117:エピローグ
諸々の事後処理が終わると、ハンスやリコリス、アル君に見送られて、わたくしたちはようやくラズーへと出立しました。
そして二週間の旅を終えて無事に大神殿へ帰ると、普段あまり話していなかったような方々からも「おかえりなさい」と声を掛けていただきました。
皆さんとても心配してくださっていたみたいで、人の温かさにわたくしは何度も感謝いたしました。
治癒棟に挨拶に顔を出したら、
「ペトラァ、監禁お疲れ様~。そんなことより、ベリーが実は男だったことへの感想をアタクシに聞かせなさいよぉぉ」
「ペトラばっかりズリィィィ!! 俺も幼馴染みの異性が欲しかったぁぁぁ!!」
と、ドローレス聖女とスヴェン様に無神経な言葉を向けられたばかりだったので、他の方々の優しさが大変よく染みました。
▽
大神殿での暮らしに戻ってしばらくすると、皇都からの新しい情報が入ってくるようになりました。
グレイソン皇子殿下が廃太子し、北の地にある離宮へ幽閉されることが決定したようです。廃人になってしまわれたセシリア皇后陛下は、また別の離宮に幽閉されるとのこと。
キャルヴィン皇帝陛下はパーシバル2世様の成人に合わせて皇位を譲り、自らはセシリア皇后陛下が幽閉される離宮でお暮らしになるそうです。
2世様の立太子に、ラズーの地は沸きました。
もともとラズーはかつての皇都なので、領民の多くが「皇都トルヴェヌなんぞラズーより歴史の浅い新参者よ」という拗らせた感情を抱えているのです。
しかも善政を敷いてきた皇弟一家から皇太子が現れたのですから、もう街中が大騒ぎです。
あちらこちらに『皇太子生誕の街』の看板や幟がたてられ、2世様にちなんだ商品が売り出され、歌劇や本が出版され、観光客がさらに増えるという結果になりました。
ただ、弟の3世様は現在ちょっと苦労中で、
「僕が次期領主になったので、早急に恋人か婚約者かを探さなきゃいけないんですっ!!! だれかっ!! 僕のいちばん大事な女の子になってくださいぃぃぃ!!!!」
と、婚活に勤しんでいらっしゃいました。
一応シャルロッテに3世様をおすすめする手紙を送ってみたのですが、
『もう皇族は懲り懲りです』
という内容の返信が届きました。
シャルロッテはグレイソン殿下の幽閉の件にも触れていて、
『とっくに愛情は尽きてしまっていましたが、ペトラお姉様に対する非道を聞いて、もう完全に目が覚めてしまいました。グレイソン様が幽閉先で反省して下さることをただ祈るばかりです』
と綴っていました。
失恋を経験して、シャルロッテは以前より強い女の子になったみたいですね。
シャルロッテは現在アーヴィンお兄様の補佐として、ハクスリー家の財政建て直しに励んでいるそうです。例のあの人の後始末をさせてしまって申し訳ありませんわ……。
『お母様はお父様が居なくなって毎日悲しんでいますが、娘の私が支えて生きていこうと思います』とも手紙に書かれていました。
ちなみに例のあの人は貴族籍剥奪の上、製鉄炉での労働に送られたそうです。
貧民街の皆さんが火炎瓶で脅した結果、例のあの人は火炎恐怖症になってしまったのですが、その上でたくさん火を使う製鉄炉送り……。
たぶんノルマ分も働けず、残りの人生を周りの人からたくさん怒られて生きていくのでしょうね。頑張ってくださいませ。
▽
それから時は流れ、わたくしは十九歳になりました。
すでに選択の儀を終えて聖女になり、アンジー様の籍に移って彼女の養女として過ごしていました。
出張組のお仕事も任されるようになり、数ヵ月ラズーを離れて治癒活動をすることも増えました。
難しい患者さんの治癒を担当する度にわたくしの治癒能力は増大し、お仕事がどんどん楽しくなっていました。
出張が終わると大神殿へ戻り、長期休暇が貰えます。
わたくしはその度に、ベリーと一緒に過ごしました。
