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18:ベリーは不眠症



 きゅるるるぅぅ~……。


 わたくしのお腹から可哀想な音が響きました。

 思わず胃の辺りを片手でさすりましたが、お腹の虫はきゅうきゅうと鳴き続けております。

 支給されている懐中時計を確認すれば、午後の二時。お腹がすくはずですわ。


 わたくしは未だに美少女の傍から動けないままでした。


 少女はわたくしの手首を掴み、無理矢理手のひらを額に乗せたまま、ぐっすりと眠っています。

 時おりスピスピと鳴る鼻息まで可愛くて、どうにも彼女の手をほどく気になりません。

 あともう少しだけ、少女が目を覚ますまで、と考えて待っていたら、すでにお昼の時間を大幅に過ぎておりました。

 彼女もずっと眠ったままですけど、お腹がすかないのでしょうか?


 いっそここが本物の森のなかなら、木苺とか探してみるのですけど。大神殿の庭園の一部ですしね……。

 そんなことを考えていると、少女の赤っぽい髪の色がとてもおいしそうに見えてきます。手持ち無沙汰に少女の髪に触れてみれば、なぜか葉っぱが絡んでいますけど、サラサラでした。

 ああ、お昼ごはんが食べたいですわ……。


 アンジー様が今度街でご馳走してくださると言うお子さま定食に思いを馳せていると、遠くの方から人の声と足音が聞こえてきました。


「ベリー様っ、ベリー様! ばあやです。どちらにいらっしゃるのですか、ベリー様! もうお昼を過ぎましたよ!」


 聞いたことのある声です。

 ベリー様とは、この少女のことでしょうか。

 木苺色の髪に、青紫色の瞳もブルーベリーぽいので、少女に似合いの名前のような気がしました。


「ベリー様~!」


 近付いてきた人をハーデンベルギアの隙間から覗き見れば、職員のマシュリナさんでした。


 わたくしは思わず声をかけます。


「マシュリナさん、こんにちは」

「まぁっ! ペトラ様!? 公爵令嬢のあなたが、なぜそのような茂みにいらっしゃるのです!?」

「実は……」


 わたくしが事情を説明すると、マシュリナ様もまたハーデンベルギアの低木を越えて、この秘密基地を覗き込みました。


 そして少女を見て声をあげます。


「ベリー様!?」


 やはりマシュリナさんはこの少女を探していたようです。

 マシュリナさんは驚きに目を丸くしていましたが(少女がこんな場所に居るとは思わなかったのでしょう)、声をひそめてわたくしに尋ねました。


「あの、ペトラ様……ベリー様はいつからお眠りになっているのでしょう? ずいぶんぐっすりと眠っておられるようですが……」

「もう四時間ほどになりますわ」

「なんと、まぁ……!」


 少女の寝坊助っぷりに驚いているのか、マシュリナさんはあんぐりと口を開けました。それから慌てて口許を両手で隠しました。


「ずっとペトラ様がベリー様のお側にいてくださったのですか?」

「……手を離していただけなくて」

「あぁっ、では、ペトラ様も昼食を取っておりませんのね。ちょっと、ちょっとだけ待っていてくださいませ、ペトラ様……!」

「え、マシュリナさん……?」


 少女を起こすのかと思いきや、マシュリナさんは慌てて茂みから飛び出し、大神殿の方向へと走り去ってしまいました。

 いったいどういうことなのでしょう……。


 事態はよくわかりませんが、一つだけわかったこともあります。


「あなた、ベリーとおっしゃるのですね。可愛らしくて似合いの名前ですわ」


 ベリーの額をそっと撫でれば、彼女はまたスピスピと寝息を立てました。





「こちら、ペトラ様の昼食です。片手でも食べやすいサンドイッチと、飲み物にもストローを差しておきました。それから座り心地のいいクッションに、膝掛け、退屈しのぎに本をお持ちしましたけれど片手だと読みにくいので書見台もお持ちしましたわ。ほかにも必要な物がありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」


