20:上司に相談
「……はぁぁ~……」
わたくしが思わず溢してしまった溜め息に、アンジー様が書類から顔を上げました。
「おや、ペトラちゃん、お疲れかな? 治癒棟に入って二週間になるもんねぇ。疲れが出てくる頃かな」
「すみません、アンジー様、はしたないところをお見せしてしまいましたわ……」
「へーき、へーき。溜め息を聞かれたくらいで恥じらわなくても大丈夫だよー、ペトラちゃん」
前世だったら平気だったのですが、現在は公爵令嬢としての育ちが強いもので、どうにも気になってしまうのです。
わたくしはペチペチと頬を小さく叩いて、気合いを入れ直します。
「治癒棟での勤務はまだまだ覚えることがたくさんありますけれど、慣れてきました。アンジー様やゼラ神官様によくして頂いておりますから(しかも二時間労働ですし)」
「おっ、そう? 嬉しいねぇ。じゃあ午前の授業の方……って言っても、ペトラちゃんって公爵家ですでに勉強の習慣があるから、それほど苦でもなさそうだよね?」
「授業はたいへん面白いですわ。公爵家では学べなかったことも、高名な教授から直々にご指導いただけますもの」
「あっ、じゃあ大神殿での生活自体に疲れが出てきたかな!? ほら、食事の上げ下げとか、ご令嬢のペトラちゃんには馴染みがなかったでしょ、お風呂を一人で入るとかも。メイドさんがお世話してくれてたんでしょう」
そこら辺は前世で経験があるので、こちらの生活様式に慣れさえすれば、それほど大変でもありません。
大神殿のなかには水も引かれているので、いちいち井戸に水汲みに行かなくても洗面場に行けば水がもらえますし。
お風呂は温泉かけ流しなので二十四時間入浴可能、衣類の洗濯や食器洗いは専用の人に手渡すだけという楽チンっぷりです。
洗髪後にドライヤーが欲しい、部屋にロボット掃除機が飼いたいという気持ちはありますけれど、その程度の不便さで済んでいます。
「確かに生活が変わって疲れている部分もあるのかもしれませんが、わたくしが今いちばん参っているのは、ベリーのことなんですの……」
「あー、神託の見習いちゃんかぁ~……。よし、その話、面白そう! アンジーお姉さんが相談に乗ってあげる!」
アンジー様はついに書類を机の上に放り投げ、廊下に向かって「誰か、お茶二人分お願い~!」と叫びました。
がっつり話し込む体勢です。
二週間前の鉱山への治癒活動とはうって代わり、現在のわたくしはアンジー様のお傍で治癒棟のお仕事を覚え、彼女に任された患者を一日に数人治癒するという、新人らしい日々を送っております。
今は午前中にアンジー様が治癒された患者に関する書類を二人で手分けして書き上げているところで、それほど忙しくはありませんでした。
わたくしも書類を書く手を止めます。
治癒棟の職員さんが運んできてくださったお茶を受け取り、アンジー様の机に一客、わたくしの机に一客置きました。今日も素朴なラズーのお茶でした。
カップを両手で持ち、ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましながらお茶を飲みます。
アンジー様はわたくしがお茶を味わうのを待ってから、「それでそれで? 噂のベリーちゃんの話をしてよー」と楽しげに尋ねてきました。
「あたし、まだ会ったことがないんだよねぇ、神託のベリーちゃん。大神殿に長く勤めてる人でもなかなか見かけないもんだから、見かけると幸運になれるって聞いたよ」
「妖精扱いですわね」
「でも実際、妖精みたいに綺麗なんだって? どう?」
「とっっっても可愛いですわ。髪の色は木苺みたいで、瞳はブルーベリーみたいで、苺の精霊みたいですの」
「見たーいっ! 苺の妖精ベリーちゃんと、可愛いペトラちゃんが並んでるところ、むちゃくちゃ可愛いんだろうな~! 可愛いの二乗だろうねぇ」
