公爵さまが抱える憂鬱②
フローレンスに対する違和感を覚えたのは、彼女のデビュタントを飾る舞踏会の時だった。
迎えに来た自分に緊張した笑みを浮かべて珍しく躓いたりもしたくせに、いざ会場に足を踏み入れたフローレンスは堂々としたものだった。まるで一度経験をしていたかのように。
周りのデビュタント達は、絶対に失敗をしてはいけないと緊張していても、初めての煌びやかな会場に目を輝かせていた。しかしフローレンスの目は凪いでいた。
ただただ与えられたミッションを粛々とこなしているかのような生真面目な表情が、今でも忘れられない。
「……あれは、一体どういう気持ちだったのだろう」
ラヴィエルは声に出して、額に手を当てた。
考えられることは一つだけしかない。エスコート役である自分に対して不満を持っていたということ。もしくは他の誰かを望んでいたということ。
(いや、それだけは認めたくない。他のものなら何でも受け入れるが)
即座に首を横に振ってみるが、そう決めつけてしまうとそれから先の不可解なフローレンスの行動が悔しいほどしっくりくる。
デビュタントを無事に終えた後すぐに、ラヴィエルとフローレンスは正式に婚約発表をした。
二人の関係は、年齢的にも家柄としても問題ない。もちろん浮いた話も互いに持っていない。傍から見れば、なるべくしてなったと思わせるほど完璧な婚約者同士だった。
けれども実際のところ、フローレンスは頑なに手袋を外すことはしなかった。
無論、成人した男女が素手で触れ合うことはマナー違反であることはラヴィエルとて知っている。しかし特別な相手───近い将来夫婦になる間柄であるなら話は別だ。
でもフローレンスは自分と会うことは一度だって断ったことが無いくせに、手を握ることすら許してはくれない。それはそれは徹底して。
こんなにも手を差し伸べたくて仕方が無いというのに。彼女の憂いを拭い去ることができるのは、他の誰でもなく自分しかいないはずなのに。
だからラヴィエルは、フローレンスが頼ってくれるのを待つのはやめた。
フローレンスが秘密主義を貫き通すなら、自分も勝手にやらせてもらうと決めた。
手始めにラヴィエルは、制限なく動けるように当主になることにした。
次にフローレンスを公爵家の一員にすることにした。直接問うことはしていないが、彼女が抱えている何かは、異性問題ではなくきっと家族に関することなのだろう。
伯爵家が複雑な過去を持っているのは当然知っているし、どれだけ探してもフローレンスからは異性の影は見当たらなかったから。
ただそうなると相手は親である。しかし、どうあっても貴族令嬢は親に逆らうことはできない。そんな彼女には公爵家の力がきっと必要になる。少なくとも邪魔になることは無いはずだ。
もちろんそれは秘密裏にさせてもらった。大人げないが頼ってくれない彼女への軽い仕返しだ。激怒されたら、まぁ……謝る。誠心誠意謝罪する。
そんなふうに横暴極まりないことをしまくるラヴィエルは、生まれた家の立場から人に頼られることが常だった。それをこなすことが義務でもあった。
けれど自ら手を貸したいと、頼って欲しいと願ったことは無かった――フローレンスと出会うまでは。
「……でも、こんなことをしたって彼女がその気になってくれなければ、私は触れることはできないのだが」
心は目に見ることはできない。
そしてどんな頑丈な扉より重い。力任せにこじ開けようとしたってどうしたって無理なもの。開けるためには“信頼”という名の鍵が必要になる。
ラヴィエルは、再びソファから離れて窓辺に立つ。
時刻は午前中。青空が広がり、庭の木々が風に吹かれて心地よさそうに揺れている。
「花でも贈ってみるか」
そんなことを呟いたと同時に勢いよく扉が開いた。
振り向けばついさっき部屋を出て行ったノルドと、もう一人、見知った顔の女性がいた。彼女はフローレンスの侍女だった。
「お約束もせず申し訳ありません。主からの伝言を預かって参りました」
オドオドしながら腰を折る婚約者の侍女の元にラヴィエルは近付く。
「聞かせてもらおう」
逸る気持ちを隠すことなくラヴィエルが続きを促せば、侍女は恐る恐る顔を上げて口を開いた。
「恐れながら、わたくしの主であるフローレンス様が───」
嬉しい伝言を受けたラヴィエルは、身支度もそこそこに大急ぎで馬車に飛び乗った。




