48:皇太子殿下御一行
大神殿の門から、皇室の旗を掲げた馬車とハクスリー公爵家の旗を掲げた馬車、そしてラズー領主館の旗を掲げた馬車が続いて入ってきました。その周囲を守る騎士は、皇都から来た近衛騎士と、ラズー領主館の騎士たちです。
彼らの華々しい入場に、グレイソン皇太子殿下を一目見ようとやって来た住民たちが、大神殿前の大通りで歓声をあげていました。
大神殿の玄関前に到着した馬車から、順々に人が降りてきます。
領主館の馬車からは領主様と奥方様のイヴ様、そしてパーシバルご兄弟。
ハクスリー公爵家の馬車からは公爵代理の役を仰せつかったアーヴィンお義兄様。
アーヴィンお義兄様は今年十五歳になるのに合わせて、ハクスリー公爵家の跡継ぎに相応しいと認められ、ついに養子縁組を結ばれました。
最後にお会いしたときよりも背丈が伸び、淡い水色の髪も伸びたようで襟足を結んでいます。けれどその銀色の瞳には、以前と変わらぬ優しさが見えていました。
そして皇室の馬車から、一人の少年が白銀の髪を揺らしながら降りてきますーーーグレイソン皇太子殿下です。
まだ線の細い少年の姿ですが、皇太子らしく堂々としていて、気品に溢れていました。
グレイソン皇太子殿下は今しがた降りた馬車へ振り返ると、手を差し伸べます。中に居る相手が降りやすいように、エスコートをするようです。
薄桃色のドレスの裾が乱れぬように淑やかな動作で馬車を降りてきたのは、わたくしの妹のシャルロッテでした。
わたくしの記憶のなかにあるシャルロッテよりも成長し、淑女らしくなった彼女は、ゲームのシャルロッテに少しずつ近づいていました。
銀の瞳を輝かせ、薄紅色の頬を緩ませ、グレイソン皇太子殿下に柔らかな笑みを向けています。きっとエスコートのお礼を伝えているのでしょう。
そしてシャルロッテはグレイソン皇太子から視線をはずすと、きょろきょろと辺りを見回します。
シャルロッテはわたくしを見つけ、満面の笑みを浮かべて小さく手を振りました。
わたくしも手を振り返して見せます。
「うわぁ~、ペトラちゃんの妹ちゃん、めちゃくちゃ可愛い~!」
「タイプは違うけど、やっぱペトラの妹だな。すっごい美少女」
アンジー様とスヴェン様が楽しそうに囁き合います。
「……あれがペトラの妹? ふーん」
わたくしにしがみつくのを止めたベリーが、ヴェールの向こう側で不思議そうな声を出します。
「髪と目の色はいっしょだけど、ペトラとあんまり似てないね」
「そうですわね」
わたくしとシャルロッテの母が違うことなど、貴族社会では周知されていますし、アンジー様もスヴェン様もきっとご存知です。大神殿に提出したわたくしの身上書に書かれてありますから。
けれど母親が違うという事実を、先月ようやく十一歳になったばかりのベリーに説明するのは難しいので、口にはしません。彼女の精神はさらに幼いですし。
「私はペトラの方が、ずっと柔らかい感じがする」
「柔らかい、ですか……?」
ラズーに来てのびやかに過ごしていたせいで太ったのでしょうか、わたくし。それが本当なら由々しき事態ですわ……。
公爵家に居た頃より食事がおいしくいただけるようになったのは、ストレスがなくなったせいだと思っていたのですが。単にわたくしが太って、味覚がおデブ寄りになってしまったのでしょうか……。
「ペトラのいもうとは固い感じ」
「……骨っぽい、とか。痩せているという意味ですか、ベリー?」
「ううん。魂が」
「……たましいが?」
「うん」
ベリーはそれ以上、口にはしませんでした。
『魂』という意味深な単語も気になりますが、わたくしが太ったかどうかもかなり気になるところです。……冬場の焼きマシュマロや干しいも炙り放題のせいでしょうか?
