106:寄り道①(レオ視点)
リコリスさんの弟のアルが案内してくれたお陰で、俺は無事に皇城の外へと出ることが出来た。
「僕は緩衝マットの片付けをしなければならないので、これ以上一緒には行けませんが……。どうかペトラお嬢様とリコリスお姉ちゃん、ハンスさんのことを助けに戻ってきてください。三人とも、僕の大恩人だから」
片手を差し出してきたアルの手をがっちりと掴み、俺はしっかりと頷く。
「わかりました。必ず助けを呼びに行って、また皇城に戻ってきます」
「レオさんの旅路の安全を祈っています」
アルはそう言うと、一人静かに皇城へと戻っていった。
俺はトルヴェヌ神殿を目指し、夜通し歩いた。
空が白み始め、朝日が皇都に差し込んでくる時刻に、ようやくトルヴェヌ神殿の紅色花崗岩で出来た薄紅色の壁が見えてくる。
神殿の門にはまだ交代していない夜勤の門番がいて、俺が着ている神殿騎士の制服を見るとすぐに中へと通してくれた。
まだ早朝だが、神殿では職員たちが働いている。朝の清掃をする掃除婦や、食堂で朝食を作る料理人たち、神官聖女が自由に読めるようにと各種の朝刊を並べている職員の姿が見えた。
俺はトルヴェヌ神殿の責任者である神官様に面会を申し込む。緊急の用件だと言えば、神官様はすぐに面会の場を設けてくださった。
皇城に囚われているオジョーサマのことを話し、馬を貸してくれるよう、俺は神官様に頼み込んだ。
神官様は俺に対して労りの言葉をかけてから、こう言った。
「レオ殿、ハクスリー見習い聖女の件はこちらからも書状を書き、大神殿へ向けて伝書鳩を送りましょう。レオ殿が大神殿へ辿り着くよりも早く、事態を伝えることが出来ます」
「それは助かります、神官様!」
万が一俺が大神殿に到着できない場合も考えて、ほかにも伝達方法があった方が助かるもんな。
「ご協力感謝します、神官様」
「いえいえ。同胞の危機ですから」
さっそく書状を書いてくださると言う神官様に、俺は深く頭を下げた。
▽
トルヴェヌ神殿で朝食まで食わせてもらい、馬を借りた。
まずは皇都から出て、ラズーに向かう街道へ向かおう。すでに何度も通った道だから迷うこともない。
順調に馬を走らせていると、なんとなく見覚えのある馬車が道の向こうからやって来るのが見えた。
よく確認すれば、ハクスリー公爵家の紋章が付いている。
オジョーサマのとこのクソ親父か? と思いつつ目を凝らせば、馬車の窓から淡い水色の髪の青年が見えた。
オジョーサマの兄ちゃんである。確か名前はアーヴィン様だったか。
向こうも俺のことに気付いたのか、馬車を止めた。
そして窓からアーヴィン様が顔を出す。
「君は確か、ペトラが連れてきた神殿騎士だったね?」
「はい。レオと申します」
「こんなところでどうしたんだい? ペトラの護衛は? いくら公爵家にペトラが居るからと言って、護衛を離れるのはいかがなものだろうか」
アーヴィン様の言葉に、俺はハッとした。
この人、シャルロッテ様を領地に送り届けていたから、クソ親父の常軌を逸した行動もオジョーサマが皇城に監禁されていることも知らねぇんだ!
俺は慌てて馬車に馬を寄せ、「急ぎ、アーヴィン様にお伝えしたいことがあります!」と、彼に状況を伝えることにした。
アーヴィン様は俺の話を最初は冷静な様子で聞いていたが、段々表情が強張ってきた。
オジョーサマが皇城に連れて行かれて監禁されている、と聞いた時には、窓枠を殴り付けた。
「……あの、方は……っ!! シャルロッテのことだけでなく、ペトラのことまで不幸にさせようと言うのか……!! 僕の妹なんだぞ……っ!!!」
オジョーサマと同じ銀色の瞳に怒りを燃やし、アーヴィン様が歯を食い縛る。歯が欠けてしまうのではないかというほど、奥歯がギリギリ鳴っていた。
だがすぐに、俺の前だったことを思い出したアーヴィン様は少し冷静になられた。
そして「恥ずかしいところを見せてしまったね」と暗い表情で言う。
「僕が公爵閣下の実の息子であったなら、今すぐペトラを解放して大神殿へ帰すように、閣下に強く言うことが出来るのだが。僕は所詮分家からの養子だ。あの方に逆らう力がない。ペトラにとっても、シャルロッテにとっても、僕は不甲斐ない兄だ……」
確かにこの人がクソ親父に逆らえたら、それはそれでオジョーサマの救出が早まるのかもしれない。
だけどそんなに都合良く、あのクソ親父に逆らえるような後ろ楯を得ることも出来ないだろうし、弱味だって握れないだろう。やはり俺は大神殿に向けてさっさと旅立っちまった方がーーー……。
「あ」
ふいに俺は思い出した。
昔むかし、悪徳貴族から金を巻き上げていた恐ろしいジジババたちの存在を。
▽
俺はアーヴィン様を連れて貧民街に向かったーーーら、以前とは全然違う街並みが広がっていてビビった。
