38:いや、男の子だよね?(アンジー視点)
今日もあたしの執務室は『可愛い』でいっぱいだ。
部下のペトラちゃんがお淑やかな雰囲気で治癒棟にやって来る。それだけでもめちゃくちゃ可愛いというのに、最近はもう一人可愛い子がペトラちゃんにくっついている。
ーーー神託の能力者、ベリーちゃんだ。
「こんにちは、アンジー様。午後の勤務に参りました。本日もよろしくお願い致します」
「…………」
「ベリー、アンジー様に挨拶なさって? 挨拶は人間関係の基本ですわ。もちろん、挨拶を返さない方もなかにはいらっしゃるでしょう。挨拶が万能というわけではありません。でも関係を円滑にする可能性を与えてくれる、偉大なマナーですの」
「こんにちは」
「偉いですわ、ベリー! この調子で自分から挨拶出来るようになりましょうね」
「はいはい、二人ともこんにちはー!」
ペトラちゃんとベリーちゃんがくっついているのは、めちゃくちゃ可愛い。
薄紫色の髪と銀の瞳をした育ちの良いペトラちゃんは、ラベンダーのお姫様みたいだし。
木苺色の髪と青紫の瞳をしたベリーちゃんも、童話の世界の住民みたいに愛らしくて、二人並んでいると『可愛い』が爆発する感じだ。
ベリーちゃんが信頼しきったようにペトラちゃんに懐いているのを見ると、こちらもほっこりした気持ちになる。
ベリーちゃんの噂話は、あたしも以前から耳にしていた。
神託の能力者がどこかの田舎で生まれ、大神殿が保護した、とか。
ご両親と引き離されて大神殿の奥で育てられた可哀想な子供、だとか。
逆に、両親はすでに亡くなっている、とか。色々。
それだけ情報が錯綜するということは、きっと上層部が隠さなきゃならない何かがその子の背景にあるのだろうと、あたしはなんとなく察していた。
噂の張本人であるベリーちゃんは、昔から大神殿で暮らしている者逹もほとんど見たことがなくて、まるで神出鬼没の妖精みたいな扱いだった。
そんな不思議な子とペトラちゃんがなぜだか出会い、そして今こうしてベリーちゃんが大神殿の者達の前にふつうに現れるようになったのは、とても感慨深いものがある。
実際に見て知った、ベリーちゃんの肉体的にも精神的にも幼い様子に、あたしは最初打ちのめされた。
こんなに心を閉ざした子供が大神殿の奥で暮らしていたなんて、気付いてあげられなくて申し訳ないとさえ思った。
ただ、ベリーちゃんがこんなふうに心を閉ざしていたのは、乳母のマシュリナさんだけが悪いのではないと思う。
神託の能力者は扱いを間違えればアスラー大神の怒りを買ってしまう存在だから、外界の悪意から守り育てるには、籠の鳥にしてしまった方が簡単なのだろう。
そうして周囲の大人たちがベリーちゃんを守ろうとすればするほど、ベリーちゃんは孤独を感じて心を閉ざしてしまったのかもしれない。
そんなわけで、あたしだけじゃなく大神殿中の大人たちが、「ようやく人間に心を開いたんだね」と好意的にベリーちゃんを見ていた。
ペトラちゃんはそんな大人たちを「ベリーを甘やかしすぎですわ! このまま甘えん坊に育ってしまったらどうするのです!?」と、お姉ちゃん風を吹かせて一生懸命にベリーちゃんの面倒を見ている。
そんなペトラちゃんが一番ベリーちゃんを甘やかしていることに、たぶん彼女本人は気付いていないんだろう。無償の心で赤の他人(それも同年代)の成長を見守り続けるなんて、簡単にできることじゃないのに。
今目の前でベリーちゃんが挨拶できたことを褒めまくるペトラちゃんに、あたしは声をかけた。
「さて、本日のペトラちゃんの勤務内容なんだけど~」
「はい。今日は患者さんが多いのですよね? わたくしの担当は何人でしょうか、アンジー様」
