16:報告(アンジー視点)
赤エールにしようか、黒エールにしようか。
オレンジ風味の白エールもありだけれど、やはりここはチェリー風味の赤エールに決定かな。
治癒のし過ぎでエネルギーの枯渇した体に行き渡るお酒って、本当に最高。危険なのはわかっているのに、酔いが一段深い感じがしてやめられない。
あたしは酒屋に大神殿まで配送を頼んだお酒の山から、ルビーのような色をした小瓶を選び、寝椅子に横たわったまま栓を抜いた。
プシュッと気の抜ける音と共に、瓶の奥から泡が吹きあがってくる。あたしはそれを「おっとっと」と締まりのない顔をして吸い込んだ。
あぁぁ~~おいしいぃ~~極楽ぅぅ~。
労働のあとの酒ほど罪悪感なく飲める酒もないわー、と、あたしはぐびりぐびりと喉を鳴らしてエールを飲んだ。
もう一本飲もうかしら、だってこれ小瓶だし。大瓶じゃなかったし、と空になった赤エールの瓶を振りながら考えていると、あたしの部屋の片隅で青白い光が発生した。
通信用のクリスタルだ。
これは治癒棟の神官聖女に配られているものだが、まともに使用してくる相手は数少ない。いったい、どこのどいつじゃ。
「はいはーい、アンジーでーす。おぬしはどなたじゃ~?」
『酔っておられますな、アンジー殿。我輩、ゼラです』
「ゼラさーん! まだ酔ってないですよ。だってまだ小瓶一本ですもん」
『あなたはお酒が大好きですけど、お酒、弱いじゃないですか……。まぁ、ともかく、ラズー領主様からの決定をお伝えしましょう』
「はーい」
『有毒ガスが止むまでは鉱山の休止を決定、麓の村の者たちには近隣の町まで避難退去命令が出されました。ラズー領主様より、大神殿神秘部に浄化の特殊能力者の派遣を要請。明日より有毒ガスの浄化を試みる予定です』
「どれくらいで浄化されますかね~? 有毒ガスなんて。浄化の特殊能力者って、呪いが専門のイメージでしたけど」
『呪い以外にも、土地の浄化なども専門なんですよ。近年はあまり大きな戦争もありませんでしたから、知らない方も多いのですが。
有毒ガスの被害の大きさから、二、三ヶ月はかかるかもしれませんね。呪いの浄化は一瞬ですが』
「やっぱ自然相手は難しいんですね~」
『そうですよ、自然はアスラー大神そのもの。神のお心を鎮めるのは大変難しいことですが、呪いも、戦場も、しょせんは人間の営みが産み出した残滓に過ぎません』
「なるほどー」
ゼラさんの言葉に感心する。
この人、恋に狂ってなければまともなのになぁ。
それさえなければ大神官として、大神殿の上層部に食い込めたものを……。
『では鉱山の話はこれくらいにしまして。簡単に、本日のペトラ・ハクスリー殿の評価をいただけますか? アンジー殿、教育係ですから』
「ペトラちゃんですねっ!」
あたしは今日出会ったばかりの新人ちゃんを思い浮かべる。
ラベンダー色の髪に銀色の瞳、すっと通った鼻筋に、もちもちのほっぺた。
皇国の中でも上から数えた方が早いというくらいの、高位貴族のご令嬢様。
一目見たとき、気位の高い子猫ちゃんみたいな子だな、とあたしは思った。
けれどとてもいい意味で、あたしは期待を裏切られた。
「あの子、頭のなか筋肉詰まってるんじゃないかってくらい、根性ありましたよ!」
『ほぉ……』
「九歳で大神殿入りするなんてどれだけの天才かと思ったら、いや、実際才能もものっっっすごいんですけど、もうめちゃくちゃ努力型です。努力と根性と意地が友達って感じでしたよ~」
『……見た目からは想像もつきませんねぇ、あんなにたおやかなハクスリー殿が……』
