4:リコリスの弟
マリリンさんのお陰で、わたくしの治癒能力の修行は順調にステップアップを踏んで行きました。
最初はご年配の方々だったので、関節痛や内臓疾患などを治癒していきました。
ご年配の方の不調は老化が原因であることが多いので、わたくしが治癒能力をかけても一時的な回復しか見込めません。
効果が持続する期間に個人差はありますが、だいたい一週間から一ヶ月というところでしょうか。
なので皆さん、治癒能力の効果が切れると再びわたくしのところにやって来てくれるようになりました。練習し放題です。
そのうち、マリリンさんのお孫さんであるケントくんとナナリーちゃんのお友だちもやって来るようになりました。
転んで傷が出来てしまったとか、腐ったものを食べてお腹を壊したとか。
子供たちは一度治癒能力をかければ完治するような症状が多かったです。
そうやってたくさんの方を治癒し続けた結果、わたくしの治癒能力はぐんぐんレベルが上がっていきました。
最初の方は一日二、三人も治癒すれば疲れてしまいましたけれど、今では何十人でも連続で治癒能力がかけられます。軽症なら何人か同時での治癒も出来るようになりました。
持続効果もアップし、年配の方々の関節痛なども一度治癒すればかなり長期間、再発しなくなりました。
▽
「ここが我が家です、ペトラお嬢様! ボロっちい家で恥ずかしいですけれど、掃除はしてありますからっ。あ、こっちは私の家族です!」
本日は、メイドのリコリスのご実家にやって参りました。難病の弟さんを治癒するためです。
貧民街での修行で、自分の治癒能力が向上していることを実感出来るようになったので、ついにリコリスの弟さんの治癒に挑戦してみることにしたのです。
リコリスのご実家は、平民街のなかでも特に『下町』と呼ばれる昔ながらの地域にありました。
煉瓦や石造りの小さなお家が軒を連ねています。
ハンスに護衛されながら下町を歩きましたが、ここは貧民街にはない活気に溢れていました。
そして辿り着いたリコリスのご実家の前には、彼女の家族がずらりと並んで待っていました。
ご両親やご兄弟、姉妹、祖父母、近隣に住んでいるご親戚の方々まで勢揃いです。
「ようこそいらっしゃいました、ハクスリー公爵令嬢様!」
「こんなボロ屋までわざわざ来ていただいてすみませんねぇ。ここらの地域は道が狭いから、馬車も通れませんでしたでしょう?」
「歩いて疲れましたよね? 俺がお茶入れてきます! あ、俺はリコリスの兄です! 大通りの商家で経理やってるんですけど、今日はお嬢様が弟の病気を診てくれるって聞いたんで、休みをもらいました!」
「私は妹です! クッキー焼いたんで、食べてください!」
リコリスのお父さん、お母さん、お兄さん、妹さんが、次々に話しかけてくださいます。
わたくしが公爵令嬢であることに緊張しているらしく、皆さんとても早口です。緊張すると喋ってしまうタイプみたいですわね。
リコリスが恥ずかしそうに叫びました。
「もうっ! みんな、一斉に喋るのはやめてよ! ペトラお嬢様がびっくりされてるでしょう!?」
おさげ髪をぴょこんと揺らして、リコリスが頭を下げます。
「申し訳ありません、ペトラお嬢様……! 私の家族がはしゃいでしまって……!」
「いいんです、リコリス。謝らないでくださいませ。あなたのご家族がとても素敵な人達だということが知れて、わたくし、とても嬉しいわ」
お父様やシャルロッテ達の家族仲の良さを見たときは心が荒れるけれど。その他の家族が仲良く過ごしているのを見ても心は揺れません。
今もリコリスの家族を見て微笑ましい気持ちになれました。
……良かったです。
仲の良い家族をだれかれ構わず憎み呪うような、寂しい心を、わたくしはまだ持たずにすんでいるようで、安心しました。
「お茶は大変嬉しいのですが、先に弟さんに会わせてください」
わたくしはそう頼みました。
リコリス達も、弟さんの治癒を先伸ばしにしたいはずがありませんから。
わたくしの言葉に、リコリスは頷きました。
「はいっ。弟の部屋へご案内いたします!」
弟さんは小さな部屋のベッドで、青白い顔をして目を瞑っていました。
頬や唇はかさつき、布団から出ている腕や腕がガリガリに痩せ細っています。リコリスのお母さんがそっと彼の腕をマッサージするように擦り出しました。
リコリスが口を開きます。
「この子はベッドから起き上がることが出来ません。立ち上がろうとするだけで酷い頭痛に襲われてしまい、歩こうとしても手足が麻痺して満足に進めません。症状が悪化しているときは体が硬直して、寝返りすら打てなくなるんです……」
