最後のクリスマスプレゼント
少年は二階の窓から、じっと空を見上げていました。聖なる夜。今日は、クリスマスイブです。
寒さで月も凍る夜に、ただただじ……っと空を見上げる少年。
目を凝らしたら……もっとよーく目を凝らしたら見えるかもしれない。なにがって、たくさんのトナカイに引かれて大空を翔る巨大なソリが。それを悠然と操って、世界の子供たちにプレゼントを届けるサンタクロースの真っ赤なコートが……です。
少年は今日、どうしてもサンタさんに会いたいのです。理由はお母さんの一言でした。
「サンタさんも今年で最後だね」
少年はもう、小学生を卒業する歳です。子供達に夢をあげるのがサンタさんですから、確かに子供というにはちょっと大きくなりすぎたのかもしれません。
少年もそれがわかったから……今日は寝る時間になっても、自分の部屋の窓から空を見上げているのです。
彼にとって、サンタさんは憧れでした。うまくしゃべれない頃から、クリスマスになるとそっとプレゼントを枕元に置いていってくれる大きなおじさん。会いたくても会いたくても会えなくて、夜遅くまで起きようとしていても気がつけば寝てしまっていて、せめて「ありがとう」を手紙にしたら、その紙の裏に小さく「メルシー」って書いてあったりして……。
会えない分、憧れの気持ちは強くなる一方でした。
小さな頃は、そんなサンタさんを、みんなが信じていました。お友達も、そのまたお友達も、クリスマスになれば「サンタクロースから何をもらった」と、我先に自慢しあったものです。
でも、みんなみんな、大きくなるにつれて、口々にこんなことをいい始めました。
「サンタなんていないよ」
彼は、誰かがそう言って、サンタクロースを信じている人を馬鹿にするのが本当に嫌いでした。なんでかって言えば、うまく説明できないけど、大嫌いでした。信じる、信じないじゃないのです。大嫌いでした。
夜も遅くなって、もっと寒くなりました。でも、少年は、窓を開けたままずっと空を見上げています。
今日会えなかったらもう会えない。
大人には、サンタクロースは見えないんだよと、お母さんは言ってました。だから、姿が見えるとしても今日限りです。絶対に会いたい。
いろんな想いを込めて、少年は夜空に星が降るさまを見上げています。
空気は寒くて、パジャマ姿の少年の身体がぶるると震えて、12月の夜の厳しさを伝えます。このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。だけど、ジャンパーを取りに行けば、お母さんにまだ寝てないことがばれてしまうでしょう。
「早く寝なさい」と言われたら、この夜にさよならを言わなければならなくなってしまいます。少年はベッドから毛布を引っ掛けて頑張ることにしました。
それでも……何も見えません。
夜空を馳せるトナカイも、プレゼントをたくさん載せたソリも、赤いコートを着たふとっちょのおじさんの姿も。
シャンシャンと気持ちいい音を立てて鳴る鈴の音も、ソリが空気を滑る音も……。
少年はあくびを一つ。もう、寝る時間を三回くらい通り越した気分です。
やっぱり会えないのでしょうか。友達も、その友達も、だれも、本当のサンタクロースに会った人はいません。だから、みんな信じなくなっていくのです。
それを思い出すと、少年は顔を洗うようにごしごしして、もう一度、目を見開きました。
(僕がみんなに、サンタさんが本当にいることを教えてあげるんだ)
人は、目に見えるものしか信じなくなっていく。逆に言えば、見えないものを信じることを諦めた時から、人は大人になっていくのかもしれません。
だけど、それなら少年は子供でした。信じていたものを否定されることが大人になる条件なら、大人になんかなりたくない。
……いろんな想いを込めて、少年は、サンタクロースを待っています。
もう真夜中です。
満天に輝く星が、知らん顔で瞬いたまま、クリスマスイブのカレンダーをめくりました。二十五日です。
クリスマスの夜はまだまだ長くても、眠くて眠くてたまらない少年の、今日という夜は、あとわずか。
時々、少年の首がかくんと折れて、それに気付いて目をこすって……。なまじ毛布に包まっているから、なおさらぽかぽかが眠気を誘います。