わたくしとベリーの関係は、今でも宙ぶらりんのままです。
時間が合う時には一緒にご飯を食べて、おしゃべりをして、ボードゲームをしたり、並んで読書をしたり。
街に下りて買い物をしたり、外食したり。時にはレオも混じって三人で遊んだり。
一見以前とは変わらぬように見える時間を、わたくしとベリーは続けています。
きっと、これはあまり正しいことではないのでしょう。
ベリーもあのときの告白の返事が欲しいに違いない、と思うのですが、わたくしは答えを出せずにいました。
だって、ずっと女の子だと思っていた相手を突然男性として恋愛対象に考えて欲しいと言われても、心が追い付かなかったのです。
わたくしは女の子のベリーが大好きでした。世界で一等大好きでした。
他の人と仲良くしようと思っても、ついついベリーを優先してしまう位に。いつかベリーが誰かと結婚して、わたくしとの時間が減ることを恐れる位に。大好きだったのです。
彼女が消えてしまった喪失感だけでも大変でしたのに、男性としてのベリーとの関係を再構築するのもまた、大変でした。
だって、ベリーと過ごす時間の何もかもが、今までと違って感じるのです。戸惑いの連続でした。
遠くからわたくしを見つけたベリーが、パッと輝くような笑顔を浮かべてこちらに手を振る瞬間、わたくしの胸はきゅうっと痛くなります。
そんなに愛情いっぱいの瞳で見つめられると、なにも考えられなくなってしまいます。
一緒に歩いていて階段に差し掛かると、さも嬉しそうに「ペトラ、お手をどうぞ」と大きな手のひらを差し出してくるベリーに、わたくしの頬は熱を持ちます。
これはベリーの顔の良さに惑わされているだけなのか、そうではないのか、判断が出来ません。
ベリーが今まで隠していた男性らしい一面に気付く度。
ベリーが「ペトラが一等大好きだよ」と言う度に。
わたくしは恥ずかしくて、彼のことがほんの少しだけ怖くて、その場から逃げ出したくなってしまいます。
ちゃんと自分の気持ちを見極めて、ベリーに答えを返したいのに、わたくしは駄目になってしまう。
そんなふうにベリーの一挙一動に動揺していただけで時間は流れてしまい、気付いたときにはお互いに十九歳になっていたのです。わたくしの馬鹿……。
もう、考えるだけ無駄なのでしょう。
わたくしはただ、ベリーという人がただただ一等大好きで仕方がないのです。
出会った時からわたくしはずっとベリーに弱くて、甘やかし、愛してしまうのです。
わたくしが分かったのは、そんな事実だけでした。
▽
長期休暇中なのでのんびり庭園を散歩していると、懐かしい場所に辿り着きました。ラズーの海が見下ろせる、庭園のはじっこです。
そういえばこの辺りの茂みでベリーと出逢ったのだと思い出したわたくしは、同じ場所を訪ねてみる気分になりました。
そしてハーデンベルギアの奥にある、緑で出来た秘密基地のような空間を覗き込むとーーー十九歳のベリーが寝転がっていました。
ベリー……。そういうところは十年前とちっとも変わらないのですね……。
ハーデンベルギアの枝葉を掻き分けて、わたくしは彼に近付きました。
緑の草むらの上に投げ出された大きな体、長い手足、大神官のみが着用できる繊細な刺繍が施された衣装。短い赤い髪が木漏れ日によってキラキラと輝き、まるで精霊のような美しさでベリーは瞼を閉じていました。
ベリーは短時間睡眠体質だから、寝ているのか起きているのか、ちっとも分かりません。
わたくしはベリーの横に腰を下ろし、そのまま彼の横に寝転がってみました。
水滴のついた雑草の冷たい緑の香りがして、上に視線を向ければ樹上の葉っぱが緑のレースのように広がっています。
ベリーはいつもこんなに綺麗なゆりかごで、この世界を感じながら微睡んでいたのですね。
「……いけないよ、ペトラ」
