104:大神殿の準備(ベリスフォード視点)
大会議場の巨大な円卓に、上層部全員が着席する。
この部屋に来るまでにイライジャからあらかたの事情を聞いたのだろう。マザーもセザールもダミアンも、それぞれが怒りを表した表情をしている。
普段は理知的なマザーが、バンッと天板を叩いた。
「ありえません……! 見習い聖女を大神殿の許可なく還俗させようとし、あまつさえ皇城で監禁するなど、許しがたき暴挙です!」
セザールも眼鏡のつるに指を添えながら、吐き捨てるように言う。
「我々大神殿は皇国から独立した存在です。グレイソン皇太子殿下が行ったことは、我々に対する越権行為だと判断すべきでしょう。皇太子といえ、許される行為ではないですよ」
ダミアンは筋肉隆々の太い両腕を組み、イライジャに尋ねる。
「おい、イライジャ。今回の件にキャルヴィン皇帝陛下はどこまで関わってんだ? 皇太子と公爵の暴走だって言うんなら、二人まとめてその座から引きずり下ろせばいい。大神殿にこんなふざけた行為をしかけてくるような皇室は要らねぇ。だがキャルヴィン皇帝陛下にはどこまで責任追求が出来るんだ?」
「どうやらキャルヴィン皇帝陛下が今回の件に関して、許可を出したようだ。どこまで責任追求出来るかはまだわからん。
だがダミアン大神官よ、ハクスリー公爵閣下はともかく、グレイソン皇太子殿下を引きずり下ろしてどうする? ベリスフォード見習い神官を皇室に渡すわけにはいかないのだぞ」
「もういっそベリーを皇帝の座に座らせて皇国を抑えちまった方が、大神殿側にもメリットが大きそうだと思ったんだがなぁ。ダメか?」
ダミアンが馬鹿なことを言うので、私の方からその案を切り捨てる。
「そんなの嫌だよ。ペトラは大神殿でのびのび暮らしたがっているんだから、私も大神殿で暮らす」
「その言い方だと、嬢ちゃんが皇城で暮らしたいって言ったら、あっさり皇帝になっちまいそうだな、ベリー」
「ペトラが望まないもしもの話なんて、どうでもいいよ」
だいたい、前から思っているけれど、直系男児だからというだけの私より、よほど皇国を治めるにふさわしい人間がいると思う。
ペトラならきっと、生まれそのものより育ちの方が大事だと言ってくれるだろう。
「じゃあ、ペトラを迎えに私が皇城へ行ってもいいよね?」
駄目と言われても行くけれど。
四人を見回せば、反応はそれぞれ違った。
「僕の馬が必要だろうから、付いていくよ」とセザールが頷く。
「ならば今回は、私も同行しようではないか。千里眼で皇城の様子を逐一知らねばならないだろう」とイライジャ。
「じゃあ、俺は留守番だな。マザーは歳だから、一人で大神殿に放っておくのは心配だもんよ。ベリー、姫の奪還というのは英雄の役目だぜ。暴れてこい」とダミアンが笑う
マザーは不安そうに私を見つめる。
「皇城へ行くということは、貴方の本当の身分が暴かれる可能性があるのですよ、ベリスフォード見習い神官」
「むしろ、ついでに継承権を返上してこようと思ってる」
「まぁ!」
「皇室は大神殿に対して無礼な行いをしたのだから、こちらの方が有利な立場でしょ。ペトラの返還、異母弟とペトラの父親の処分、そして私の継承権の返上を認めさせてくるよ」
「それではだれがこの皇国を導くと言うのですか!? キャルヴィン皇帝陛下に次の男児が生まれるかはわからないのですよ!?」
「本当にわからないの?」
私は大会議場から、領主館の方向を指差した。
「民を思いやることが出来て、大神殿にも恩義があり、皇位継承権もちゃんと持っている心優しい男の子が、あそこに居るじゃない」
▽
領主館へ行く前に、マシュリナに私の髪を切ってもらった。
今まで腰の長さを越えるほどの長さだったから、一思いに切ってもらうとすごく頭が軽い。首元がスースーして、なんだか変な感じだ。
