100:帰れない
この1話だけだとストレスだと思うので(今更感)、本日は2話更新です。
シャルロッテがわたくしの泊まる客室に訪ねてきた翌日、彼女はお義母様とアーヴィンお兄様に伴われて、ハクスリー公爵領へと旅立つことになりました。
公爵領は皇都から馬車で一日半ほどの距離なので、シャルロッテの荷物などはあとからいくらでも送れます。そのため荷物も最低限な彼女は本当に軽やかな様子で行ってしまいました。
まさかヒロインと攻略対象者の恋が実らないとは、思いもしませんでした。
確かにバッドエンドはありましたけど、それだって恋に発展せずお友だちで終わっただけで、まさか恋に発展したあとに駄目になるとは考えてもみませんでした。
……もう、乙女ゲームの要素など、この世界にはほとんどないのかもしれません。
グレイソン皇太子にモラハラ要素があるとは、シャルロッテの話を聞くまで知りませんでした。
シャルロッテも、あれほど自己肯定感の低い子だったとは。思いもよりませんでした。
わたくし自身、悪役令嬢フラグから逃げ出しましたし、もはやこの乙女ゲームは瓦解してしまっているのでしょう。
モラハラで追い詰められたシャルロッテが、グレイソン皇太子との婚約から逃れられたことだけは、本当に幸いだったと思います。
妾の子だなんて、血が穢れているなんて、好きな人から言われたら辛いに決まっています。そんなことも想像がつかないだなんて、人としておかしいです。
そういえば大神殿で皇太子にお会いしたとき、とても嫌な予感がした覚えがありました。
あの時その予感についてもっと真剣に考えていれば、もっと早い段階でシャルロッテを助けてあげられたのかしら……。
まぁ、もう今更ですけど。
シャルロッテはもう皇太子と皇后の存在を認識出来ず、すっかり吹っ切れたような表情で領地へ去っていったのですから。
▽
「はぁ……」
シャルロッテ達が公爵領へ旅立ち、父は婚約白紙の処理に皇城へ上がったため、屋敷内はとても静かです。
わたくしは居間でリコリスに淹れてもらった紅茶を飲みながら、溜め息を吐きました。
「そんでオジョーサマ、これからどうするんですか? すぐにラズーへ帰りますか?」
昨夜同じく公爵家に泊まったレオが、壁際に並んだハンスの側に立ちながら首を傾げました。
この二人が師弟関係になるとは、貧民街に通っていた頃には想像もつきませんでした。縁とは不思議なものですわね。
「そうですねぇ」
「えー、ペトラお嬢様、もう帰っちゃうんですかぁ? 早いですって」
「そうですよ、お嬢様。もうちょっと公爵家でのんびりしても罰なんかは当たらないですよ。一ヶ月もかけて皇都に帰ってきたんですから、もう少し休まないと、帰りの旅も大変ですって」
リコリスとハンスが公爵家への滞在を勧めてくださいます。
二人の言葉も一理ありました。また一月の長旅があることを考えると、つい憂鬱になってしまいます。
「そうですね。アーヴィンお兄様が領地から戻られたら、挨拶をして帰ろうと思いますわ」
「結局すぐじゃないですか。アーヴィン様ならきっと、シャルロッテお嬢様のあちらでの住まいを整えて、一週間くらいでご帰宅されますよ」
「ではその間に、わたくしの以前の部屋にある物の処分を進めますわ」
「ついに処分しちゃうんですか」
「ええ。だって八歳の頃のドレスなんて着られませんし、絵本やぬいぐるみも、もう今のわたくしには必要ありませんから」
「それはそうですけど……。なんだか寂しいですねぇ」
前回屋敷に帰ったときから考えていましたけれど、これもいい機会なので私物の処分をすることに決めました。
この屋敷を引き継ぐのはアーヴィンお兄様と、その子孫になります。
シャルロッテが乙女ゲーム『きみとハーデンベルギアの恋を』とはまったく関係ない道へ進む以上、アーヴィンお兄様の未来の伴侶がどなたになるのか、もはや予想もつきません。アーヴィンお兄様がシャルロッテへの秘めた恋を成就させるのか、それとも全然違う令嬢を選ぶのか。
ただ、どんな未来が訪れようと、わたくしの家はここではありません。
わたくしが帰るのはベリーが居る大神殿なので、ここにはもう私物は何一つ置いておきたくありませんでした。
「リコリス、売り払えるものは売ってしまいたいから、商人を呼んでくださる?」
「承りました、ペトラお嬢様」
「ハンスは護衛団から力のある男性を何人か呼んでくれないかしら。家具を運び出したいのです」
「はい、ちょっくら若い奴らを呼んできます。レオ、お嬢様の護衛を任せたぞ」
「了解っす、ハンス師匠」
ぬいぐるみや絵本などは孤児院に寄付しようかしら。
アーヴィンお兄様がお帰りになるまでには全部処分できるだろうと、わたくしは思いました。
▽
「……今、なんとおっしゃいましたか、お父様?」
自室の処分を進めている時でした。
リコリスが呼んでくれた商人に子供用のドレスや装飾品、家具を売り払い、ハンス達が重い家具を商人が用意した荷車に積み込むために、部屋から玄関まで往復しています。
わたくしは寄付するぬいぐるみたちを「孤児院でも可愛がってもらってね」と箱に詰めている最中でした。
皇城から戻ってきた父が、寝不足でどす黒い顔をしながらわたくしに告げました。
「聞こえなかったのか? シャルロッテとグレイソン皇太子殿下との婚約が白紙撤回になった今、ハクスリー家が皇室に差し出せる女はただ一人。ペトラ、お前だ。
お前がグレイソン皇太子殿下と婚約を結ばなければならない」
なにをおっしゃっているのですか、○○○○、○○○○○○○○?
淑女としてアウトな言葉が浮かびながら、わたくしはおぞましいものを見る目で父を見つめました。
理解出来ない、したくもない、まず意思の疎通が出来る相手じゃない。この人を父と呼びたくもない。
ああ、こんなことならば早くベリーのもとへ帰れば良かった、と思ったのは後の祭りでした。




