105:皇城での生活
皇城に連れて来られてから早五日が過ぎました。
その間わたくしは、后教育を受けさせられていました。
最初は、教科の先生が部屋を訪れる度に抵抗しました。授業が進めば進むほど、グレイソン皇太子との婚約が近づいてくるかのようで恐ろしかったからです。
けれど、閉じ込められた部屋から出るチャンスを与えてくれるのも、后教育の時間だけでした。
座学の時間は部屋から移動できませんが、ダンスや声楽は専門の部屋で行われ、美術鑑賞のためには皇城にあるギャラリーへ移動できます。
少しでも脱走経路を探そうと、わたくし達は移動の時間にあちらこちらへ視線を走らせていました。
ただ、グレイソン皇太子も馬鹿ではないので、わたくしが移動する時には多くの近衛騎士を配置しました。あまり不自然に周囲を観察していると声をかけられてしまうので、毎回少しずつしか確認が出来ませんでした。
とにかくレオ一人を大神殿に向かわせることが出来れば、この状況を変えられることが出来るはずですのに。
焦るわたくしに、さらなる追い討ちをかけるのは、セシリア皇后陛下が行う授業でした。
セシリア皇后陛下が教えるのは、后として皇帝をどうお支えするかという心構えから、外交、社交界の女性のまとめ方など、その日によって内容が変わります。
けれど一貫として、血統主義が教育の根底にありました。
「シャルロッテちゃんはとても良い子でしたわ。頭も良くて、気配りも出来て、見た目も可愛らしくて。グレイソンの后にちょうどいいと思っていたのよ、最初はね。
でも結局、血が穢れている子は駄目ねぇ。途中で潰れてしまいましたもの。国母となる覚悟がちっとも足りなかったのねぇ」
グレイソン皇太子と同じ白銀の髪に、ピンクダイアモンドのような瞳。妖精のように可憐なセシリア皇后陛下から吐き出される猛毒は、わたくしの心さえ萎縮させるような凶悪なものでした。
「けれど、あなたなら大丈夫ね、ペトラちゃん。あなたのお母様は侯爵家出身ですし、遡れば王家の血も混じっているもの。あなたの血は清く美しい、為政者の血、強者の血。
あなたが大神殿に取られなければ、わたくしが最初からあなたをグレイソンの婚約者に選んであげましたのにねぇ。だって、見た目の美しさも中身の賢さも姉妹で大差ないのなら、血で選ぶに決まっているじゃない。あなたなら、短期間で后教育を詰め込んでも壊れたりはしないわ」
こんなふうに血統主義を聞かされ続けていたら、シャルロッテの心が病んでしまうのは当たり前です。無垢で多感な年頃に植え付けられる教育としては最悪の部類と言っていいでしょう。これはもはや呪いでした。
このような呪いを聞き続けていれば、グレイソン皇太子もあのような性格になってしまうわけです。
……もしかすると、ゲームの悪役令嬢ペトラは、そんなグレイソン皇太子の血統主義を破壊するために存在したキャラクターだったのかもしれません。
彼女は悪役令嬢の名の通り、自分の血統や家柄を盾に権力を振りかざす女でしたから。
そんな醜悪な悪役令嬢ペトラを見て、ゲームのグレイソン皇太子は「血筋など大したものではなかった」と思うようになったのかもしれません。
もう今となっては、気付いても仕方のないことですけれど。
▽
「ペトラお嬢様、やりました! 私、皇城のメイドを懐柔して家族に連絡を取ることが出来ましたよ!」
閉じ込められている部屋で、積み上げられた后教育の課題を眺めていると、興奮ぎみのリコリスがそう話しかけてきました。
彼女の手には皇城のメイドから届けられたお菓子と共に、一枚のメモがありました。
リコリスの言葉に、部屋でわたくしの警護をしていたレオとハンスも「どうしたんすか、リコリスさん」「何事だい、リコリスちゃん」と、ソファーの周りに集まってきました。
「どういうことですの?」
「ここに来てからずっと、私が皇城のメイドと対応していたじゃないですか。その間に仲良くなって、その子に私の家族に手紙を届けてくれるように頼んだんです」
「まぁ。その方は平民街までわざわざ行ってくださったの?」
なんて親切なメイドだろうと思って聞けば、リコリスは首を横に振りました。
「実は今、皇城の庭師の見習いとして、アルが働いているんです」
聞き覚えのある名前に、わたくしは目を見開きました。
ハンスも「おお、あの子か」と頷きましたが、レオだけは首を傾げます。レオはあの時はまだただのガキ大将でしたものね。
「昔、ペトラお嬢様が治癒してくださった、私の弟です。今はすっかり元気になって、庭師見習いとして働いているんですよ!」
「まぁ、あの小さかったアル君が……。立派になられたのですねぇ」
「えへへ、もう十五歳なんですよ。庭師の親方に弟子入りしたんですっ」
リコリスはそう言って、アル君から届いたらしいメモ用紙を広げました。
「アルにこちらの事情を手紙で伝えたんです。レオ一人だけでも逃がしたいって。そしたら明日の夜、アルがこの部屋の窓の下辺りに、大量の枯れ葉やクッションを集めて緩衝マットを作ってくれるそうです!」
「それならばシーツやカーテンでロープを作りましょう。ロープで降りれるところまで降りて、あとは緩衝マットに飛び移れば無事に脱出できますわ。ねぇ、レオ」
「はい。いけると思います」
わたくしが確認を取れば、レオがキリッとした表情で頷きます。
「レオが下に着いたら、アルが皇城の外まで案内してくれるらしいです」
「そっからお前は一人でトルヴェヌ神殿に向かって、神殿騎士の特権で馬を借りてラズーに行けばいい。道々の神殿にも泊まれるだろうし」
「わかりました、ハンス師匠。そうします」
「では、のんびりしていられませんわね。さっそくロープ作りをしなければなりませんわ」
こうして明日の夜の脱出に向けて、わたくしたちは部屋中の布を集めて、ロープの製作をしました。
▽
時刻はすでに深夜を回り、皇城の庭の人気がぐんと減りました。
暗闇の中で、窓の下からガサガサと物音が聞こえてきました。アル君が急ピッチで枯れ葉やクッションを積み上げ、即席の緩衝マットを製作している音です。
見回りの近衛騎士に見つからないように明かりを点けず作業をしているので、よく見えませんが。音からして、ずいぶんたくさんの枯れ葉を集めてくださったのだなと想像出来ました。
作業が終わると、アル君が合図の代わりに一度だけマッチの火を点けました。そしてすぐに消します。
こちらもロープを窓枠に固定した上で、ハンスががっちりとロープを持ってくれました。
「じゃあオジョーサマ、行ってきます」
「レオ、どうか無事に大神殿に着いてくださいね」
「大丈夫っす。ちゃんとベリーにオジョーサマを助けてくれって、言ってきますから」
「よろしくお願いいたします」
レオはわたくしの言葉に答えるように笑うと、ロープを掴み、窓の外へと降りていきました。
暗くてよく見えませんが、人影がゆっくりと地面に向かって降りていき、どんどん見えなくなっていきます。
それから暫くして、レオがアル君と合流できた合図としてもう一度マッチの火が小さく灯りました。
わたくしとリコリス、ハンスの緊張が緩みます。
レオとアル君のものらしい足音が庭の奥へと消えていくのを、わたくしたち三人はじっと聞いていました。
 




