101:心強い仲間
後半はベリスフォード視点です。
父に対する愛情が今まであったのか問われると、前世を思い出す前のわたくしが抱いていた『淡い期待』がまだ微かに残っていたことは否定できません。
それは子供に無償の愛情を注いでくれる父親という理想を、実の父に追い求めていた頃の、残り香のようなもの。
それが今、完全に消失してしまったことを、わたくしは身の内に感じました。
「……おっしゃっている意味が分かりませんわ、お父様。わたくしは大神殿に所属している見習い聖女です。皇太子殿下の婚約者になることは出来ません」
「大神殿にはどうとでも言い繕ってやる。どうせ十八になる時に、聖女になるかどうかの選択の儀があるだろう。それが少々早まっただけだと思いなさい」
「わたくしは聖女になる道を選ぶつもりで、今日まで大神殿で研鑽を続けてまいりました。皇太子殿下の婚約者になるなど無理です。わたくしはもうずっと、令嬢生活をしていないのですよ? 今更貴族社会へ戻れるはずがありませんわ!」
もう何年も淑女教育を受けていません。
ダンスだって何年も踊っていませんし、貴族社会に居なかったので人脈もありません。
幼少期に出席したお茶会で出会った子供たちの顔など覚えておらず、流行の話題も知らず、もうドレスだってコルセットだって何年も着ていません。
そしてその貴族社会での空白期間を取り戻そうとする気持ちが、自分の中にまったくありません。
きっと今のわたくしには、男爵家へ嫁に行くのでさえ難しいのです。
こんな女を皇太子殿下の婚約者にしようなどと、父はどうしてそんな馬鹿なことを考えられるのでしょうか。
「問題はない。ペトラを今日から皇城で暮らさせ、后教育を受けさせる」
「は……」
驚きすぎて言葉が出てきません。
頭が真っ白になって思考を放棄してしまいそうになり、慌てて深呼吸をしました。
「両陛下のご許可は頂いた。今更ハクスリー公爵家以外から嫁を選ぶのもいらぬ争いを起こす。だがお前が長年大神殿で暮らしていたため満足な令嬢教育が受けられなかったことを考慮し、皇城でみっちりと后教育を受けられるよう手配してくださったのだ。感謝するように」
この状況で感謝など、誰が出来るのでしょうか。
「嫌です。わたくしは大神殿に帰りますわ!」
青い海を見下ろす高い丘の上に建てられた、白亜の大神殿。
南の地域特有の温暖な気候、陽気な街の人々、わたくしが九歳で手に入れた安住の地。
尊敬できるアンジー様やスヴェン様、尊敬は特にしていないけれど馴染んだゼラ神官やドローレス聖女。仲良しのパーシバル2世様と3世様、仲良しになれないままのモニカ様。お世話になったマシュリナさん、上層部の方々、授業をしてくださる先生方や、乗馬を教えてくださった馬場の飼育員さん、領主館の方々。貧民街からやって来て、神殿騎士になったレオ。
そして一等大好きな、わたくしの大親友ベリー。
大事な人も、大事だとは別に言えない人も、たくさんたくさん居る、わたくしの聖地ラズー。
あの場所はわたくしの心の聖地です。
帰りたい。
ベリーと暮らす大神殿に、わたくしは絶対に帰るの。
「お前が嫌がろうと、すでに両陛下の許可がある。早々に皇城へ移るように」
父がそう言って片手をあげると、部屋の扉の向こうから近衛騎士の姿が現れました。
彼らは騎士らしいキビキビした動作で、部屋の中に入ってきます。部屋のなかに入ってきたのは十名ほどでしたが、まだ廊下にも近衛騎士が待機しているようでした。
目の前にずらりと並んだ近衛騎士たちから、一際体格の良い騎士がわたくしの前に立ちはだかりました。
「ハクスリー公爵令嬢、我々が皇城まで御身をお守りします。どうぞご安心ください」
近衛騎士の明るい笑顔と、優しい言葉と共に差し出された手、そのすべてに『逃亡は許さない』という威圧が見えました。
これではまるで罪人のようではないですか。
目の前が真っ暗になるわたくしの前に飛び出してきたのは、レオでした。
「オジョーサマに無闇矢鱈に近付くの、やめてください。ペトラ見習い聖女様をお守りするのは、神殿騎士の俺の役目なんで!」
「……レオ」
レオはわたくしと近衛騎士の間に割って入ると、相手をギロッと睨み付けます。彼は目付きが鋭いので、そうやって相手を睨むと迫力がありました。
「……分かりました。皇城へ行きます」
皇帝陛下が絡んだ計画を、今のわたくしに拒む力はありません。
無策のまま皇城で暮らさなければならない絶望感に、どうにかなってしまいそうです。
けれどここでわたくしが抵抗したら、忠義に篤いレオはきっと剣を取ってしまいます。
わたくしに治癒能力があるからといって、彼に無謀な戦闘をさせるわけにはいきません。近衛騎士はこの場に十人以上も居るのですから。
そう自分を納得させて俯くわたくしの背後から、突然、声が上がりました。
「ペトラお嬢様が皇城に上がられるのでしたら、私もご一緒致します! ペトラお嬢様のお世話を皇城のメイドにだけ任せるわけにはいきません!」
……え?