でも、鏡に映った私は、もう少女ではなかった。
赤い短髪の、一人の青年だ。
化粧を落とし、見習い神官服に着替えたせいもあるだろう。レオに男性の所作を鍛えてもらったことも大きい。
私はちゃんと男になった。
「お似合いですよ、ベリー様」
目尻に涙を浮かべながら、マシュリナが微笑む。
「ありがとう、マシュリナ」
「とても格好良いお姿です」
「本当? ペトラがうっかり惚れてしまうくらい格好良い?」
「それはばあやには分かりませんが」
「そっかぁ」
髪が短いのがなんだか慣れなくて、何度も首の後ろを手のひらで擦る。
男になった私のことも、ペトラが『一等大好きよ』と言ってくれればいいのだけれど。
▽
マザーと共に領主館へ向かった。
客間で相対した領主夫妻、2世と3世が、男の姿になった私を見てあんぐりと口を開ける。
2世の隣に腰掛けているモニカちゃんだけは、平然と私を見ていた。薄々気付いてくれていたのなら嬉しい。
「ベリー見習い……聖女、様はいったい、なぜそのような格好を……」
太い指で私の方を指し示した領主様の声が、震えている。
私の隣に腰掛けたマザーが、威厳たっぷりの調子で答えた。
「ご覧の通りです、領主様。この子はベリー見習い聖女改め、ベリスフォード見習い神官でございます」
「……つまり、直系男児だと」
途端に、領主様は暗い表情になった。
直系男児と口走ったということは、この人も私の出自を知っていたらしい。
けれど他の人たちは知らないのだろう。奥方様は不思議そうに領主様の様子を見ているし、2世も3世もただ私の本当の性別に驚いているだけだ。驚いていると言うよりは、嘆いているの方が正しいかな。
「ベリー嬢は可愛い女の子だったのに、泡のように消えていなくなってしまったよ……。実に残念だね、パーシー……」
「とてつもない喪失感です、お兄様……。目の保養だったあのベリー嬢と、もう二度とお会いできないだなんて……」
「お気を確かになさって、二人とも。ベリーちゃんは消えていませんわ。男の子になっただけですよ」
私は領主館の者たちの反応を観察してから、にっこりと笑ってみせる。
「領主様、安心してください。私は2世と3世の皇位継承権の順位を下げようと思って、この姿を見せにきたわけじゃないです」
「……と、申しますと?」
警戒心たっぷりの領主様から、2世へと視線を移す。
「ねぇ、2世、覚えてる? 私とペトラに何かあった時は二人の願いをなんでも叶えるよって、誓ったことを」
「え、天空石の時のこと? もちろん覚えてるよ、ベリー……殿!」
「じゃあ、お願い」
私が次に言った言葉に、2世はぎょっとした表情になった。
▽
夜になると、大神殿内に居る関係者を全員本堂に集めて、上層部からの発表を行うことになった。
私が上層部の中に立つと、神官や聖女たちが訝しげな視線を向け、「あの方は誰だ?」「ベリー様のご兄弟かしら。よく似ていらっしゃるわ」「新しい見習い神官かしら?」とひそひそと言葉を交わす。
誰もが私を男として認識していて、こんな時だというのに少し気分が良くなった。
マザーが祭壇の前に立ち、声を張った。
「お聞きなさい。大神殿の者たちよ。緊急事態が起きました。
今、我々大神殿の仲間の一人が、アスラダ皇国城に囚われの身になっております。その者の名はペトラ・ハクスリー見習い聖女。彼女はグレイソン皇太子殿下の次の婚約者になることを強制させられ、大神殿の許可なく還俗させられようとしているのです。
これはグレイソン皇太子殿下による、大神殿に対する越権行為です。我々はこれを決して許すわけにはまいりません」