わたくしがベリーに追求するか迷っている間に、来訪客たちが大神殿の玄関へとやって来ました。領主様がグレイソン皇太子へ、マザー大聖女とイライジャ大神官の紹介を始めたので、諦めて口をつぐみます。
ちなみに今日の上層部はお二人だけで、ダミアン大神官とセザール大神官は出張中だそうですわ。
「ペトラ・ハクスリー見習い聖女、こちらにいらっしゃい」
突然、マザー大聖女に名前を呼ばれて驚きました。
しかしグレイソン皇太子を始め、来訪客がこちらに視線を向けるので、取り乱すわけにはいきません。わたくしは「はい」と答えると、静かにマザー大聖女のもとに向かいました。
しかしマザー大聖女がわたくしの方を見て、ため息を吐きます。
「……ベリー見習い聖女、あなたは呼んでおりません。お戻りなさい」
ちゃっかり後ろにベリーが付いて来たみたいです。
振り返れば、ベリーはアンジー様とスヴェン様に捕まっておりました。
たぶん不満げな表情をしているのでしょうが、ヴェールを被っているので見えません。来訪客にバレなくて良かったですわ。
「初めまして、ペトラ・ハクスリー見習い聖女です。この度は我が妹シャルロッテとのご婚約が調われ、心からのお祝いと感謝を申し上げます、グレイソン皇太子殿下」
「……お前が姉のペトラか。シャルロッテからよく話は聞いている。楽にせよ」
「はい」
淑女の礼から顔をあげれば、ようやくグレイソン皇太子殿下のお顔を間近に見ることができました。
ゲームでは十七歳の姿だったグレイソン皇太子殿下は、現在わたくしと同じ十歳。幼いながらもゲームの面影があります。
凍てつく冬の雪を連想させる白銀の髪に、同色の長い睫毛。切れ長の瞳から覗く虹彩の色は青みを帯びた紫ーーーベリーの瞳も同じ色だなと、わたくしはふと思いました。アスラダ皇国には青紫の瞳はそれほど珍しい色ではないのかもしれません。
男性的に整ったお顔で、前世の世界なら俳優やモデルとして一世を風靡していたでしょう。
けれどわたくしは、あまりグレイソン皇太子殿下のお顔を好ましいとは思いませんでした。
この御方の瞳に冷たい嘲りの色が見えていたからです。
「……なんだ、この程度か。シャルロッテが慕っているという姉は」
わたくしにだけ届くような小さな声で、ボソリと皇太子が呟きます。
一瞬、なにを言われたのか理解できませんでしたが、皇太子が鋭利なトゲを言葉に含ませようとしたことだけは分かりました。敵意を向けられているのです。
ーーー反応しては、いけない。
咄嗟にそう思い、わたくしは表情も視線の位置も変えずに、ただ皇太子を見つめました。
グレイソン皇太子のお顔は確かに笑っているのに、目だけが笑っていませんでした。
「ペトラお姉様」
わたくしとグレイソン皇太子の間に流れる凍てついた空気を有耶無耶にするような、シャルロッテの優しい声が響きます。
ホッとして、わたくしはシャルロッテに顔を向けました。
「お久しぶりです、ペトラお姉様。ずっとお会いしたかったんですっ」
「……ええ、久しぶりですわね、シャルロッテ。わたくしもあなたに会えるのを楽しみにしておりましたよ。ずいぶん淑女らしくなりましたわね。今日はグレイソン皇太子殿下とのご婚約、本当におめでとう」
「ペトラお姉様……! ありがとうございます」
銀の瞳を潤ませ、両手を胸に当てて愛らしく微笑むシャルロッテに、わたくしもほわりと心が暖かくなります。
グレイソン皇太子から謎の圧力を感じたあとなので、余計に。
シャルロッテはふとわたくしの頭を見上げて、「わぁっ」と小さく歓声をあげました。
「ペトラお姉様、今日は私が作ったリボンをつけてくださったのですね! 私、とてもとても嬉しいです……!」
「今日だけではありませんのよ。このリボンは治癒棟に初出勤した日から毎日使っていますの。わたくしのお気に入りなんです。シャルロッテ、改めてありがとう」
「はわわわわ、うれしい、嬉しいです、ペトラお姉様!」
顔を真っ赤にしたシャルロッテは少し淑女らしさが迷子になりましたが、わたくしの言葉にそれだけ喜んでくれたみたいです。
「わ、私もっ」
シャルロッテは自分の髪を指差しました。
そこには以前シャルロッテ宛てに送った、『ラズー硝子』のヘアピンが飾られていました。
半透明のガラスと透明なガラスが組み合わされたそれは、やはり氷で出来た花のように幻想的で、彼女の妖精のような愛らしさを際立たせてくれています。
「私もペトラお姉様が贈ってくださった髪飾りを、毎日つけてます。ほらっ」
「『ラズー硝子』のハーデンベルギアですね。シャルロッテに似合うと思って選びましたが、やはりよく似合いますわ」
「直接、ペトラお姉様にお礼をお伝えしたかったんです。
ペトラお姉様、素敵な贈り物をありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
「……シャルロッテ」
甘く優しいのに、どこか冷たい響きを持った声が降りてきます。ーーーグレイソン皇太子殿下でした。
蕩けるような微笑みを浮かべながら、グレイソン皇太子はシャルロッテの肩を引き寄せました。
妹の小さな体が、簡単にグレイソン皇太子の方へと傾きます。
「姉との積もる話もあるだろう。だが、今は僕と君の婚約書類を大神殿に提出するのが先だ。わかるだろ?」
「は、はいっ。話し込んでしまってごめんなさい、グレイソン様」
「ああ。わかればいいんだ」
グレイソン皇太子との近過ぎる距離に恥じらうように、シャルロッテは頬を桃色に緩ませました。
シャルロッテがグレイソン皇太子に向ける視線にはたしかに憧れの色があり、そして皇太子がシャルロッテに向ける視線には恋慕の色が見えます。
……お似合いの二人のはず、なのに。
わたくしは何故だか、ゲームで観たグレイソン皇太子とシャルロッテの関係とは、なにかが違うように感じてしまいました。
いえ、これこそが現実の二人です。
乙女ゲームとはすでに違う道を歩んでいる二人の関係が、目の前の光景なのです。
だから妙な胸騒ぎを感じるのは、きっとわたくしの思い過ごしなのでしょう。
「ハクスリー嬢も我々と共に本堂へ向かいましょうぞ」
イライジャ大神官がそう声を掛けてくださって、わたくしはようやく思考の海から浮かび上がりました。
「はい、イライジャ大神官」
来訪客と上層部の移動について行きながら、わたくしは悪い予感を振り払いました。




