30:特別功労賞の話
後半にアンジー視点有り。
ベリーに合鍵を渡してから、彼女は夜中にわたくしの部屋へふらりとやって来るようになりました。
わたくしはたいてい眠っているので、ベリーが来る頻度はよくわかりません。ほんのたまにやって来ているのか、実は毎晩わたくしの部屋に訪れているのか。
ただ、たまにわたくしの眠りの浅い日があって、そのときにふと部屋のなかを見回すと、ベリーが居ます。
ベリーは大人しくわたくしのベッドの中に入って横たわり、天井を見上げていることもあれば。窓際に椅子を置き、カーテンの隙間から夜空を見上げているだけの日もあります。
彼女はやはり夜はあまり寝付けないようです。
昼間のベリーはわたくしに触れるとストンと眠ってしまうので、ためしに手を繋いだままベッドに寝かせてみましたが、昼ほどの強い効力はないようです。
ベリーは少しだけウトウトと目を瞑るのですが、わたくしの方が先に熟睡モードに入ってしまうので、彼女が寝付いたかは分からずじまいでした。
朝起きると、ベリーはたいてい帰ってしまったあとです。
時々まだ部屋に居てくれるときは、ベリーと一緒に朝食を取るようにしました。
乳母のマシュリナさんがおっしゃっていたように、ベリーは本当に少食です。おいしそうな食事を目の前に並べても、すごくどうでも良さそうにしています。
けれどわたくしが食事を始めると、じっとこちらを観察し、時折わたくしが食べている物を欲しがります。
まるで幼児が大人の食べている物を真似っこして食べたがるのに似ています。……というか、まさしくその状態です。
ベリーも少しずつですが、心が成長し始めているのだなぁと、わたくしは思いました。
まぁ、人の唇に齧りつこうとしたり、口のなかに指を突っ込もうとするのは、やめてほしいのですけれども。
▽
そうやってベリーと過ごし、治癒棟でのお仕事にも慣れてきた夏の昼下がり。
ゼラ神官に呼ばれて、アンジー様と共に所長室を訪れました。
所長室には豪華な執務机がドンと置かれ、その手前には応接用のソファーとテーブルが並んでいます。
室内にはゼラ神官のほかにひとりの聖女がおり、聖女の方はソファーでふんぞり反っていらっしゃいました。
「やだぁ、アンジーじゃなぁい。子連れで所長室になんの用なのぉ?」
センター分けされた黒く長い前髪を指先にくるくる巻き付けながら、彼女ーーードローレス聖女が婀娜っぽく笑いました。
ドローレス聖女は色気の塊のような女性で、その首元には『幽閉組』の証であるチョーカーが巻かれています。
彼女の罪状は結婚詐欺だそう。
以前は男爵令嬢だったそうなのですが、次々と高位貴族の男性たちを手玉にとり、かなりの額を貢がせていたそうです。
それで結局ドローレス聖女が結婚してくれなかったことに怒った侯爵家の次男が、「裁判沙汰にするか、俺と結婚するか、どちらかを選べ!」と迫ってきたものだから、「アンタみたいな束縛男と結婚するとかホント無理ぃ」と言って、最終的に治癒棟で幽閉されているそうです。
ドローレス聖女本人が会う度にその話を武勇伝のようにされるので、わたくし、彼女の過去についてだいぶん詳しくなってしまいましたわ。
ちなみにこのドローレス聖女が、マシュリナさんが恐れた『生活力のない貴族』のなかのお一人のようです。
「あたしとペトラちゃんはゼラさんに呼ばれただけ~。ドローレスはなんでここでくつろいでんのー?」
「アタクシ? アタクシは書類を提出しにきたついでに、ゼラ神官のおやつを食べてるのよぉ。ペトラ、こっちにいらっしゃいな。おやつを分けてあげるわよん。今日はカットフルーツなのぉ」
