53:小さな命の守り方(マシュリナ視点)
後半にラズー領主視点があります。
皇太子殿下御一行の馬車が大神殿からようやく去っていく。
それを見て、私とマザー大聖女、イライジャ大神官は揃って息を吐いた。
どうにか今日の予定が無事に終わったことに、この数週間続いた緊張が緩む。
「大神殿の者達よ、ご苦労様でした。各々の業務へお戻りなさい」
マザー大聖女の解散の合図に、皇太子を見送るために集まった神官聖女、職員たちが玄関ホールから立ち去って行く。
「では我々も」とイライジャ大神官がおっしゃるのに合わせて、大神殿最奥部までの移動に私も付き従った。
大神殿の最奥部に進めば進むほど、廊下は静かになっていく。各所に配置された神殿騎士たちが上層部に頭を下げる以外は物音すらしないので、私たちの足音が辺りに鋭く反響した。
迷路のように入り組んだ廊下を歩き、マザー大聖女の執務室に入ると、ようやく会話が始まった。
上層部と私のような極一部の人間以外しか明かされていない秘密は、いつもこうして盗み聞きの心配がない場所でしか話すことができない。
「……グレイソン皇太子殿下たちに、ベリー見習い聖女の正体は気付かれなかったようですね?」
執務机の椅子に腰かけたマザー大聖女が問えば、イライジャ大神官が己の目に手を当てて、
「《Look》」
と呟く。
イライジャ大神官の瞳が赤く輝き、その視線は宙をさ迷う。
「……私の千里眼でグレイソン皇太子殿下を確認したところ、特に怪しんでいる様子も会話もありませんな。やはり、ベリー見習い聖女にヴェールを被せたのが功を奏したようです」
「それは重畳ですね」
イライジャ大神官の瞳が赤い光を失い、またいつも通りアイスブルーの瞳に戻った。そして執務机の手前に置かれたソファーセットに深く腰掛け、こちらに声をかけてくる。
「マシュリナ、お茶を用意してくれ。今日は一日緊張し通しで、流石の私もくたびれてしまった」
「かしこまりました」
私は執務室の隣にある給湯室でお茶の準備をする。
アルコール式の小さなコンロでお湯を沸かし、ティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。蒸らしている間にイライジャ大神官とマザー大聖女の分のカップやお茶菓子を用意し、出来上がった琥珀色のお茶をカップに注いだ。イライジャ大神官の疲労具合を考えて、多目の飾り砂糖も用意しておく。
給湯室から執務室へ戻れば、マザー大聖女とイライジャ大神官のほかにもう一人増えていた。
ベリー様だ。
「マシュリナ」
ソファーに座って足をぷらぷらさせるベリー様が、お茶を運ぶ私に声をかけてくる。
「これ、取って。取れない。まえが邪魔なの」
「ああ、ヴェールですね」
花嫁のように頭上から顔を覆う白いヴェールは、ベリー様が暴れてもそう簡単に外れないようにたくさんのヘアピンで留められている。
お一人では外せなくて、私のもとに来たのだろう。
私はマザー大聖女とイライジャ大神官にお茶を出してから、ベリー様のもとにしゃがみこんだ。
彼の木苺色の髪からひとつずつヘアピンを外していく。
「ベリー見習い聖女よ、グレイソン皇太子殿下の前で変な真似はしなかっただろうな?」
「変な真似はしてないよ」
イライジャ大神官の質問に、ベリー様がきっぱりと答える。
「私はペトラといっしょに居たいだけ。いぼてーとは喋ってないよ」
「「「異母弟!?」」」
ベリー様のお言葉に、私たち大人三人が動揺する。
まだベリー様にご自身の出自をお伝えしたことはないのに、なぜその単語を使うのか分からなかった。
「ベリー見習い聖女よ、どこでそんな話を聞いたのだ!?」
「グレイソン皇太子が異母弟などと、誰が口を滑らせたというのです!? この子の前で!」
「ベリー様、なぜグレイソン皇太子殿下を異母弟だとおっしゃるのですか? どなたがあなたに、そんなことを……」
私たち三人が同じ内容を問いかければ、ベリー様はなんてことのない表情で答えた。