「それは……大変ですね」
なんと言っていいかわからず、結局わたくしの口から出たのはありきたりな言葉でした。
護衛のハンスも、わたくしの背後から痛ましそうな表情をしていました。
前世の最新医療で調べることができたら、病気の名前や治療法も分かったかもしれません。
けれどアスラダ皇国には、そんな高水準の医療など存在しません。あるのはまだ未成熟な医療と、わたしのような治癒能力者です。
正直、わたくしは自分の力や弟さんの病の状況を楽観視していました。
回数をこなすだけでレベルが上がっていたので、調子に乗っていました。
努力と根性さえあれば、弟さんの病気も治癒出来るのではないかと。
これは努力と根性ではどうにもならない次元かもしれない、とわたくしは初めて恐怖を覚えました。
「…………」
ベッドの前で立ち尽くすわたくしの側で、リコリスのお母さんが声をかけてくれました。
「ハクスリー公爵令嬢様、どうか気負わないでくださいませ。私たち家族は……とうの昔に覚悟は出来ております。この子……アルの命が尽きるまでの一日一日を、せめて私たちの愛情で包んであげたいと願っているだけですから」
「リコリスのお母様……」
「アルの病が治せなくても、恨んだりなんかいたしません。アルのことをハクスリー公爵令嬢様に気にかけていただいたことだけで、とてもとても有り難いのです」
優しく穏やかな、母親の笑顔でした。
……わたくしが自分の治癒能力を知ったのは、前世の記憶を思い出したときでした。
悪役令嬢ペトラのゲーム設定にあるから、自分も使えるはずだと気づき、自分の指をナイフで切って、治癒能力を試したのです。
そのときわたくしが思ったのは、『もっと早く治癒能力があることに気づいていれば、お母様を助けられたかも知れなかったのに……』という虚しさでした。
お母様はすでに何度も神官や聖女に治癒能力をかけてもらっていたのですが、完治することはありませんでした。それだけ難しい病を抱えていたのかもしれません。
……大神殿に所属する神官聖女なら、また話は違ったのかもしれませんが、結局診てもらうことはありませんでした。
わたくしのレベルなんて高が知れていますけれど、それでも、お母様に毎日でも治癒能力をかけてあげたかった。
挑戦することもできずにお母様を失ったことを、心から嘆いたのです。
わたくしのレベルではまだ足りないかもしれません。
でも、挑戦もしないで尻尾を巻いて逃げるのは、悔しいです。
リコリスやそのご家族に、わたくしみたいになにも出来ずに大事な人を失う虚しさを、知ってほしくはありません。
「……精一杯やらせていただきますわ」
わたくしは弱気を振り払い、弟さんの体の上に両手を翳します。
「《Heal》!!」
金色の光が次々に生まれ、弟さんの体へと吸い込まれていきます。
いつもなら長くても数分で、『治癒が終わった』という感覚になるのですが、十分経っても二十分経ってもその感覚が来ませんでした。
長丁場です。
わたくしはリコリスが急遽用意してくださった椅子に腰を落ち着け、治癒を続けました。
ご家族の方々がお茶やクッキーを用意して、ときどきわたくしの口許へ運んでくださいます。気力体力を奪われていたわたくしは糖分と水分を補給する度に生き返る心地でした。
「ペトラお嬢様、頑張ってください!!」
「すごいぜ、ペトラお嬢様! 根性ありますよ、あんたは!」
「ハクスリー公爵令嬢様、負けないでください!」
「すごいすごいっ! 見て、お母さん、アルの顔色がだんだん良くなってきているよ!」
「まぁ……本当だわ……」
「奇跡のようだ……」
リコリスやハンス、そしてご家族の応援を一身に背負ってーーーなんと夕方近くに、わたくしはようやく治癒完了の感覚を感じることができました。
もはやフラフラで目を開けるのも大変辛い、という中で、わたくしはベッドから起き上がる小さな男の子の姿を見ることが出来ました。
「あれ? 起きあがっても頭がいたくない……? おかあさん、おとうさん、ぼく、頭がいたくないよ!」
「まぁ! アル! アル、あなた本当に起き上がれるのね!」
「アルぅアルぅ、よかったねぇ、よかったねぇぇぇ、うわぁぁぁんっ」
「ありがとうございますっ、ペトラお嬢様……え? ペトラお嬢様!? 大丈夫ですか!?」
「うわぁぁぁ!? ハクスリー公爵令嬢様がぁぁぁ!?」
だんだん周囲の声が聞こえなくなり、わたくしはそのままブラックアウトいたしましたが。
あのとき嬉しそうに笑っていた弟さんの笑顔は、きっと忘れません。