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1:悪役令嬢とヒロイン一家



 わたくしが八歳の頃、病弱だったお母様が亡くなりました。

 とても優しく美しい人だったことを今でも鮮明に覚えております。

 わたくしはお母様が大好きだったので、泣き濡れて暮らしていました。


 お母様が亡くなって一月が経った頃に、恐ろしいことが起こりました。

 なんとお父様が愛人と再婚し、その子供も一緒に我が家へと連れてきたのです。


「ペトラ、この子はお前の異母妹のシャルロッテだ。姉として可愛がるように」

「はっ、初めまして、ペトラお姉様……っ! しゃ、しゃる、シャルロッテ・ハクスリーですっ。よ、よよよろしくお願いいたします……!」


 緊張に震えるシャルロッテは、とても愛らしかった。


 わたくしと同じラベンダー色の髪と銀色の瞳は、ハクスリー公爵家直系に出やすい色でしたが、わたくしがお母様に似たのに対して、シャルロッテはくりくりとした小動物のような可愛らしさがありました。


 わたくしは美少女シャルロッテを見た瞬間、怒濤のように前世の記憶の蓋が開くのを感じました。

 脳に流れ込む大量の情報の渦に飲まれ、そのまま気を失って倒れてしまいました。


 そして三日三晩高熱を出してうなされ、夢と前世の記憶のはざまからどうにか生還を果たした時。

 わたくしはもうそれまでのペトラ・ハクスリー公爵令嬢とは、少し違う人間になっていたのです。





 ここは神々や特殊な力が存在する乙女ゲーム『きみとハーデンベルギアの恋を』の世界です。


 ハーデンベルギアは、前世では「運命的な出会い」という花言葉を持つ、胡蝶蘭に似た可愛らしい花を多数咲かせる低木で、ヒロインであるシャルロッテの背景によく登場していました。

 ゲームのストーリーにはあまり関わりのなかった花なのですが、このアスラダ皇国の国花として大切にされています。前世で存在していたハーデンベルギアとは似て非なる生態が理由でしょう。



【ヒロインであるシャルロッテ・ハクスリーは、異母姉であるペトラから長年意地悪をされてきました。可愛いドレスを奪われたり、お茶会で仲間はずれにされたり、周囲の人々に悪い噂を流されたり。

 けれどシャルロッテはペトラを憎んだりはしていません。

 母の居ないペトラは、きっと本当は寂しいだけ。

 いつの日か姉妹として分かり合える日が来るのだと信じていました。


 そんなシャルロッテも十六歳になると、一学年上のペトラと共に貴族学園に通うことになりました。

 学園内でもペトラにいじめられるシャルロッテ。

 けれどめげずに勉強に学校行事にと真面目に勤しむ彼女に、味方になってくれる攻略対象者たちが現れます。

 そのなかにはペトラの婚約者である皇太子も。

 さて、シャルロッテはいったい誰と恋に落ちるのでしょうかーーー!?】



 という内容の乙女ゲームです。

 悪役令嬢ペトラの末路は、攻略対象者からの断罪ののち、戒律の厳しい大神殿で一生神に仕えるというエンドでした。

 シャルロッテが毎回ペトラのために泣いてくれるのはよく覚えております。けっこう好きだったゲームなので。


 そんな前世の記憶を思い出してしまったばかりのわたくしは、目の前の現実をうまく飲み込むことができずに途方に暮れました。


「ペ、ペトラお姉様っ、いっ、いっしょにお茶でも飲みませんかっ!? 病み上がりの体によく効くお茶をご用意したので、あの、あの、もしよろしければ……!」

「シャルロッテは優しい子だな。ペトラ、皆に心配をかけたのだから、お茶くらい付き合いなさい」

「あなた、そんなふうにペトラさんに言わないで。……ペトラさん、まだ具合が悪いのなら無理をしなくてもいいのよ。でも、本当に体に良いと評判のお茶だから、家族みんなで飲めたら嬉しいわ」


