34:大神官と大聖女の会議(ベリスフォード視点)
庭園でいつものように、まくらの訪れを待っていたベリスフォードは、今、乳母のマシュリナに腕を掴まれて大神殿の最奥部に連れてこられていた。
早くペトラのもとへ戻りたかったベリスフォードは、マシュリナの手を振りほどこうと腕をバタバタ動かす。
廊下の途中で立ち止まって、足裏に力を込め、『行かない、行きたくない、戻る』ということを全身で懸命に表現していた。
「まぁ……ベリー様……」
マシュリナは感動に瞳を潤ませた。
「いつもされるがままで何の主張もされなかったベリー様が、駄々を捏ねていらっしゃるわ……! なんという成長でしょう。自己主張の芽生えというものですわね。これもきっとペトラ様との交友のおかげでしょう。ばあやは嬉しくてたまりません!」
「…………っ」
マシュリナは喜びながらも、ベリーの腕を逃がすことはない。乳母の名は伊達ではないのだ。
マシュリナはベリーの力が緩む隙を見て、またぐいぐいと引っ張って廊下を進み、『大会議場』と呼ばれる大きな扉の前に辿り着いた。
「上層部の方々がすでにお待ちですよ。私は中には入れませんが、ベリー様、お行儀良くなさってくださいね」
「…………」
「まぁ! ベリー様の眉間にシワが寄っていらっしゃるわ。不機嫌を覚えられたのね、実に素晴らしいことです」
いやなのに、まくらが来るのを待っていたいのに、マシュリナは扉を開けてベリスフォードの背中を押してしまう。
ベリスフォードがしぶしぶ中へ進むと、背後で扉がパタンと音を立てて閉まった。
このいやな気持ちはなんなのだろう、とベリスフォードは思う。
せっかくまくらを待っていたのに。じゃまされた。
やりたいことをやりたいように出来ないことへのムカムカ。
理解してくれないマシュリナへのプンプンする気持ち。
楽しくない。じつに愉快じゃない。
ベリスフォードの心は、初めて感じる苛立ちというものでいっぱいになっていた。
「出入り口で立ち止まってどうしたのだい、ベリー。きみの席はいつもの場所だろう?」
顔をうつ向かせていたベリスフォードに声をかけたのは、まだ二十代ほどの若い大神官だ。
獣たちと意思疏通し、従えることが出来る能力を持つ大神官、セザール。
銀縁眼鏡をかけた、気の弱そうな雰囲気を持つ男である。
ベリスフォードは顔をあげた。セザールに視線を向けたあと、室内をぐるりと見渡す。
大会議場の真ん中には、巨大な円卓が置かれている。
そこには常に十二の席が用意されているが、現在座っているのは四人だけだ。そしてベリスフォードを入れて五人になる。
最盛期には十二人の大神官と大聖女が集ったという歴史のある円卓に、今その資格を有する者は一人の大聖女と三人の大神官、そして神託の能力者として次期大聖女の位が決定されているベリスフォードだけなのだ。
獣調教の大神官セザールの向かいに座るのは、豊かな白髪をまとめた老婆。豊穣の大聖女マザーだ。
彼女が祈願した土地はすべて実り多い場所となるので、皇国中からその力を求められている。
大神官の名よりもよほど山賊のお頭が似合いそうな大男、ダミアンは、除霊の能力者だ。
悪霊と名のつくものはすべて祓うことが出来る。
最後の一人は千里眼の能力を持つ大神官イライジャ。
元は貴族出身のためか、神経質そうな雰囲気の三十代の男性だ。
……というこれらの人物の情報を、ベリスフォードは断片的にしか持っていない。
赤ん坊の頃からこの大神殿の最奥部で暮らしてきたベリスフォードには見慣れた人々であるが、興味がないからだ。
彼らの名前を思い出せないことも多いが、そもそも名を呼ぶこともないので問題はなかった。
「お座りなさい、ベリー見習い聖女よ」
「…………」
マザー大聖女の静かな声に、ベリーはようやく諦めて椅子に座った。
早くこのよくわからない時間が終わって、まくらを庭で待ちたいな、とだけ思った。
「お、ベリー、なんだか見違えるほど顔色が良くなったじゃねーか」
横から除霊のダミアン大神官がしゃがれた声で話しかけてくるが、すごくすごく、どうでもいい。
