表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

53/121

52:崩壊の始まり②(シャルロッテ視点)



 大神殿の中庭で遊んでいたアーヴィンお兄様と、パーシバル2世様、3世様、そしてペトラお姉様が戻ってくると、私たちは大神殿の見学に移ることになった。


 私は合流したペトラお姉様の顔を、まっすぐに見ることができなかった。


 ヘアピンが壊されてしまったことがバレたらどうしよう。

 バレたらきっと、ペトラお姉様が悲しんでしまう。


 そう思うとますます顔があげられず、うつ向いてしまう。

 先程までヘアピンを飾っていた耳のあたりを私は手で何度も押さえて、無くしたことをペトラお姉様に気付かれませんようにと、ただそれだけを願った。

 幸いペトラお姉様はアーヴィンお兄様やパーシバル様達とお話しされていて、挙動不審な私に気付くことはなかった。





 私はグレイソン様にエスコートされて、一般見学区域へ向かう。


 今日は一般見学区域の中でも特に人気のアスラー大神像と、アスラー大神と初代皇帝陛下が国作りを始めた時の様子を描いた大作を見学させてもらえるらしい。


 一般見学区域は本当に広くて、部屋数は大小合わせて百部屋はあるのだそうだ。そこには数えきれないほどの展示物があって、一日では回りきれないらしい。だから信者や観光客は大神殿に連日足を運ぶのだと、案内をしてくださる職員さんが説明してくださった。


 私たちがこの旅行中に大神殿に来られるのは、今日一日だけ。

 なので今日は、一般見学区域で特に有名なものだけを見させてもらい、その後は特別見学区域と呼ばれる、多額の寄付をした人だけが見ることの出来る秘蔵の展示物を見せてもらうことになった。


「楽しみだな、シャルロッテ」

「……はい、グレイソン様」


 いつも通りの笑顔でグレイソン様が言うと、私はホッとした。

 先程中庭で見た、酷いグレイソン様のことは夢だったみたいに、いつも通り。


 良かった。グレイソン様の怒りが長引かなくて。


 こんなに笑顔のグレイソン様がさっきはあんなに怒るなんて、やっぱり、私がいけなかったのかもしれない。


 ペトラお姉様から頂いたヘアピンを壊されたのが悲しくて、グレイソン様は理不尽だなって思ったけれど。そう感じてしまった私の方がいけなかったんだ。

 グレイソン様はアスラダ皇国の皇太子だもの。婚約者になれたとはいえ、私はズルをして生まれた子。正しく生まれることが出来なかった人間だ。だからグレイソン様の言うことの方が正しくて、私の子供っぽい感情より優先されるべきなんだ。それはきっと当然の理。

 グレイソン様が嫌だって思ったり、大事にされていないって感じたりしないように、私はグレイソン様を一番に愛さなくちゃいけない。

 もう間違えないようにしないと。





「……シャルロッテ、どうしたのですか? なんだか顔色がお悪いようですけれど……」


 見学コースを歩いている途中で、後ろからペトラお姉様にそう声を掛けられた。


 私は咄嗟に耳元に手を当て、ヘアピンが無くなったことを隠した。そして恐る恐る、ペトラお姉様に振り向く。

 ペトラお姉様はまだ私のヘアピンが無くなったことには気付いていないようで、ただ心配そうに私を見つめてた。


 ……私の顔色が悪い?

 もしかして、長旅の疲れが出ちゃったのかな。

 それともヘアピンを無くしちゃった罪悪感のせいかな。きっと今鏡を見たら、私はビクビクした情けない表情をしてるんだろう。


 私がなんてペトラお姉様に答えればいいか迷っていると。グレイソン様が繋いでいた手に力を込めた。


 ギチッ、と手から嫌な音がして、痛くて痛くて、呼吸が止まる。

 ……グレイソン様が、また怒ってる。

 私はまた何かを失敗してしまったんだろうか。


「気のせいだろう」


 グレイソン様がペトラお姉様を突き放すように言う。


「ですがグレイソン皇太子殿下、念のため治癒を……」

「必要ないと言っている。シャルロッテのことは僕が一番分かっているんだ」


 取りつく島のないグレイソン様を見て、ペトラお姉様は困惑したように眉尻を下げた。

 そして私に視線を移し、『本当に大丈夫?』というように小さく首を傾げる。


 私は痛む手から無理矢理意識を逸らし、明るく答えた。


「私は元気ですよ、ペトラお姉様っ。もしかしたらちょっと旅の疲れがあるかもしれないですけど、今夜は早めに寝るので大丈夫です。だからペトラお姉様の治癒は必要ありません。大事なお力なんですから、患者さんのために取っておかないといけませんよ」

「……そう? 本当に?」

「はい。私なんかの為に治癒力を使うのは勿体ないですから。心配しないでください」

「……わかりましたわ」


 ペトラお姉様はあまり納得していないみたいだけど、引き下がってくれた。


 同時に、骨が折れちゃうんじゃないかというほど強く握りしめられていた手から、グレイソン様の力が緩む。

 グレイソン様が満足そうな笑みで、私の頭を撫でてくれた。

 良かった。私、今度は間違えなかったみたい。


 そっと視線を繋いだ手に向ければ、手の甲が真っ赤になってしまっている。

 ……これも、誰にも気付かれないと良いな。





 一般見学区域、特別見学区域も予定通り観て回り、今日の予定が無事に終わった。


 ラズーには一週間留まり、街で市場調査をしたり、海で漁業見学をしたり、孤児院への訪問が予定されている。合間合間に、ラズーの有力貴族の方と食事会。夜にはパーティーが開かれてたくさんの人と挨拶をしなければいけない。