「わたくしが並ぶと、二乗どころかマイナスだと思いますわ」
だって典型的な悪役令嬢ですし。可愛いの対極におりますもの。
……それこそヒロインのシャルロッテがベリーと並んだら、相乗効果で二倍どころか三倍も四倍も可愛い空間になるに違いありません。
「で、そんなに可愛いベリーちゃんが、結構な困ったさんなんだ?」
「はい……」
ベリーと出会ってからの日々を思い返すと……、溜め息しか出てきません。
「彼女、わたくしのことをどうやらお気に入りの枕だと思っているみたいなのです」
庭園に会い行く度、ベリーはわたくしのことを待ち構えています。……お気に入りの安眠枕として。
彼女はずっと無表情で、「私のまくら」としか言葉を発しません。
わたくしを見かけるとぽてぽて近寄ってきて、抱きついたり、手を繋いだり、いっしょに草むらへダイブしたり、とにかくありとあらゆる方法で触れて、そのまま眠ってしまいます。
ベリーと友達になれたらいいな、と最初は思っていましたのに。
今のわたくしが思うのは『ベリーにとって人間として認識されたらいいな』です。
日に日に彼女から睡眠不足が解消されて、健康な肌を取り戻すのを見るのは嬉しいですけれど。
ベリーが眠っているのを来る日も来る日も眺めているだけというのは、とても退屈でした(なんだかんだ毎日時間を作って会いに行くわたくしもわたくしですけれどね)。
「お互いを知り合って徐々に友人関係を築けたら、と思っていたのですけど。まず知り合うための会話の段階に入れませんの……」
「ワッハハハッ! すっごく面白い子だね、ベリーちゃん! 天然ちゃんだ!!」
「希少種であることは確かですわ」
どうしたらまともにお話が出来るようになるのかしら。
ベリーはわたくしに触れているときだけ熟睡できるらしく、触れている箇所を離してさえしまえば、どんなに熟睡していても彼女が目覚めてしまうことは判明したのですが。
あんまり気持ち良さそうに寝ている不眠症の子を起こすのも、忍びないのです。
「まぁ、会話が弾めば関係が深まるのは確かだけど、そんなに焦んないでもいいんでない?」
笑いをおさめたアンジー様が、乾いた喉を潤わせようと、少し冷めたお茶をぐびぐび飲みます。
「でも、今のわたくしは彼女にとって枕なのですよ!?」
「人間より枕の方が好きってとき、誰しもあるじゃない」
アンジー様は朱色の瞳を柔らかく細めながら言います。
「もう誰ともしゃべりたくなーい、人間なんてきらーい、ひとりで一日中寝ていたーいって時が誰しもあって、自分を癒してくれる味方はふかふかの布団や寝心地完璧な高さの枕だけって、無機物にだけ心を許せるみたいな経験、ペトラちゃんにはない? もしかしたらベリーちゃんは今、そんな感じかもしれないよ?」
「そうなのでしょうか……」
「ま、ベリーちゃんに会ったことないし、想像だけどね」
アンジー様は最後にそう付け足しましたけれど、……そうだったらいいなとわたくしは思いました。
今ベリーはわたくしを枕としてしか受け入れられない状況で、でもそれが彼女にとっての癒しになっているのなら、嫌ではありません。
「わたくし、ベリーのことをもっと気長に待ってあげるべきでしたわね。せっかちになっておりましたわ」
「ペトラちゃんの負担にならない範囲で、のんびり関係を築けばいいんだよ。もし築けなくても、それはペトラちゃんだけのせいではないし」
「はい」
アンジー様に話を聞いていただけて、気持ちがスッキリしました。
お礼を申し上げると、アンジー様はにっこりと笑います。
「憂いが消えたところで、気分転換しよっか。約束していたお子様定食を食べに、次の休みは街に下りよう、ペトラちゃん!」
「は、はいっ。楽しみです!」
ついにラズーの街へ下りられますわ!
わたくしはすでに期待に胸がふくらみ、アンジー様の提案に何度も頷きました。