「白い犬」
端的なベリー様のお言葉に、私もマザー大聖女もイライジャ大神官も頭を抱えるしかなかった。
アスラー大神の愛し子であるベリー様は、私たちが『いずれ時期が来るまでは』と口をつぐんできたことを、神託の能力を通して聞いてしまう。
……本当に恐ろしい力だ。これではなにも隠し立てることが出来ないではないか。
「マシュリナ、早く取って。ペトラに会いに行くから」
「……はい」
手が止まってしまったことを指摘され、私は急いで彼のヴェールを取り外した。
ベリー様のお顔があらわになる。
少女めいたその顔付きは亡きウェルザ様の生き写しで、木苺色の髪と青紫色の瞳はキャルヴィン皇帝陛下と同じ色だ。
グレイソン皇太子殿下が、己が生まれる前に亡くなっているウェルザ様のお顔を知っているとは思えないが、もし彼がベリー様のお顔を見ていたら、なにか違和感を感じたかもしれない。
だってこんなにも、ベリー様の瞳の色はグレイソン皇太子殿下とそっくり同じ色だ。
今日、私も初めてグレイソン皇太子殿下のお顔を間近で拝謁したが、本当にベリー様とそっくり同じ青紫色で驚いた。ベリー様がヴェールを被っていなかったら、絶対に危なかったと思う。
ーーーグレイソン皇太子殿下のほかのパーツは、あの憎い皇后陛下にそっくりだったけれど。
「……ベリー様」
「なに? マシュリナ」
「グレイソン皇太子殿下がベリー様の異母弟であることは、誰にも伝えてはいけません。大好きなペトラ様にもです」
「どうして?」
キャルヴィン皇帝陛下がベリー様の存在を知っても、話し合いを持てばなんとか理解していただけるかもしれない。
でも、セシリア皇后陛下は無理だ。あの御方はキャルヴィン皇帝陛下を愛し過ぎている。ベリー様がキャルヴィン皇帝陛下の御子であることを知れば、怒り狂うだろう。
……ベリー様が皇位継承権を持つ男児であることがバレてしまえば、本当に殺されてしまうかもしれない。
私は今は言うべきではない言葉を飲み込んで、ベリー様の両手を包み込んだ。
「……ベリー様の為だからです」
「ふぅん?」
今はまだご自分の出自など興味がないのだろう。ベリー様は軽くうなずくと、私の手を振り払って立ち上がった。
「私、ペトラのもとに行ってくるね」
「……お気を付けくださいませ、ベリー様」
「うん」
ベリー様が執務室の扉を廊下側に向かって押し開けばーーー、大神殿の庭園が目の前に現れる。
神託の能力者として神々の世界と人間の世界の境界線を跨いでしまえるベリー様は、慣れ親しんだ領域にある扉なら、いくらでも次元を歪められる。この部屋から庭園へ直接繋いでしまうことなんて、朝飯前なのだ。
あっさりと外の光の中へ出ていくベリー様を見送り、扉を閉める。
確認のために扉をもう一度開ければ、今度はちゃんと廊下に繋がっていた。
「……マシュリナよ」
きっちりと扉を閉めて執務室に戻れば、マザー大聖女が暗い表情をしている。
「今まではベリー見習い聖女も、おとなしく私達の助言を聞いて“少女”の振りをしてくれていました。それは、あの子が無関心だったからです。周囲のことも、自分のことにも、興味がないから受け入れてくれていました」
「マザー大聖女……」
「私はそんなベリー見習い聖女がとても心配でした。……いいえ、私達みんなが、あの子が普通の子供のように幸福であってくれたらと願い続けてきました。そして今、ペトラ見習い聖女と関わることでようやく、あの子は普通の子供としての日々を取り戻しつつあります。
……でも、これからは? これから先のあの子は、どうなるのでしょう?」
マザー大聖女の声は震えていた。
イライジャ大神官も湯気の立つカップを見つめたまま、眉間にシワを寄せている。
私も、マザー大聖女の喜びと不安と同じものを胸の奥に抱えている。
ベリー様の健やかな幸せを願いながら、この先の不安に溺れている。
いつかベリー様がご自分の環境を疑問に思ったら?
“少女”で居たくないと言ったら? 少年として生きることを選んでしまったら?