メイドのリコリスがそう言って、前に出てきました。
ちょっと予想外の展開です。
ですが、わたくしとレオだけならまだしも、リコリスまで皇城へ行くだなんて……。
「公爵家からの護衛も必要なはずです。俺がペトラお嬢様の護衛につきましょう」
……ええぇぇ?
今度はハンスが前に出てきました。
皇城生活でなにが起こるか分かりませんのに、彼らをまで巻き込んでしまうなんて、そんなこと受け入れられる訳がありません。
「リコリス、ハンス、やめてくださいませ! 二人がわたくしに付いてくる理由など、どこにもありませんわ!」
「否、……確かにお前達の言い分も一理あるな」
わたくしが二人を下がらせようとしているのに、父がなんだかごちゃごちゃ言い出しました。
「ハクスリー公爵家の令嬢として皇城に上がるのだ。メイドも護衛もつけなければ確かに恥ずかしい。分かった。そこの二人の同行を許そう」
「お父様っ!」
「ペトラを皇城へ連れて行きなさい」
わたくしの周りにはレオとリコリスとハンスがおり、父の手前無駄口を開きませんでしたが、彼らの目にはわたくしを案じる色がありました。
分かっています。わたくしが皇城へ行くことを納得したようなことを口にしたから、リコリスとハンスがわたくしを心配して一緒に付いていくことを決めてくださったことくらい。
でも、本当にこれからどうなるのか分かりませんのに。
「どうして、あなたたちは……」
わたくしが思わずぼそりと呟けば、一番近くにいたリコリスが明るく微笑みました。
「今度は私たちが、ペトラお嬢様をお助けする番だからですよ」
……わたくしが打算でやった治癒活動のせいで、三人がこんなふうにいつまでもわたくしに恩を感じ、こんな時にまでわたくしを守ろうとするなら、治癒活動なんかしなければ良かったです。
いえ、治癒活動をしていないとリコリスの弟のアル君も、ハンスの目も、レオの重傷も治りませんでした。だからやっぱり治癒活動をしたのは間違いではないのですけど……大金を請求しておけば良かったです。
そうすれば三人とも、こんなにわたくしを守ろうとしなかったはず。
今更こんなに後悔するなんて、思いもしませんでした。
「……三人とも、本当にごめんなさい」
わたくしが堪えきれず泣き出せば、ハンスがわたくしの背中をあやすように叩きました。
「間違えてますよ、ペトラお嬢様。こういう時は『わたくしの盾となって散りなさい』とか高飛車に言うもんですよ」
ハンス的には、その台詞の方が間違えてる、というツッコミ待ちなのでしょう。
でもわたくしはツッコミする元気もなくて、ただ泣きながら言いました。
「リコリス、ハンス、レオ……ありがとう」
▽
大神殿最奥部で厳重に守られている書庫には、庭園の方にある図書館にもない貴重な資料が山のように積まれている。
私はその資料のなかから、古代聖具に関するものを探し、片っ端から読んでいる。
ペトラは居ないし、レオ隊長も居ないし、寂しくて退屈で、お仕事がいっぱい進む。
かつて存在した古代聖具の種類、設置されていた場所、もはや伝説しか残っていない物なんかも資料に書かれている。それを精査しながら、次に製作するならペトラはどんな古代聖具を気に入るだろうか、と考えるのは楽しい。
『おーい、ベリスフォード~』
換気用に開いていた窓から、白い蝶々がひらひらと飛んでくる。
人指し指を差し出せば、白い蝶々はそこに止まって羽を休めた。
「なに?」
『緊急事態だぜ! 紫の女がお前の異母弟に娶られそうになってるぞ!』
「……なんで?」
異母弟が婚約してるのは、ペトラの妹だったはず。
「ペトラの妹はどうしたの? ペトラが病気の妹の治癒に行ったはずだよ」
『紫の妹の方は、心を病んだ。異母弟とクソ女が認識出来なくなったんだ。そんで婚約白紙になった』
「心が病んでしまったら、治癒では治らないものね。……それでペトラが異母弟に嫁ぐのか」
ペトラが私の異母弟を好きになってしまって、婚姻を受け入れてしまったのなら、私にはどうすることも出来ない。
まだペトラが悩んでいるのなら、私にも求婚のチャンスがないかなぁ……。
『そういう呑気な話じゃねぇーぞ』
「呑気な気分じゃないよ、私。ペトラが他の男の人を選んでしまうのは、とても辛い……」
『好きとか嫌いとかお構いなしに、無理矢理婚約されそうになってんだよ、あの子』
「ペトラに好かれてない男が、どうしてペトラと結婚出来るの?」
『それが政略結婚ってもんなんだよ』
「私は好きじゃないな、政略結婚。ズルいんだもの」
私は椅子から立ち上がった。白い蝶々が指から離れ、ひらひらと周囲を舞う。
『どうすんだ、ベリスフォード? 異母弟に神罰でも与えてやろうか?』
「まずは、イライジャに千里眼でペトラの状況を確かめてもらう」
『慎重だな』
「これが文化的な人間のやり方なんだよ」
そう答えてから、私は書庫から移動した。