「それ変更になりましたー。ペトラちゃんはこれから大神殿の衣装室に行って、『ラズー祈祷祭』の衣装を試着して来てくださーい」
「『ラズー祈祷祭』、ですか……?」
「聖地ラズー最大のお祭りだよ~。大神殿でお祈りして、パレードで街を練り歩き、最後は海で上層部が祈祷して、漁師さんたちの船が一斉に沖に出て大漁旗を掲げるの。大地と海の恵みを感謝し、祝うお祭りなんだよ~」
領主館と綿密な計画を立てて実施される『ラズー祈祷祭』は、多くの領民も集まるが、一年でもっとも観光客が集まる日だ。
大神殿の本堂が常時解放され、一年で一度しか御開帳されない宝物も展示される。
街中はもちろん、海岸通りまで屋台や出店で溢れる、商人たちの稼ぎ時でもある。
ラズーをあげてのお祭りなのだ。
あたしたち聖女や、ペトラちゃんのような見習いもパレードに駆り出される。
代々大切に継承されてきた祭り衣装を着て、幌なしの馬車や馬に乗り、道を練り歩く。
観客から一番求められているのは大聖女や大神官ら上層部の者たちだけど、きっと、幼くて愛らしい見習い聖女ペトラちゃんも今年は注目の的の一つになるだろう。
「アンジー様、そのお祭りにベリーも参加いたしますの?」
「うーん、どうだろうねぇ。今までベリーちゃんは参加しなかったけれど……」
ペトラちゃんの質問に、あたしも首をかしげる。
ベリーちゃんを守るためか、ベリーちゃん本人が参加したくなかったのかはわからないけれど、今までのお祭りでは不参加だった。
「ペトラが出るなら、私も出るよ」
ベリーちゃんがきっぱりと言う。
ペトラちゃんはぱぁっと明るい笑顔を浮かべた。
「ベリーと一緒なら、きっととても楽しいお祭りになりますわ。……そうですわ、アンジー様! せっかく衣装室に行くのですから、ベリーも衣装の試着をしてきてもよろしいでしょうか?」
「うーん。それはダメかなぁ」
一緒に試着してサイズを選んでもらう方が、効率がいいのはわかっている。
でも、ダメだ。
「ベリーちゃんのことはマシュリナさんに聞いてからじゃないと、決められないのよ」
「そうですのね、失礼いたしましたわ」
「では、試着はわたくしだけですね」と言いながら、ペトラちゃんが衣装室へ移動するためにベリーちゃんの手を取る。
ベリーちゃんはぎゅっとペトラちゃんの手を握り返した。
「では、衣装室に行って参ります」
「試着の時はちゃんと衝立の向こう側で、係りの人と二人きりでやるんだよ~」
「わかりましたわ」
暗に、ペトラちゃんが着替えているところを、ベリーちゃんに見られないようにね、とあたしは忠告しておく。
……まぁ、ペトラちゃんは絶対に気付いてないと思うんだけど。
執務室からペトラちゃんとベリーちゃんが退出し、あたしはひとりごちた。
「ベリーちゃんって、女の子の格好をしてるけど、絶対男の子だよねぇ……。そのことをマシュリナさんは隠したいみたいだから、安易に一緒に衣装の試着をしておいでなんて、言えないなー」
かつて息子を生み育てた経験があるからか、ベリーちゃんがどんなに美少女顔をしていても性別が男の子であることを、あたしはなんとなく察していた。
上層部がベリーちゃんの性別を必死に隠そうとしているのなら、衣装係にバレるわけにはいかないだろう。
あとでマシュリナさんに相談しておこう。
ベリーちゃんが祭りに参加するもしないも、マシュリナさんが対応してくれるはず。
「でも、ベリーちゃんが居た方がペトラちゃんも嬉しいだろうから、一緒に参加できる方向だといいな~」
あたしはそう呟いてから、気持ちを切り替えて、今日の予約分の患者の資料に目を通すことにした。