 予定がいっぱい詰まっているから、今回ペトラお姉様と過ごせる時間はあと少しだけだ。


 だからペトラお姉様のお側に行きたい。もう少しだけでもお話ししたい。

 そう思うのに、ヘアピンが壊れてしまった事実が胸に苦しくて、私はペトラお姉様に自分から近づくことが出来なくなってしまった。


 せめて挨拶だけでも、と馬車に乗る前にペトラお姉様の方へ視線を向ける。ペトラお姉様はすぐに私の視線に気が付いて、すすっとこちらに足を運んでくださった。


「シャルロッテ、今日はあなたに会えて嬉しかったですわ。明日からの旅の日程も、どうか楽しんでくださいね。見送りは出来ませんから、今お別れの挨拶を言わせてね。気を付けて皇都に帰るのですよ」

「……はい、ペトラお姉様。私も今日ペトラお姉様にお会いできて、本当に嬉しかったです。これからも大神殿でのお仕事、がんばってくださいっ」

「ありがとう、シャルロッテ。あなたも后教育をがんばってね」

「はい」


 ちゃんとペトラお姉様にお別れの挨拶が出来た。

 胸の内でホッとしていると、「あら?」とペトラお姉様が首を傾げる。


「シャルロッテ、ハーデンベルギアのヘアピンをどうしたのです? 中庭に居た時には確かに髪に飾られていましたのに」

「あ……」


 最後のさいごで、ペトラお姉様に気付かれてしまった。

 私はヘアピンがあった場所を手で押さえながら、視線が泳いでしまう。


 グレイソン様に壊されただなんて、言えるわけがない。

 ヘアピンは今はちょっと外しているだけで、メイドが保管してくれているとでも嘘を言えば良いのかな。

 中庭で無くしたと嘘を言ったら、優しいペトラお姉様は探そうとしてしまうかもしれない。

 なんて言えばいいの? なんて誤魔化せばいいんだろう……。


「……私がうっかり固い所に落としちゃって、割れてしまいました……。ごめんなさい、ペトラお姉様……せっかく買ってくださったのに……」


 もう失われてしまった。もう粉々になって、この世界のどこにも存在しない。

 その事実だけは隠し通せる気がしなくて、私はそう答えた。


 嘘を口にする度、喉の奥が熱くなる。鼻の奥がツンと痛んで、視界が涙でぼやけていく。


「あれはガラス製だから、割れてしまったのなら仕方がないですわ。それよりもシャルロッテ、怪我はない? 破片に触れたりはしていませんよね?」


 ペトラお姉様はヘアピンが壊れてしまったことよりも、私の怪我の有無を心配してくれた。

 それが嬉しくて、余計に悲しくなる。胸が苦しい。


「……ヒック、ヒック……。ほんとにっ、ごめんなさいっ、おねえさま……」

「ああ、泣かないでください、シャルロッテ。物なんていずれ形を失うものですわ。また新しいヘアピンを贈りますから、そんなに悲しまなくていいのですよ?」

「わ、わたしが、いけないんです……っ!」


 きっと新しいヘアピンをペトラお姉様から頂いても、もう付けることは出来ないだろう。グレイソン様から頂いた髪飾りの方を大事にしなくちゃいけないんだろう。


 もしかしたらまたグレイソン様に壊されてしまうかもしれない。それならば最初から、贈り物なんて受け取らない方がいい。


 宝物を壊されてしまうくらいなら、初めから手元にない方が悲しまなくて済むの。


「……ごめんなさい、ペトラお姉様。代わりのヘアピンは受け取れません。私、そそっかしいから、また壊してしまうといけないので……」

「ならリボンや、金属製のものにしましょうか? 落としても壊れないものを……」


「ペトラ嬢、シャルロッテはお前からの贈り物は要らないと言っているだろう? これ以上、僕の婚約者を困らせるな」


 ……グレイソン様がやって来て、私の肩を抱き寄せた。そしてペトラお姉様を責めるように言う。


「グレイソン様、やめて、ペトラお姉様にそんなこと……」

「泣かなくていい、シャルロッテ。僕がきみを守るから」


 グレイソン様はちっとも私の言葉を聞いてくれず、ペトラお姉様に向き直った。


「シャルロッテの装飾品は僕が用意する。彼女を着飾らせるのは、婚約者である僕の当然の権利だ」


 ペトラお姉様は銀色の瞳を丸くさせたけれど、それ以上は表情を変化させず、「余計なことを口にしてしまいました。どうかお許しください、グレイソン皇太子殿下」と頭を下げた。……ペトラお姉様はなにも悪くないのに。


「分かればいい。下がれ。

 さぁシャルロッテ、姉に別れの挨拶は済ませただろう? 馬車に乗って領主館へ戻ろう」

「……はい、グレイソン様」


 ヘアピンを無くした上に勝手に泣いて、ペトラお姉様を困らせて。さらにグレイソン様からひどいことを言われてしまって。……ますますペトラお姉様に会わせる顔がない。


 なんでこんなことになっちゃったんだろう。

 今日はずっと楽しみに待っていた、大神殿での婚約の日だったのに。


 皇室の馬車に乗り込み、グレイソン様と二人きりになる。


「姉を拒めて偉かったな、シャルロッテ」


 今回は間違えなかったな、とグレイソン様の青紫色の瞳が言っている。

 それなのにどうしてだろう。何もかもを間違えちゃったような気持ちになるのは。


 涙がまた一つ、私の目から溢れ落ちた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