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60 祈りのマント

 今日は一日興奮しっぱなしで身体は疲れているのに、私は中々寝付けず、灯りを落とした部屋のベッドから降りて窓辺に座った。出窓に誂えてある造りつけの椅子に、柔らかなクッションを膝に抱いて外をぼんやり見詰める。


 昼の熱気が嘘のように、窓の外は静かで青白い月がぼんやりと伯爵邸の庭を照らしていた。妙に明るく見えるのは、私が寝付けないあまり暗闇に目が慣れていたせいかもしれない。


 明日、パーシヴァル様が起きたらマントを渡そう。これからパーシヴァル様が立つ場所で、少しでも彼の助けに、せめて気持ちの拠り所になればいいと思う。


 そんなことを考えてぼんやり庭を眺めていた所に、静かなノックが2回鳴った。


「はい……?」


「私だ。入ってもいい?」


「あ、あの、ちょっとだけお待ちください……!」


 声の主はパーシヴァル様で、疲れ切ってすっかり眠っているものだと思っていたから、私は急いでショールを羽織り、扉を開けた。寝間着の砕けた姿で、パーシヴァル様が夜中でも明りの灯された廊下に立っている。


 招き入れてソファに座り直す。並んで座っている距離は近く、なんだか照れ臭いけれど、もっと近くに居たいような気持になってしまって困った。


 すると、パーシヴァル様の手が伸びてきて私の手を緩く握る。パーシヴァル様は、宝物でも見るように私をじっと見つめていた。


 少しだけ距離を詰めて座り直すと、私は改めてパーシヴァル様の手を両手で包んだ。ごつごつとマメだらけで、少し擦り切れた肌の手は、少し日焼けした顔の綺麗さとは相対的に戦う人の手だと実感させる。


 こんなに硬くはなかった。こんなに傷ついてもいなかった。ほんの少し前、輿入れした時の私が知っているパーシヴァル様の手とはもうずいぶんと違う。


「痛くないかい?」


「はい。ただ、随分と……硬くなったな、と思いまして」


「ここの所、ずっと剣を握っていたからね。これからはこの手が当たり前になるんだろうと思う」


 パーシヴァル様の声には実感がこもっていて、それは喜びとも、悲嘆とも違う何かだった。


 やるべきことをやる、というような声とでも言えばいいのだろうか。進む道を決めた人の言葉に、私はその背中を押す事はあれど、止めることはできないと悟る。


「あの……朝に渡そうと思っていたのですが、今、お渡ししてもいいでしょうか?」


「うん? うん、何かな」


 私はそっと大事そうに彼の手を長椅子に置いて、チェストから緑色のマントを取り出した。私が針を刺した、裏地にお守りが、表に応援の気持ちを籠めた緑色のマントだ。


 それを見て目を丸くしたのはパーシヴァル様で、どうして、と小さく呟いたのが聞こえた。


「お義父様に聞きました。二階級特進となれば、パーシヴァル様は隊を率いる方になると。私には、戦場のことは何も分かりません。戦場で出来ることもありませんし、もしそこにいれば足手まといになることでしょう。ですから……パーシヴァル様の背負う物に、精いっぱいの刺繍を施しました」


「父上が機嫌がよかったけれど……もしかして、あの母上にも刺繍を教えたりしたのかい?」


「えぇ、お義母様は針さえ持てれば素晴らしい器用さをお持ちですよ。お義父様にもきっと、マントを渡されたのではないでしょうか」


 もう少し、近くに座ってパーシヴァル様にマントを渡す。


 素直に受け取ってマントを広げたパーシヴァル様は、裏地にみっちりと刺繍されたお守りの模様と、表面の四隅に入れられた蔓草模様を、薄暗い部屋の中で大事そうに手で撫でていた。


「マントは……消耗品だけれど」


「えぇ、そう聞いています」


「このマントは、なるべく破りたくはないな」


「そう願って針を入れましたが、いくら破れても構いません。また針を刺すまでです。――パーシヴァル様が、無事に帰って来てくれれば、私はそれでいいのです」


 自分で言いながら、昼の様子を思い出して涙ぐんでしまった。でも、今日はもうたくさん泣いたので、これ以上泣き顔を見せたくない。無理矢理笑って、また手を握る。


「私の大事な、旦那様に、私ができることはこれだけなので」


 下から見上げるようにしてパーシヴァル様の顔を見ると、目を丸くした後、顔を赤くして固まってしまった。


 本当に昼間のあの人と同じ人だろうか? と、私はおかしくなって、固まってしまったパーシヴァル様の腕に自分の腕を絡めた。今日は、もっともっと近くに居たい気持ちが強い。


「大好きです、パーシヴァル様。私はいつでも……貴方の味方でいたい」


「……ミモザ。あの、……すまない、私は、……今言葉が、出てこない」


 結婚しても相変わらず脳停止は続くようだ。最初に、自分に自信がない私をお義母様が見た目から変えてくれて、パーシヴァル様が可愛いと言ってくれたあの時から。ううん、最初に私を見つけてくれたその時から。


 パーシヴァル様は、私のことを心の大事なところに置いてくれているのだと実感できる。


「数日後には二人で旅行です。お喋りする時間はたくさんあります。……でも、今日、こうして久しぶりにパーシヴァル様とゆっくりと側にいられて、嬉しいです」


「……可愛い」


 私の頭を撫でた硬い手が、そのままパーシヴァル様の方へと私を近づける。


 逆らわずに近付くと、額にそっと唇を落とされた。私まで耳まで赤くなってしまう。


「とてもいい所を借りる約束をつけてある。きっとミモザも楽しんでくれると思う。……今日は、おやすみ」


 名残惜しい気持ちでいっぱいだったけれど、私は、はいと頷いた。


 一ヶ月の旅行である。荷支度に時間が掛かるはずだし、パーシヴァル様も家や騎士団を空けるために色々と忙しくなるはずだ。


 旅行に出掛けさえすれば、後はのんびりできる。


 もう少しだけ、本当に二人でゆっくりする時間を先にお預けにして、私はパーシヴァル様を扉まで見送り、別のドキドキで寝付けない頭をなんとか宥めて布団の中で目を閉じた。

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