「やっぱりダメかな……」
少年は呟きました。だって、だれも会ったことがないのです。会いたくて会いたくてしかたなくても、これまでも会いたくて会いたくてしかたなかったのは自分だけじゃないことも、分かっています。
プレゼントはくれても、「メルシー」というメッセージは残してくれても、絶対に姿は見せてくれないサンタクロース。
……少年は、窓のふちに手をかけます。そしてもう一度だけ……凍えた夜空を見上げて、口を開きました。
「でも僕は、ずっとサンタさんを信じてるから……」
その時、空が一瞬、真っ白く光りました。同時に、「やれやれ」と言う声も聞こえてきます。
「サンタさん……?」
少年は、それだけでそうだと思いました。だってクリスマスですから。こんなに待ったんですから。少年が他のものと思うはずもありません。
そして、光の白が再び夜空に戻った頃、同じ声がもう一度、少年の耳に囁きました。
「ワシは今日、すごく忙しいんだがね……」
「わぁぁ……」
窓の外。少年は目を疑いました。
そこには巨大な……本当に巨大なソリが、空に張り付いたように浮いているじゃありませんか。
ソリの前を見れば三頭のトナカイが、そ知らぬ顔で首を上下させてやはり浮いているし、赤いコートの白ヒゲ赤ら顔の背中には、まだまだ配りきれないプレゼントが山のように積んであります。
「もう、キミにも会えなくなるから、特別だよ」
「……」
少年は、言葉もありません。眠くなってゆるくしか動かない頭で、サンタさんに何をいいたかったのかを必死で思い出そうとします。
そんな少年に、サンタさんはいいました。
「少し手伝うか」
「え?」
「手伝ってくれるのなら乗りなさい」
キツネにつままれたような少年の表情。それでもうなずけば、ソリと窓を渡す、虹色の橋が架かりました。
「ワシが「よし」と言ったら一つずつソリからプレゼントを投げておくれ」
うなずく少年に、サンタさんはどこからとりだしたのか、子供用の赤いコートをかけてくれます。準備完了です。
「メリー、クリス、マース。待たせたな」
サンタさんの声にトナカイが嘶き、走り出せばソリはものすごい速さで空を昇り始めました。
ぐんぐんぐんぐん背景は流れ、やがて違う街が見えてきます。
「ひとつずつ投げてくれ。……なに、どれを投げていいかわからんて? 大丈夫。投げてほしいプレゼントの方が、キミを呼ぶから間違えることはない」
サンタさんが鞭を振れば、ソリはますます加速します。何もない空に星のシュプールを描きながら翔けるソリから眼下を見下ろし、少年は「よし」の声と共に、一生懸命、プレゼントを落としていきました。
ソリは国境も越えていきます。その速さは少年が乗ったことのあるどんなジェットコースターよりも速く、それでいて全然ゆれません。これだから一晩で世界中を巡れるのでしょう。
手伝いにも慣れてきた少年は、前でトナカイを駆るサンタさんに言いました。
「サンタさんは、どうしてみんなに姿を見せないの?」
テレビとか出れば一躍有名人だし、そうなったら誰も「サンタは嘘だ」なんて言わないだろうに。
すると、サンタはもしゃもしゃのヒゲを少しだけ動かして言いました。
「信じてくれる人だけ信じてくれればいいんだよ」
「でも、せっかくみんなが喜ぶことをしてるのに、損じゃないか」
「損得考えたらサンタなんてできんでな」
「損なのにやるの?」
「違う」
「……どういうことなの?」
「損得を越えたところに、喜びがあるんだよ。得だと思えることしかできなければ、その喜びに気づくことはない」
「うーん……」
少年には、その言葉の意味がわかりません。サンタさんは心底楽しそうに笑いました。
「ははっ、キミなら、それが分かる大人になれるさ」
そしてまた前を見て、トナカイ達を励まします。
「キミは、一度も姿を現さないワシを、ずっと信じ続けてくれただろう?」
「うん」
「誰が「ワシなどおらん」と言っても、キミは信じ続けてくれたな」
「もちろん」
「……ワシは、そういう子供がいれば、それで満足だよ」
そんなサンタさんの大きな背中を、少年の目が映しますが、まるっこいだけで、言葉の意味はわかりませんでした。
やがて、少年のよく知る街の風景が戻ってきました。本当に、一晩で世界中を周って帰ってきたのです。
