113:裁き(ベリスフォード視点)
「異議あり!」
目を血走らせた異母弟が一歩前に出てくる。そして私を強く睨み付けた。
「僕はペトラ・ハクスリー公爵令嬢の父親である公爵からちゃんと許可を貰い、彼女を皇城に迎え入れた。監禁などではない。彼女との婚約も、公爵から承諾を得ている。大神殿への越権行為ではない!」
ペトラがまだ未成人であり、ハクスリー公爵家に籍が入っているからこその言い分だ。
私が後ろを振り向くと、ペトラのお兄さんが進み出てくる。
「キャルヴィン皇帝陛下。この場にて我が義父の罪を告発することをお許しください」
「……良かろう」
皇帝が低い声で促すと、お兄さんは公爵の脱税を告発した。そして自分の娘を皇室に嫁がせることによって、便宜を図ってもらうつもりだったことも。
お兄さんは皇帝に裏帳簿や裏付け証拠を差し出した。
「キャルヴィン皇帝陛下、ハクスリー家は義父を罪人として差し出し、爵位降格と領地の一部返上を申し出ます。
このような大罪を犯した義父は、最初からペトラの親権者に相応しくはありませんでした。信用のない義父が画策した縁談など白紙にしてください。そして妹ペトラを、大神殿へとお返しください」
それに動揺したのは異母弟だ。
「ちょっと待て、アーヴィン!? 僕とハクスリー公爵家との縁談を無かったことにするだと!? それではシャルロッテの件はどうなるのだ!?」
白銀の髪を振り乱す異母弟は、先程の皇后の錯乱っぷりによく似ていた。
「その女を娶る代わりに、シャルロッテを僕の寵妃にして良いとハクスリー公爵が言ったのだぞ!? それを今更になって撤回するなど許さない!!! とにかくシャルロッテを僕の元へ連れて来い!!!!」
……もう異母弟は喋らないで欲しい。私の胸の内側が、怒りで冷たく暗くなっていくから。
君の独り善がりな想いに、ペトラを巻き込まないで。
君が世界で一等大好きな女の子を手に入れるために踏み台にしようとしたその人は、私にとって世界で一等大好きな女の子なんだ。
そんなにペトラの妹が大好きだったのなら、好かれる努力をすれば良かったのに。
政略とはいえ、婚約者同士だったのだから、いくらでも頑張れたでしょう?
私は頑張った。ペトラに男としての私のことも大好きになってもらいたくて、頑張って男になった。そしてこれからペトラに大好きになってもらう為に、また頑張る。
だから邪魔をしないでよ、グレイソン。
冷たくグレイソンを睨み付ける私の両肩に、イライジャとセザールの温かな手のひらが乗った。
私が振り返ると、二人はそれぞれ小さく頷いてから発言のために前へ出る。
「キャルヴィン皇帝陛下、グレイソン皇太子殿下とハクスリー公爵閣下への厳罰を、我々大神殿はお願い申し上げる!」
「皇城のハーデンベルギアが枯れたのも、アスラー大神がグレイソン皇太子殿下の行いを知り、彼を見放したからです。そんな殿下をこのまま皇太子の椅子に座らせておくのは、皇国としていかがなものでしょうか?」
時間稼ぎの為に枯らしたハーデンベルギアのことも、グレイソンを追い詰める為にでっち上げる。
どんなことをしても、ペトラを取り返すのだ。
二人の発言を聞いたグレイソンが反論した。
「大神殿は、そこにいる見習い神官を皇太子の座に座らせる気なのだろう!? そして皇室を乗っとる気なのだ! それこそ皇室に対する越権行為だぞ!!」
グレイソンは鬼の首を取ったように言う。
けれど私は、皇太子の椅子など欲しくもない。皇国を治める気なんかまったくない。
だってそこにはペトラが居ないから。
ペトラと一緒に生きていくことが、私の人生の最優先課題だから。
その為に邪魔なものは、全部捨ててしまおう。
「皇帝陛下、私は皇太子になるつもりはありません。私の持つ皇位継承権はこの場で返上致します」
「嘘だ、嘘だっ、嘘だ! ならば一体誰が皇太子の座に相応しいと……!」
「それは、この僕! パーシバル2世ですっ!!」
大神殿の者達の後ろから、今度は領主館の人達が現れた。
堂々と胸を張って言い切った2世は、そのまま背筋を伸ばして真っ直ぐに歩いてくる。私は少し横にずれて彼の為の場所を開けた。
真新しい正装に身を包み、癖のある金髪をぴっしりとオールバックに固めた2世は、その水色の瞳に強い覚悟を浮かべている。
