51:崩壊の始まり①(シャルロッテ視点)
ペトラお姉様が東屋から出て行ってしまわれると、私はすぐに寂しい気持ちになってしまう。
私もいっしょに付いて行きたかったなぁ。
ううん、ペトラお姉様もなにかご用があったのだろうし、部外者の私がくっついて行ってもきっと邪魔になるだけだよ、シャルロッテ。
私は自分にそう言い聞かせて、ペトラお姉様のあとを追いかけたい気持ちを我慢する。
ペトラお姉様とちょっと離れただけでこんなに寂しくなってしまうのは、それまでのお話がほんとうに楽しかったから。
一年ぶりにお会いできたペトラお姉様は、ハクスリー公爵家にいらっしゃった頃と変わらず凛々しくて格好良くて素敵で、とっても優しかった。
だから私は嬉しい気持ちで舞い上がっちゃって、たくさんたくさんお話してしまった。
こうして一人で東屋のベンチに腰かけていると、
『さっきの私、おしゃべりしすぎじゃなかった?』
『ペトラお姉様にうるさいって思われちゃってたら、どうしよう』
『アーヴィンお兄様なんて、私の話に飽きて中庭でパーシバル様たちと遊びに行っちゃったくらいだし……』
という後悔が浮かんでくる。
ペトラお姉様はとても優しい人だから、にこにこ相槌を打ってくれたけれど、おしゃべりでうるさい子って思われたら本当にどうしよう。恥ずかしすぎる……。
いつもの癖でついつい弱気になり、もじもじと両手の指を揉んでしまう。
お父様がハクスリー公爵家へ迎えてくれるまで、私はお母さん……じゃなくてお母様と二人だけで暮らしていた。
平民街のなかでもかなり立派なお屋敷に住んでいて、綺麗なワンピースも可愛いぬいぐるみも、素敵な王子様が出てくる絵本も持っていた。通いのお手伝いさんも居て、なんの不自由もなかった。
お母様は時々「本妻様に申し訳がない……」としょんぼりすることもあったけれど、夜にお父様が会いに来てくださったらすぐに笑顔になっていた。
私はその生活になんの不満もなかった。
けれど本妻様ーーーペトラお姉様のお母様が亡くなられて、状況が一変した。
『一緒に公爵家で暮らそう』と、お父様が言ってくれたのだ。
私は新しい生活が始まることにドキドキしていた。
お城みたいな公爵家で暮らすことも緊張するけれど、新しくお姉様が出来ると教えられたから。
ずっと、きょうだいが居ればいいのになって、私は思っていた。
お母様と二人暮らしも嫌いじゃなかったけれど、年の近い子と遊んでみたかったから。
平民街で暮らしていたけれど、その頃の私は同じ年くらいの子供たちから遠巻きにされていた。
子供たちはみんな、親から「あの子は公爵様の妾の子だよ。関わり合いになると、何が起きるか分からないから止めておきな。話しかけちゃいけない」と言われているみたいだった。
……そっかぁ。
なら仕方がないよね。
お父様には本当の奥様が居たのに、私はズルをして生まれた子だから、みんな私と関わりたくないよね。ズルい子って、嫌だよね。嫌われて当たり前だよね。
納得するしかなかったから、私は誰にも声をかけなかった。
せめてきょうだいが居ればいいのに、と私はずっと思っていた。
この寂しさを分かち合える、年の近い子が居ればいいのに。そしたら一緒にたくさん遊んで、一緒にごはんを食べて、一緒に眠るの。そうすればきっときっと絶対、この寂しさは消えて無くなるはずだから。
そんなふうにずっときょうだいに憧れていたから、半分血の繋がったお姉様が居るとお父様に教えられて、私は舞い上がってしまった。
ズルして生まれてきた私だけど、受け入れてもらえるかな? やっぱり嫌われちゃうかな……。
