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57:変化(ベリスフォード視点)



 ちゃぷちゃぷ、と湖の縁に腰を下ろして素足を水に浸す。


 小さな輪から大きな輪と変化して、また静まり切った湖の一部に戻っていく波紋の動きを眺めながら、私は『始まりのハーデンベルギア』の空間に居た。


 アスラダ皇国に植えられた最初の一本であるハーデンベルギアの低木は、今日も健やかに枝葉を伸ばして花を咲かせている。

 私がハーデンベルギアに向けて湖の水を蹴ってみると、飛沫が届いたのかその花を震わせた。楽しそうに、歌うように、花が綻んで揺れる。


 そうやって一人で悠久の時を過ごしていると、私の隣にソレが現れた。


 ソレは、今回は女性の姿をしている。

 白く薄い衣装を纏い、細く長い手足とふくよかな乳房を揺らしながら、こちらへと近付いてくる。

 足首まで届く長い白髪は、ソレが湖の縁にドカリと腰を下ろすのに合わせて跳ねた。そしてボチャリと毛先が湖の水に浸かってしまうと、


『ああああぁぁぁぁぁ、俺様の髪が濡れちまった……!』


 と盛大に嘆き、濡れた髪を湖から救出した。そのまま髪を雑巾のようにギチギチと絞り出す。


『おい、ベリスフォード、その首に巻いてるヤツ、貸せよ。俺様の髪を拭くから』

「ごめんね、嫌だ」

『ああ、クソッ、俺様の髪がベシャベシャだ』

「髪を切ればいいんじゃないかな?」

『お前、馬鹿だなぁ。“髪”は“神”に通じるって言ってな。力の源のひとつだぜ。そう簡単に切れっかよ』

「ふうん、そうなんだ」


 だから私も幼い頃から髪を伸ばしているのだろうか。

 私はもうすぐ十五歳になるが、マシュリナは口を酸っぱくして、髪を伸ばすようにと私に言う。せいぜい生活に不便にならないように毛先を整えてもらうくらいで、一度も短い髪をしたことがなかった。


『いや、ベリスフォードの髪は関係ねーだろ。髪の短い神託の能力者も居たぜ、何人も。ウェルザもあんま髪は長くなかったし』


 私の思考を読んだようにソレが答える。


「そうなんだ」

『で? ベリスフォード、お前、最近あの紫の女から逃げ回ってどうしたんだ?』


 問われた内容に、私の心臓がぴくりと跳ねた。

 痛いところを突かれたと咄嗟に思い、そしてようやく自覚する。


「……やっぱり私は、ペトラから逃げ回っていたのかな」

『自覚なかったのかよ?』

「半分くらいは」


 小さな頃の私はあんなにペトラにべったりだったのに、もうすぐ十五歳になる今では、こうしてペトラから離れる時間を増やすようになってしまった。

 忙しいからと言って彼女からの遊びの誘いを断り、彼女の部屋に近付かず、大神殿最奥部で時間を潰す毎日だ。


 優しくしたい、ペトラにはずっとずっと笑っていてほしい。

 いつでもペトラの傍に居たい気持ちは小さな頃から変わっていないけれど、なんだか、なぜか、躊躇う気持ちが生まれている。

 昔のようにただ一緒に居たいという気持ちだけでペトラに触れてしまえば、彼女との間にある優しい全てが、色を変えて失われてしまうような気がする。それが怖くて、私は逃げ回っていた。


 私はいつからこんなふうになってしまったのだろう。


 背が伸びて、ペトラを見下ろすようになってから?

 声が裏返ったり、掠れたりしながら、変声してしまってから?

 それともペトラが女性の体に成長し始めてから?