顎を上げて皇帝を見上げた2世は、一息にこう宣言した。
「僕、皇位継承権第二位のパーシバル・カルロス・ジョイ・イーノック・グレゴリー・エイブラム・ダン・デクスター・ウィル・フレディこそが、このアスラダ皇国を統治するに相応しい男です!! 皇国中の誰よりも相応しい男だと、自負しております!!!!」
私とマザーが領主館へ行った時に、彼にお願いをした。グレイソンが廃太子されたあとの後釜に収まって欲しい、と。
最初は迷っていた2世だけれど、最後には、
『ラズーの民の平和を守るためには、結局、アスラダ皇国の民全員の平和を守らなくちゃ実現しないんだよね。うん、わかった。僕、皇太子になるよ!』
と頷いてくれた。
2世は昔からずっと、心優しくて、家族想いで、ラズーの民にも等しく愛情を向けることが出来る男の子だった。次期領主として領地経営を学ぶ傍ら、皇族として帝王学も学んでいた。
2世は厳しい統治者にはなれないかもしれないけれど、その分は気の強いモニカちゃんが補ってくれると思うし。
「さすが僕のお兄様です!! お兄様のような素晴らしい方こそ、次の皇帝に相応しいです!! お兄様の為ならば、ラズーの地は僕がお守りいたします!」
「モニカはどこまでもお供いたしますわ、パーシバル様ぁ♡ ドゥラノワ辺境伯家と辺境騎士団は、パーシバル様の立太子に賛成いたします♡」
3世とモニカちゃんが2世の腕を、それぞれ左右からガッチリと組んだ。
領主様ご夫妻が後ろから三人の肩に手を置き、皇帝へ声をかける。
「兄上、グレイソンのやったことは皇室として恥ずべきことです。父親としてではなく皇帝として、きちんと裁くべきでしょう」
領主様の言葉に、皇帝は「……そうだな」と静かに目を瞑った。
「私はグレイソンに自らの無念を重ね、愛する女性と結ばれて欲しいと願ったのだが……。それが結局ここまでの大事を引き起こしてしまった。これは私の責任でもある」
「ち、父上! 何をおっしゃるのですか!?」
「グレイソンの皇位継承権を破棄し、離宮へと幽閉する。そしてパーシバル2世を皇太子として迎えよう。彼が成人になると同時に皇位を譲り、私はセシリアと共に皇城を去ろう」
「父上、それではシャルロッテはどうなるのですか!? 彼女は僕の妻にならねばなりません!」
「……グレイソンよ、もう彼女のことは諦めなさい」
「そんなっ! そんな……っ!!」
グレイソンはその場に崩れ落ちた。
皇太子の座から下ろされたことよりも、ペトラの妹と結ばれる道がすべて閉ざされたことに絶望し、大理石の床を拳で殴りつける。「シャルロッテ……!!」と愛しい人の名前を呼びながら、身も世もなく泣き出した。
皇帝はそんな息子から目を逸らし、ハクスリー公爵について言及する。
「ハクスリー公爵の脱税に関しては、これから公爵を皇城へ移送し、尋問を受けさせよう。すべての事実確認が終わったのちに正式な判決を言い渡す。……だが恐らくは、アーヴィン・ハクスリーが望んだ結果となるであろう」
「ありがたきお言葉です、キャルヴィン皇帝陛下」
「そして我が息子、ベリスフォードよ」
私は一言返事を返して、玉座に座る皇帝を見上げた。
髪と瞳の色は確かに私と同じだけれど、それ以外はあんまり似ていないな、と私は思う。
孤独と苦悩にまみれたシワが眉間や目尻に刻まれ、一国を担う重責に晒され続けたその人は、肌も心も魂も、すべてが乾ききっていた。
「そなたに一目会えたことだけでも感謝しよう。ペトラ・ハクスリー見習い聖女を大神殿へと返し、そして……ベリスフォードの皇位継承権返上を承認する」
「ありがとうございます、皇帝陛下」
ああ、これでようやく男の姿で生きられる。ペトラと一緒に大神殿へ帰れる。
ペトラに視線を向ければ、彼女はずっと床にへたり込んだままだった。もはや虚無といった感じの表情をしている。本当にごめんね……。
言いたいことも、言わなくちゃならないことも、たくさんある。
それはちょっと大変だけれど、ようやくペトラの前で男として過ごせるのだから、頑張って説明したいと思う。
ペトラはこんな私を受け入れてくれるだろうか? 男として愛してくれるだろうか?
