川の浄化をしているのですって。初代皇帝陛下がアスラー大神様と共にお作りになられたそうですよ」
「すげーっスね、『浄化石』! なんでこれ、皇都にないんですかね? これがあれば貧民街のやつらも飲み水に苦労しなくてすむのに」
「これを製作する技術がもう失われてしまった、とお聞きしました。『浄化石』の複製があれば、わたくしもぜひ欲しいのですが……」
いつ伝染病の原因になるか分からない恐ろしいドブ川が、貧民街にありますもの。もしマリリンさんたちが伝染病になっても、ラズーからではすぐに助けに行けませんし……。
そう思って溜め息を吐けば、ベリーがわたくしの顔を覗き込みました。
「ペトラ、この石がほしかったの?」
「え……」
「なら私が作ってあげようか?」
「ええぇぇ……!? ベリー、そんなことが出来るんですか!? 石を彫ってアスラー・クリスタルを乗せるだけじゃたぶん機能しないと思いますけれど!?」
「作ったことはないけれど、作れると思うよ。私はアスラーから最大限の能力を与えられているらしいから」
めちゃくちゃチートなのですね、ベリー。
実はラスボスとか魔王なんですの?
この世界の元となった乙女ゲームはジャンル学園もので、バトル展開は無かったはずなのですが……。
唖然とするわたくしとレオの前で、ベリーが言葉を続けます。
「あ、でも、上についてるこの水晶を手に入れなきゃいけないから、マシュリナに頼まなくちゃ駄目かな……?」
わたくしはふと、自分の胸元で揺れるアスラー・クリスタルのペンダントを見下ろしました。
このペンダントについた石は、わたくしが治癒した子供たちが三人で頑張って研磨してくださったクリスタルです。
心を込めて贈ってくださった品を使うわけにはいきませんが(そもそもサイズが小さいですし)、あの鉱山が職人向けにクリスタルを卸しているお店の場所なら、知っています。これでもラズーで五年も暮らしてきたのですから。
「アスラー・クリスタルの卸し問屋なら、場所を知っていますわ。ベリー、今からそこへ行きませんか!?」
「もちろんいいよ」
「レオも構いませんか?」
「俺ももちろん構いませんよ、オジョーサマっ」
ずっとほしかったものが手に入るかもしれない。
わたくしは逸る気持ちを押さえながら二人を促し、『浄化石』をあとにしました。
▽
アスラー・クリスタルの卸し問屋は、メインストリートの中の一角にありました。
まだ研磨されていない水晶が棚や床に大きさやランクごとに分けられていたり、研磨されたりカットされた宝石のような水晶が虹色の光を放ちながらショーケースに並んでいます。店内に灯りは点いていないのですが、水晶の光が幻想的な雰囲気を醸し出していました。
店内にほかのお客の姿は見えません。ただ、レジには一人の小さな女の子が店番をしているのが見えました。
「いらっしゃいませー。どんなクリスタルをお探しですか? 倉庫にもいろいろあるし、奥にいるわたしの父さんがカットも研磨も請け負います」
店内をぐるりと見回していたわたくしたちに、レジの女の子が近寄って声を掛けてきました。冷やかしの客かどうかのチェックを兼ねているのかもしれません。
わたくしはベリーに尋ねました。
「ベリー、どんな感じのクリスタルがいいか、分かりますか?」
「うーん……、ある程度のサイズと、高い純度が必要だと思うんだけど……」
「大きさなら、これとかデカイぞ」
眉間にシワを寄せて悩むベリーにレオが近くの床に置かれたクリスタルを指差しましたが、ベリーは首を横に振りました。
「あああっ!!! 天使のお姉さんですか!?」
側でわたくしたちの話を聞いていた女の子が、急に大きな声をあげました。
そして飛び込むような勢いで、わたくしに顔を近づけてきます。
「やっぱり、天使のお姉さんだ!! わたしたちが研磨したペンダントも、持っててくれてる!! 覚えていますか、お姉さん。わたし、五年前に鉱山のガス中毒でお姉さんに助けてもらった者なんですけど!!!」
「あら、まぁ……。大きくなりましたねぇ。お元気そうで嬉しいですわ」
