13:アンジー聖女
「こんにちは、新人ちゃん! あたしは聖女のアンジーです。きみの教育係なんで、よろしくねー!」
さわやかな夏風を纏ったような笑顔で現れたその女性に、わたくしは慌ててお辞儀をしました。
「初めまして、アンジー聖女様。わたくし、ペトラ・ハクスリー見習い聖女です。ご指導ご鞭撻のほど……」
「あ、そういう堅苦しい挨拶はいいからいいから。これから戦場だからさ、とにかく自分の気持ちを平常心に保つことだけ考えてくれればいーよ」
「は、はい」
「というわけで、よろしくね、ペトラちゃん」
「こちらこそよろしくお願い致します」
アンジー様はオレンジ色の髪とそれより濃い朱色の瞳をした美しい方で、年齢はちょっとよくわかりません。
少し大人びた二十代にも、若々しい三十代にも見える感じです。
アンジー様のハキハキとした明るい声はよく通り、きびきび動く細い体はしなやかで、若い雌鹿のような雰囲気の方でした。
「で、ゼラさん。有毒ガスを吸い込んだ中毒患者がたくさんって、職員さんから聞いたけど、鉱山から大神殿の治癒棟まで運んでくるんですかー?」
「現実的に無理でしょうね。馬車には限りがありますし、今出せる馬車をすべて急がせても、市民の交通の妨げになるでしょう。馬車事故が起きかねません」
たいした交通法も制定されていないこの皇国で、救急車のようなシステムはまだ導入できません。
速度の速い馬車が街道を走ることすら、市民の交通の妨げになります。それを何台も走らせるとなると、新たな怪我人が増えかねませんでした。
「じゃあやっぱり、あたしとペトラちゃんで鉱山まで行った方が早いね。ペトラちゃん、一人で馬には乗れる?」
「い、いえ、乗れませんわ……」
「そっかぁ。落ち込まなくていーよ。今までお嬢様生活だったんだし、仕方がないじゃん? これから覚えればいいだけだよ。あたしたちはこういうとき、現場にチョッパヤで辿り着かなきゃいけないことがあるからさ、覚えるとめちゃくちゃ便利だよ~」
「はいっ。頑張りますわ」
今まで当たり前に馬車に乗る生活でしたけれど、確かにアンジー様のおっしゃるとおり、乗馬を学んだ方が行動範囲が増えて良さそうです。
仕事の助けになりますし、休日も神殿の馬を借りれば遠出が出来ます。
「今日はあたしと一緒に馬に乗ろう。任せて」
「ありがとうございます、アンジー様」
「じゃあ、さっそく行こうか。ゼラさん、馬借りていきますねー」
「ええ、手続きはこちらでしておきますから、お好きな馬を選んでください。では、ハクスリー殿、大変な初勤務になってしまいましたが、人生にはままあることですよ、想定外の出来事というものは。アンジー殿、ハクスリー殿のことをよろしく頼みます」
「任された! じゃ、ペトラちゃん……」
「あ、あの、ゼラ神官様、アンジー様……!」
目の前で淡々と進む二人の会話に、新人が口を挟むのも悪いような気がしましたが、どうしても疑問が浮かんで消えません。
わたくしは思いきって尋ねました。
「重症者多数ですのに、アンジー様とわたくしの二人だけで本当に大丈夫なのでしょうか……!? アンジー様はもちろん聖女の位をお持ちなので不安はありませんけれど、わたくしなど、今日入ったばかりの新人ですわ……」
鉱山ではたくさんの人が働いています。目に見えない有毒ガスを相手に、吸い込まずに逃げ切れた人はきっと少ないでしょう。
軽症者の方が多いかもしれませんが、重症者だって、もしかしたらわたくしたち二人では追い付かないほど居るかもしれないのです。
不安になるわたくしの両肩を、アンジー様がガシッと両手で掴みました。
「残念なお知らせをするね、ペトラちゃん。現在治癒棟で外出出来る治癒能力者は、なんと、あたしとペトラちゃんの二人だけなんだ!」
「え。え……?」
わたくしは思わず、ゼラ神官に視線を向けます。
ゼラ神官には、かなりの権力者の予約でも入っているのでしょうか……。
「ゼラさんを含め、残りの治癒能力者は全員『幽閉組』なんだよ!」
「『幽閉、ぐみ』……」
悪役令嬢ペトラのバッドエンドが、わたくしの脳裏によみがえります。
たぐいまれなる治癒能力を持っていた悪役令嬢ペトラは断罪後、神殿に入れられ、外界に出ることは叶わずに治癒能力を搾取され続けるというアレです。
アンジー様はゼラ神官の首元を指差しました。
「ごらん、ペトラちゃん。ゼラさんがしているあの首輪はね、大神殿の外に一歩足を踏み出したとたん爆発するヤバイやつなの。ゼラさんを鉱山に連れていこうとすると、ゼラさんが死んじゃうの」
「ひぃ……ッ」
「ちなみに『幽閉組』は大神殿の居住スペースじゃなくて、治癒棟の地下牢で暮らしてるんだよ。犯罪者だから仕方ないんだって」