ベリー様の成長を祝福したいと思いながら、彼の心が成長してしまうことに怯えている。なんという矛盾だろう。
「最初から我々には、『神託の能力者』を押し止める術などありませんぞ。私達が口にせずともアスラー大神様があの子に真実を教えてしまうであろうし、……あの子の命の危機にはきっと味方してくださるであろう」
イライジャ大神官はそうおっしゃるけど、私は納得できなかった。
アスラー大神が味方についてくださるなら、ベリー様の命が守られる?
でも、ウェルザ様は助からなかったじゃないか。
大神殿の歴史書には『神託の能力者はアスラー大神の愛し子で、その者が害された場合、神罰が下る』というふうに書かれているけれど、私から言わせればそんなものは嘘っぱちだ。
母親であるウェルザ様だって神託の能力者だったのに、失意の中で亡くなってしまった。
衰弱していく彼女のことを治癒能力者ですら助けられなかったし、アスラー大神様だって手を貸してくださらなかった。セシリア皇后にだってなんの神罰も下らなかった。
歴史書なんて、真実を語らない。
ウェルザ様を失ったのに、ベリー様の御命までセシリア皇后に奪われてしまったら、私はきっともう生きることに耐えられない。
だからどうか、“少女”のままで居てほしい。
ベリー様の出自がいつか露見したとしても、性別を偽って皇位継承権がない振りをし続けてくだされば、きっと、『神託の大聖女』としてその生涯を密やかに生きることが許されるはず。
酷いエゴだと知りながら、私は願うことをやめられなかった。
▽
「領主様……パーシバル皇弟殿下、以前調べろと仰せになっていた『ウェルザ大聖女』の情報が手に入りました」
「そうか、ようやく手に入ったか。よくやった」
グレイソン皇太子殿下達の歓迎に沸く領主館で、ひとり静かに仕事をしていた私は、執事の言葉に顔をあげた。
執事が差し出してきた報告書をパラパラと捲り、文字を目で追う。
「……やはりウェルザ大聖女は、一時期皇都の神殿で過ごしていた時期があるのだな」
私が皇城でウェルザ大聖女を一度見かけたのは、彼女が『神託の大聖女』の位に就き、その挨拶の為に前皇帝陛下のもとにやって来たときだ。
あの日ウェルザ大聖女と面会した皇族は私の両親だけだったが、たまたま皇城の廊下を歩く彼女を私は見かけたのだ。あまりに美しい女性だったから記憶に残っている。
それ以外に皇都に来たことがあるのか調べてもらえば、案の定というわけだ。
彼女が滞在していた時期は、今から十~十二年前の数年間と報告書に記されてある。
場所は皇都で一番大きな神殿だ。皇族も儀式や式典で顔を出すことのよくある場所だ。
その時期にウェルザ大聖女が我が兄キャルヴィン皇帝陛下と出会い、子を成したと考えれば辻褄が合う。
報告書を読み進めていくと、ウェルザ大聖女が亡くなる前について、いくつかの疑問点が書かれていた。
「……なるほど、大神殿公式の情報では、『辺境の村の視察に向かったウェルザ大聖女は、その土地で事故に遭い、治癒能力者が駆けつける前に亡くなってしまった』となっているが……、実際は違う可能性があるのだな」
「はい。公式情報はそうなっておりますが、実際その村に人を派遣して聞き込み調査を行わせましたところ、村人からウェルザ大聖女が村に来たという証言は一つもありませんでした」
「彼女の死の真相を、大神殿側が隠しているということだな」
ウェルザ大聖女が『辺境の村に向かった』と大神殿が発表している時期と、おそらく彼女がベリー見習い聖女を生んだと思われる時期が重なっている。
普通の女性ならば出産の際に亡くなったと考えるべきだが、彼女は神託の大聖女だ。彼女の出産の際に大神殿側が治癒能力者を用意しないとは思えない。
ならばひとりで隠れて生もうとして、亡くなったのか? それもおかしな話である。
神託の能力者は『アスラー大神の愛し子』だと、皇族は習っている。
ウェルザ大聖女が寿命以外で亡くなろうとしている時、アスラー大神の介入がないはずがない。八百年前の『廃人皇帝ウルフリック』のときのように。
「……わけがわからんな」
私は報告書を机の上にパサリと置いた。
「引き続き、ウェルザ大聖女の生前の調査を行います」
「ああ、頼んだ」
執事に引き続き調査を頼み、私は今日受け取った報告書を燃やした。