 その全ての変化が、私のなかの何かを破壊してしまおうとしている気がする。

 破壊されたあとに私に残るのは、なんなのだろう。


『ベリスフォードの心がそんなに成長するとはなぁ。俺様、涙で前が見えねぇぜ』

「ペトラが育ててくれた心だからね」

『でもな、ベリスフォード。友達から急に避けられると、避けられた側はふつう寂しく感じるもんなんだぜ。たぶんあの子も、お前に避けられて寂しいって泣いてんぞ』

「ペトラが?」


 それが本当なら、由々しき問題だ。

 ペトラにはいつだって笑っていてほしいのに。私が原因で泣いてほしくなんかない。


「どうしたらいいのかな……」

『会いに行くのが一番手っ取り早いだろ』

「…………」

『……昔ウェルザが言ってたな。会いに行けないときは、手紙とか贈り物をするって。そうすると相手から忘れられてない、大切にされてるって、貰った側は思うらしいぞ』

「贈り物かぁ」


 ペトラが喜んでくれる物とは何だろう。

 おやつを食べるのは好きみたいだけれど、太ることは嫌で節制しているのは知っている。

 うーん……。


 ふと、ソレが私の顔を覗き込んで叫んだ。


『あ!? ベリスフォード、なんか化粧してんのか、それ!?』

「ああ、……うん」

『なんで!?』

「マシュリナが、しなさいって。こうすると女性らしく見えるから」


 どんどん成長していく私の体が“少女の枠”に収まらなくなるのを、マシュリナは危惧したのだろう。彼女はいつの頃からか、私に化粧を施すようになった。


 化粧のほかにも、見習い聖女用のワンピースは私の体を厚く覆うために、生地の重ねが多いものに変更された。

 ペトラはそれを、「ベリーは神託の見習い聖女だから、ワンピースも通常の見習いより凝っているのですね」と合点していた。

 喉仏を隠すために巻くように言われている薄布も、「冷えは女性の大敵ですものね」と、ペトラは受け入れ、心配までしてくれている。


 小さな頃はなにも思わなかった。少女の格好をしている自分に、なんの違和感も疑問も感じなかった。


 でも、最近はずっと心地が悪い。


 女の子の格好なんてもう何年もしてきて慣れているのに、なんでこんな気持ちになるんだろう。わからない。


「……ペトラに会いたい」

『ならさっさと会いに行けばいいじゃねーか』

「……でも、ペトラに会いたくない」

『なんなんだ、めんどくせぇな』


 そうだね。

 心が出来ると面倒だね。

 なにも考えなくても平気だった頃が懐かしい。


 でも、それでも、ペトラが育ててくれた心を放り投げてしまいたいとは、思えないんだ。





 ソレと『始まりのハーデンベルギア』の空間でどれだけ一緒に過ごしていたかは分からない。けれど胸元に入れていた通信用のクリスタルが、青白く光を放ち始めた。

 上層部の会議の時間らしい。


「私、もう行くね」

『あ、おい、ベリスフォード。来年は冷夏になる。伝えとけ』

「うん」


 言うだけ言ったというように、ソレは消えた。


 ドアノブに手を掛け、扉の向こう側の世界の階層を探り、行きたい階層に合わせて開けると、『大会議場』の室内が目の前に広がる。

 円卓に座る上層部の四人がこちらを見て、さらに私の後ろに広がる『始まりのハーデンベルギア』の空間を見て、満足そうに笑った。


「いらっしゃい、ベリー見習い聖女よ。本日はなにか新しい神託はありますか?」

「うん。あるよ」


 自分の席に座り、先程ソレが言っていた来年の冷夏について話せば、四人が一斉に頭を抱えた。


「ただでさえ『豊穣石』が稼働を停止したことで、西の領地マルブランの収穫量が減っていますのに……」

「マザーも歳だしなぁ。遠征もいよいよ厳しくなってきたか」

「つまり今年の収穫をどれだけ備蓄に回せるかに懸かっているということですな。ただちに私の千里眼で各地の農作物の様子を調べますぞ!」

「僕は皇城に備蓄量を増やすよう、鳥に書状を運ばせてきます。早い方がいいでしょう。神殿側の備蓄も計算させてきます。いざというとき、民にどれだけ炊き出しができるのか……」

「ええ、お願い致します、イライジャ大神官、セザール大神官」


 慌ただしい四人を視界に収めながら、“こうやって会議に出席していると、余計なことをうだうだ考えずに済んでいいな”、と私は思った。


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