考えると少しだけ怖いけれど、でもこれは女の子の振りをし続けて生きていくより怖いことではないから。
ただ男として堂々と、彼女へ一歩ずつ近付くだけだ。
私がペトラへ近付こうとしていると。廊下の方から騒がしい声が聞こえてきた。
騒がしい声はどんどん謁見の間に近付いてきて、やがて扉が開け放たれた。
扉から入ってきたのは、セシリア皇后だった。
近衛騎士を振り切ってやって来たのだろう。靴が脱げたのか素足で、髪の毛もボサボサになっている。あまりにも惨めで痛々しい姿だった。
皇后はどこからか手に入れた短剣を持ち、私に向かって走ってくる。
「殺してやる!!!! キャルヴィン様の御子を生んだのは、わたくしただ一人でなければっ!!!! ウェルザが生んだ息子など、殺してしまえば最初から居なかったことになるわ!!!!」
……そうだろうか?
私を殺したところで、生まれた事実は変えようがないんじゃないかなぁと、つい考えてしまう。
狂人の考えはよく分からない。
このまま皇后が私に向かってきても、護衛の神殿騎士が捩じ伏せてしまいそうだ。
そんなことを思った私の目を覚まさせたのは、ペトラの叫び声だった。
「いやぁぁ! ベリー! 危ないから逃げてっ!!」
あれほど男の姿になった私に呆然となっていたペトラが、この状況を見て、咄嗟に私のことを案じている。
長年性別を偽られていたなんて、軽蔑されても仕方がないし、愛想を尽かされてもおかしくないのに。
どうしよう。すごくすごく、嬉しい。
「アスラー」
ペトラが心配してくれるから。
たぶんマシュリナや他のみんなも心配してくれるから。
私は約束通り、自分自身を守らなくちゃいけない。
「助けに来て」
『よっしゃぁぁぁぁ!!!! 積年の恨み辛みを晴らしてやるぜぇぇぇ、このクソ女ぁぁぁ!!!!』
アスラーは珍しく男性の姿で現れた。
盛り上がった胸筋や割れた腹筋を晒し、薄い衣を下半身に巻き付けている。白い長髪とフサフサの髭が後光によって輝いていた。
『ウェルザの分もベリスフォードの分も、俺様が神罰を下してやるぜっ!!!!』
アスラーがセシリア皇后に人差し指を向けると、一瞬で彼女の精神が崩壊した。
「縺繧砺縺ェp嬪/撰msガ渓縺! 縺√°縺震!」
皇后はわけの分からない言葉を叫び、両手で頭を抱えて体を身悶えさせる。
命が尽きるまで終わらぬ悪夢が、皇后の頭の中で繰り広げられ始めたのだ。もはや逃れることは出来ない。
「セシリア……」
皇帝は呆然と彼女を見ていたが、やがてアスラーに視線を移した。
「アスラー大神よ、私のことも罰してください。ウェルザとセシリア、二人の女性を苦しめた私を、どうか……」
『ヤなこった。罰を望んでるドM野郎に罰を与えたって、むしろ喜ぶだけじゃねぇーか。罰って言うのはな、望んでないことをやらせるのがいいんだよ』
アスラーの言葉をそのまま皇帝に伝えれば、彼は「それはそうか……」と、静かに視線を下げた。
▽
その後の処理のためにセザール達が皇城に残ると言うので、残りの者は一足早くトルヴェヌ神殿へ戻ることになった。
ようやくペトラの傍に近付けば、彼女は床に座り込んだまま固まって動かない。
「ペトラ、立てる?」
「…………」
はくはくと口を動かすだけで声が出てこないペトラに一言謝って、彼女の体に触れる。
「……!」
「落とさないから、心配しないで」
ペトラの背中と膝裏に腕を回し、私は彼女の体を横抱きにして持ち上げた。
皇城の外に待機させている馬車に乗せるまで、ペトラはずっと私の腕の中で真っ赤になって縮こまっていた。
これで6章終了です。
7章は4話ほどになると思います(まだ書き上がってない……)
完結まであと4話、お付き合いいただけると幸いです。