ベリーは椅子の上で膝を抱えて丸まった。
「最近新しく入ってきた、ペトラ・ハクスリー見習い聖女のお陰でしょう。マシュリナから報告が上がってきています。年の近い子供と触れ合ったことがベリーにはありませんでしたから、良い影響を受けているみたいですよ」
「ほぉ、なるほどなぁ。ガキがガキらしく過ごせる時間と言うもんは、実に貴重だ」
「良かったですね、ベリー。きみにお友だちが出来て、僕も嬉しいですよ」
マザー、ダミアン、セザールの順に喋ったあと、今まで黙っていた千里眼のイライジャがぎろりとベリーを睨み付けた。
「良いかな、ベリー見習い聖女よ。ペトラ嬢はあのハクスリー公爵家直系のご令嬢だ。君のような育ちの者にはわからんだろうがね、彼女は本来ならば皇太子の婚約者にもなれるほどの姫君なのだよ。決して失礼な真似をしないように、いいな?」
「おやめなさい、イライジャ大神官。あなたはもう貴族社会から解き放たれた身ですよ」
「ですがマザー大聖女、ペトラ嬢はまだ見習いの身です。彼女がどちらの道を選ぶのかはまだわかりません。公爵令嬢への敬意を忘れてはなりませんぞ」
「なぁーにが敬意だよ、イライジャ。お前のそれは貴族社会への未練だろうが。貴族のボンボンとして育ってきたお前には、大神殿の質素な暮らしはさぞかし辛かろう。俺は覚えているぞ。お前が掃除のやり方も知らず、一ヶ月でベッドをカビさせて廃棄処分にしたことを……」
「ええっ、そうだったんですか、イライジャ大神官。僕、その話は知りませんでしたね。イライジャ大神官が魚の骨をご自分で取ることが出来ないって話は知ってますけど……」
「うるさいですぞ、ダミアン大神官! セザール大神官!」
たいくつ、とベリーは立てた膝に額を擦り付ける。
ベリーのその様子を見ていたマザー大聖女が、パンパンと両手を叩いて、会話の流れを変えることにした。
「さて、それよりもベリー見習い聖女よ。あなたから最近の報告が聞きたいのです。アスラー大神様のご様子はどうですか?」
「…………」
答えないベリーに、四人は顔を見合わせ、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「アスラー大神様はお変わりないようですね」
「それだけで上々だと僕は思います」
「アスラー大神様の怒りには触れぬようにするのだぞ、ベリー見習い聖女」
「つーか、ベリー。お前、そのだんまりスタイルでどうやって新しい見習いと友だち付き合いが出来てるんだ? 無理だろ?」
「……マシュリナから伺っております。ペトラ見習い聖女は大変、我慢強い方だと」
「なるほどなぁ」
「良いお友だちが出来たんだね、ベリー」
「さすがはハクスリー公爵令嬢。人格者ですな」
「さて。続いて私からの報告ですぞ。私が千里眼で見たところ、西の方の領地でまたひとつ古代聖具の稼働が停止しました。原因は不明です」とイライジャ大神官が報告を始める。
「由々しき事態ですわね」
「僕も同感です」
「あそこにあった古代聖具って言えば『豊穣石』か。確かあの辺りは穀倉地帯だったよなぁ。マザー、アンタ遠征できるのか?」
「行くしかありませんでしょう。ですが、私の能力では『豊穣石』が稼働していた時ほどの実りは保証できませんが……」
わいわい話し出す大人達を、ベリスフォードは目を瞑ることで遮断した。
私のまくらは今頃庭園に来ているだろうか。
私を探してくれているだろうか。
そんなことを考えるだけで、少しだけ退屈が薄れるような気がした。
▽
大人達のよくわからない話が終わり、ベリーが『大会議場』から出て庭園に向かうと。土砂降りの雨が降り続いていた。
それでも庭園に出ようとすれば、ベリーの目の前に白い牛蛙が現れる。あまりにも頻繁に庭園に現れるので、もはや庭園の主のようだ。
『紫色のちっこいのなら、ここにはいないぞ。外には出るんじゃない、ベリスフォード』
「…………」
そうか。ならば、まくらの部屋に行こう。
ベリスフォードはふらりと大神殿の中へ戻った。




