19:神託の能力者
翌日、わたくしはマシュリナさんに会いに行きました。昨日出会ったベリーのことが気になったからです。
突然やって来たわたくしに、マシュリナさんは嫌な顔一つせず、時間を作ってくださいました。
「突然申し訳ありません、マシュリナさん」
「いいえ、大丈夫ですよ。私の業務は大半がベリー様のお世話なので」
「今は、彼女は……?」
「今日もまた敷地内のどこかにいらっしゃると思いますわ。……通信用のクリスタルは持たせているのですが、連絡しても出てくださったことはないので、探すときは地道に探さなければならないのですけど」
「そうなんですの……」
通信用のクリスタルは、神官聖女に支給されているもので、見習いには普通は支給されません。それだけでもベリーが格別の扱いを受けているのが分かります。
誰もいない休憩室の窓際のテーブルに、マシュリナさんがお茶を出してくださいました。以前頂いたラズー特産のお茶です。味はプーアル茶に似ているような気がしますわ。
向かいの椅子に腰掛けたマシュリナさんは、柔らかく微笑みました。
「昨日は本当にありがとうございました、ペトラ様。久しぶりにベリー様の顔色が良くなって、私もホッとしております」
「お力になれて、わたくしも嬉しいですわ」
「ベリー様について、お知りになりたいのですよね。私もペトラ様には、これからもベリー様の助けになってほしいと思っておりますの」
「助けとは、昨日のようなことでしょうか?」
彼女の安眠導入剤代わりに、傍に居てあげることでしょうか。
たいした苦労はありませんでしたけれど、いつでも必ずそれが出来るとは言えません。
睡眠は毎日取るべきものです。
けれどわたくしにも見習いとしてのスケジュールがあり、毎日ベリーの睡眠のためだけに時間を空けられるかと言うと難しいです。
先日のガス中毒患者の時のように大神殿から離れた場所に出掛け、帰るのが遅くなることはこれからもあるでしょう。
マシュリナさんは「いいえ」と首を横に振ります。
「ベリー様の睡眠の手助けをしていただきたい、という気持ちはもちろんありますが、それが難しいのはわかっております。ペトラ様は治癒棟期待の新人ですもの。ベリー様の為だけに時間を使ってほしいとは言えませんわ」
「はい」
「ただ、出来れば、ペトラ様にベリー様のご友人になっていただきたいのです」
「友人、ですか?」
マシュリナさんは長く話す準備のために、一度お茶で喉を潤わせました。
「今は亡き大聖女ウェルザ様を、ペトラ様はご存知でしょうか?」
「大聖女ウェルザ様……確か、前の神託の能力者ですよね」
「はい。ベリー様は大聖女ウェルザ様のあとを引き継ぐ、今代の神託の能力者なのです」
「まぁ……」
まだハクスリー公爵家にいた頃に、教師から習いました。
アスラダ皇国最後の神託の能力者で、彼女の死後、次の神託の能力者が現れることを皇国中が待っている、というような内容でした。
すでにその後釜である子が見つかっていたとは、驚きですわ。
「ベリー様は神託の能力を持ってお生まれになった稀有な子です。彼女を守るためにご家族から引き離し、この大神殿で赤子の頃から育ててまいりましたの。しかるべき時に『神託の大聖女』として皇国に発表するまでは、彼女の存在は大神殿内で秘匿されているのです」
「そうだったのですね……」
赤子の頃にご家族から離されて、この大神殿で育てられたとは、なかなか辛い境遇です。
わたくしはぎゅっと胸を押さえました。
「ベリー様を守るための秘匿とはいえ、一歩も大神殿の敷地内から出さず、大人たちに囲まれているだけのこの環境が、彼女にとって良くないものだということはわかっております。……ベリー様の御心は、ちっとも育ちませんでしたから。
ベリー様は食事も満足に取らず、いつの間にか眠ることさえも嫌がるようになり、乳母の私とも会話をしてくださいません……」
「まぁ……」
次の神託の能力者を守るためとはいえ、子供一人で大神殿の敷地内に閉じ込められていたら、鬱屈するでしょう。
どんなに一人遊びが得意な子でも、外からの新しい刺激がなければ退屈に感じるはずです。
彼女が無気力だったわけが分かったような気がしました。
「ですから、ベリー様と同い年のペトラ様に彼女のお友だちになっていただきたいのです」