 高熱が下がり、普段の生活リズムにようやく戻ったわたくしの前に、シャルロッテとお父様、そして新しいお義母様がそう言って現れました。


 なんて、絵に描いたような、仲良し家族でしょう。


 シャルロッテは銀色の大きな瞳をキラキラと輝かせ、『ペトラお姉様と仲良くできるかな? 仲良くなりたいな』という期待に頬を薔薇色に輝かせています。

 お義母様も、病み上がりのわたくしを気遣う優しい眼差しを向けてくれます。


 ……お父様は。


 お父様は、一度もわたくしやお母様に向けてくださったことのない穏やかな微笑みで、シャルロッテとお義母様を見つめていました。


「……はい。皆様にご心配をおかけして、大変申し訳ありませんでしたわ。ぜひ、お茶をご一緒させてくださいませ」


「じゃ、じゃあ、さっそく食堂に行きましょう、ペトラお姉様っ! お茶菓子も色々用意していただいたんですっ!」「まぁシャルロッテったら。ふふふ、お姉さんが出来たのがそんなに嬉しいのねぇ」「おっ、おおおおお母さんっ、ペトラお姉様の前でそんな恥ずかしいことを言わないでぇぇぇ」「シャルロッテは可愛いな」「お、お父さんたらぁぁ」

 くすくす、ははは、と笑い合う三人の親子の後ろについて行きながら、わたくしの胸は焼け焦げてしまいそうでした。


 ……わたくしの知っていたお父様は、いつも眉間に皺が寄っていて、仏頂面で、口数少なく、近づきがたい人でした。

 お仕事の予定が詰まっていて、あまり公爵邸に帰って来れない人でした。

 病がちなお母様のもとにもなかなか顔を出せないほど、忙しい人だと……思っていました。


 そうでは、なかったのですね。


 わたくしはお父様のことを、なんにも知らなかったのですね。


 食堂では四人で同じお茶を飲みました。

 シャルロッテが選んでくれたお茶は、薬草の匂いがするけれどとても飲みやすくて、美味しくて、ーーーわたくしにはとても悲しい味がしました。





 お茶を一杯飲むだけの、短く息の詰まる時間が終わったあと、わたくしは自室に戻りました。


 その時にはもう、心を決めていました。


「どうせ神殿エンドなのでしたら、今すぐ神殿に入ってしまえばいいのではないかしら……?」


 シャルロッテはゲームのように良い子ですし、前世の記憶を思い出したわたくしは、もう彼女をいじめる気はありません。

 思い出す前はやはり、『母親が生きていて、わたくしよりもお父様に愛されているシャルロッテが憎い』という気持ちがありましたけれど。もう消沈してしまいました。


 今のわたくしならシャルロッテとうまく姉妹関係を築けるかもしれない……という気持ちは、なくもないのですけれど。


 ……疲れてしまいました。


 ちゃんと家族になりたいと、わたくしを気遣ってくれるシャルロッテやお義母様の気持ちを素直に受け取れないわたくしは、すごくすごく嫌な奴でしょう。


 けれど、大好きだったお母様はもうおらず、ここで浮気者のお父様が新しい家族と幸福に暮らすのを、端から眺める気力はわたくしにはありません。


 そんなことをしていたら、きっとわたくしの中にある、お父様に対する憎しみがどんどん育って、結局ゲームの中の悪役令嬢ペトラのようにシャルロッテの幸福な家庭を壊してしまうでしょう。


 前世のわたくしは、平凡ながらも家族仲の良い家庭で暮らしていました。働き者の両親に愛され、姉妹とも笑いが絶えない毎日でした。

 大学からはずっと一人暮らしをしていましたが、社会人になってからも家族とは電話やメールで連絡をよく取り合い、大型休暇には決まって実家に帰っていました。


 そんなふうに愛された前世を思い出し、そして今、ペトラとして亡き母を悼む心を持つわたくしに、ハクスリー公爵家のこの環境は辛すぎます。

 とても堪えられません。


 今のわたくしの望みは、穏やかに暮らすことだけです。

 憎しみに囚われて、せっかくの二度目の人生を台無しにしたくありません。ゆったりのんびり、心穏やかに過ごしたいのです。


 わたくしがハクスリー公爵家から消えても問題はありません。

 もともとこのアスラダ皇国では男性にしか爵位継承権がないので、五つ年上の従兄がハクスリー家を継承するために勉強しています。

 ……そういえば従兄も攻略対象者の一人でしたね。


 わたくしはただの嫁出し要員でしたが、シャルロッテが来たので彼女が代わりになるでしょう。


 むしろ、わたくしが居なければシャルロッテが攻略対象者である皇太子の婚約者になれるのでは?


 ハクスリー家が皇室との関係が深められる上に、シャルロッテと皇太子が婚約者として真っ当に愛を深めて結婚できるならば万々歳ではないでしょうか?


 ゲームの悪役令嬢ペトラは皇太子を恋慕っていましたが、わたくしはまだ彼の御方にお会いしたこともないので、ふたりの仲を引き裂こうなどとは思いませんし。


「……決めましたわ。すぐにでも神殿に入りましょう」


 こうしてわたくしの公爵家脱出計画が始まったのでした。


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