あの時の患者の顔をはっきりとは覚えていませんでしたが、わたくしがつけているペンダントを嬉しそうに見つめている女の子の様子に、“そうか、この子だったのだなぁ”と思いました。
女の子はぴょんぴょん跳ねながら言います。
「お姉さんたちはどんなアスラー・クリスタルがほしいですか!? ここにないなら、倉庫にも案内しますよ! 本当は希望の商品を聞いてわたしが取りに行くシステムで、倉庫の中にはお客さんを絶対に入れちゃ駄目なんですけどね。でも、今、父さんに許可を取ってきます! お姉さんにならいいって、絶対に言ってくれますから!!」
口を挟む隙もなく、女の子は嵐のように店の奥へと消えていきました。
そしてお父さんと一緒にドタバタと駆け戻ってきました。
「これ、わたしの父さんです!!」
「ああぁぁぁぁぁ……本当にあの時の見習い聖女様だ……! うちの娘を助けていただいて、本当にありがとうございました……!! この通り、娘もこんなに元気に大きくなりまして、これもあの時見習い聖女様がこの子を治癒してくださったお陰です……!!」
「いえ、わたくしは職務をまっとうしただけですから、そんなに畏まらないでくださいませ……」
土下座を始めたお父さんにおろおろしていると、娘さんがお父さんを引っ張りました。
「お姉さんたち、大きくて純度の高いクリスタルを探しているみたいなの。倉庫へご案内してもいいよね?」
「もちろん!! というか、オレも一緒に案内しますんで……!!」
「ありがとうございます。ぜひ拝見させてくださいませ」
お父さんと娘さんはカーテンを閉めたり扉に鍵をかけたりして、手早く店をクローズさせると、わたくしたちを外の倉庫へと案内してくださいました。
倉庫には窓がなく、先程の店舗よりも室内が暗いです。けれど倉庫に置かれた無数のアスラー・クリスタルが発する虹色の光がハッキリと見え、まるで宇宙のなかに踏み出したような幻想的な光景が広がっていました。
その輝きに魅入られていると、レオがわたくしの手を引いてくださいました。
「足元に気を付けてください。そことか段差があるんで」
「ありがとうございます、レオ」
わたくしはレオを頼りながら、案内してくださる父娘と、水晶を眺めているベリーのあとを追います。
父娘は「これは二十年前に発掘されたやつです」「こっちはちょっと発光が弱いんですけど、サイズは大きめですよ」などと、水晶の説明をしてくださいました。
ふいにベリーが足を止めました。
そして棚に置かれていた、人の頭ほどの大きさの水晶に手を伸ばします。
蛍の光のようにチカチカと明滅を繰り返していたその水晶に、彼女の手が触れたとたん、光が溢れました。
まるで光の爆発を見ているかのように、倉庫内が一瞬で白い光に包まれました。
あまりの眩しさにわたくしは目を瞑り、手で目元を隠しましたが、瞼の裏にまで光が届きました。
「きゃあ!! すごい光!!」「いったい何が起きたんだ!?」「オジョーサマ、大丈夫っすかぁ!?」などと、店の父娘やレオが慌てる声が近くで聞こえてきます。
「ベリー!? いったい何が起こったんですの!?」
「ただの共鳴だよ、ペトラ。……ねえ、お店の人、この水晶がほしいんだけど」
「共鳴ってなんですの!?」
「魂の話だよ。あ、請求書は私宛てに大神殿に送ってください。ベリーです。綴りはBer……」
「この状況で貴女という方は……!!」
これはきっと、神託の能力者にしか理解できない事象なのでしょう。ですがもうちょっと、説明がほしいものですわ。
ベリーが手を離すと、水晶の光は無事収まりました。
お店のお父さんが請求書を書き、娘さんが布で水晶をぐるぐる巻きにして梱包してくださいます。二人ともベリーを不思議そうに見つめていました。
「もしかしてこちらのお嬢さんは、石の声が聞こえる能力者とかですかね……? でしたらぜひ、一度鉱山に来てほしいものですなぁ」
「大神殿にはいろんな能力者がいるんですねー。わたし、びっくりしました!!」
そしてお二人に見送られ、わたくしとベリーとレオは予定を変更して大神殿に帰ることにしました。