低い声が横から降ってきたので視線をずらせば、ベリーが目を開けてこちらに顔を向けていました。
「私はただの男でしかないから、みだりに一緒に眠ってはいけない」
ベリーはとても真剣な顔つきで、わたくしに警告しました。
それがなんだかおかしくて、思わず「ふふっ」と笑い声が溢れてしまいます。
「笑い事にしないで、ペトラ。私は本心から言っているんだよ」
「ごめんなさい、ベリー。……でもわたくし、貴方とみだりに一緒に眠りたいのです」
ベリーと一緒に居るのが好きです。
離れれば会いたくなるし、会ったら離れたくなくなります。
『男女』という言い訳で貴方とずっと一緒に居られるのなら、わたくしは貴方の女になってもきっと後悔はしないでしょう。
わたくしはずっと持ち歩いていた部屋の合鍵を、ポケットから取り出しました。ベリーの瞳と同じ青紫色の髪紐は古ぼけた感じがしていますが、それさえもなんだか愛しいです。
その合鍵をベリーの手に押し付けると、彼はビックリしたように目を見開きました。
わたくしはそのままゴロリと転がってベリーの胸元に顔を寄せます。すると、とても幸せで満ち足りた気持ちになりました。
「えっと……、この合鍵はどういう意味だろう……?」
「ベリーが男の子でも女の子でも一等大好き、という意味ですわ。
貴方が男性として、わたくしとの関係を望むのなら、わたくしは女性としてその想いに応えたいと、ようやく答えを出したのです」
「本当!?」
「ええ。本当ですわ」
わたくしが頷くと、ベリーは急にがばりと起き上がって、そのままわたくしの顔の横に両手をついて覆い被さりました。
「……おじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒に食事をして、一緒に眠って、色んなことを一番に報告し合ったり、心配し合ったり、笑い合ったり、喧嘩しても仲直りしてくれるような一生を、私と送ってくれますか、ペトラ?」
昔2世様がおっしゃっていた結婚観が、そのままベリーの中に根付いてしまっていたみたいですね。
わたくしには大神殿という働く場所があり、アンジー様という家族が居て、たくさんの人に支えられて暮らしているので、ベリーと結婚しなくても本当は生きていけます。公爵家から逃げ出してでも手に入れたいと願った平穏な毎日が、今この手の中にあります。
けれどその上で、ベリーとそんなふうにずっとずっと一緒に生きていけたなら、わたくしの人生はどれほど最高でしょうか。
ベリーと家族になりたいと、心から思いました。
「はい」
わたくしが答えれば、ベリーの嬉しそうな顔が近付いてきました。
思わず「噛まないでくださいね」と言えば、彼はまた笑って「だってあの時も、ペトラの唇が美味しそうに見えたから」と答え、笑ったままの唇が柔らかく重なりました。
『ねえ、ベリー。わたくしは貴方が一等大好きですよ。ずっとずっと一緒に暮らしていきましょうね。この大神殿で、ずぅっと』
『私もペトラが一等大好き。ずっとずっと、一緒に生きようね』
いつか二人で交わした、約束とも呼べないような幼い言葉が、過去から聞こえてきたような気がしました。
完
これにてペトラとベリーの物語は終了です。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!
これは、本来ならあのまま神様になってしまうはずだった子供を、この世界に引き留めて人間の男にしてしまったヒロインの話でした。たぶん。
ヒーローが後半までヒーロー度0なので、完結後の一気読みにしか向いてない作品だったのですが、毎日更新にお付き合いしてくださる方が居てくださって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
ぜひ最後に評価いただけると幸いです!