 わたくしの空いている方の手をおしぼりでふきふきしながら、マシュリナさんがそうおっしゃいました。


 どうも、マシュリナさんにはベリーを起こす気がないどころか、このまま現状維持をお望みのようです。

 マシュリナさんはサンドイッチの断面がずらりと美しく並んだ大きなバスケットをわたくしの傍に置くと、そのままベリーのもとに移動されました。


 ベリーが眠りやすいようにと、ふわふわの枕や柔らかなガーゼケットを用意してあげているマシュリナさんを観察しながら、わたくしはサンドイッチに手を伸ばします。

 生野菜と茹でたエビが入ったサンドイッチを最初に選びました。

 聖地ラズーには港があるので、獲れたての海の幸が気軽に食べられるのがとても嬉しいですわ。


「それで、マシュリナさん。ベリーを起こしたくない気持ちは伝わってきましたけれど、わたくし、いつまでこうしていればいいのでしょう?」


 ベリーの枕元に安眠効果のあるラベンダーのアロマまで用意しているマシュリナさんに、わたくしは尋ねました。

 どうしてもという予定は今日はありませんし、あと一時間くらいなら、こうして過ごしてもいいかな、という気持ちはありましたけど。夕食はちゃんと食堂であたたかいものが食べたいですし、お風呂にも早めに入りたいですから。

 だって温泉なんですのよ?


 そんなことを考えて尋ねたわたくしに、マシュリナさんは穏やかに微笑みました。


「ベリー様が自然に目を覚ますまで、お願い致します」

「はぇ、え……?」


 時間制限さえないようです。

 さすがにわたくしも慌てました。


「ちょっと待ってくださいませ。ベリーが目覚めるのが深夜だった場合はどうするのです!?」

「それはないとは思うのですが……、もし深夜になった場合は、騎士に頼んでベリー様を部屋まで運ばせます。その際ペトラ様にもご一緒していただければ……」

「なぜそこまでして、彼女を起こしたくないのです?!」


 さすがにちょっと過保護すぎます。

 お昼寝をするのはいいですけど、こんなふうに他人(わたくし)に迷惑をかけてまで行うのはどうかと思いますわ。


 眉をひそめるわたくしに、マシュリナさんは「ペトラ様にご迷惑をおかけして、本当に申し訳のうございます」と深く頭を下げてきました。


「けれど、どうかお願いします。ベリー様のお側に居てやってくださいませ。この子がこんなふうに熟睡しているのは、赤ん坊の頃以来のことなんです……」

「どういうことでしょう……?」

「私はベリー様の乳母として彼女をずっと育ててまいりましたが……成長されるにつれ、ベリー様は不眠症になってしまわれました。夜はまったく眠れず、昼間は浅い睡眠を細切れに取るだけで、……このように安眠されているご様子を見るのは本当に久しぶりなのです。とても驚きましたわ。

 原因はハッキリとは言えませんが、きっとペトラ様の手の感触が心地良かったのだと思います」


 だからマシュリナさんが最初に来たときに、驚いたご様子立ったのですね……。


 わたくしよりも小さな少女が、不眠症とは、なんと可哀想なことでしょう。


 不眠症は、治癒能力では完治が難しい病の一つです。


 治癒能力は体の傷や病気は治せますが、精神に働きかけることは出来ないからです。

 不眠症から来る頭痛や吐き気を治癒することは出来ますが、ストレスの原因をきちんと取り除かないことにはどうにもなりません。


「……そうでしたのね」

「ですから、どうか今しばらくベリー様のお側に居てあげてくださいませんか、ペトラ様。報酬もお支払いたしますので」

「報酬はいりませんわ」


 どうせ今日も明日もお休みです。

 温泉だっていつでも入れますし、夕食もきっとマシュリナさんが運んできてくださるでしょう。

 久しぶりに熟睡しているという小さな少女に手を貸してあげるくらい、大したことないですわ。


「わかりましたわ、マシュリナさん。ベリーが自然に目を覚ますまで、傍におりますわ」

「ありがとうございます……っ、ペトラ様……っ!」


 こうしてわたくしは、ベリーが目を覚ますまで待つことにしました。





 有り難いことにベリーが目を覚ましたのは、それから三十分後のことでした。


 何度もお礼を言うマシュリナさんと、人形のように黙ってこちらを見つめてくるベリーに手を振り、わたくしは自室へ帰りました。


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