おいでおいでとドローレス聖女が手招きをされます。赤く塗られた爪が扇情的に動いていました。
どうしようかと、わたくしはアンジー様とゼラ神官に視線を移しました。
ふたりとも仕方なさそうに笑います。
「では我輩がお茶を淹れましょうか。アンジー殿とハクスリー殿とは、お茶を飲みながらお話ししましょう」
「ドローレスの隣に座ってあげて、ペトラちゃん」
「はい、わかりましたわ」
わたくしがドローレス聖女の隣に腰かければ、ドローレス聖女はわたくしをうっとりと眺め回しました。
「はぁぁぁん。ハクスリー公爵家の直系の娘とか、ホント最高だわぁん。お金持ちの匂いがするぅ」
「ごめんね、ペトラちゃん。ドローレスはお金が大好きだからさぁ、ペトラちゃんが公爵令嬢ってだけでメロメロなんだよ。あ、ドローレスに貢いじゃダメだからね?」
「ペトラァ、いくらでもアタクシに貢いでいいのよぉ」
「本当になんでドローレスってお金大好きなのに、侯爵家に嫁がなかったわけ~?」
「お金は大好きだけどぉ、男に縛られて生きるのはシュミじゃないわぁん」
「幽閉もあんま変わんなくない?」
「全然ちがうわよぉ。だってここには『俺のこと愛してる? 愛してるって言わなきゃ殺す』とか言う男は居ないもの」
「あー、そういう男はあたしも無理だー」
「でしょでしょぉ~」
「じゃあ、まともな金持ちを狙えば良かったのに」
「まともな金持ちはね、アタクシのような三流なんて相手にしなくてよ。アタクシ、自分が評価される市場はきちんとわかっているものぉ」
「地頭はいいのに、残念な子だよね、ドローレスは」
キャッキャと楽しげに話し込むおふたりを眺めながら、ドローレス聖女から差し出された皿からマンゴーひと切れ取ります。
ラズーは暖かい地域なので、フルーツがよく育つのですわ。
アンジー様とドローレス聖女のお話を聞きながら、わたくしはふと、皇太子殿下のことを思い出しました。
乙女ゲーム『きみとハーデンベルギアの恋を』のメイン攻略対象者であり、悪役令嬢ペトラの婚約者でもあった皇太子は、一番人気の俺様キャラクターでした。
それこそ「僕のことを愛さなければ殺す」とヒロイン・シャルロッテに迫るような、過激な一面があるのです。
悪役令嬢ペトラと皇太子は、十歳のときに婚約しました。つまり来年です。
もしかすると、来年シャルロッテが皇太子と婚約するかもしれません。邪魔者の悪役令嬢ペトラも居ませんし、きっと素敵な婚約になることでしょう。
「はい、皆さん、お茶を入れてきましたよ」
「わーい、ゼラさんありがとう!」
「ありがとう、ゼラ神官。アタクシのカップはこれね?」
「ありがとうございます、ゼラ神官」
お盆の上のカップをそれぞれ取り、皆でお茶にします。
ラズーのお茶は今日も変わらずプーアル茶に似たお味でした。
「それで、アンジー殿、ハクスリー殿、お二人にお伝えしたいことがありましてね」
お茶で一息ついたゼラ神官が、仙人のようにゆったりと喋り出しました。
「以前お二人には、鉱山の中毒患者の治癒に当たってもらいましたよね。その鉱山の有毒ガスの浄化がようやく終わりまして、鉱山が再開されることになりました」
「へぇ~、良かったですねー」
アンジー様がのんびり頷きます。
「鉱山の方々がおふたりにお礼を申し上げたいそうで、大神殿側とラズー領主館側で話し合い、おふたりに特別功労賞が贈られることが決まりました」
「まぁぁぁぁ! 特別功労賞って金一封ですのぉ!?」
