116:そして大親友を失った
ベリーに連れて行かれたのは、トルヴェヌ神殿屋上でした。
星詠みの能力者や神殿お抱えの天文学者が使用する星見台があり、休憩用のベンチが等間隔に置かれています。
星詠みの能力者たちが屋上を使うのは深夜になってからなので、今はまだわたくしとベリーの他に人気はありませんでした。
屋上からは皇都の街並みが一望出来ます。わたくしとベリーは並んでベンチへ腰掛け、最初は少し黙って景色を眺めていました。
男女なので少し離れて座りましたが、この空白がなんだか寂しいですわね……。いつもなら何も気にせずくっついて座っていましたから。
「ベリー」
わたくしがいつものように名前を呼べば、彼がこちらを向きました。
すっかり短くなった木苺色の髪が屋上の風にあおられて、ふわりと揺れています。
「皇城までわたくしを助けに来てくださって、本当にありがとうございました」
ベリーならわたくしを絶対に助け出してくれると信じていました。
神託の能力者としての身分や能力が皇室と戦う武器になることも計算の内でしたが、それ以上に、どんな面倒事も解決してくれるだけの友情をわたくしに向けてくれていると、信じていました。
そしてベリーは、そんなわたくしの傲慢な信頼に本当に応えてくださいました。とてもとても嬉しかったです。
「ペトラの為なら、私は私のすべてを差し出して頑張れるよ」
……女装していた頃のベリーだって、これくらいのことは仰っていましたのに。男の子の格好のベリーに言われると、なんだか調子が狂ってしまいますわね。
じわじわと熱くなる頬を、わたくしはそっと擦りました。
それから、監禁中のことや、アンジー様がわたくしの養母になること、2世様の立太子の話、貧民街の人達が面会に来たことなどを、わたくしはぽつりぽつりと報告しました。
ベリーからも、皇城へ向かうまでの旅の話やレオとの合流、ハーデンベルギアを枯らした理由など、色んな話をしてくれました。
離れていた間のことをすべて話し終える頃には、わたくしの頬の熱も冷め、また平常心に戻っていました。
「……私の両親は」
ベリーがゆっくりと口を開きます。
「このトルヴェヌ神殿で出逢い、恋に落ちて、結婚の約束をしたんだって」
皇都で一番大きな神殿であるトルヴェヌ神殿は、皇室の式典や行事でもよく使われています。ウェルザ元大聖女が何らかの理由でこちらに滞在していた時に、キャルヴィン皇帝陛下と出逢ったということでしょう。
わたくしは以前ベリーに見せてもらった、ウェルザ元大聖女の姿絵を思い出しました。
本当に美しい人で、皇帝陛下が恋に落ちてしまうのも無理からぬ人だったと思います。
「そしてお母さんは私を妊娠したのだけど、神託の能力者はこの世に一人しか存在出来ないんだって。二人の能力者が争った時に、アスラーがどちらを助けることも出来ないから。それで私のお母さんは、私を生かして自分が死ぬことを選んだんだ」
「ベリー……」
ベリーは強大な能力と引き換えに、なんと辛い運命をその身に背負わされてしまったのでしょう。
掛ける言葉が見つからず、わたくしは狼狽えてしまいます。
そういえば以前、ベリーと夜通しお菓子を食べた日に、自分よりも子供の心臓の治癒を優先しようとした妊婦の話をしましたっけ。
あの時ベリーは、もしも母親が自分より子供を優先して亡くなった場合、残された子供はどうすればいいのかと、わたくしに質問しました。
あれはベリー自身のことだったのでしょう。
あの時わたくしは、ベリーの傷に触れたことも気付かずに、安易な言葉を掛けてしまいました。
ベリーの内側にちゃんと飛び込んで、正解を見つけられずとも一緒に悩んであげるべきでしたのに。今になってすごく自己嫌悪です。
「お母さんが私の命と引き換えに亡くなった後、皇帝陛下は皇后陛下と結婚した。
この皇后陛下がね、ペトラも謁見の間で見たから分かると思うのだけど、すごくすごく皇帝陛下のことが好きで、嫉妬深い人だったんだ。お母さんがまだ皇帝陛下の恋人だった頃に、たくさん意地悪なことをしたらしい」
恋情も嫉妬深さももちろんあったのでしょうが、血統主義者のセシリア皇后にとって、貴族の血が流れていないウェルザ元大聖女にだけは皇帝陛下を奪われたくなかったのかもしれません。