マザーの言葉に、集まった者たちの驚きや戸惑い、怒りの声が上がり始める。「我々はアスラー大神の使徒である。何人たりとも、我らを勝手に還俗させることは許されないはずだ!」「ハクスリー見習い聖女がお可哀想だわっ」「皇太子殿下はかの『廃人皇帝ウルフリック』と同じ真似をするおつもりなのか!?」
その中に、オレンジ色の瞳に怒りの炎を燃やすアンジーの姿が見えた。
「ハクスリー見習い聖女返還要求のために、皇都へ大神殿の人間を派遣いたします。派遣されるのはイライジャ大神官、セザール大神官、……そしてベリスフォード見習い神官です」
マザーの言葉に、私は一歩前に進み出た。
途端に本堂中から戸惑いの声が上がる。
「ベリスフォード見習い神官は、今まで訳あって『ベリー見習い聖女』として過ごしてきました。けれど彼はこれから神官として大神殿で暮らし、神託の大神官として次代を担います。
皆のものよ、戸惑いはあるでしょう。ですが受け入れてくださることを願います」
「大神殿のみんな、これからは見習い神官として、よろしくお願いします」
私が紳士らしく頭を下げれば、本堂のあちらこちらで倒れる神官達が続出した。夢を壊してごめんね。
アンジーとスヴェンが、気を失ったり正気を失った神官達(「本気で解釈違いなんです!!!!」「美少女達の秘密の花園が……」「実は男の娘だった推しも、意外とイケる……!」)の様子を見なければならず、話も終わったので、そこで緊急集会はお開きとなった。
明朝には皇都へ出立しなければならないので、私も自室へ向かう。マシュリナが旅の準備をしてくれるけれど、私も確認した方がいいだろう。
最奥部へ向かう廊下を渡っていると、後ろから声をかけられた。
「ベリーちゃん!」
「アンジー。倒れた神官達はもういいの?」
「残りはスヴェン君に任せたから大丈夫っ」
アンジーは走って私に近寄ると、なんだか眩しそうに目を細めた。私の頭の先から爪先まで見下ろし、「フフッ」と嬉しそうな笑い声を溢す。
「男の子になれたんだね、ベリーちゃん。いや、ベリスフォード君がいいかな?」
「今まで通りでいいよ」
「じゃあベリーちゃんって呼ばせてもらうね。見習い神官の格好、とても素敵だよ。立派な男の子になったねぇ」
「ありがとう、アンジー。わざわざそのことを言いに来てくれたの?」
私が尋ねれば、アンジーは緩く首を横に振った。
「ううん。皇都への旅に、あたしも連れて行ってもらおうと思って」
朗らかに笑っていたアンジーが、先程本堂で見せていた怒りを再びその瞳に燃やし始める。
「あたし、自分のことを勝手に『ペトラちゃんの大神殿のお母さん』って思っちゃってるの。ペトラちゃんが望まなかろうが、あの子が酷い目に遭ったら『ペトラちゃんになにすんだ!』って、相手をぶん殴って幽閉組になる覚悟をしちゃってるくらい、あの子が可愛いの。
今がその覚悟の使い時だろうと思うんで、あたしもお供させてください、ベリーちゃん!」
ガバリと頭を下げるアンジーに、私は私の権限で許可を出す。
「いいよ。明日の朝早く出発するから、急いで旅の準備をしてね」
「よっしゃあ! ありがとう、ベリーちゃん! さて、こうしちゃいられない。即行で支度をしなくっちゃ!! じゃあまた明日ねっ、ベリーちゃん!」
「うん」
アンジーは自室へ駆け出す前に、もう一度私を見上げた。
「……子供の成長って、こんなに早いものなんだねぇ。知らなかったよ。確かにあたしにも子供時代があったのに、子供はいつまでも子供のままな気がしてた」
「アンジー?」
「青年ベリーちゃんのことも、ペトラちゃんが愛してくれるといいねぇ」
子供の成長うんぬんの意味はよく分からなかったけれど、最後の言葉の意味はよく分かった。だから首肯する。
「うん。ペトラの一等でいられるように、頑張る」
「それでこそ男の子だ!」
アンジーは大きく頷くと、火の明かりが等間隔に設置された廊下を、迷うことなく走って行った。




