37:歴史の授業
ラズーの地に実りの秋がやって来ました。
木々の葉が赤や黄色に色付き始め、大神殿の景色もどんどん秋めいていきます。
木の実がなる広葉樹のまわりには小さな動物や鳥たちがよく姿を現し、冬の準備をしていました。
そんな移り変わる季節を堪能する暇もなく、わたくしは大声をあげます。
「ベリー! いい加減離れてくださいませ!」
「やだ」
「わたくしはこれから歴史の授業ですのよ!?」
「私もいっしょに行く」
「ベリーにはベリーの授業があるのでしょう!? ベリーの講師がお可哀想ですわっ」
「ペトラと同じのに出る」
わたくしの名前を呼び、会話をするようになったベリーは、なぜか甘えん坊大魔王に進化してしまいました。
最初のうちは『幼児やペットの後追いみたいで可愛らしいですわ』と頬をゆるめて、ベリーといっしょに食事をしたり、眠ったり。わたくしの入浴が終わるまで大浴場の前で待っている彼女を見て、嬉しく思っていたのですが。
最近はわたくしの授業や仕事にもついてこようとするので、困っています。
乳母のマシュリナさんはベリー至上主義者なので、今回のことに関しては話が噛み合いません。
「本当にダメなことはお止めしますが、それ以外のことならベリー様の望むとおりにペトラ様と過ごしてください」と彼女を甘やかしています。
がっちりとしがみついてくるベリーを引き離すことも出来ず、大人たちに叱られる覚悟で彼女を治癒棟に連れていけばーーー大歓待が待っていました。
治癒棟の玄関で護衛にあたっている神殿騎士のお二人は、最敬礼でベリーを迎え入れましたし。職員さん逹も患者そっちのけでベリーに出すお茶やお菓子を用意し始めました。
いつも仙人のようなゆったりとした身のこなしのゼラ神官が、所長室から走ってきたのには本当に驚きましたわ……。
ベリーを連れてきたことをゼラ神官に謝れば、
「次期大聖女の位が確定している『神託の能力者』に、我輩ごときが逆らえるはずもありませんぞ」
と、大企業のご子息に逆らえない会社員のように言っておられました。
ドローレス様など、「治癒棟への予算アップお願いしますぅ、未来の神託の大聖女様ぁ~」とあからさまに媚びへつらっておりましたし。
アンジー様はというと、大はしゃぎでした。
「これが噂のベリーちゃん!? うっわ、めちゃくちゃ美……え? 美少……、うーむ、とりあえず可愛いね、ベリーちゃん!!
うん? ペトラちゃんのお仕事を見学したいの? いいよいいよ~。ベリーちゃん、静かでおとなしそうだし。ペトラちゃんのお仕事の邪魔をしないんなら、見ていきなよ。仕事中のペトラちゃん、とってもかっこいいから!」
そういうわけで、その日ベリーは診察室の隅に用意された椅子に腰掛け、わたくしの治癒を見学し、執務室でもわたくしが書類製作をしているところを見学していました。
そんなことを回想したわたくしは、こんなにベリーを甘やかしてばかりいては、ベリーは立派な大人になれないのではないかしら? と危機感を抱いています。
「教授に叱られても助けませんからねっ、ベリー!」
わたくしが怖い顔をしても、ベリーはまったく気にしませんでした。
ぎゅっとわたくしの腕にしがみつき、梃子でも離れないぞという態度です。
このままでは授業に遅刻してしまいますので、わたくしは諦めてベリーをくっつけたまま、午前の歴史の授業に出席しました。
▽
「これはこれはっ、神託のベリー見習い聖女様! ようこそ歴史の授業にいらっしゃいました。ささっ、こちらのお席にどうぞ。ぜひお聞きしていってくださいませ!」
歴史の授業を担当する教授さえ、この態度です。
わたくしはもはや悟りの境地に陥って、いつもの席に座りました。
ベリーは教授が用意した席から椅子だけをわたくしの隣に運び、べったりとくっつきます。べったりベリー。語感がよろしいですわね……。