「マシュリナは私のお母さんが妊娠後に体調を崩していったのは、セシリア皇后陛下が苛めたせいだと思い込んだ。そしてそのままお母さんが衰弱死してしまい、アスラーが神託の能力者を守ってくれる、という事をマシュリナは信じることが出来なくなってしまった。
マシュリナは皇位継承権を持つ私の性別を偽って育てることで、私の命を守ろうとしたんだ。そして上層部の人間も、マシュリナの考えを支持した」
それで本当はベリスフォードという名前の男の子が、ベリーという名前の女の子になったのですね……。
何の非もない男の子が背負わされた苦しい運命に、胸が痛みます。
わたくしはベリーのすぐ傍に居たのに、親友だったのに、なにも気付かずのうのうと横で過ごしていたのだと思うと、「ごめんなさい、ベリー……」という謝罪の言葉しか出てきませんでした。
……ベリーが女の子だったら、今すぐ抱き締めて頭を撫でたのですが。
異性の親友というのは、お互いの体温で心の傷を慰め合うという手段さえ使えません。
「どうしてペトラが謝るの? どうか泣かないで、ペトラ……」
涙が込み上げてきて視界が潤むわたくしに、ベリーはハンカチを差し出してくれました。
「だって、わたくし、貴方がそんなに辛い環境に居ただなんて、気付きもせずに……」
「隠していたんだから当たり前だよ。それに、謝るのは私の方だ。男であることを隠して、君にたくさん甘やかされて生きてきた。本当にごめんね、ペトラ」
「それはベリーのせいではありません……っ!」
確かに同性だと思い込んでやらかした事は数知れません。思い出すと恥ずかしくて死にかけますけれど。
ベリーが悪いのではありません。悪いのはそれをベリーに強いた大人達であって、彼は一貫として被害者なのですから。
「じゃあ、お互い謝るのはやめにしよう? ね?」
「……はい」
わたくしはハンカチで目元を拭ったあと、ベリーに尋ねました。
「それで男性の姿で皇城へ現れたのは、ベリー自身の人生を勝ち取る為だったのですね?」
「うん。もういい加減、女の子でいるのは嫌だったから」
「そうですよね……。小さな頃から性別を偽り続けるなんて、とても辛いですよね……」
「うーん。小さな頃の私は感情らしい感情が育たなかったから、よく覚えていないのだけど……。
ペトラと出逢って、私の心がきちんと育ってからは、辛かった」
ベリーの青紫色の瞳が、わたくしをじっと見下ろしました。
その瞳の中に浮かぶ想いの強さに、わたくしはこの時ようやく気が付きました。
「私はペトラに男として認識して欲しかった。君に守ってもらう女の子ではなく、君を守る男になりたかった。当たり前のように君をエスコートしたり、優しくしてあげたかった。
それでいつかペトラが誰かと結婚したい気分になった時に、君の選択肢の中に私も居たいと、ずっと願っていたんだよ」
「……ベリー」
「私を人に育ててくれたのはペトラだから、君の好きなように扱ってくれていい。私を受け入れるのも、拒むのも、ペトラの自由だ。
だけどどうか覚えて、忘れないで。私が君の、君だけの男だということを。どんな時だって君の傍に、男として頼られたい私が居ることを」
優しさ、愛情、恋情、劣情、感謝。
ベリーの瞳の中で万華鏡のように次々現れては融合していく沢山の感情の彩りを、わたくしは呆然と見つめました。
今までわたくしが暢気にベリーの傍に居たあいだに、彼の中ではそんな複雑な感情が生まれて花開いていたのかと、ただただ驚き、声が出てきません。
「世界で一等大好きだよ、ペトラ。……男としての私のことも、君に一等大好きだと言ってもらえるように、私、頑張るね」
最後にベリーは、いつもペンダントのように首から下げていたわたくしの部屋の合鍵を取り出しました。
「これは今の私が持っていたらいけないものだから、ペトラに返すね。今まで私を信用していてくれて、ありがとう」
「…………」
ベリーはそのまま屋上から立ち去り、あとに残ったわたくしは、ただ手のひらの上の合鍵を眺めていました。
男女でも親友でいられると、お花畑のようなことを考えているわたくしをあっさりと追い越して、貴方は大人の男性になってしまっていたのですね、ベリー。
もう、わたくしの可愛い親友はどこにも居ません。
残ったのは、女であるわたくしと、男であるベリスフォードだけなのです。
寂しくて、恥ずかしくて、どうにかなってしまいそう。
明日で完結です!




