107:寄り道②(レオ視点)
「キャサリン、キャサリンっ!! あんたの力が必要だよ、キャサリン!! お嬢さんの危機だ!! 助けておくれ!!」
女帝マリリンに案内されたのは、貧民街の奥地にあるボロボロのあばら屋だ。立て付けの悪そうな玄関扉をバンバン叩き、女帝が大声でキャサリンを呼ぶ。
腰の曲がったキャサリンは、ゆっくりとした動作で扉を開けた。
「なんだい、マリリン。ペトラちゃんの危機だと聞こえたが、どういうことだい? ペトラちゃんのばぁばとして、助太刀するよぉ」
「キャサリン、ハクスリー公爵家の裏帳簿はあるかい? あんたのことだから、とっくの昔にお嬢さんの実家に乗り込んで、ヤバそうなものを手に入れているはずだ」
「もちろんあるよぉ。ハクスリー公爵家に何かあって没落したら、ペトラちゃんが可哀想だからねぇ。ペトラちゃんの父親がやった脱税が記された裏帳簿は、ばぁばがきちんと隠し持ってるのよ。公爵家にあるより安全でしょう、うふふ」
キャサリンの言葉に、側で聞いていたアーヴィン様が愕然とした表情をした。「まさか閣下が……」と、青ざめている。
「その裏帳簿を渡しておくれ、キャサリン」
「それがペトラちゃんの為になるのなら、いくらでも渡すんだけどねぇ……」
「なんだい、そのハッキリしない言い方は」
「私も歳でねぇ。家のどこに置いたのか、覚えてないのよぉ」
そう言ったキャサリンに案内された家の中には、足の踏み場もないほどの書類や帳簿の山が築かれていた。もはや紙の山の中でかろうじて生活しているという有り様だった。
「どこかにあるんだけどねぇ、ハクスリー公爵家の裏帳簿……」
「ああっ、もうっ! 仕方がない、人海術だ。あたしは他の『銀世代』の連中を呼んでくる! レオ、あんたは自分の子分達を呼んできな!」
「わかったぜ! あ、アーヴィン様。この状況じゃまだ裏帳簿は見つかんないんで、どっかで休んでくださっていいっすよ」
「いや、僕と護衛も手伝おう。ミセス・キャサリン、室内の捜索をさせてください」
「あらまぁ、いい男ねぇ、あなた。死んだ旦那を思い出すわぁ」
「その人、オジョーサマのお兄様だから!」
「まぁ、ペトラちゃんの。それはいい男ねぇ」
暢気に言うキャサリンを尻目に、俺はかつての子分たちを呼び集めるために外へと駆け出した。
▽
「ペトラちゃんの為ならば! このじぃじ、老眼を駆使してでも探し物をしてやるぞい!」
「ワシなんぞ、老眼鏡を持ってきた。ふぉっふぉっふぉ、完璧じゃ」
「ワシにくれ」
「やなこった」
「俺達もペトラの姉御のために頑張るぞ!」
「「「おおー!!!」」」
ハクスリー公爵家裏帳簿捜索は難航を極めた。
キャサリン含む『銀世代』の連中とマリリンは、途中で力尽きて眠ってしまった。あいつら年寄りだからな。朝は四時とかに起床するわりに、夜は八時くらいに眠っちまう……。
だが俺や子分、アーヴィン様とその護衛、露店が終わってから駆けつけてくれたケント、ナナリーによって夜通し捜索が続く。
そして明け方にとうとう帳簿の山の中から、俺はハクスリー公爵家の裏帳簿を発見した。
「アーヴィン様、見つけましたよ! これが裏帳簿です!」
「ありがとう、レオ君!!」
さっそく裏帳簿を開いたアーヴィン様は、ページを捲っているうちにだんだんと、こめかみのあたりの血管をピクピク震わせ始めた。裏帳簿の表紙を持つ手が怒りに震え始める。
「……なるほど」
アーヴィン様はそのお綺麗な顔に、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
だが、それが喜びではなく怒りに満ちての表情であることは、出逢ったばかりの俺でも分かる。
「これで僕も、閣下と闘うことが出来るよ」
アーヴィン様のその一言に。
貧民街で揉まれ、ハンス師匠に鍛えられ、神殿騎士として働いている俺でさえ、ちょっと背筋が震えた。
▽
アーヴィン様は「皆さん、大変お世話になりました。心からの感謝を申し上げます」と深く頭を下げて、そのまま疲れた様子も見せずに公爵家に向かった。
ここまでくれば乗り掛かった船なので、俺もアーヴィン様に同行する。大神殿への連絡は伝書鳩を飛ばして貰っているし、どうせ鳥の方が先に到着するからな。
ハクスリー公爵家に到着すると、まずは護衛団のもとへ顔を出してから、アーヴィン様と共に屋敷に入る。
公爵はどうやらまだ朝食中で、食堂に居るらしい。アーヴィン様はまっすぐ食堂へ向かった。
「閣下。お食事中に失礼致します。ただいま戻りました」
「アーヴィンか。シャルロッテの様子はどうだ?」