道のあちらこちらに『奇跡の浄化石がある街』『ご利益アリ〼』『長寿と美貌と金運が上がる奇跡の野菜売り場はこちら→』などという派手な看板が乱立し、うさんくさい露店がたくさん広がっている。
小川に近づけば近づくほど露天の数が増え、観光客の数が増えていく。
そしてその一等地に『マリリンの奇跡の野菜』という露天があり、まだ午前中だというのに客がずらりと並んでいた。
列の客を無視して露天に近づくと、こんな会話が聞こえてきた。
「ねぇ店員さん。あんたのところの野菜を毎日食べているんだけど、なかなか絶世の美女にならないのよ。どうなっているわけ?」
「まぁお客さん、うちの野菜はどれくらい食べ続けているんですか?」
「ここ一月、毎日よ」
「ああ~、それはまだまだですねぇ。最低でも半年は食べ続けてください。そうすると体の内側から変化が起こりますから。段々細胞が活性化して、今にも絶世の美女になれますよ。ただ、個人差がありましてね~、半年食べ続けてもまだ効果が出ないっておっしゃる方もごく稀に居るんです。
そうなったら、今度はこっち! 半年買い続けてくださったお客さんにだけご紹介している特別な野菜ジュースがあるんです! 今度は野菜と合わせてこっちのジュースも買うと、お肌ツルツルで一重はぱっちり二重に、足も長くなっておっぱいも大きくなりますよ! おまけに金運も上がって長生きもできるって大好評なんです!」
「まぁ! ぜひその野菜ジュースが欲しいわ! 売ってちょうだい!」
「ごめんなさいねぇ、お客さん。こっちは野菜を半年買ってくれたお得意様用のジュースだから、一ヶ月のお客さんにはまだ売れないんですよ~」
「……わかったわ! 私、半年買い続けるわ! その時にはちゃんと野菜ジュースを売ってちょうだいね」
「はいっ。まいど、どうも!」
あこぎな商売をやっているのは、女帝マリリンの孫娘ナナリーだった。その隣には兄のケントが居て、同じようなセールストークを振り撒いていた。
昔は女帝マリリンに似ずに育ったと思ったが、やはり血は争えねぇな……。
「おい、ナナリー、ケント!」
俺が声をかければ、二人がびっくりしたようにこちらに向いた。
「レオ兄ちゃん!?」
「どうしたんですか、レオさん!? 大神殿にいるはずじゃあ……?」
「ちょっとな。女帝マリリンに話があるんだけど、今どこにいるんだ?」
「おばあちゃんなら裏に居ます! 呼んできましょうか?」
「いや。お前ら忙しそうだからいいよ」
「へへっ、ペトラお姉ちゃん達のお陰で今貧民街は熱いからね!」
俺と兄妹の会話に、後ろに立っていたアーヴィン様が「ペトラ?」と首を傾げる。
ケントとナナリーも、不思議そうにアーヴィン様を見上げた。
「レオさん、この方は? お貴族様みたいだけど……」
「オジョーサマの兄のアーヴィン様だ」
「ペトラお姉ちゃんの! お兄さま! はわわ、こんにちは!」
「ペトラお姉ちゃんにはお世話になってます、お兄さま」
二人の言葉に、アーヴィン様は紳士らしい微笑みを浮かべた。
「そうか、ペトラが治癒活動していたのは確かこの辺りだったね。あの子と仲良くしてくれてありがとう」
「いえいえ、こちらこそですっ」
「お近づきの印に野菜をどうぞ、お兄さま」
「これはこれは。ご丁寧に。ありがとう」
兄妹とはそこで別れ、俺はアーヴィン様とその護衛を連れて露天の裏に回る。
露天の裏には綺麗な小川が流れ、せせらぎが聞こえていた。
女帝マリリンはそこにしゃがみ込み、商品用の野菜をざぶざぶと洗っていた。
「久しぶりだな、女帝マリリン」
「……なんでこんなところにお前が居るんだい、レオ? ついにオジョーサマに振られて、大神殿から逃げ帰ってきたのかい?」
「逃げ帰るわけねぇだろ!! 騎士の制服着てるだろうがっ!」
相変わらず、一言嫌みを言わなきゃ気がすまないババァだな。
だけど俺にはあのイカれ狂ったジジババ達を動かす力などないんで、この貧民街一の人脈を誇る女帝マリリンに頼むしかねぇ。
「オジョーサマの大ピンチなんだ。ハクスリー公爵閣下の弱味を知りたい。あのイカれた『銀世代』の連中なら、なんか知ってんじゃねぇかと思うんだが、あんたから声を掛けてもらえないか?」
俺は女帝マリリンにオジョーサマの状況を話し、一緒に連れてきたアーヴィン様の紹介をした。
女帝は「なるほどねぇ」と低いしわがれた声で呟く。
「『銀世代』の連中に皇城に居るオジョーサマを奪還させるのは、さすがに無理だがね。なんせあいつらはもう現役じゃない。出涸らしみたいな老人だ。だが、公爵閣下の弱味くらいなら、知っている奴も居るだろうよ」
女帝は川縁から立ち上がると、俺とアーヴィン様を見て、顎をしゃくった。
「案内してやるよ。『銀世代』の中で最も手癖が悪かったキャサリンーーー人呼んで『裏帳簿コレクター』のところへ」