わたくしも前世を思い出していなかったら、『幽閉組』の一員だったのでしょう。
複雑な気持ちが込み上げてきました。
ゼラ神官は虹色に輝く不思議なクリスタルがついたチョーカーを弄りながら、穏やかに微笑みます。
「我輩は六十年前に、伯爵家のご令嬢に恋に落ちましてねぇ。彼女をお守りしようと決意した若き我輩は、伯爵家の屋敷の回りを警護したり、お部屋の安全を確認したり、不埒な輩から届く文を燃やしたりしていたのですが、いつの間にか捕まってしまいました。やましいことはしていない、誤解だと訴えたんですけどねぇ。聞き入れてはいただけませんでした。いやはや」
「ゼラさん、その話は何度も聞くけど、全然誤解じゃないと思うなー」
「まぁ、そのご令嬢も十年前に嫁ぎ先で亡くなってしまったので、いつか我輩に恩赦が出たら、彼女の墓を訪ねて、遺骨の一本でも掘り起こして頂戴したいと思うのです」
「そういうことを言っちゃうから恩赦が出ないんですよー、ゼラさん」
仙人のような雰囲気のゼラ神官がストーカー容疑で幽閉されているだなんて、ドン引きです……。
いえ、わたくしもその可能性があったのですけれど。
婚約者である皇太子の周囲をうろちょろするシャルロッテを排除しようと、犯罪を犯すはずだったのですけれども。
いくら恋に溺れたとて、相手に迷惑行為をするのは良くないと、改めて思いました。
「それに大丈夫。患者が死んでなければ治せるから、このアンジーお姉さんに任せなさい!」
ぽんっと自身の胸を叩くアンジー様に、わたくしは頷くしかありませんでした。
▽
「うひゃひゃひゃひゃひゃ、やばーい! めっちゃ暴れ馬なんだけど、この子ー!」
「きゃぁぁぁぁぁあああ!!!!! 止めてぇぇええ!!!! いやですぅぅぅぅ!!!!!」
アンジー様が選んだ馬が本当に暴れ馬だったのか、アンジー様の乗馬技術がジョッキー並みだったのかはわかりませんが、大神殿から鉱山まで普通の馬で片道三十分のところを、とんでもない速さで馬が走っていきます。
わたくしはアンジー様の細い腰にがっちりとしがみついたまま、だいたい泣いて過ごしていました。
馬が走る度に何度もおしりが浮き上がり、鞍に打ち付けられます。とんでもなく痛いです。
けれどこれからたくさんの患者さんを救わなければならないので、治癒能力は温存しなければなりません。おしりにいっぱい青アザが出来てると思うのですが、我慢です。
快適な乗馬が出来るくらいの技術を早々に身に付けなければ、と、わたくしはまた涙を溢しながら決心いたしました。
「おっ、現場が見えてきたよ、ペトラちゃん! たくさんの人間が遺体みたいに地べたに並んでいるよ!」
「アンジー様、そんなことを明るい声でおっしゃらないでくださいませぇぇぇ」
わたくしの涙も枯れ果てた頃に、鉱山の麓にいちばん近い村に着きました。
村の広場は凄惨な様子です。
普段は村人たちが憩いの時を過ごすのどかな広場でしょうに、何十人もの患者がぐったりと横たわっていました。
近くの町からやって来た神官聖女たちが懸命に治癒をかけていますが、全然手が足りていません。
鉱山で働いていた者達の家族や友人たちも懸命に患者を助けようと、心臓マッサージなどを行っていました。
「《Heal》! 《Heal》!!! ……っ、お願いっ《Heal》!!!!」
「カルカロスっ、目を覚ませよ……! ほら、水だっ、目を、覚ましてくれ……!」
「早く助けてください、神官様! うちの息子が息をしていないんだ……! このままでは死んでしまう……!」
「頑張れ、ジェレミー! お前、嫁さん貰ったばっかりなんだぞ! こんなに早く未亡人にしちゃ可哀想だろうが、頑張って生きてくれ!」
「誰か、心肺蘇生を手伝ってくれ! こっちだ!」
広場は、足を踏み入れるのも躊躇うほどの嘆きと怒りと祈りに満ちています。
わたくしはぎゅっと胸を押さえました。
馬車事故に遭ったガキ大将一人の治癒でも恐ろしかったのに、重症者がもっとたくさん。
……助けきることが本当に出来るのかしら。
人々の目の前でようやく馬を止めたアンジー様は、「すぅー」っと深く息を吸うと、広場によく通る大きな声で言いました。
「大神殿治癒棟から派遣された聖女アンジーと、後ろにいるのは見習いのペトラちゃんです! まだ死んでない状態ならあたしたちが治癒するんで、患者を一ヶ所にまとめてくださーい!」
自信満々の明るい笑顔を振り撒くアンジー様を、わたくしは後ろから呆然と眺めました。
この凄惨な状況で「死んでないなら治せる」と豪語出来てしまうとは、やはり大神殿の聖女の位は伊達ではないようです。
そして「あたしたち」と一緒にくくられてしまったわたくしも、覚悟を決めて治癒にあたらなければなりません。
ごくりと喉が鳴る音が、耳の奥で大きく響きました。