「同い年でしたの?」
「ベリー様はもうじき十歳になりますけれど、今はペトラ様と同じ九歳ですよ」
学年が一緒という感じらしいです。
ベリーは同学年とは思えないほど細く小さな体でしたが、少食と不眠の影響で発育不足なのでしょう。
「どうかお願い申し上げます、ペトラ様。時々でよいのです、ベリー様を気にかけてあげてくださいませんか……?」
第三者に「友達になってあげて」と言われて、すぐに友情が築けるはずがないことを、マシュリナさんも承知のご様子です。
ベリーが難しい環境にいることは、よくわかりました。
彼女がわたくしに打ち解けてくれるかはわかりませんし、わたくし自身、彼女に友情を抱けるかはまだわかりません。
けれどこの大神殿で、同じ年の少女が同じ見習いとして生活しているのですから、笑って挨拶を交わせるくらいにはなりたいなぁと思うのです。
公爵家で暮らしていたときは、お茶会で同年代の子達と会う機会もありましたけれど、友達と呼べるほどの相手は作れませんでした。
大神殿に来ても周囲は大人、もしくは年上のお姉さんお兄さんばかりで、わたくしと対等な友達になってくれる人はいません。
だから、これはわたくしにとっても現世初のお友達を作るチャンスのようです。
「わかりましたわ。わたくしの出来る範囲で、彼女に声をかけようと思います」
「ペトラ様っ、まぁっ本当ですか!? ありがとうございますっ、本当に感謝申し上げます……!」
瞳を潤ませてお礼を言うマシュリナさんに、わたくしは両手を振って「そんな、お礼なんていりませんわ」と止めてもらうように伝えます。
「彼女がわたくしと友達になってくれるとは限らないのですから」
「もちろんそれは承知の上ですけれど……」
ポケットから取り出したハンカチで目元を拭うマシュリナさんは、乳母としての慈愛に満ちた微笑みを浮かべます。
「ベリー様を気にかけてくださる方がこの世界に一人増えたことが、嬉しくてたまらないのです。どうぞこれから、ベリー様をよろしくお願いしますね、ペトラ様」
はい、と、わたくしは頷きました。
▽
「ベリー? どこにいらっしゃいますの~?」
マシュリナさんとお話した後、わたくしはその足で昨日の庭園に向かいました。
ベリーが眠っていたあの茂みへの小路を辿りながら進めば、また丘の外れに出ます。
今日のラズーの街の様子は。波の高さは。空の色や雲の形はどんなだろう。そんなことを思いながら柵の方へ視線を向けるとーーーベリーがそこに立っておりました。
薄い布を幾重にも重ねた白い見習い聖女のワンピースの裾が、風に泳ぎ、ベリーの棒のように細いふくらはぎに日差しが当たってより一層白く見えます。
木苺色の長い髪もまた風にあおられてボサボサと巻き上がり、その長い髪の隙間から青紫色の瞳だけが、キラキラと輝いていました。
「……こうして見ますと、本当に絶世の美少女ですわねぇ」
彼女の長い睫毛や、不健康そうだけれどそれをものともしない美貌に、わたくしは改めて感心してしまいます。
「こんにちは、ベリー。昨日お会いしたペトラ・ハクスリーですけれど、覚えていらっしゃるかしら? あなたと同じ見習い聖女で、所属は治癒棟なのですけれど……」
「……まくら」
友達になるために、まずはもう一度自己紹介から。
そんなふうに畏まるわたくしを指差して、ベリーが微かに呟きました。
「え? ベリーの声って意外と低い……ではなくて、今なんておっしゃいましたの?」
あと、人を指差してはいけませんわ。
そう口にしようとするわたくしの元に、ベリーはぽてぽてとやって来て、わたくしの体に抱きつきました。
「ちょっ、ベリー!?」
「……私のまくら」
「違いますわ!? わたくしは枕じゃありません!!」
わたくしの言葉がベリーに届いたのかは、わかりません。
なぜなら、彼女はそのまま眠り始めてしまったのですから!
「ベリー? ベリー!? 抱きついたまま眠るなんて、器用すぎますわ!? お、重いです……!!」
「すぴー……」
まずは枕ではなく人間だと認識していただかなければ……!!!
これは友情を築く以前の大問題です。
わたくしは全体重で寄りかかってくるベリーをなんとか抱き止めながら、そんな決意を抱きました。




