42:ラズー祈祷祭②
朝食を取りに食堂へ向かえば、すでに祭り衣装に着替えた神官聖女、見習いの方がたくさん居ました。
黄金の装飾品や金糸の刺繍が目立ち、食堂が華やかです。
朝食後に更衣室へ向かう方々も、早く着替えたいとばかりに急いで食事をしていらっしゃいました。
ベリーは今日の朝食は大神殿の最奥部でとる予定だとマシュリナさんから聞いていたので、ひとりで注文口に向かい、日替わりの朝食を受けとります。
食堂で働いている職員さんが「とっても綺麗ですね、ハクスリー見習い聖女様」と声を掛けてくださったので、わたくしも微笑んでお礼を言いました。
食堂の窓際にある一人掛け用のカウンター席に座り、ありがたく朝食をいただきます。
今日はお祭りなので、いつもよりちょっと贅沢です。
白身魚のフライが挟まれた白パンと、具沢山の魚介のスープ、サラダ、そして祝い菓子のクッキーです。
クッキーのなかには木の実とシナモンが練り込まれたキャラメルが入っていました。
これは聖地ラズーでは結婚式やお祭りのときによく用意されるものだそうです。近くのテーブルで朝食を食べていた神官様たちがそんな話をしていらっしゃいました。
食事が終わると案の定、口紅が剥げていました。
食堂を出てすぐの廊下の窓に近寄り、ぼんやりと映り込む自分の顔を見ながら、化粧師の方からいただいた蝋引き紙を開きます。
薬指に紅を馴染ませ、そっと唇をなぞれば、お直し終了です。
今度ラズーの街に出たら手鏡でも買おうかしら、と考えていると、廊下の奥からわたくしの方に向かって駆けてくる足音が聞こえてきました。
「ペトラー!」
アスラー大神の愛し子というのも納得というほどの、美しい少女が現れました。
木苺色の髪を複雑に結い上げ、色とりどりのハーデンベルギアの生花とともに簪型の髪飾りをジャラジャラ差し込み、まるで幼い天女様のようです。
廊下ですれ違う神官聖女、職員の方々も、彼女の幼いながら完成された美しさに目を奪われていました。
本人は重たい祭り衣装などなんのその、という感じで、裾を振り乱して走っています。黄金の装飾品が跳び跳ねてぶつかり合い、音を立てていました。
……たぶんベリーのは鍍金ではなく本物の黄金製でしょう。
金は純度が高ければ高いほど柔らかく傷つきやすいので、状態がとても心配になりますわ。
「ベリー、その格好で走るのは良くないと思いますわ」
「ペトラっ、会いたかった!」
わたくしの小言など聞いちゃいないという態度で、ベリーはわたくしに抱きつきます。
わたくしは彼女の小さな背中をポンポンと叩きました。
ベリーはくっついたまま、じっとわたくしの顔を見上げます。
「? ベリー、どうなさったの?」
「……あかい」
「赤い?」
「ペトラの唇、赤いね」
「ああ、口紅ですわ。ベリーはつけなかったのですか?」
彼女の顔をまじまじと見れば、ほとんど化粧をしていません。おしろいをはたいて、額に紋様を描いただけでした。
けれど、まぁ、ベリーはお化粧などしなくても綺麗なので問題は無いですけれど。
ベリーはふるふると首を横に振ります。
「マシュリナが、なんかベタベタするのを口にくっつけようとしたから、私、嫌だった」
「抵抗したのですね……。たぶんそのベタベタするやつが口紅ですわ」
「ふーん」
ベタベタするのが嫌と言うわりには、熱心にわたくしの唇を見つめてきます。
やはりベリーも、テクスチャーが好みの口紅だったら、お化粧をしたかったのでしょうか。
しかしここは前世とは違い、化粧品の種類は豊富ではありません。水のようにさらっとしたテクスチャーのリップなど、あるはずもありませんし。
そんなことを考えていると、ベリーがすっと指を伸ばし、わたくしの唇にふにっと触れました。
そして自分の指に付いた赤い口紅を見て、不思議そうに首をかしげます。
「赤いの、私のゆびに移った」
「ええ、触るとすぐ落ちてしまうものなのですわ」
「残念だね。ペトラの口、赤くてきれいだったのに……」
しょんぼりするベリーに、わたくしは再び蝋引き紙に包まれた口紅を取り出しました。
「今日一日分くらいの口紅ならまだありますから、お化粧直しができますのよ」
「へー」
指にとって塗り直そうとすれば、ベリーが「私がする!」と言いました。
「私がペトラをきれいにするよ!」
「……では薬指の腹のところに、少しだけ口紅を馴染ませてみてください」
「こう?」
「もっと少なくて大丈夫ですわ。ええ、それくらいです。それを優しくわたくしの唇に塗ってくださいませ」
「うん」
ベリーがやりたいと言うのなら、経験させてあげた方が彼女の情操教育に良いだろうと思い、わたくしはベリーに口紅を塗らせてあげることにしました。
失敗したら、直せばいいだけですし。
口紅を塗りやすいように少し口を開けて待機すると、ベリーはとても真剣な顔つきで、わたくしの唇にゆっくりと薬指を近づけます。
指先に取った口紅の、ぬるりとした感触を唇で感じました。
ベリーはとても丁寧にわたくしの下唇を辿り、上唇をスーッスーッと撫でました。時折「はみ出ちゃった……」と言って、なにも付いていない別の指ではみ出た口紅を拭い取ってみせます。
「できたよ」
「ありがとうございました、ベリー」
「ペトラの口、また赤くてきれいになったね」
窓ガラスで確認すれば、とてもきれいに口紅が塗ってくれたようです。
「上手に出来ましたね、ベリー」
「うん。また赤くなくなったら、私が塗ってあげるね」
「ええ、ありがとう」
「ふふふ」
ベリーが嬉しそうにわたくしを見上げて、言いました。
「今日はずっとずっと、ペトラのことを見ていてもいい? こんなにずっと見ていたいもの、初めてだ」
「えぇ……!?」
今日はすでに化粧師さんや職員さんたちから、すでにたくさんお褒めのお言葉をいただき、ありがたく受け取ってきました。
なのにベリーのその言葉は、ふつうに「綺麗ですね」「可愛いね」と言われるより、ずっとずっと胸に来ます。嬉しくて恥ずかしくて、なんだか顔がポッポッと熱くなってきました。
「ん? ペトラ、顔まで赤い……?」
「……ベリーのせいですわ」
「私、なにかした? ペトラが嫌なこと?」
「嫌なことではありませんけど……」
こういうときは、仕返しに相手を褒め殺して差し上げましょう。
わたくしばかり照れているのも悔しいですから。
それにわたくしはまだ、今日のベリーの格好を褒めていませんでしたしね。
「今日のベリーは、いえ、今日のベリーもとっても綺麗で可愛くて素敵ですわね!! 口紅を塗らなくても、すごくすごく可愛くて……(語彙力)」
「本当?」
ベリーは青紫色の瞳を輝かせました。
「この格好、重くて好きじゃないけど頑張る。だからペトラ、私のことをずっとずっと見ていて。私から目を離さないでね」
「……善処いたしますわ」
「ぜんしょ?」
ただ無邪気に喜んでくれるベリーには、褒め殺しという方法では勝てないのだと、わたくしは悟りました。
わたくし一人で照れるしか、ないのですね……。
「ではそろそろ時間ですから、移動しましょうか」
「うん」
わたくしとベリーは手を繋ぎ、いつもより重たい衣装をジャラジャラ鳴らしながら、大神殿の本堂へと向かいました。




