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29 私の『騎士』様

 テーブルの隔たりはそんなに遠い訳ではない。


 私はいよいよ紅茶を被る番がきたか、という気持ちと、これ被ったらアレックス・シェリルの本が出なくなる! という的外れな恐怖に身体を強張らせた。


 だが、そんな事にはならなかった。目の前には私を庇う広い背中があって、茶器が絨毯の上に乾いた音をたてて落ちた。


 紅茶を被ったのはパーシヴァル様で、彼はそのまま立ち上がると、ハンカチを取り出しかけて自分の袖で顔を雑に拭った。


「……さて、ミモザにシャンパンをかけようとしたとき、ロートン伯爵令嬢に言われた言葉をお忘れのようだ。よほど『病』が酷いと見える。ノートン子爵、この無礼も『病』で済ませているうちに、元ご家族は実家に送り返されるのがいいだろう」


「……お気遣い、痛み入ります」


 パーシヴァル様の鋭い声は、シャルティ伯爵の重みのある声とは違い、若い故に抜き身の剣のような明確な鋭さがあった。


 私を庇ったパーシヴァル様が信じられないように、カサブランカは目を見開いている。もう彼女は、私に物を投げるくらいしかできなくなった。罵詈雑言も、流言も、言葉では私を些かも傷つけることができないということだけは理解できたのだろう。


 お父様は立ち上がって深く非礼を詫びると、お母様……いえ、元お母様と、カサブランカを連れてこの場を辞した。さすがに、そこで暴れる気力はもう2人にはなかった。このまま実家に送り返されるだろう。


「よくやったわ、パーシー。ミモザちゃんを傷つけたら、私は筆を折る……、社交界でこれがどういう意味を持つのか分からないあたり、やっぱり社交が『得意』なのではなく『好き』なだけだったわね」


「ノートン子爵家に深く斬り込みを入れてしまってすまなかった。我々の家系は近衛騎士団長の家系、結婚の前には必ず身元調査は必要だが……、こういう結果で残念に思う」


 私は濡れたパーシヴァル様が隣に座って安堵の溜息を吐くのを聞きながら、自分のハンカチを手渡そうとした。だけれど、それも断られてしまう。


 パーシヴァル様にも刺繍入りのハンカチをお渡ししてあるし、私の物にも刺繍がしてある。それを汚したくない、と微笑んで言われたが、こういう時にハンカチとは使う物なのではないだろうか?


 そして、夫人の言っている事も、シャルティ伯爵の言葉も私にはいまいち理解が追い付かなかった。


「あの……そもそも、何故私になったのでしょう? それに、あの……いえ、私もアレックス・シェリルの本が読めなくなるのは嫌なので精いっぱい自己防衛しますが、その、アレックス・シェリルが筆を折るとどういうことになるのでしょうか……?」


 社交、というものが好きだった訳でもなく、詳しい訳でもない私に夫人はほほ、と上品に笑った。


「あのね、アレックス・シェリルの本は王妃様もファンなのよ。つまり、王妃様の怒りを買うということ。国政はともかく、家庭で強いのは女ですからね。王妃様を怒らせたら……まぁ、まぁまぁ、それなりに大変な事になるわねぇ」


 そんな責任重大な事を私の身一つを守るために決めないで欲しい。私は更になんとか自己防衛をする術を考える事になった。そして、そんな真っ青になった私の手をパーシヴァル様が握る。


「それで、ミモザ嬢。君を選んだのは……本当に君のファンである我が妻と、君に一目惚れしたパーシヴァルだ。ミモザ嬢を嫁に迎える事ができ、内々にこの国の貴族の一員であるノートン子爵の醜聞を収める。なに、パーシヴァルとミモザ嬢の結婚でノートン子爵家の醜聞などすぐに消える。この話も外に漏れる事は無い。離婚の理由は、ちょうどあちらが作ってくれたな。本来の離婚理由は貴族を謀った君の母上にあるが、カサブランカ嬢のパーシヴァルへの暴力。その責任を取って、という事で……辛うじて大きな罪状は逃れられるだろう」


 貴族と平民の間には隔たりがある。それは、貴族は平民のために尽くし、平民は貴族に尽くす、その責任の大きさだ。貴族の名を背負っている人はその背中に領地の多くの平民の分の責任を背負い、平民が背負っているのは自分と家族の分の責任である。重さが違う。


 さらには、まだ離縁前だから一応は貴族の位にあり、子爵の令嬢という立場のカサブランカが、伯爵令息のパーシヴァル様に茶器をぶつけお茶をかけるという暴力を働いた……これを理由に離縁すればいいという。それが一番、罪が重くならないからと。


「重たい話はこれで終わりにしましょう? お茶を淹れ直して、甘い物を食べましょう。私たちも少しは肩の力を抜かないといけないわ」


 夫人の言葉にシャルティ伯爵が呼び鈴を鳴らし、その間にパーシヴァル様は「失礼」と言って部屋に着替えに行った。


 パーシヴァル様が濡れた髪を拭い、服を着替えて戻ってきてから、4人で改めてお茶にした。


 お茶は、私に最初に出してくれた、カモミールティーというハーブティーだった。

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