「あたしも、ペトラちゃんってもっとお姫様みたいな性格かなーって想像してたんですけど、見た目と全然違いました。九歳の子供が治癒能力を使えるからって、普通、ぶっ倒れるまで能力酷使します? しかも見知らぬ人間のために」
『我輩なら絶対にしなかったでしょうねぇ。普通の公爵令嬢ならなおさら』
「でも、やっちゃう子なんですよ、ペトラちゃんって。もうそれだけで、あたしからの評価は花丸満点にしてあげちゃいたいくらい」
『……やはり、実の母親を亡くしていることがハクスリー殿の原動力なのでしょうかねぇ。危うい面もありますなぁ』
通信用のクリスタルから聞こえるゼラさんの声が、ゆっくりと低くなった。
「八歳の時にお母さんを病気で亡くしたって、調査書に書いてありましたよねー……」
新人教育係に抜擢されたときに、ペトラちゃんの調査書は一通り読ませてもらった。
ペトラちゃんが自分の治癒能力に気付いたのは母親が亡くなってからのことで。
その能力を開花させようと貧民街へ治癒活動をしに行くようになったのは、母親の病を治す挑戦すら出来なかったことの悔しさがあったからだ、と書かれてあった。
「そういう人間って、皮肉なことに伸びるんですよねー、能力が」
……あたしもそうだった。
町の小さな神殿に所属し、ちょっとした怪我やものもらいや風邪を治癒できる程度の、レベルの低い聖女としてのんびり働いていた。
大工の親方をしていた旦那が居たからお金には困ってなかったし、息子もまだ小さくて手がかかる。だから気晴らしみたいにちょこっと働ける職があって良かったなーと思っていた。
大神殿所属の聖女たちみたいに、死ぬ間際の人間を治癒しまくってヘトヘトになるほど働く気はなかったんだ。
だけどある日、火事で旦那と息子を失った。
あのときほど、自分の弱さを嘆いたことはない。
焼け爛れた二人を前に、あたしはただ無力だった。
あたしの治癒なんて、蛍の光みたいに弱くて、弱くて……。
喉が焼けてもうまともに声も出せない息子が、何度も「ぉ、おかぁさ……たす、け……」と、あたしに向かって呻き声をあげた。
でも無力で不甲斐ないあたしは、息子に「今すぐ、お母さんが助けてあげるからね」って、言ってあげることさえ出来なかった。
ほんのちょっとの治癒能力があるだけで楽な仕事が出来てラッキーだな、と思っていた自分を本気で恥じた。
もっと努力してレベルを上げていれば、あの日まだ微かに息のあった旦那と息子を救えたかもしれないのに。
ううん、今のあたしなら確実に救えた。
あの日の絶望があたしを変え、あたしをここまで歩かせてきた。
ペトラちゃんも同じように、後悔を糧に歩き続けているのかな……。
「九歳なんてまだまだ子供で居られる時間なのに、なんだか可哀想ですよねー……。まぁ、本人はただ目の前にいる患者を助けなきゃって、思ってるだけかもしれないですけど」
『そうですね。ハクスリー殿の子供で居られる時間を守ってあげることも、我々の仕事でしょう。
とりあえず、彼女は明日から三連休を入れました。実働二時間の予定が、初勤務で六時間越えましたから』
「了解でーす。三連休明けてもペトラちゃんが回復してなさそうだったら、あたしが休ませるんで」
『そうですね。よろしくお願いしますよ、アンジー殿』
「任された!」
ブゥンッと低い音を立てて、通信用クリスタルの明かりが消える。
あたしは次の黒エールの小瓶を手に取り、「そういえばペトラちゃんの部屋ってあっちだっけ……?」と南の方向に顔を向けた。
「いい夢を、ペトラちゃん」
治癒能力を酷使しすぎて舌を噛んでギリギリ正気保つような、根性がありすぎるペトラちゃんに。
あたしはそっと乾杯した。




