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2:治癒能力



 神殿に入ると言っても、『自然な流れ』というものは必要でしょう。

 急にお父様に「わたくしを神殿へ入れてください」と頼んでも、そう簡単に了承してくれるはずがないのは分かっていますから。

 嫁出し要員としての価値がわたくしにはまだあるのですもの。

 いくらわたくしがシャルロッテ一人で十分だと思っていても、駒は多い方が良いはずです。


「ハンス、お願いがあります。どうかわたくしを貧民街へ連れていってくださいませ」


 わたくしはハクスリー公爵家の護衛の詰め所に向かうと、以前から仲の良いハンスにそう声をかけました。


 ハンスは四十代にそろそろ差し掛かるという男性で、その昔は傭兵としてあちこちの国で荒稼ぎをしていましたが、片目の視力を失う大怪我をしてからはハクスリー家の護衛として雇われています。


 ハンスは視力の残っている右目をぐわりと大きく見開きました。


「ペトラお嬢様!? なぜ、貧民街などと……」


 彼の疑問は当然のものでしょう。


 貴族令嬢の興味を引くものが貧民街にあるはずもございません。

 治安も悪く不衛生で、わたくしが一人でノコノコ出掛けて行けば金目のものを奪われてしまうか、わたくしごと売り払われてしまうかというような恐ろしい場所ですから。

 近づかないのが正解なのです。


「実はね、ハンス。わたくしには治癒能力があるのですわ」


 これは悪役令嬢としてのゲーム設定です。

 この能力があったからこそ、悪役令嬢ペトラは処刑でも国外追放でもなく、神殿への幽閉エンドで済んだのです。


 この世界にとって治癒能力自体はそれほど珍しいものではありません。前世的なものの考え方ですけれど、「学年に二、三人居るかなぁ」という割合です。

 けれどこの能力こそが、神殿に入るために重要なのです。


 神殿が崇めている神々の頂点が、永遠の命を与えると言われているアスラー大神なのですが、治癒能力者はそのアスラー大神の使いであるとアスラダ皇国では古くから考えられてきました。

 そのため神殿には、優秀な治癒能力者が神官や聖女として暮らしているのです。


 もちろんすべての治癒能力者が神殿に入る必要はありません。それぞれの家庭の事情もありますから。

 けれど、突出した力を持つ治癒能力者には、神殿から直々に迎えに来るのです。

 過去にもそういう例がいくつかあり、その者たちは大神官や大聖女として崇められて歴史に名を残しているのです。


 わたくしが狙っているのは、つまり神殿からのお迎えです。

 向こうから来てしまえば、いくらハクスリー公爵家といえどもわたくしを差し出さないわけにはいかないのです。

 神殿の力はそれだけ強いものなのでした。


「ペトラお嬢様に治癒能力が……。それは実に素晴らしいことです。ですが、それでいったいなぜ貧民街へ行くという話になるのですかね?」

「わたくし、この治癒能力を使いこなせるようになりたいのですわ。貧民街には怪我や病気の方がたくさんいると聞きましたの。今はまだ小さな怪我くらいしか治せませんけれど、能力を繰り返し使っていくうちに、どんな大怪我や病気でも治せるようになるかもしれませんから」

「ふぅむ。心掛けは立派ですが、ペトラお嬢様はハクスリー公爵家家の大事な直系です。貧民街でもしものことがあっちまったら……」

「だからあなたにお願いするのです、ハンス」


 わたくしは武骨なハンスがきっと気に入るだろう決め台詞を口にしました。


「修行をっ! わたくしは修行がしたいのです!!」

「……修行か。懐かしい響きだなぁ。へへっ、その台詞を言われちまったら、断るに断れんでしょう、ペトラお嬢様」

「連れていってくださいますか、貧民街へ?」

「任せておきな、ペトラお嬢様。あなたの御身は俺が命に代えても守り抜いてやりますよ」

「感謝いたしますわ、ハンス」


 やはりハンスは『修行』という言葉が大好きなようです。

 以前からそんな気がしていましたの。武者修行とか、道場破りとか……。





 一番大事な護衛が決まったので、あとはもう一人だけ声をかけることにしました。

 噂話が大好きで、明るくて、病で寝たきりの幼い弟を持つ、メイドのリコリスです。


 リコリスには貧民街へわたくしが出掛けるときに、動きやすい服を用意して欲しいのです。

 あと、できれば貧民街に行くときに一緒に来てくれると嬉しいのですが。

 わたくしの修行や成果を見てもらって、神殿まで届くように噂を流してもらいたいのです。


「え? ペトラお嬢様が貧民街で治癒能力の修行をする? あの、それって……うちの弟じゃあダメですかね?」


 おさげ髪のリコリスは、期待の滲む表情でわたくしを覗きこみました。


「うちの弟は生まれた頃から病弱で、十歳まで生きられるか分からないってお医者様に言われているんです。神殿に頼んでも、弟を治せるのは大神殿の治癒棟所属の神官聖女様くらいだと言われまして。今、両親や兄弟たちと一生懸命お金を貯めているんですけど、まだまだ目標額まで遠いんです。仮に今お金があっても、そんなすごい神官様は患者の順番待ちがすごいですから、いつ、うちの弟を診てもらえるのかわからないんです……」


 レベルの高い治癒能力を持つ神官や聖女はみな、そこらの町にある小さな神殿ではなく、大神殿に所属しています。

 彼ら彼女らに診てもらうにはそれだけ高額の寄付を大神殿にしなければなりません。

 それでも多くの人が大神殿の神官聖女たちに診てもらいたいと、順番待ちをしています。

 時折高位貴族などが融通されて順番が繰り上がったりするので、ツテのない平民はなおさら長く待たされてしまうことがあるのです。


 ですから、リコリスが『ペトラお嬢様の治癒能力がどの程度のレベルかはわからないけれど、修行するというならダメもとで弟のことを頼んでみよう』と考える気持ちはよくわかりました。


 というか、わたくしはそれを狙っていた面もありました。


「ええ。もちろん構いませんわ、リコリス。わたくしの治癒能力はまだまだですけれど、リコリスの弟さんのことも治せるように頑張って修行いたしますわ」


 だからわたくしの味方になって、という気持ちでリコリスに頷きました。


「ありがとうございます、ペトラお嬢様! 私、貧民街でもどこでも、お付き合いいたしますからっ」

「嬉しいですわ、リコリス。こちらこそお礼を申し上げますわ」


 リコリスの弟さんも、ハンスの視力を失った方の眼も、いつか治療できるくらいレベルアップしましょう。


 わたくしはぐっと拳に力を入れて、そう思いました。


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