お母さんが亡くなったばかりだから、きっとお姉様はとても悲しんでいるはず。ズルい私だけど、妹だから、お姉様の悲しみに寄り添ってあげられたらいいな……。
そんな不安と期待でぐるぐるしながら、七歳の私が公爵家で出会ったペトラお姉様はーーー本物のお姫様だった。
私とおんなじラベンダー色の髪と、銀色の瞳なのに、なにもかもが違って見えた。キラキラ輝く妖精さんみたいで、私みたいにズルをして生まれた子じゃない、正統なお姫様。
一目見ただけで憧れた。
一目見ただけで大好きって思った。
私のきれいなきれいなお姉様。
自己紹介したときにペトラお姉様は具合が悪くなって倒れちゃったけれど、回復したあとにお茶に誘えば応えてくれた。
一緒にお茶を飲むだけで嬉しかった。ペトラお姉様が静かに微笑んでくれるだけで嬉しかった。もっともっとおしゃべりしたくて、仲良くなりたくてたまらなかった。
でも、ハクスリー公爵家に来たばかりの私には、公爵令嬢らしくなるために毎日毎日たくさんのレッスンがあって。あんまりペトラお姉様といっしょに居られなかった。
ペトラお姉様も、治癒活動というものでお忙しいようだった。
なんでもペトラお姉様には治癒能力という、アスラー大神様からお与えになられた素晴らしいお力があって、貴族としてそれを弱者のために使ってあげていると、メイドに教えてもらった。
私のお姉様って、とってもすごいんだなって、私は自慢に思った。
だから私もペトラお姉様に自慢に思ってもらえるような妹にならなくちゃって、頑張って勉強した。
いつかペトラお姉様の隣でお淑やかに微笑むレディーになって、いっしょにまたお茶を飲んだり、本を読んだり、お花を見たりしたいなって、思っていたの。
でもペトラお姉様は私が思うよりずっと凄い人で、すごすぎて、大神殿に聖女見習いとして呼ばれて行ってしまった。
私が夢見ていた『ペトラお姉様との姉妹としての生活』は、消えてなくなってしまったのだ。
すごくすごく悲しくて、瞼がぱんぱんに腫れるまでいっぱい泣いた。
だから今日、ペトラお姉様に久しぶりに会えて、本当に嬉しい。
……でもやっぱり、おしゃべりし過ぎちゃったかもしれない。
私は指をもじもじ弄りながら反省する。
「……僕の可愛いシャルロッテ」
後ろから、甘く優しい声がする。
私はベンチから立ち上がり、パッと振り返った。
「グレイソン様!」
思った通り、グレイソン皇太子殿下ーーー先程大神殿の本堂で、将来の結婚を約束した婚約者様が、東屋の入り口に立っていた。
ズルい生まれの私を、婚約者に選んでくれた優しい王子様。
グレイソン様の白銀の髪に木漏れ日があたり、ブルーベリーみたいな彼の青紫色の瞳もまた、キラキラと輝いて私を見つめている。それがとても恥ずかしくて、私の頬はカァッと熱を持った。
「皇帝陛下からの書状は、無事に大神殿に渡し終わった。これからすぐ見学に移動できるが、どうする、シャルロッテ? まだここで休憩したいか?」
「……あ、いえ、そのっ」
グレイソン様のお好きなように。そう言いたいのに、なんだかいつもより照れちゃって、うまく口が回らない。
ペトラお姉様の前ではおしゃべりだったこの口が、恋する人の前ではどもってしまって、恥ずかしい。
ああ、余計なことを喋りすぎず、大事なときにはスラスラお話し出来る超人になりたいよぅ……!!
もじもじする私を見て、グレイソン様はフッと微笑んだ。
「……そういえば僕たちが婚約者になってから初めてのエスコートというわけだな? シャルロッテ?」
「はわわわわわわわ……!!」
グレイソン様ったら、照れている私を面白がって、さらに追い討ちをかけようとしていらっしゃる……!!