「いいえ、違いますよ、ドローレス殿。記念品と食事会だそうですぞ」
「なぁ~んだぁ。シケてるのねぇ」
ドローレス聖女は興味を一気に失ったようで、だらりとソファーに凭れました。
「というわけで二週間後、表彰とお食事会があるので、アンジー殿とハクスリー殿は領主館へ行ってください。その間の仕事はドローレス殿に割り振りますから」
「へぇ、領主館に行くの久しぶり~。了解した!」
「わかりましたわ、ゼラ神官」
「うっそぉぉぉ、サイアクぅぅ」とドローレス聖女が嘆くと、「今サボっている罰ですぞ」とゼラ神官はのほほんと言いました。
ラズー領主館へ行くのは初めてです。なんだかドキドキいたしますわね。
わたくしは所長室の壁に貼られたラズーの地図に視線を向け、領主館の位置を確認しながら、胸をおさえました。
▽
「……ねぇ~、アンジジィィ~」
「若干あたしの名前違くない、ドローレス?」
所長室を出たところで、アンジーはドローレスに捕まった。
ちらりと視線を廊下の先に向ければ、ペトラはすでに廊下を去ったあとだ。
ペトラの労働時間は二時間なので、もう治癒棟の玄関に向かっただろう。
ドローレスという幽閉聖女は、アンジーより随分年下だが、いつも気安い態度で接してくる。そんなドローレスの性格を、アンジーは図々しいと嫌うより、豪胆だと好意的に受け止めることにしていた。
ドローレスは赤く引かれたルージュがアンジーの頬にくっつきそうになる程近づけて、「領主様に気を付けてねぇん」と嫌な笑みを浮かべる。
「なにが~?」
「ペトラよ、ペトラ。きっと領主様に狙われてるわぁん。ゼラ神官は初恋の御方以外の女性がどうなろうと知ったこっちゃない方だから、なんにもおっしゃらなかったけれどぉ」
「え、領主様ってロリコンだったけ?」
「そぉいう話はアタクシも聞いたことはないけどぉ。まぁ、アタクシは『幽閉組』だからお外の情報すべては知らないから、そぉいうこともあるのかしらん?」
「ええっ、ちゃんと具体的に忠告してよー、ドローレスぅぅー。アンジーお姉さん、そういうの苦手だからさぁ~」
「仕方のないお姉さまねぇ、あなたったら」
ふぅ、とドローレスは蠱惑的な溜め息を吐いた。
「ペトラはまだ見習い聖女だから、実家のハクスリー公爵家とまだ繋がりがあるでしょぉ?」
「ふむふむ、なるほど、つづけて」
「だから領主様、二人いるご子息のどちらかをペトラに勧める気なのよぅ」
「え? それってべつに問題なくない? 聖女は結婚できるし」
「領主様は皇帝陛下の弟君なのよ? つまり皇族よ。ペトラが領主様のご子息と結婚したら、さすがに聖女の仕事は続けられないわよぉ。そこらの平民と結婚するんじゃないんだからぁ」
「はぁ~、なるほどねぇ。貴族って面倒だね!」
朱色の瞳をくりくりと見開いて驚くアンジーに、ドローレスは再び詰め寄った。
「だからいいこと、アンジー? ペトラがお見合いを強制されそうになったら止めるのよ?」
「うん、任された! ……でもドローレスって、結構本気でペトラちゃんを気に入ってるんだねぇ」
「だってあの子なら、若さも才能もあって、大聖女の位も夢じゃないでしょぉ?」
ドローレスは黄金を思い浮かべて、甘く笑う。
「治癒棟から大聖女が出るのは何十年ぶりかしらぁん? ペトラが大聖女になってくれたら、きっと治癒棟の予算は爆上がり。『幽閉組』の地下牢ももっと快適になるわぁん。アタクシ、牢屋に黄金で出来たプールがほしいのぉ」
「たとえ予算アップしても、それは無理だとアンジーお姉さんは思うな~」