「では、授業を開始しましょう。かつて『始まりのハーデンベルギア』以外すべてのハーデンベルギアが枯れるという凶事が、アスラダ皇国の長い歴史のなかに三回起こりました。今日はその一番最初の凶事についてお話してゆきます」
ハクスリー公爵家に居た頃、家庭教師から習った内容でしたが、あれは貴族側が語る歴史でした。今回教授がお話しされるのは神殿側から見た歴史なので、とても興味深いです。
わたくしは手を繋いでくるベリーのことをひとまず忘れて、教授の話に耳を傾けました。
「一番最初にハーデンベルギアが枯れたのは、今から約八百年程前のことです」
前世日本で考えると、鎌倉時代くらい前の出来事でしょうか。
それほど昔のことがきちんと伝承されて残っていることに、改めて驚きを感じますわ。
「後世では『廃人皇帝』と呼ばれたウルフリック皇帝陛下の世のことでございます……」
ウルフリック皇帝陛下は、あちらこちらの民族に戦争をしかけては勝利し、アスラダ皇国の領土を拡大させておりました。
負けた民族は奴隷として国に持ち帰って来たのですが、あるとき、その奴隷のなかから『神託の能力者』が生まれました。
大神殿側はこの『神託の能力者』を保護しようとしたのですが、ウルフリック皇帝陛下は「それは自分の戦利品だ」と言って、大神殿側の要請をはね除けました。
皇帝は新たな『神託の能力者』を手中に納めることで、大神殿の力さえも押さえ込もうとしたのです。
次にウルフリック皇帝陛下は、『神託の能力者』である子供を恐怖によって自分の支配下に置くことに決めました。
そして、ウルフリック皇帝陛下が熱く焼けた火掻き棒を子供の背中に押し付けようとしたその時、ーーー異変が起こりました。
「後光とともに、アスラー大神様が降臨なされたのです」
アスラー大神はおっしゃいました。
『私は失望した。私の愛し子を害しようとしたそなたに、私は万の地獄を与える』
その瞬間、ウルフリック皇帝陛下は気が触れてしまいました。
ウルフリック皇帝陛下は白目を剥き、よだれを垂らし、「縺後§繧?s縺オ縺! 繧徒l繧砺l?シjfn?帙?fv!!!! 縺ッl縺jgm繧堵?嬋dcv縺!?」と、わけのわからぬ言葉を叫び、暴れます。
その同時刻に、皇国中のハーデンベルギアの花が枯れ落ちました。
ハーデンベルギアが枯れると言うことは、『皇国すべての植物を枯らし、人間の住めぬ土地にするぞ』という神からの警告です。人々にとってこれほど単純で恐ろしい警告もありません。
こうしてアスラー大神がウルフリック皇帝を見離したことは、すべての皇国民の知るところとなったのです。
ウルフリック皇帝陛下はそのまま廃人として幽閉されることになり、新たな皇帝がアスラダ皇国を治めることになりました。
この一件により『神託の能力者』を害せば、アスラー大神の怒りに触れると言うことが判明されました。
「……それ以来『神託の能力者』の地位は、大神殿の最上位として扱われるようになったのです」
▽
どうして大神殿の皆さんがベリーに極甘なのか、たいへんよく理解できた授業でした。
神託の能力者がアスラー大神の愛し子であるということは、公爵家では教わらなかったので、とても勉強になります。
アスラー大神がウルフリック皇帝の横暴にただ怒っただけではなかったのですね。ははは……。
わたくしは半笑いを浮かべながらベリーに視線を向けます。
ベリーはというと、わたくしの授業に無理矢理ついてきたわりに、ぐっすりとお昼寝中でした。
「ベリー様のお好きなようにさせるのが、貴女の身を守るいちばんの方法でございますよ、ペトラ様」
「……ご忠告痛み入りますわ、教授」
けれど、ただ自由にさせるだけでは、ベリー本人の為にはならないでしょう。
アスラー大神の怒りを買わず、ベリーの心を優先しつつ、その上で一般常識を学ばせるのは、なかなか骨が折れそうだとわたくしは思いました。