ひどい、グレイソン様の意地悪って思いたいのに、そうやって私をからかってくる意外な一面も大好きって思っちゃう。どうしようもない私。
「お手をどうぞ、僕の婚約者様」
「はっ、はいぃぃっ!!!」
グレイソン様から差し出された手を、私は声が裏返りながらもどうにか掴んだ。
するとグレイソン様にぐっと強く引っ張られて、東屋から外に出る。……ちょっとだけ肩が痛かったけれど、グレイソン様に顔を近づけられたので、それどころじゃなかった。
「僕のシャルロッテは相変わらず照れ屋だな。いい加減僕に慣れたらどうだ?」
「そ、そんな、無茶を言わないでください……!!」
「まぁそんなところも、可愛くて大好きなんだが」
甘く目を細めるグレイソン様が、素敵すぎて直視できない。
私は思わずうつむいた。
「……ああ、そうだ。忘れるところだった」
グレイソン様がそう言って私の頭を優しく撫でる。
そのまま手のひらを滑らせ、グレイソン様は私の耳の上に飾られていたガラス製のヘアピンに触れた。
「あ、このヘアピンは……」
ペトラお姉様から頂いた宝物なんです、と。私はグレイソン様に説明しようと顔をあげた。
このヘアピンがお姉様から届いたとき、私がどれほど嬉しかったか。
ラズーの地に行ってしまわれても、私のことを忘れないよと言って貰えたみたいで、ちょっと泣いてしまったくらい嬉しかった。
一生大事にするのって、お父様やお母様、公爵家で働いている人達に見せびらかしたくらいお気に入りなの。
グレイソン様にも自慢しようと思って彼を見つめればーーー。
「姉から貰ったんだろ?」
なんだかいつもとは違う雰囲気で、グレイソン様は笑っていた。
「いつも大事に付けているから、よほどお気に入りかと思えば。そんな下らない理由だったとは思わなかったな」
「グレイソン様……?」
「僕がもっと上質な物を買ってやる」
「え、え? 痛いっ……!!!?」
ブチブチ……ッ!! と、髪からヘアピンを無理矢理引きちぎられ、髪の毛が何本もまとめてむしられる音が耳に聞こえてくる。
髪を抜かれたところが痛くて、グレイソン様の突然の行動の意味がさっぱりわからなくて、突然ヘアピンを奪われて。私はとにかく混乱した。
訳が分からないまま、グレイソン様を見つめる。
グレイソン様はヘアピンに挟まっている数本の髪を見て、小さく笑った。
「痛かったのか、シャルロッテ? きみを傷付けて悪かった。……でも、僕の心の方がずっと痛いんだ」
そう言って、グレイソン様は手のひらの上でヘアピンを転がす。
そのヘアピンはガラス製だから、不注意で欠けたりしないように私はいつも大切に扱ってきた。それをグレイソン様だって知っているはずなのに。平気で雑に扱っている。
怖くて、悲しくて、でも怒りも確かにあって、私は声を荒げた。
「か、返してください、私のヘアピン……!」
「なぜ?」
「なぜって……」
ペトラお姉様がくださった、私の宝物だから。
たとえ宝物じゃなくても、人から物を取り上げるのはいけないことだもの。
「シャルロッテは僕と婚約した。だから君は僕のものだ。僕から与えられた物以外を大事にするなんて、婚約者として失格だろ」
「え? え??」
……そうなんだろうか。
私はもうグレイソン様の婚約者だから、グレイソン様からプレゼントされた物以外を大事にするのはいけないことなの?
貴族の常識って、まだよく分からない……。
「だからこの安っぽい髪飾りは、もうシャルロッテには必要ない」
そう言ってグレイソン様は、ガラスで出来たヘアピンを近くにあった石に投げつけてしまった。
私が止める間もなく、ペトラお姉様からもらった宝物は「ガチャンッ!」と鋭い音を立てて砕けてしまった。
「そんなっ! ひどいです、グレイソン様……っ!」
「ひどい? ひどいって言うのはシャルロッテのことだろ?」
グレイソン様が私を非難する。
「僕を愛しているなら、僕を一番大事に扱え。僕を不安にさせるな」
グレイソン様にそう真っ直ぐに見つめられて、私は声も出なかった。
心が追い付かない。
婚約って、こういうものなの?
貴族って、こういうことが正しいの?
でもきっと、皇太子のグレイソン様が間違えるわけがない。
だって毎日アスラダ皇国のために一生懸命勉強している方だもの。私よりもずっと、ずっと、たくさん。
だからきっと、グレイソン様に従うのが正しいんだ。ハクスリー公爵令嬢として。
ーーーズルい生まれの私を愛してくれる人に、逆らえるわけがない。
「……ごめんなさい、グレイソン様」
砕け散った宝物から目を逸らし、私は謝罪を口にする。間違えてしまった私がいけないのだから。
「仕方がないな。シャルロッテが反省して謝ったのだから、僕もきみを許してあげよう」
グレイソン様はそう言って、またいつものように優しく笑った。