「落ち着いた様子です。シャルロッテはこれから領地でのびのびと暮らし、その心の傷を癒すでしょう。僕もその手伝いをするつもりです」
公爵は俺がアーヴィン様と共に食堂に入っても、こちらに顔を向けなかった。食後の珈琲を飲みながら、アーヴィン様の報告に「そうか」と頷くだけだ。
アーヴィン様はそのまま公爵に近づくと、食事テーブルをバンッ!!! と叩いた。
「……何事だ、アーヴィン」
「ペトラのことを聞きました。あの子をグレイソン皇太子殿下の后にし、シャルロッテを寵妃として差し出すおつもりだと。ペトラを后教育のために皇城で監禁しているのだと。……本気でしょうか、閣下?」
「だから何だと言うのだ。ペトラもシャルロッテも私の娘だ。娘をどこに嫁がせるかを決めるのは父である私の役目であり、お前ごときが口を挟むことじゃない」
ふん、と公爵が面倒くさそうに鼻を鳴らす。
あくまでも娘は自分の駒だと言う様子に、俺は胸クソ悪くなってきた。
これがオジョーサマの親だとか、本当かよ? よくこんな腐ったおっさんから、オジョーサマのような心優しい子供が生まれたもんだぜ。
そんな公爵に怒っているのは、俺だけではなかった。
アーヴィン様が銀色の瞳に苛烈な炎を宿しながら言った。
「いいえ、口を挟ませていただきます。僕はペトラとシャルロッテの兄なので」
「分家から養子に来た分際で、よくもまぁ直系の娘達の兄などとほざけるな。恥ずかしくはないのか、アーヴィンよ」
「恥ずかしくなどありません。この冷たい公爵家のなかで、あの子達だけが僕の守るべき家族でした」
そう言ったアーヴィン様の冷たい迫力に、公爵が一瞬たじろいだ。
「ペトラは大神殿の人間です。彼女は貴族としてではなく、治癒能力者としてアスラダ皇国の為に働いていくべきです。
即刻、彼女を皇城から解放してください。ハクスリー公爵家はもう、今の皇室と縁付くのは諦めるべきです」
「……っ、お前なんぞがどう思おうと関係ないっ! ハクスリー公爵家のことは私が決めることだ! お前のような若造が口を挟むな!!」
「引き際なんですよ、もうすでにっ、ハクスリー公爵家は!!」
アーヴィン様が隠し持っていた裏帳簿の表紙を、公爵に見せる。その途端、公爵の表情が抜け落ちた。
「……それを、おまえ、どこで……」
「娘を皇室に嫁がせて、脱税を有耶無耶にして貰うおつもりでしたか? そんなことの為にペトラとシャルロッテを苦しめたと言うのですか? ……馬鹿馬鹿しい」
「…………」
「僕は皇帝陛下に閣下が行った脱税を告発し、領地の一部を返還、降爵を願い出ます。それでどうにか、ハクスリー家の存続だけは許していただかなければ……」
「ふっ、ふざけるなっ、貴様ッ!!! 育ててやった恩を忘れよって!!!」
公爵が椅子から立ち上がり、アーヴィン様を殴ろうと腕を振りかぶるとーーー……。
「今じゃあ~! 火炎瓶を投げるんじゃー!」
「「「おお~!!!」」」
食堂に面した庭から、イカれたジジィの合図と共に、貧民街の連中が次々と火炎瓶を建物の外壁に投げつけていく。
アーヴィン様が『もしも閣下が説得に応じなかった時には、威嚇攻撃をして欲しい』と言ったからって、あいつらどんだけの数の火炎瓶を用意したんだ……。
一応オジョーサマの実家を火事にするわけにはいかないという理性があるらしく、火炎瓶は燃えにくい石壁へ向けているみたいだが。食堂の外で高々と燃え上がる炎の勢いは普通にヤベェし、熱波で窓ガラスがバンバン割れていく。割れた窓からもくもくと黒煙が流れ込んできて、クセェ。うわっ、カーテンも燃え始めたぞ。
「なっ、なんなんだ、これは!? ひぃぃぃ!!! 嫌だ!! 死にたくないっ!!!」
食堂の外から見える景色が一面真っ赤な炎じゃあ、往生際の悪い公爵もさすがに狼狽えるよなぁ。
しかも火の粉が公爵の近くに飛んできて絨毯が焦げたので、腰を抜かしてしまった。
俺は腰を抜かしたままの公爵をさくっと拘束する。
公爵は「火がぁ!! 火が飛んで来たぁぁっ!!」と叫んでうるさいので、首の後ろにドスッと手刀を打ち込んで気絶させておいた。
「……ありがとう、レオ君。君や貧民街の皆さんが居てくれて、助かったよ」
「いえ、お助けできて良かったです。でもそろそろ火がヤバイんで、消火活動に移りましょう」
「そうだね」
事前に消火活動を頼んでおいた護衛団の人達がすでに水を掛けていたが、まだ炎の勢いがヤバイ。
俺やアーヴィン様も使用人達も、食堂の中から水をどんどんぶっかけて、消火活動を手伝った。
そしてどうにか炎を消し止めると、公爵はアーヴィン様が告発するまでの間、屋敷の一室に閉じ込められることになった。
オジョーサマを皇城に閉じ込めた報いを受けたんだな、と俺は思った。