少し白んだ空を背に、サンタさんはにこりと笑ってみせました。
「今日はありがとな」
さっきと同じく、少年の部屋の窓の前に浮かぶソリ。こんな光景を誰かが見たら、さぞビックリするでしょう。
サンタさんは「あ」と、ちょっと間抜けな声を上げて、「キミのプレゼントを忘れていたよ」とヒゲをしごきました。
「えーっと、今年は、キミはなにがほしかったかね」
実は少年は今年、サンタさんには何もお願いしていません。なぜって、直接お願いするつもりだったからです。
彼がほしいプレゼント。そう、今年、サンタクロースからほしいプレゼントは……。
「僕に、大人にならない魔法をかけてほしいの」
すると、今度はサンタさんのほうが、キツネにつままれたような顔をしました。
「そりゃ、またなんでだ」
「そしたら、来年もサンタさん来てくれるでしょ?」
サンタさんは、少年の願いを聞いて、うれしそうに目を細めます。
「キミは、ワシが好きかね」
「もちろんだよ」
「ワシがやってきたことを、喜んでくれるんだな?」
「うん!」
「そうか……」
サンタさんにとっては、そういう笑顔が一番うれしいものでした。
「なら、喜ばれることをすると、人は人を大好きになってくれることも分かってくれるか」
「うん」
サンタさんは、少年の小さな肩に、大きな手を置きました。
「なら、今度はキミが、サンタになるんだ」
「え……?」
「キミはさっき、良いことをしてるのに、気付かれなければ損だって言ったね」
サンタさんは遠く、明け始めた東の空を眺め、言います。
「でも、本当にうれしいのは、「良いことをしたよ」って、みんなに言いふらして、たくさんの平坦なお礼をもらうことじゃなくて、そのことに向こうから気づいてくれることなんだよ」
そして少年の方へ向き、赤いコートをかけ直しました。
「中には気付かない人もいる。自分のことばっかり考えて、人がしてくれたことなんて当たり前くらいに思う人もいる。だけど、君は気づいてくれた。自分から偽りのない感謝をしてくれた。……ワシのことを好きになってくれたんだろう?」
「……」
「ワシは、そういうのが一番うれしい。そういう子の中で生き続けられれば充分なんだ」
疑う人は疑えばいい。そんな人は、どうせ自分に喜びをくれることなどないのだから、わからせてやる必要もない。
「……キミは、今からどんどん大人になっていく。ワシの知る「うれしい」を、感じられる方になれるんだ。ワシはキミに、子供のままでいられる魔法を掛けることはできる。だけど、サンタになる喜びは、子供では味わうことができないんだよ。だから……」
サンタさんは、少年の頭をなでて、とてもいい笑顔を見せました。
「キミは、……気付くことのできたキミは、大人になってほしい」
そしてキミがサンタになっていつか子供達を喜ばせるんだ。その時キミは、ワシが子供の前に姿を現さない理由が分かるはずだよ。
サンタさんは、そこまで言って、少年から離れました。
「サンタはもう、キミの心の中にいる。大人になってくれるね?」
「……うん」
少年には、まだわかりませんでした。だけど……うなずくことが、サンタさんとの友情だと思いました。
朝。
お母さんが呼びに来ると、少年は、窓の縁に腕を引っ掛けたまま、眠りこけていたことを知りました。
「こんな冬に窓を開けっ放しだなんて……」
呆れた声が彼を起こします。なにせ今日はクリスマス。お母さんも、なんで少年がそんなことをしていたかは気付いていますが、冬休み早々風邪を引いたのでは……と、その無邪気さに毒づきます。
少年も、少し慌てて身を起こしました。その拍子にフサリと落ちる毛布。それで二人はまた、キツネにつままれたような顔をしました。
毛布の下で、彼は、赤くて分厚いコートを引っ掛けていたのです。
「これ、どうしたの?」
当然お母さんは、自分があげた記憶がありません。でも少年は、すぐに分かりました。
「サンタさんとの、友達の証だよ」
ポケットにはメモ用紙。拡げてみれば、いつもの文字で、「メルシー」です。
お母さんは、やっぱりちょっと不思議そうな顔をしていましたが、少年は、サンタさんのくれた最後のプレゼントを一生忘れまいと……心に誓いました。
メリークリスマス!